本田はオタクの純愛を説くが、現実に多くのエロゲーの主人公は純粋だ。
ちょっと考えればわかるけど主人公が他の女子と仲良くなる過程に、大概が無理がある場合が多い。
それは出会いのきっかけが異常にスピーディーでなければ物語として冗長になるからだけど、
こういった視点を可能としてるのは間違いなく主人公の純真さにある。
つまり、不自然に話しかけてくる男に、女(キャラクター)のほうが、下心をもっているとは見ない、ということだ。
社会的なコテンクストを越えたコミュニケーションは大概にして不徳の言葉として敵視される。普通は。
だから街中で急に、若い女に声を無意味にかければ、だれがどういおうがナンパだ。
それが男なら、セールスか何かだと思うだろう。
しかしギャルゲーのキャラは多くがそう思わない。
下心だと見ない理由がなんなのかわからないが、事実のレベルでは主人公を友としてすぐに受け入れるし、
それは下心があるとは思わないからに決まっているわけで、じゃぁこれを何故不自然と思わないのか?
果たしてこの不自然さは如何にして補完されるのか?
例えば今ONEをやっているが、茜と浩平の関係はどう考えても異常だ。
茜は一人で勝手に慎ましく生活してるだけなのに、浩平が横から介入してくる。
特に理由もなくだ。これは例えばTHの委員長シナリオにも通じる。
さらにいえば、茜に(それなりに仲良くなったあとだけど)浩平は冗談でこんなことをいう
「一緒に帰ろう」
「どうしてです」
(中略)
「親密にな関係になるために」
「…嫌です」
もちろんそのトーンが冗談であるのは明らかだし、親密という言葉がすぐに恋愛という意味を帯びるわけじゃないのは
皆わかっている。それでもこういった言葉が平気で出てくる異常性には一体如何なる純粋があるのか?
まずオタクの純粋性が確かに「超越系」的な発想なのは間違いない。
超越系というのは、人生に意味を求めるようなタイプの人で、本田のいう二元論的な
性格の人間だ。(え、二元論的?違うだろ二重的だろ。なんで本多は繋がるという意味で二元論を出すんだ?
レンアイシホンシュギが一元論なのは幸福像の検討を、つまり観念?の世界を、社会の常識と結んでるからであって
二元論的である事実は変わらない。オタクは二重的なのでしょ、二元的なんじゃなくて)
その妄想だとか補完の力を「萌え」だとして(非常にくだらない物言いだ。だったらセカイ系こそが萌えの
最たるということになる。本田はここをどう捕らえるつもりだ?オタクは中二病と対して変わらないのだ)
萌えが動的に現実を観念に支配させるような、つまり相互浸透の図式だとして、
それを現実に利用できるという証明は一体如何なる原理によるのか?
本田は相手へと自己同一化すること(乙女回路が刺激されること)が萌えだといった。
ならば現実の対象へと同一化することが前提となる。
それは感情移入という動きと似ている。
この本の不可解なところは、所詮「萌え」だって商業としての選択が履行されていて、
さらに過度の妄想により偏執的になる部分を、完全に無視していることだ。
結局は萌えというシステムが動くには相手に対して「萌える要素」の発見が不可避的であるはずだ。
しかし本田は自分で、現実の人間は神になりえないと言っている。
どういうことか?
この妥協点は、相手の悪いところは見ないで、良いところ(萌え要素)だけを過剰に脳内補完することによる
ような、他人の記号化ということになる。
というか、その脳内補完ができるんだったら、誰にだって愛せるはずじゃないのか?
