<ヽ`∀´> 2ダ!2ダ!ウリナラマンセー!
3 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/08(木) 17:58:00 ID:kOv2mw9z0
岩波で出ないと意味ねえだろ
4 :
名無しさんだよもん:2005/12/08(木) 17:59:48 ID:hqEHIq6L0
著者は、じつは元リング穴だとにらんでるんだが
もう長谷部スレいらねーよ
音楽の趣味がサブカル臭くていいよね。ほんと、サブカル臭くて。
本田透はもういいです
オタクを食い物にして儲けたいだけだろ
ご苦労なこった
これ読破したら次は「下流社会」を読むべし。まっとうな道に戻るためマジオススメ
12 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/08(木) 22:41:36 ID:kOv2mw9z0
下流社会とか「さおだけ屋は何故〜」を読んで、ToHeart2Xratedや姉汁で流行のエロゲをこなしつつ
Beamsとかナンバーナインの服着て、i Pod nanoとか買ってみたりしながら、VIPSTARをハミングしたりして
俺はそんな大人にはなりたくない
反論なんか受ける気ないけれど、この本の駄目なところは、政治闘争の相手が大衆ということ。
政治闘争自体は必要だと思うけれど、大衆が相手で特定の相手がいないから無責任極まりないし
それはほとんど闘争とは言わない。
この本が既存の権威的人物に向かって闘争本能剥き出しで喧嘩うってれば、少しは違っただろう。
だから、単なる言い訳にしか見えないんだな。
まぁどんどん二極化でもなんでもして、マリリンマンソンの健康なロックでも聴いて、サブカル臭い学者の
本読んでてください、ってところ。
どうせこんな糞スレ誰も見ないんだ。好き勝手に使うぜ。
結局、僕はオタクに嫉妬してるんだ。
オタクだって大衆と変わらないわけでしょ。
僕はいつだって大衆に嫉妬していたし、オタクは僕の味方もしくは僕以下のキチガイ集団だと思ってた。
だけど違った。
オタクは本当は大衆と同じなんだ。
だのにまるで自分達が苦しんでるみたいに振舞うような嘘八百を書くから、僕は「萌える男」に頭がくるのだ。
この本はもうどうでもいい。なんか近いうちにもっといいの出ないかな?
そういえば、長谷部はササキバラゴウの「美少女の現代史」はどうなの?
東浩紀にもかなり評価されてる。このおっさんは残念ながらエロゲーはほとんどやってないけど。
17 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/09(金) 09:51:21 ID:nbyvWRlx0
東浩紀(笑)
>>16 さぁ、どうでしょうね。別に興味ないしねぇ。
19 :
名無しさんだよもん:2005/12/09(金) 12:23:35 ID:nIq2v5hu0
>>1 おい長谷部。
構って欲しいからって名無しでスレ立ててんじゃねえぞ屑。
僕は●を持ってません(とりあげられました)
この前ONEスレ立てたばかりなのに建てられるわけないじゃないですか。
>長谷部氏
そもそも何故にあなたは大衆に嫉妬しているのですか?
僕が負け犬だからです
私は自分のことを社会のクズだと思っていますが、別に嫉妬はしていません。
自他の割り切りはそう簡単ではないですか?
クズなら嫉妬するのは当然じゃないでしょうか。自分がそうなりたいのだから。
クズなのに嫉妬しないということは、望んでクズになっているということで、それはクズじゃないということになります。
うん?自分の社会での人間的価値を評価してみた場合、
自分のものさしではありますが「俺ってクズだなぁ…」と思うわけです。
進んでそうなっていようがなかろうがクズはクズでは?
それは社会と自分の価値が切り離されているからじゃないでしょうか。
>>26 それはその通りかもしれません。
私の場合は社会が求める価値とは別のものに価値を見出して、
「自分にはそれがあるからそれでいいんだ。」
と狭い世界で納得してしまっているきらいがあります。
ということはあなたはそうではない?
本当に社会の元で生きてないのならそうなりたいです。
ですから、以前から僕はドラゴンボールの「精神と時の部屋」に入って本と音楽と楽器だけ持ち込んで
永遠に暮らしていたいくらいだ、と言ってきました。
でもそうはできないという事実があるので、僕はそういうことに対しては批判的になってます。
だからといって大衆に染まるのも嫌ですが。
今日某人物の講演を聞いてきたのですが、
人間というのは群れて社会生活をしなければならない、という点で
「根本的に抑圧されていて自由ではない」存在なのだ、という意見を聞きました。
なるほどその通りだと思いましたが、
あなたはそうした「抑圧された社会」でどう生きたいですか?
私はあまり時間の取れない愉しみを現世唯一の希望として
それ以外の多くの時間にある理不尽(そのものと
自分が異常だと思っている大衆も含めて)と向き合っていくしかないと考えています。
>>29 僕は耐えることができません。
ですから僕の方を変えるしかないのだと思うのです。
人が抑圧というときに考えるのは、自由の喪失だと思います。
ところで、何故自由は肯定的なのでしょう。
怠惰を許すからか。被支配性が問題なのか。
僕は、前者は自由であったとしても悪なのでは無いかと思うのです。
後者の性質、つまり被支配を超えるために、僕はそれを自分の支配関係に
書き換えることが必要だと思うんです。
だから僕は被支配を受け入れたいと思います。すくなくともそうありたいと思います。
なぜなら僕は不条理には耐えられないほどナイーブだからです。
やはりそうなると世間と擦れ合っていくしか、
生きる道は残されていないのでしょうね…。
私は昔それが嫌でした。まさに大衆に迎合するようで。
でもここ数年いろいろな事を経験する内に
「それはそれ、これはこれ」と考えられるようになりました。
もちろんそれでもまだ自分は社会にとって不充分だし、
だからまだまだカスだと罵られないとやっていけないんだろうなと思っています。
結局かくあるべきというものはないと思います。
少なくとも、そういう安易な選択に安心しないことが生きるということなんじゃないでしょうか。
ですから、人間は嫉妬することも喜ぶこともある、不安定な生き物でいいと思うのです。
>>32 惑い人(PLANETES)ですか…。
実際その通りだと思います。結局のところ。
長谷部先生の人生相談スレはここですか?