萌えが純粋で可能性があって、レンアイシホンシュギがどうだのなんてのは、ルサンチマンを越えてない。
何度も言うが、越えてるというのなら戦略を提示せよ。
こんなものは戦略たりえていない。
萌えのいい面だけの存在を過剰に持ち上げてるだけだ。
妄想の現実浸透性に関してはそれこそ精神学的見地が必要になる。
そこで重要なのは「語る主体には享楽の接近が許されない」というラカンのテーゼで、
要はルールを自分に有利なように決めた人間がゲームに勝っても嬉しくないということ。
妄想というのは明らかに自己構築世界のことで、この自己構築性はまさしく語る主体、つまり
妄想をした人間の意志によるものだとはっきりわかっている。
二次元作品の場合には、しかしそれが顕在化しないし、むしろそれを顕在化しない短絡が萌えとなる。
ここで本田と僕の「萌え」に関する定義のズレが生じるけど、それを事細かに分析しても仕方ないので
やめておくことにする。
どちらにしても語る主体、つまり妄想した主体には妄想の対象を味わうことはできない。
自己救済をするためには他者を通じる必要がある。
最後の「萌え」の例としてアホなオッサンの死に果てる姿があったが、あれは精神病状態…
つまり「語る主体が享楽に接近する」ような、論理が破綻した姿だ。
理性的人間には、自己救済の手段は通常ないし、それをして本田は、人間救済が恋愛と萌えしかないという
ラジカルな意見として自己主張するところでもある。(僕はそうは思わないが)
つまり、妄想と自己志向には必然的な隔たりがある。
特に形而下の出来事は形而上の出来事より常に「威力」がある。
それは、形而下の出来事が現実界を含むからであり、語る主体の妄想は力となりえない。
何がいいたいかといえば、現実の出来事を萌え対称にするには精神が破綻しなければありえないということ。
二次元の萌えとは相手が奴隷関係にあるからこそ成り立つ非対称的なものであり、本田は平等なんて嘯くけれど
ギャルゲが商業を経由し、取捨選択をされる対象として売り買いされてるのは事実だ。
彼女達の癒しとしての存在は、奴隷が金の変わりに行う、まさしく金という契約関係のみによって突き動かされる
無垢・奉仕なのであって、彼女達は決して単なる妄想として存在するわけではない。
もともと奉仕という契約関係を自認しているからこそ起こるようなサービス、商品にすぎない。
まあ、何でも良いけどさ、「社会学」なんて言葉遊びに予算とスペースが確保されている状況というのは、
一般人から見ると激しい怒りを以って対処すべきなんだよね。
所詮は言葉遊びの世界なんだから、金や権威の面で優遇された東や宮台より、そうでない立場にあるものを支持したくなるのが人情ってもんだ。
くだらないことをいうなぁ。
言葉遊び?
なるほど、確かに社会学にしろ哲学にしろ、通俗向けの本を製造する以外の
根底的な仕事がなくなってるのは事実だ。
大衆は啓蒙される対象としての立ち位置を捨て去った。
でも知恵の場は絶対必要だ。
というか、むしろ哲学教育は中学校からでも行わせるべきなのであって、そういった基本的態度が
ないからこそ、人間の幸福と生活が結びつかない。
それと金や権威で優遇されてる東や宮台は、どちらかといえば通俗もので自分で描いて自分で
儲けてるわけだから、文句言われる筋合いはない。やってることの是非はともかく。
802 :
hage:2005/12/05(月) 17:45:10 ID:xTIr5azO0
なんだか文脈が自分勝手というか、そもそも相対化した持論を語るための対象を全く
説明不足のまま引用していてとても不完全な文章のように見受けられるが、結局、
「ギャルゲなどに存在する「萌え」(キャラクターとの恋愛)には違和感(社会的なコンテクストを超えたコミュニケーション?等)が存在し、
その存在は結局違和感を消し去れない欺瞞に満ちたものであり、なおかつオタクが享受している「萌え」は金銭によって売買する(具体的にはゲーム、漫画などありとあらゆるモノ)