35 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/12(月) 22:54:26 ID:dWqD8hKe0
今、アンナ・カレーニナを読んでいます。
ここにアンナカレーニンとキチイの二人がいるわけですが、実にこのキチイが萌えキャラ的なのです。
彼女は非常に繊細であり純粋です。何がいいたいのかとお思いでしょうからさっさと書きます。
つまり萌えなんてのは愛でもなんでもないということ、それは「癒し」ブームでしかない、ということです。
癒しブームにしろ萌えにしろ、そこにあるのは「こんなのがステキね」という、相手抜きの固定観念であり、
それがまさしく「キチイ的」なのです。
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0580.html ところがアンナカレーニンという人にあるのは、そういった処女の理想像ではない。
なぜ処女論争なんて下らない感覚が起こるのか考えるがいい。
>あのねえ、大学へ行くのもいいが、アンナ・カレーニンと出会えるかどうか、そのほうがずっと君たちの人生には
>大きなことなんだよ。わかるかな、この感覚。
カレーニンには毒がある。それは少女ではなく女としての、だ。
そしてそれは僕らの理想としてのではなく、そのときこそ初めて人が人として一個の存在として
立ち上がった姿に違いないのだ。
それを愛することができるか否か、それが真の愛の意味であり、品定めするような
くだらない商品陳列とは意味が違うのだ。
トルストイのアンナカレーニナが傑作なのは、そういう愛ある人物が、互いのエゴにより構想曲を
奏でる「生き生きとした」姿なのであり、ナボコフがドストエフスキーをして糞といわしめ、トルストイに
精緻な強さを見たのはその「愛」の有無にあるのだ。
36 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/12(月) 22:56:04 ID:dWqD8hKe0
交響曲だ。ミス。
37 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/12(月) 23:00:23 ID:dWqD8hKe0
いいですか、資本主義市場にあるのはむしろ「萌え」のほうだと気づかなくてはなりません。
芸術作品というのはそういう資本的な意味を超えようとするところであり、意味ある作品と言われるのは
商売を超えるということに違いないのですが、それはまさしくトルストイの「アンナ・カレーニナ」的な
エゴと愛の結晶によって描かれねばなりません。それこそが愛なのです。
ところが現在の萌え文化は異常です。
つまり、個が死に、主人公に対して従順であるキャラがほとんどであり、彼女達の個性というのは
如何に他のキャラとの混同を避けるかといった程度にとどまっています。
ツンデレブームにしても、重要なのはツンがデレを演出するということなのです。
ところが本当の意味での大人の女性が、萌え文化ではほとんど淘汰されており、没個性こそ
前提になっています。
そんな何万弁と繰り返されてきたひねりの無い指摘をするためだけに
いったいどれだけ言葉を無駄にするつもりなんだろう。
39 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/12(月) 23:22:43 ID:dWqD8hKe0
>>38 ではもっと短くまとめてみてくださいな。
単なる煽りにならないレベルで
萌えの本質はキャラの阿りと奉仕、それはサービス業のようなもので本質に個性が無い、
そうした萌え業界の流行は資本主義の直下にあるといえる。
これだけだろお前が言ってるのは。
短くまとめられないと思っているかのような態度が凄く気持ち悪い。
41 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/12(月) 23:34:38 ID:0Unw6ftt0
個性がないこと、資本主義の直下であることに何の問題があるの?
って言われても俺のレスは回答がはいってるわけだが。
萌えキャラといえば、『虐げられた人々』のネリーを忘れてはならない
43 :
名無しさんだよもん:2005/12/13(火) 00:08:31 ID:SlOrt88q0
>>41 40は、「短くまとめられる内容を長々と書いていること」を批判してるんじゃないの?
本音は別のところにありそうだけど。
そもそも、"萌え"という感情が理解というか共感?不能。
「萌える男」というとまず宦官を連想するよ
45 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 00:25:39 ID:FKhKIA4g0
>>42 しらんね
>>43 短くまとめられる=一般論だろうが、一般論なんかいわないし。
>>44 あなたが理解不能ということ?
本気で「萌え」といわざるをえない感情になったのは、俺は一回しかないけど、
それは子供の頃の過剰で未熟な感情だったと思う。
46 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/13(火) 00:29:35 ID:nwe7BxSe0
>>45 今は、自分自身を、子供ではないと思っているの?
>>45 そういうことです
好きだとか、愛という感情は
自分の中にあるし共感可能だけど、
"萌え"ってのは、皆目わからん
共感不能なんですよ
49 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:02:03 ID:FKhKIA4g0
>>46 心だけはいつでも童心でありたい。
>>47 前に見たことがあります。でも長そうで読む気にならない…。
>>48 感情はいくらでも捏造可能だと思います。
萌えという感情は、定義上「現実に手に入らない対象に対する独占欲」だと思うのですが、
昨今では補完的妄想という文化がごっちゃになって意味不明な状態になってます。
本田が捏造した萌えもそういう意味不明さを逆手にとった嘘八百であります。
>>48 ごく個人的な話だけど、漏れが初めて「萌え」という感情を感じたwのは
実際に「初恋」なるものを経験したあとだったけど。
高校生のころだったなあ…。
だから「恋愛」という感情を持てるのなら「萌え」という感情も理解できると思うけど。
逆に言えば、一度も異性を好きになったことの無い人間には「萌え」という感情は
わからないはず。
51 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:07:56 ID:FKhKIA4g0
>>50 少し萌えを高等なものにしすぎではないだろうか。
あなたの感情は萌えでは無いと思う。
例えば「小泉純一郎萌え〜」でも、これは可能なのです。
ただし、最近は萌えコピペというのが流行ってて、俺の彼女萌え〜とかもあるので
もはや定義が不可能な状況になっているのも事実です。
萌え=かわいい、くらいのニュアンスが現代の本当のところでしょう。
>>47のサイトを抜粋すると、
>最近のアニメーションは「キャラ萌え」という言葉がよく表しているように、特定の記号を消費者(つま
>りオタク)の期待する文法にいかに収めるか、というその消費が異様に膨れ上がっています。
>
> 彼らの「文法」から逸脱したキャラクターはその時点で否定されるのです。ここには「アルマゲドン」
>とまったく同じ構造があります。「キャラ萌え」とはすでに見たことのある記号がその枠内に収まってい
>ることを確認する感情でしかないということに「萌え」る人々は気がついていません。しかもその収まる
>べきフレームとは、現実をはじめとする様々な外部との差異などでは決してなく、アニメ/ゲームそれ
>自身の歴史の中で緩やかに変化する「文法」でしかありません。
>
>「アルマゲドン」の観客が怠惰なら、
>キャラ萌えのアニメ/パソゲーファンも同じく怠惰です。「萌え」る人間はどんな批評的武装をほどこし
>ていようと、本質的に「知的怠惰」であり「感性痴呆」なのです。それは既に見知っているものを永遠に
>確認しつづけるファンたちによって支えられる、気の狂いそうな「無限に確認作業を反復する」世界です。
こんな感じ。
長谷部が言いたいことは大体こういうことなんじゃないかな?
ただ、「萌え」という言葉の意味がどんどん変わってきているというのはあると思うんだよね。
自分にとって「萌え」とは「現実の異性に対してとまったく同じように、空想の世界の異性を
好きになること」ということなんだけど。
ただ、その「現実の異性に対してとまったく同じように」というのが成り立つかどうかはかなり
怪しい。というか成り立たないと思う。
53 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:19:34 ID:FKhKIA4g0
>>52 似ているといえば似ています。しかし似ていないといえば似てません。
似てないという部分は、
>アニメ/ゲームそれ自身の歴史の中で緩やかに変化する「文法」でしかありません。
この点であり、というより、これこそが最も肯定されるべきものなのであって、
僕はそういう文法創造過程こそが尊く、また、愛と呼ぶべきだと思う。
他は僕の言ってることと同じですね。
感情は捏造可能というのには半分同意
ただ 捏造という否定的なニュアンスはいただけない
感情とは、生の感情と想像された感情とに区別する方が展望が開けるはず
以前から気になってたんだが、"萌え"という感情は、
対象を二次元キャラだけに限定した方がいい
長谷部の定義は、悪くはないが、
それを実在する他者に適用するのは、
最終的に誤解と混乱を招く恐れがある。
もう一度くりかえしになって恐縮だが、
「萌える男」=宦官というのが、おれの印象
56 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:25:07 ID:FKhKIA4g0
例えばJ-POPはなんだか音楽としては軽くて、駄目なもの、みたいなイメージがありますよね。
J-POPだけではありません。アメリカだろうがイギリスだろうが、チャート上の音楽とはえてして
酷いと思われがちだと思います。
その理由は、歴史(文法)がないからです。
なぜ日本のロックが世界と通用しないのか、なぜイギリスのロックは世界で通用するのか。
もちろん英語圏だからという理由は強いですが、それ以上に、ビートルズやセックスピストルズを生んだ国だから
ではないでしょうか。実際、イギリスはロック以外はそれほど売れてないように見受けられます。
ロックの文脈というのが実際にあるのです。
それを書き加えて変更するという作業が見えるからこそ、音楽に意味が感じられるのです。
逆に言えば、この歴史を書き直すという作業をしなければ、それは単なる引用なのです。
それが商業音楽ですから。
そして日本はその歴史を書き直す作業に参加できません。
マーケティングの閉鎖性や言語の問題なども重なり、蚊帳の外にいるのです。
57 :
名無しさんだよもん:2005/12/13(火) 01:27:29 ID:JnPIH0jq0
萌えってペットに抱く感情と全く同じだろ。
ましてや性欲処理の機能まで果たすんだからな。
これ以外に適当な説明は無い。
>>56 つまり、たかだか半世紀ほどの歴史しかないようなアニメという文化も、
「半世紀ほどの」歴史があるわけであって、日本のアニメ産業はその歴史
(文法)を書き直す作業を行い続けるかぎりにおいて意味がある、という
ことか?
59 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:34:07 ID:FKhKIA4g0
>>54 生の感情、想像された感情の違いとはどのようなものでしょうか。
僕は「システムやまったき愛、情熱によって構成された感情」と「予定調和的な感情」の
二つを分けています。僕が芸術に求めるのは前者ですが、その二つのことでしょうか。
僕が捏造可能というときの感情は、「予定調和の感情」と思っていただいてかまいません。
>それを実在する他者に適用するのは、最終的に誤解と混乱を招く恐れがある。
よくわかりません。
僕が「現実には」という注釈をつけるのはまさしく「俺と小泉純一郎は関わらない」という無責任性から
きてるとおもうのです。その限りに誤解、混乱は起こらないとは思います。
宦官というのは去勢された男のことですよね。
去勢ということは性欲を断つということでしょうか。
60 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:36:02 ID:FKhKIA4g0
>>57 ある意味であたってます。ペットが文句を言わないというのが大きい。
>>58 そうですね。その限りでは僕は問題ないと思います。
では萌え文化において、「萌え」の文法を書き加えて変更するという作業
が行われている、とは考えていないわけ?
「予定調和の感情」ではないものが「萌え」カルチャーに存在するとは、
長谷部は考えていないわけ?
ところで、本田透が指摘してるのは、現実世界においても恋愛と言うものが
予定調和の感情に満ちたものになっているということでもある。
現実世界の恋愛もまた、マニュアルとなる映画・TVドラマ・ファッション雑誌
で覚えた記号に状況が収まっていることを確認する作業でしかない、という
ことを言ってるんだよね。
人間が他者に抱く感情は、個人個人多種多様で、状況によっても、
変わってくるものなのかもしれない。
そういう本人も理解できない曖昧模糊とした漠然としたなにかを
単純に"萌え"と断案してしまい、また本人もそれでよしと誤解してしまうとすれば
根底にあるはずの豊かな人間らしい心のあり方を切り捨てることなる場合がある。
そういう意味で、人と人とのつながり、交流が成立しなくなるという
想像された感情とは、人間が意識的な表現として生み出してゆく創造されたなにかと言っておく
63 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 01:54:38 ID:FKhKIA4g0
>>61-62 重要なのは、人間は常に根源的だってことです。
人間は誰かのために存在するわけではないのですから、彼の存在は常に歴史を持ってるんです。
ですから誰かを愛するということは、その誰かの歴史にコミットするということだと僕は思うんです。
だからこそ上で僕は「アンナカレーニン的な愛」こそが尊く情熱的だといったのですね。
そうだとしたら、男の目を気にする女は確かに資本主義的といえるでしょうね。
萌えが文法を書き換えるか否かに関しては難しい。
それは、萌えがそもそも歴史たりえるのかという問題を孕むからです。
>>62 恋愛と言う言葉も同じなんじゃないかな。
恋愛と言う感情は個人個人多種多様であるにも関わらず、それを恋愛と言うたった
一つの単語でくくってしまっていいのか、という。
でもそれはしょうがない。恋愛ってのは「恋愛」としかいいようのない感情なんだから。
だから、「萌え」もそういう言葉になればいいと思う。
「萌え」としか言いようのない感情がそこにあるんだけど、それは多種多様なもので
一つの言葉だけで言いきれるものではない。
でもそれは間違いなく「萌え」なんだ、という。
そういう単語であるべきだと思う。
65 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:04:11 ID:FKhKIA4g0
>>62 呼称が現実を変化させるという問題は難しい。
ただ、萌えるというような言葉を使うときに、本人の定義が自分で満足できるのなら
別に構わないような気もするんですけどね。
萌えるという言葉の射程がどこにあるのかもよくわかりませんから。
僕は萌えるという言葉が、確かに
>>52の中にあるような「確認する感情」である場合が
ほとんどだと思うのです。
66 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:10:27 ID:FKhKIA4g0
少し考えたのですが。
僕が「キチイ的な女」というのが萌えキャラというのでした。
なぜ「アンナカレーニン」のような、自分のエゴを持つ女は萌えキャラにならないのでしょうか。
その起源としては萌えが恋愛感情の従属関係にあるからではないかと思うのです。
萌えが、自立せず、明らかに恋愛の影にあるのです。
萌えが文化として独立すれば、アンナカレーニンも萌えキャラになるはずなのですが、そうならない。
欲望の対象だからこそ処女的な女の子が必要になる。
萌えが歴史的に自立できない性質だというのがその一因だと思うのです。
女の子の性質に、歴史も糞もないんですよね。
だからこそ恋愛のシステムに回収される以外、成立する力を失い、安易な欲望の性質を共有するのだと思います。
そういう意味で、恋愛資本主義者と萌えヲタは性質としては一緒なんですよ。
>>64 人間の中の曖昧模糊とした感情が本質であって、
"恋愛"、"萌え"というのが二次的なものであって、
これらを、言葉でくくってしまうことが、
人間の、あるいは男女の関係を枠に閉じ込めてしまうということです。
それらを、それ自体としてあるいは余すことなく生き、体験、表現することが、
本質的に大切なことではないかと思っている。
ただ、ここで問題なのが現実的に「恋愛できない」人々がいるということ。
そのときには一体どう恋愛すればいいの?
長谷部自身はどうするつもりなの?
これを忘れちゃいけないと思うんだけど。
結局のところ、本田透は自分のエゴを持つ女を相手に対等な関係としての恋愛
をすることは容認しているわけで。
萌えが恋愛資本主義と本質を同じくするシステムであっても、恋愛資本主義に
乗っかることの出来ない人々、あるいは、「アンナカレーニン的な恋愛」をしたくて
もできないだが恋愛資本主義にも乗っかりたくない、という人々に対して救い
になっている、という点において、萌えには意味があり、必要性があるんじゃないか
と思うんだが。
70 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:34:04 ID:FKhKIA4g0
>>68 恋愛しなければいいんじゃないですか。
というか、恋愛を目的化してるのがそもそもおかしいんであって、我々は子孫を残さないと
苦しむ動物ではないでしょう。
実存不安なんていうのも相当おかしな話題であって、それは確かに怠惰なのです。
>>52のいうような無理矢理な意味での怠惰ではなくて、「どうせ何かするなら意味あると思えるほうをしたい」という
効率主義の至りでしかないのです。
例えば、どうせ絵を描くなら人に見せて褒められるほうがいい、みたいなものです。
そういう意味を求めたいなら、何かを愛しなさい。
愛は別に恋に限りません。音楽も、文学も、スポーツも、映画も、何もかもが
愛をもちえます。
なおかついうならば、萌えは本当は自立できると思います。
オタが勝手にシリアスになって恋愛の影を引きずってるだけだと思うのです。
それを断つことの方が、ずっと、将来的に萌えの文化の地盤を硬くすると思うんです。
なるほど、萌えという回路を通して、実在の他者につながっていく、
他者とのふれあいやつながりに道が開けないわけじゃないしね
そうはいうものの、「
萌える男」の感情はやや単調で貧困なのかもしれない。
これはある意味、憂えるべきものがあるとも思える。
TH2Xをプレイした人は、萌えよりも大事な異性とのつながり、
ふれあいの大事さを実感できたのではないかな。
73 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:48:14 ID:FKhKIA4g0
うーん、僕は実在の他者と繋がることを前提とする文化観は嫌いですけどね。
そういう文化観は結局、宗教と変わりませんから。
つまり長谷部は「ある歴史/文法にコミットする」という行為である、という点において、
恋愛と文化的な行為は等価値であると考えているわけか。
長谷部は、萌えが恋愛資本主義よりも上位にある、という主張が許せないんでしょ?
本質的には萌えも恋愛資本主義も同じだということだと言いたいんだろう。
だから恋愛資本主義も萌えも、同等に批判されるべきなんだろうと。
ある歴史/文法にコミットすることにこそ意味があり、萌えもまた歴史/文法を持ち得る
文化として成立すれば自立ということかな。
>TH2Xをプレイした人は、萌えよりも大事な異性とのつながり、
>ふれあいの大事さを実感できたのではないかな。
笑えばいいのかゲロ吐けばいいのか全然解らんな。
76 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:53:29 ID:FKhKIA4g0
僕がいいたいのは、タマ姉は現実に存在しなくていいと思うんです。
その位非現実的でもいい。
でも主人公と恋愛関係を持たせる…つまり従属関係でも独占欲でもいいけど、そういうことへと
向かわせるために、恋愛資本主義的な性格を受け継ぐことになるわけでしょう。
だから「キチイ的な処女」が尊いと思われる。
さらにいえば、To Heart2の現象というのは、僕は二次的な場を欲してやってるだけなんじゃないかと思う。
言うなれば有名タレントがふんだんにでたトレンディードラマです。
それは話題性があるから見るのです。事後的な話題があるとわかっているからこそ。
ですから近頃のオタクの動きは、文化を見限ってるのではないかという気がします。
どんどん「どうせなら他人と共有できる喜びを」という効率主義になっていってる気がする。
そうなれば文化はJ-POP的になるでしょう。
それは歴史の喪失であり、文化の死ではないでしょうか。
77 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 02:56:54 ID:FKhKIA4g0
>>74 >恋愛と文化的な行為は等価値であると考えているわけか。
>本質的には萌えも恋愛資本主義も同じだということだと言いたいんだろう。
>だから恋愛資本主義も萌えも、同等に批判されるべきなんだろうと。
>ある歴史/文法にコミットすることにこそ意味があり、萌えもまた歴史/文法を持ち得る
>文化として成立すれば自立ということかな。
まったくそうです。
「萌え」の実態が文化的に自立してるなら文句はいいません。
ただしそれは「文化的に」です。
現実の萌えは純粋ではないと思いますし、その批判を本田は行ってません。
>>75 スマソ いってくる ていうか、そろそろ寝ます。
みんなからいろいろな意見がでてきてよかったよ
ありがとうな
どんなに「恋愛資本主義」的であったとしても、少なくともID:XQrw5M9f0は
「資本」だけでは説明のつかない何かをTH2Xから感じ取ったんだろうし、
そういった感情を
>>75 みたいに頭ごなしに否定することこそ「萌え」の
凋落に繋がると思うんだが。
80 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 03:04:24 ID:FKhKIA4g0
でもねー。
そういう人間的なものを求める傾向は、聴こえはいいだけで、実際は文化を腐らせると思うよ。
もちろん、実際的にその経験を行ったことは彼にとっての歴史なんだから貶すつもりはないです。
ただ、その文化の基本的役割を見た場合には、人間性というのは文化をおかしくする。
それは真実だと思う。
俺も眠いし寝るわ…。
最後に「僕の小規模な失敗」というマンガが面白かったのでオススメしておこう。
あと「雲のむこう、約束の場所」が良かった。
ストーリーが泣ける、とかじゃなくて、なんというか、物語も映像も音楽も、目の前に
展開されるイメージすべてがあまりにも美しくて涙ぐんじまった…。
確かに、歴史に立脚する「文化」はそれ自体が守るべきものではありますね。
そうした「文化」は人間に対して働きかけて来るところも大きいでしょうし、
安易に侵すべからずというのも理解できます。
ただ「文化」が一人歩きして人間がそれにただ従うだけ……つまり、何の
働きかけも出来なくなったら、それこそ「文化」の消滅ではないでしょうか。
人間の働きかけなら、そこに「人間的」要素が介入することを排除しきる
ことは出来ないでしょうし。
83 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 03:23:11 ID:FKhKIA4g0
今日はマジメにいい名無しが多くて嬉しいな。
>>82 なるほどね、非常に現実的な意見だ。
僕は自分で理想主義だと思ってるし、実際のところそういう部分は必要かもしれないとはいつも思ってる。
だからこそ萌え文化はある部分で止まるしかないのかなという気もする。
人間とキャラを混同するなということ自体がかなり無理があるし、人間を捨て去ると倫理的に
酷いものになる。
だから、現状は妥当なんだろうな、とも思いますよ。実際。
実際的な話題で恐縮ですが:
マスコミの「萌えブーム」の結果、例えば法律上で壊滅的な損害を受けるようなことが
ない限り、「恋愛」と緩やかに結びついた現在の「萌え」は、実のところ私に
とってそれなりに心地良いものだったりします。
議論を放棄するわけではありませんが、あんまり掻き乱して欲しくないってのが
本音ですね。
別に市民権を得よう……なんて思っているわけではないですし。
# 幼女誘拐事件なんかの「犯人像」を妄想するのだけはやめて頂きたいと思いますがw
ただまぁ行き詰ってるんで、「萌え」存続のためにはこうした「痛み」は避けては
通れないんじゃないかとも思ったり。
85 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 03:49:19 ID:FKhKIA4g0
>>84 文学ならば、そういう機能を無理にでも続けるために指導者がいる。
音楽や映画は規模の大きさがあるから、アングラや一部の指導者的立場の人間がそういったことをできる。
しかしオタクにはどちらもない。
問題はここに集約されるのではないかと思います。
だったら僕がカリスマになるか?
それも面白いですがね!ww
発展の下地の形成っていう点において、「萌え」には歴史が浅いことが不利に
作用している面もあるでしょうね。
「なんとか派」とか言いながらも、現状に危機感を抱く人間が意見を戦わせる。
そういう姿がこの分野でも見られるようになればいいんですが。
或いは「カリスマ」が登場するか、ですねw
エゴのある女性ということになると、長谷部としては君望みたいなのを評価するのか?
オレはストーリーにそれをテーマとして組み込んでも必ずしもそれで及第とはならないと思う。
キチイ的とアンナ的というのを幻想文学的とリアリズム文学的というのに喩えられるかな。
そのうえで、良質の幻想文学は時にリアルになるし、その逆もあると思う。
そういえば、アンナ・カレーニンと言った塾講師は英訳でも読んだのかな。
原語からの訳ならカレーニナになるし。
91 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 13:29:09 ID:9STBmyXC0
>>86 歴史が浅いというのはメリットにこそなれ、デメリットは無いと思うんですけどね。
深読みに対する「かっこ悪い」みたいな考え方はエヴァ以来、トラウマみたいになってますね。オタクは。
かといってkagamiのようなデタラメをいえばいいわけでもないのだから、どうもね。
>>88 ストーリーやテーマの問題は本質的には別だと思います。
ただ、その問題は非常に重要です。キャラクターに欲望の対象なのに、ストーリーはストーリーで
成り立たなくてはならないという矛盾した状況が現在のオタク市場だと思います。
君望は単にストーリー上、そういう振る舞いをせざるをえなかっただけというイメージがありますけどね。
>>89-90 リアリズムってのは個人的に違う気がします。
リアリズムってフローベールやモーパッサンでしょう。まぁ、キチイが紋切り型的に思えるといえば
確かにそうだし、そういえばボヴァリー夫人とアンナカレーニンは似ている…。あ、そうなのかな。
(日本語(新潮)訳では、タイトルはカレーニナだけど、登場人物としてはカレーニンとして出てきますよ)
別にカレーニンが偉いとはいわないですけど、少なくともキチイ的なものに惹かれすぎです。
それは萌える男の「ありえないほどの純度」という言葉からも顕著です。
92 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/13(火) 19:02:27 ID:/9LyW8d/0
>>67を考えましょう。
「萌え」や「恋愛」は実体である我々が作り出した言葉ですから、それは「それ(=人間)自身のうちに在る」
言葉であり、そのように作ったのであれば「それ(=人間)自身によって考えられる」ことのできるわけですよね。
ここに他方の概念は無いのですから、その外を危惧して
>根底にあるはずの豊かな人間らしい心のあり方を切り捨てることなる場合がある。
という危険はなくなる。
しかし僕が言ったのは「恋愛と萌えの二元論」の危惧ですから、人間という言語共同体が分裂します。
すると恋愛の観念と萌えの観念は外部のものとなるはずです。
>>67さんはその他方が外部から言葉を無責任に使った場合の誤解を危惧している。
つまり、それは実体を欠くということです。
「三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言い換えればその概念を
形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する」(エチカ/スピノザ)
恋愛感情がオタクのそれ自身には無いと思うべきでは無いでしょうか。というか、実際ないのです。
逆に言えばこれは恋愛資本主義もそうかもしれません。
ただし、問題は、それ自身によって考えることは出来るという知性の問題です。
つまり、
「しかし、一方を有するものがさらに他方を有することを証明する必要があるだろう。というのも、むしろ逆に、
それ自身によっては考えられないが、それ自身のうちにあるものも存在するように思われるからである。
実際、一般には、人々はそのように実体というものを考えている」(ライプニッツ)
ID:XQrw5M9f0さんはスピノザ的な知恵で、さらにライプニッツの感じ取った分裂を、まさに現代のナイーブな問題の
うちにみいだしているのではないでしょうか。
93 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/13(火) 19:51:01 ID:vh/m8Fvv0
長谷部さあ、批評雑誌でも立ち上げてみたら?
1:事実に対して仮定を持ち出す
「ねるねるねるねは」
3:自分に有利な将来像を予想する
「ねればねるほど色が変わって」
4:主観で決め付ける
「うまい!」
8:知能障害を起こす
「ヘッヘッヘ」
10:ありえない解決策を図る
「こうやってつけて」
13:勝利宣言をする
「チャーラッチャラー」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「♪ねって美味しいねるねるねーるね」
>別にカレーニンが偉いとはいわないですけど、少なくともキチイ的なものに惹かれすぎです。
それはあるかも。他方、女性読者はアンナに惹かれるらしい。
パステルナークの「ドクトル・ジヴァゴ」でも、女性読者はトーニャ(だったっけ)よりラーラだし。
>(日本語(新潮)訳では、タイトルはカレーニナだけど、登場人物としてはカレーニンとして出てきますよ)
そうでしたか。ではカレーニナのフランス語風の発音かな。
アンナ・カレーニナネタをもう少し続けるが
全部とは言えなくとも、ヴロンスキーにはアンナも萌えてたように思う(キチイは表面的に萌えてたとして)。
彼の中に「自由」を見ようとするけど、作品後半で思い通りに愛し合えなくって、追い込まれていくわけだし。
(まあ、オレは読んだのが高校生のときなんで、アンナはあまり理解できてないかも知れんが)
だとすると、アンナは男性読者にとっても、ヒロインというよりは読者の自画像っぽい位置になる。(リョーヴィンはストーリーテラー的な位置)
あるいは、萌えキャラというよりは現実の女性と言えるかもしれないが、腐女子とも言えるかもしれない。
だからアンナを賞賛して悦にいるのは、間違ってはいなくても、微妙かと思う。
(長谷部がとは言わないし、
>>35の人は「挑発」と断ってるが)
>>87 いつもながら、書評というよりは代論・補論しているみたい。
96 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/14(水) 16:47:19 ID:ZY1+s8fr0
例えばアンナカレーニナのはじめのほうに
>ただ、キチイははっとさせると同時に、その心を強くとらえた、きまじめな、時にはしずみがちなひとみの
>表情だけは別であった。キチイはアンナがとてもさっぱりした気性で、なにひとつ隠し立てしないことは、
>よくわかったけれども、それにもかかわらず、アンナの中にはなにかしら別の世界が、キチイなどには
>想像もつかない、複雑で詩的な興味に満ちた、崇高な世界があるように思われた。
という文章があって、これがキチイとアンナの二人を大きく分かつものだと思います。
確かにリョーヴィンはトルストイです。間違いないでしょう。そういう意味でもストーリーテラーとは言える。
けれども、トルストイの本当のやり口は、常に俯瞰的な描き方にあるように思います。
それは「明暗」における夏目漱石(「明暗」ではドストエフスキーも出てきますが)のそれと等しく、誰が主人公とか
そういったもので、役割というものが基本ではないように思う。
単なる筋の支配というよりも、そういう人間劇的なところがトルストイらしいところだと思うし。
だからキチイもアンナも基本的には並立していると思います。そりゃ、アンナ>キチイという役割の大きさは違いますが。
97 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/14(水) 17:09:49 ID:ZY1+s8fr0
僕が思うのはまさしく、人間の実体をどこにおくべきなのかということで、それこそが愛の根源だと思います。
つまり人間をどう捉えるべきなのか。
これは常に二元論に陥る。スピノザは実体の根拠を「それ自身の内に在り、それ自身によってのみ考えられる」とした。
僕は思うのですが、だったらどうやって他者は他の実体を知りえるのか。
スピノザは神=自然=人間として、その知覚を、「属性」を通すことで可能にするんでしょう。
これは一見妥当に思える。というのは実体を知りうる機能を属性とし、その属性が知性によるならば、
動物と人間では、人間だけが他者の属性を知りうる。しかし実体は知りえない。
結局は心身二元論に陥るわけですね。
ライプニッツはその実体の根拠を疑った。だから神が予定調和を目的因としてもっていることを知覚可能にする
ためにも、モナドを造った。モナドは運動(身体)としては相互の関係を持っている。つまり、「それ自身によってのみ
考える」ことは不可能でしょう。
しかし精神的には独立している。だから「それ自身の内にはある」。
カントは合理論の見地からライプニッツを引き継ぎ、物自体という観念をだし、それを知る原理をアプリオリな
方法に求めた。つまり我々の本性がそうなっているから、とした。
これは「それ自身(人間の本性)に在る」ものが「それ自身によって考えられる」ものを知覚可能とした。
経験論の突っ込みを、それで退けようとした。
だけど人間の本性などありえるのでしょうか。それが非常に問題なのです。
ラッセルはアプリオリな知識を賞賛しつつも、これに対し「だったら人間の本性次第で数学や論理は壊滅することになる。」
とし、アプリオリの厳密性とカントの認識を別ものとしようとした。
人間の本性なるものが爆発的に拡大した姿が、ファシズムです。
定言命法とはまさに人間の本性「我が内なる道徳律」のわけですが、それを信用した挙句、障害者は邪魔者にしか
ならないことが判明した。
我々はそれをおかしいと思う。何故か?すべての人間は尊いと思うからです。死すべき人間など居ないと思うからです。
ではその考えは哲学的には何なのか。
実体が、人間の本性などという「まやかし」では捉えられないということを認めなくてはならないということです。
98 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/14(水) 17:30:03 ID:ZY1+s8fr0
もちろん、積極的にカントがファシズムの温床というのは言いすぎですが、少なくともカントはファシズムを
否定できる方法を取らなかった。それは事実なのです。
何故こういったことになるのか。それはあるシステムが絶対的であると言ってしまう限り、それが暴走するのを
とめられないのです。
そういう意味ではスピノザの実体は他者の関わりが実体を本当の意味で捉えられないとする倫理性があるので
ファシズムの可能性は本質的に断たれている。
だけどかなり無理があるのも事実で、決定論という方法は一つ間違えればニヒリズムに落ちる。
ライプニッツの実体は非常に現実的だと思う。少なくともカントよりはファシズムを否定できる。
これを越えようといろいろな試みがなされた思うけど、結局はライプニッツを倫理的に問いなおした
レヴィナスが一番まともじゃないのかしら。
彼は肉としての人間、顔としての人間を区別した。
労働や資本主義は人間を肉として扱う。恋愛資本主義はそういう意味でまさに人間を肉として扱う。
本田の言い分は正しい。
だけど萌えだって顔同士(face to faceとレヴィナスはいう)の付き合いではない。
99 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/14(水) 17:42:54 ID:ZY1+s8fr0
僕がhageに対して何度も「それはモラルの問題だ」といったのは、萌えが倫理的な意味での実体では
恋愛資本主義と同じだということに関して何の批判性も本田は唱えていないからです。
萌えは相手の肉を見出そうとすることを「妄想」とか言う時点で、顔同士にはなりえない。
僕がキチイとアンナに見出すのはそういった肉と顔の関係です。
キチイにだって本来は顔の付き合い方はあろうけど、純粋な娘という見方で捉えられる限りは、その捉え方は肉に過ぎません。
まさしく性欲の対象でしかない。
アンナはところが、「複雑で詩的な興味に満ちた、崇高な世界がある」のであり、それは誰かのための世界ではない
まさに「それ自身によって考えられる」世界なのです。
アンナとキチイとが並ぶからこそ、アンナは肉性を増し、キチイは顔であることを増すように、読者には
感じられるわけです。トルストイはそれを描いた。
アンナみたいな女がほとんど居ない時点で、萌えが「オタクの本性」に支えられてるのは事実でしょう。
だから僕は再三、ファシズムを唱えるのです。
_ いいかよく聞けお前ら。
( ゚∀゚) (・ω・`)
し ⊃ し J
| | | |
し ⌒J し ⌒J
十月十日。これだけだと、 【十月十日】
_ ちょっとHな保健体育の日だが ∩ ∩
( ゚∀゚) (・ω・`)/
し J | ノ
| | | |
し ⌒J し ⌒J
こうして合体すると!
_ 〃つ十十⊂ヾ
( ゚∀゚) (・ω・`)
/ ニつ日月⊂ニ .ヽ
| | | |
し ⌒J し⌒J
十十
日月
萌えとなる。
十月十日、全国一斉萌えの日!
この日に萌えずして、君はいつ萌ゆるか!
_ ∩ ∩
( ゚∀゚ )/ (´・ω・`)/
m9 ノ m9 ノ
ノ ヽ ノ ヽ
(_ノ ⌒゙J (_ノ ⌒゙J
長谷部の書き込みにはマジ厚みがない…
なんというか人間性とか会話の広がりとかが薄っぺらなんだよ。
とくに
>>97-98ここらへん見るとマジで薄っぺらいなーと思う
こいつって自分の蓄積したものとか自分の言葉とかが全くないんだな
ってよくわかる。
102 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/19(月) 20:21:39 ID:eQv6pUmS0
>>101 そういう抽象批判しか出来ないのがお前の薄さだがな。
103 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2005/12/19(月) 21:17:11 ID:I+Tzu9Ci0
>>101 本人は何かを言ったつもりだろうけど、実際には何を言ったことにもなっていないという典型だな。
「長谷部」を他の誰かの名前に、「
>>97-98」を何か適当な語句に置き換えても何となく成立して
しまう文章だということが、
>>101の文章に具体性が全く無いという具体的な証拠。
104 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/20(火) 00:08:16 ID:JfmQZnZH0
後藤明生の「小説-いかに読み、いかに書くか」に、萌えが語られてます。ちょっと驚きました。
この本が出来たのは1983年だから、萌えという言葉自体存在しなかった頃だと思いますが。
後藤明生は宇野浩二「蔵の中」に夢想的な面と諧謔的、自嘲的な面の二面性を発見するんです。
夢想性というのが文学としてはロマン的な意味で捉ええられてて、そのために例えば谷崎潤一郎の「痴人の愛」とか
古井由吉の「杳子」みたいな、個性的で異常な女のことだと考えられてたんですよね。
ところが宇野浩二は女性に肉感がなくて、そこに変化のない一定の理想的な女性観、つまり身勝手な女性像を
捜し求めます。以前僕が話した、キチイ的な女です。
さらに後藤明生は宇野浩二の主人公がフェチシズムに囚われていることを明らかにします。
引用すると長くなるのでやめますが、主人公は、女性が服を脱ぐというので「私の考えでは、その人形の着物が
値打ちなんです。その人形の着物をぬがれてたまるものですか。」などという。
105 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/20(火) 00:14:07 ID:JfmQZnZH0
明らかな着物萌えでしょう、これ。ただし、このようなロマンだけで宇野浩二の小説は描かれないというのが
重要なのです。先にも二面性といいましたけど、芥川龍之介は宇野浩二を「諧謔的抒情性」なんて
評したりする。それは悲劇ともいえるロマンを、喜劇的に戯画にしてしまうというシニシズムの現われなんです。
ですから、「外套」の主人子が外套を盗まれ死んでしまうように、「蔵の中」も何処へもロマンは辿りつかずに
ぐだぐだで孤独に終わっていくんです。
僕は、萌えそのものが戯画にならないというのが驚いてしまう。田山花袋が「蒲団」を書いてそう経たないうちから、
すでに「萌え」は喜劇的にしか捉えられなかったんです。
だのに今になって、どうして萌えはシリアスな意味だけが誇張され始めたんでしょう。
それは、オタクが妄想で喜劇を回避できると思ったからですよ。自虐性を無視しはじめたんです。
106 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/20(火) 00:25:14 ID:JfmQZnZH0
複雑な交錯があります。
そういえば今の話とは関係ないけど、スピノザと本田の萌え理論はちょっと似ている。
スピノザは実体を属性によって捉えられるとした。萌えって属性じゃないですか。ちょっと、言葉遊び的だけど、
本田的には女性キャラと自分を重ねるわけでしょう。同一の属性を持って、実体に向かうわけですよ。
でも、残念ながら属性は実体じゃない。これが重要なんです。
妄想でどれだけ自分が属性を重ねても、理解した気にはなれても、実体は違うんです。
文学は女性が現実に存在するものとしてその違いを意識していた。でもギャルゲは女とキャラクターを
分離して実体を支配した。
結局ここにあるのは支配的で非対称な関係で、本当の意味ではスピノザ的ではない。
107 :
屁裏子布田:2005/12/20(火) 00:41:24 ID:cUv70/0X0
| | _ / /
___/三三)____ \\ / ./
__/ _ヽ. \\ /
/′ === ((_) 丶─┬───────" \\ /
/ ̄// ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄| | ○<
イ // ||[ ̄ ̄] | | γ──────ヽ \\
/ 人_/|ヽ──| .|  ̄ ̄ | __ _|./ \ \\
( - | / |____| (__\ ./ ̄ ̄  ̄ ̄ \\
ゝ_  ̄ ̄ ___/  ̄
 ̄ ̄ヽ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄||
二二二ヽ二二二二二二二二二二二二二二二二二二
108 :
人生ブラフ ◆8/zHLnhKDE :2005/12/20(火) 01:21:10 ID:hbZh+R/H0
色々と入門書読み漁ってお疲れ様だね。
素人さんすら騙せないような浅薄な例示をして、何か表象した
気になってるんですかね。
今顔真っ赤でしょ?
109 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/20(火) 01:39:46 ID:JfmQZnZH0
はいはい良かったね。
110 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/21(水) 05:46:49 ID:VYfaxTnd0
萌えを個人宗教とする考えを直接批判が出来ないように思うのは、現実に宗教というシステムが成り立っているからです。
しかし僕は思うんですが、宗教が存在できたのは結局のところ、信奉者が他にいるという事実性に拠っているのでは無いでしょうか。
神の超越性が先行して存在するのではなくて、神の超越性を保障する人々がまず居たからこそ神は存在したということです。
神学と言うものがそもそも発達してきた歴史はそれを証明しているように思います。
ですから真の意味で萌えキャラが神の変わりに成り立つというのは、精神構造が破綻しない限りありえないと思うのです。
宗教は神の存在を信奉者という屈折でリアルにしていたのですから、その屈折の在りえない個人宗教なるものは
まさしく精神構造の破綻を必要とします。
だからこそ萌えなるのもは、捏造された感動に過ぎないと僕は考えるのです。
宇野浩二が自嘲せざるを得ない目は、絶対に働くのです。それを避けようとするから私小説的な世界に落ち込むのです。
田山花袋の「蒲団」は道化としての喜劇だからこそ面白いのであって、俗に評されたようなグロテスクな回顧録ではない。
しかし、オタクはそのグロテスクな回顧録を地で行っている。
111 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/21(水) 05:59:59 ID:VYfaxTnd0
このような読み方に埋没してしまう理由は、何度も申し上げたように属性別の「感情移入」としての
読み方が前提となっているからではないでしょうか。
皮肉なことに本田はキャラクターと自分を同一視することを萌えの原理として語っています。
現実にそうであるのかどうかはさておいても、このような極端な見解が現れる背景にはオタク達の貧しい読書観が
横たわっているからだと思うのです。
こういった読み方は非常に気分の問題になりますので、あらゆる作品の数々は読者の自己満足の限りに
勝手気ままでステロタイプな読まれ方へと次々に還元されていくと思うんです。
ナボコフの「ヨーロッパ文学講義」では避けるべき読者のあり方が示されています。
そういう低次な種類のものとしてあげられるのが、まさしく個人的性格なものとしての読み方というもので、
作品のある場面が、自分の経験的なものを触発するというものです。
さらにナボコフをして最悪と言わしめる読み方が「作品中のある人物と一体になったような気持ちになること」なのです。
ナボコフは「芸術の正確さ、科学の情熱」という言葉で有名ですが、バカなオタクに限って叩かれると「個人の自由」だの
なんだの言う。
そこには正確さなど微塵も存在しません。捏造された情熱だけが横たわっているのです。
112 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/21(水) 06:09:04 ID:VYfaxTnd0
だとするならば何故オタク文化はこれほどまでに勃興したのでしょうか。
僕は貧しい読み方とナボコフが語るその性質を、暗示によるものだと考えています。
もちろん、あらゆる認識と言うものは暗示に拠りますが、その暗示を意識して突破しようとするのが
芸術の面白さであり、その歴史なのだと思うのです。
僕がここで暗示という言葉を使ったのは、オタク達の感情が結局は暗示を下敷きにしているからではないかと
考えているからです。
そしてその暗示を支えてるのが、他でもない、先の宗教を支えるものとして提出した他の信者たちなのです。
思うに、AIRの涙やTo Heart2の萌えにあるのは、空気を読んだ結果の感情なんじゃないでしょうか。
こういう表現をされたならば空気を呼んでこういった感情を抱くといった暗示があるからこそ、我々は
そういった気持ちにならざるを得ないのです。
それは現代人としての社会性が捏造した感情なのです。
こういった空気を読ませるのが、やはり他の信者たちなのです。
ですから、最終的にオタク的作品の本懐は、実況されることによって完成するのです。
智代アフターという作品は、まずあの「地雷祭り」と有機的に繋がることで初めて完成するのです。
,イ
レ1
/>、 レ1、
__人j⊥=-‐――――---‐'ヽミ=- 、__
,. '´ ,. -----――‐‐ ' ´ 厂`ー‐‐一'´
,.イ´ ,ィ /
,. '´,r- 、 //! ,ィ′
/、 ヽ∠r,彡′ _,r‐くミ|
/r。, l ! `′ ,. '´ ヾ!
/::-‐ヘノ ノ ,.rュ‐<
/‐-_-、_j ノ __,.ィー┬一'
`,.フr'´ ___,.ニ='´‐ '´ ヽミミ!
 ̄ ̄ ヾ_j
カジキ!
114 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/28(水) 11:24:33 ID:q6/xsKcyO
本田が妄想による補完が云々と言うときに考えられてるのが
妄想とは暗示のことなんだってことなんです。
暗示はそれ自体が多くの問題を孕むのに意識されていない。
116 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/28(水) 21:14:27 ID:q6/xsKcyO
作者が死ぬならばすべからく読者も死ぬべきだ。
つまり、読者の欲望の権化、暗示から超越せよ。
仮託し実体を捏造する運動、すなわち否定を、戦略的に遂行せよ。
■■■■■■
λ
■■■■■■
しまった!ここは迷宮だ!
俺を早く脱出させてくれ!
118 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/30(金) 10:33:50 ID:RiI1ljiDO
暗示の凄さはその射程圏が作品内に収まらないことです。
例えばTo Heart2なんかは、作品そのものよりも二次的なコミュニティーへの参加券として
機能するがゆえに、あれほどヒットしたという見方のが正しい。
119 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/30(金) 10:39:42 ID:RiI1ljiDO
Airの暗示もまた、感動の要素がコミュニティー内では特別だという暗示があるからこそ
信者を狂わせたわけでして、作品内に純粋に収まる話とは言えません。
しかしTo Heart2は、より目に見えやすいコミュニティーの存在を前提にしました。
結局は、この手のエロゲーというのは全て、ネットゲームの在り方に回収されるのです。
珍しくまともなことを言ってるな
121 :
人生ブラフ ◆8/zHLnhKDE :2005/12/30(金) 13:50:54 ID:6qbq4glP0
うん、すごく真っ当な意見
そして同時に絶望へのテーゼでもある
エロゲ・イズ・デッド!!
少女幻想−タナトスドリーム−
123 :
名無しさんだよもん:2006/01/27(金) 21:52:32 ID:o+/pm/pO0
124 :
長谷部の弟子 ◆KKccNOjclE :2006/01/27(金) 21:56:24 ID:R1e0TiMZ0
>>123 こいつはくせえッー! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!
125 :
名無しさんだよもん:2006/01/27(金) 22:07:40 ID:o+/pm/pO0
俺は楽しみだがな。
オタク連中はなかなか表立ったこと言わないが、地味に才能がどうとか
調子こいたこと抜かすからね。
w
127 :
名無しさんだよもん:2006/02/02(木) 16:43:31 ID:cAo1NphF0
よくある喫煙者の屁理屈
□ 排気ガスも体に悪いのにどうして喫煙の害ばかり言うのか
□ 喫煙者の黒い肺の写真はニセモノだし、肺がんになるなんて嘘八百
□ 嫌煙はカルト団体が扇動してる
□ 副流煙なんてたいしたことない、副流煙で死んだやつなんていない
□ 嫌煙のほうが近寄ってこなければよい
□ 昔はどこでも吸っていたし、いいだろ
□ 体に悪いのは分かっていて吸っているのだから放っておいてくれ
□ 喫煙は権利だ、それを侵すものはファシズムだ
□ うるさいのは嫌煙キチガイだけで普通の非喫煙者はなんとも思っていないはず
□ 健康ヲタクはしねよw
□ 税金たくさん払ってるんだから吸わせろ
□ いつでもやめられるからやめない
□ タバコを禁止したら暴動が起きる、ヤクザが儲ける、だから駄目
□ うちの爺さんはタバコ吸ってたが90才まで生きた
□ 桃井かおりはタバコ吸ってるみたいだが美人
□ 人間はどうせ死ぬんだ
□ タバコはダイエットにいい
□ タバコうめぇぇぇぇ〜
段々下に行くほど電波になっていくな
129 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 17:26:31 ID:5DBOJOZx0
でも言ってることはそれなりにあってるよ。
130 :
名無しさんだよもん:2006/02/02(木) 17:50:43 ID:+/czO8MQ0
131 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 19:35:25 ID:5DBOJOZx0
□ 喫煙は権利だ、それを侵すものはファシズムだ
132 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 19:37:42 ID:5DBOJOZx0
結局は麻薬はだめで煙草はいいと言うのは程度問題なんでしょ。
健康問題でいえば、炭酸ジュースも酒もお菓子もその他コレステロール高そうな飯なんかも
マズイってことになる。
で、煙草は程度問題だってことになる。
ちょっと前まで生きてた最高齢のおばあちゃんは喫煙者だったらしいし。
煙草がいいといってるわけじゃないが、程度問題として一応許されてるものなんだし、
権利には違いないでしょ。
133 :
名無しさんだよもん:2006/02/02(木) 20:45:20 ID:PVtz7aES0
どんな「権利」なのか具体的ではないな。
いつでもどこでも吸っていい権利なのか?
それとも、周囲に迷惑がかからない程度なら吸ってもいい権利なのか?
そして、「喫煙の権利」なるものを侵すというのはどのような状況のことか?
どうしてそれがファシズムなのか?
134 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 20:57:52 ID:xPRZ5ima0
この場合は常識的線引きというのを適用すべきであり、やはりそれも程度問題になるでしょう。
禁煙とされている場所やあまりに人が近いもしくは多い場所では喫煙すべきではない。
これはモラルの問題でしょう。
周囲の迷惑という場合も、相手が許せる範囲かどうかは個人差がある。
喫煙とも禁煙とも書かれていない場所で煙草を吸ってるときに、2メートルほど隣に人が
いるときはどうなのか、これも個人の裁量に任せられるでしょう。
つまり主観の意識問題なのです。
喫煙に対するファシズムというのは、このパワーバランスにおいて非喫煙論者の権利を
過剰に持ち上げるというものです。
このことは「幸福の権利」よりも「公益を損なうものに対する対策」の方が重要だと
考えることによる論理だと思います。
人権擁護法案も基本的には同じ論理でしょう。
135 :
名無しさんだよもん:2006/02/02(木) 21:01:05 ID:PVtz7aES0
なんか歯切れが悪いな。疲れてるのか?
いつものこと
137 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 21:36:17 ID:xPRZ5ima0
歯切れが悪いんじゃなくて、こういう話題は宙に浮いたような中途半端な空間に投げ出すしか
ないってこと。
そこでそのボールを受け取った人間が、自分という枠組みのなかでどう判断するか。
138 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2006/02/02(木) 21:51:58 ID:xPRZ5ima0
結局この世の仕組みはこうなんです。
獰猛な雑食の動物達がいます。
彼らに草を食べることを推奨すべきか、ほうっておいて肉を食べあうのを推奨すべきか。
彼らにとっては幸福なんて腹が一杯になることですから同じことなんですけれど、肉を
食べちゃうとそちらのが上手いし速いと思えて勘違いしちゃうんですね。
だから我々は強制は出来ずとも草を食べて幸福になることを推奨すべきです。
これを洗脳と言う人もいるでしょうが、趣味の自由などで国が破壊されるよりはマシです。
シャブ漬けより活字中毒患者を増やすべきです。
ふーん
このスレ、2スレ目なんだなw
しかしもう廃れた
長谷部ががんばらないとこの程度なのだ
143 :
名無しさんだよもん:2006/03/32(土) 23:21:29 ID:J07NT3L40
急速浮上
おお!こんなスレあったんか
電波男の二発目を期待して見事にコケたなこの本も
いい加減萌え以外のキーワード見つけないとダメだろ
145 :
名無しさんだよもん:2006/04/02(日) 11:09:30 ID:AN11rNt30
タイトルに「萌え」をつければいいってもんじゃない
そいつは、どうかな?
はちくま新書か