奴隷的存在のキャラクター(としての)萌えであり、読者やプレイヤーに奉仕するための契約関係を結んでいるに過ぎない」
と、言いたいらしい。
確かにオタクは「萌え」を金銭で売買していると言えるかもしれないし(コンテンツを売買することによって)、それらのコンテンツ
から現実から乖離した違和感を取り去る事は永久に無いかもしれない。
だが、それは何もオタク的な萌えに限ったことではない、人間社会のありとあらゆるモノに存在する宿命だ。
(例えばそれはミクロに取り上げればフィクションとしてのコンテンツ作品であり、マクロに取り上げれば価値観の対立から起こる素朴な対立である)
また、オタクの「萌え」は個人としての「妄想」が、売買対象としての存在からの昇華を担うことになる。
ストーリーをそのまま受け入れるだけではなく、脳内で待ったく別のモノにすら加工する事が可能なのだ。
というより、加工するのが自然な姿ですらある。
803 :
hage:2005/12/05(月) 17:58:52 ID:xTIr5azO0
ここに、オタクの「萌え」は一元論的な宿命から解放され、全く個々としてのモノとして
の自立が可能になり、他者に拠る事の無い自己救済を実現する。
価値観に上も下も無く、相互の「萌え世界観」を貸借したり一部をコピーアンドペーストする事によって
再構成する事が可能だ。
「萌え」には「あるべき姿」というものが存在しない(資本主義や精神主義等の従来の価値観との違いがここにある)
ので、個人を縛る強制力を持たない。
ただ、そこに必要なのは「萌えられる心」だけだ。
勿論「妄想」が自己の範囲を超えて現実に影響するように意図して行動する一派が今後現れるかもしれないが、「萌えの本質」
はあくまでそのような動きとは全く違うあくまでパーソナルな救済だと言える。
「萌え」の侵食が進めば正しく「萌える」為のインフラが早く整備されるべきという事になるだろう。
>>802 何か僕が「萌え」を一方的に下賤なものに仕立ててるような説明だが、少し整理しよう。
例えばラカンは金を払えない患者に対しては暴行を加えるという気性の荒いところがあった。
とはいえラカンだって単なるバカではない。彼は金銭による治療こそが本当の意味での治療と考えていた。
暴力はまさしくそれを贖う意味であったといえる(それが褒めるべきかどうかはともかくとして)
「萌え」という要素もそういった「金銭」上の安堵から成り立つのであって、それをなるほど、欺瞞ということはできる。
というかあらゆる様態とはそういう安堵する、望んで受け入れるという交換条件が前提に行われる。
でなければ、それこそ道いく人に急に声をかけられるときに不可解な感情、違和感は抱かないはずである。
>人間社会のありとあらゆるモノに存在する宿命だ。
そのとおり、だからこそ「萌え」もまた社会的コンテクストに回収される。
逆に言えば、社会的コンテクストに回収されない要素こそが今現在問題となる「異常」であって、
その「異常」を抱えるからこそ恋愛資本主義者はオタクを見放す。
彼らは前提を受け入れてないからだし、これは本田も認めている。
萌えが成立可能なのはあくまで社会的コンテクスト上の出来事であって、観念と現実の橋渡しを
行うにはそのコンテクストの共有は不可欠である。
それが出来ないなら精神病だ、といってるに過ぎない。
何度も申し上げたが、恋愛資本主義者がオタクを叩くのはモラルの欠如にすぎない
>>803 君の言ってることはむしろ僕の考える理想的な図式でもある。
というのは、個人が社会と分離することを受け入れ、社会の相対性を常に戦略的に吸収する。
これが僕の考える二元論の脱却である。
そういう意味で
>ストーリーをそのまま受け入れるだけではなく、脳内で待ったく別のモノにすら加工する事が可能なのだ。
これは重要だが、実際はそれができてないね。(それは事実として、○○萌えとかツンデレとかいう、萌え要素を共通認識
とするような呼称がアタリマエのように氾濫していることからも明らかだ)
それはともかく、ここでは理想論としての萌えの話だからそれはおいておこう。
さてそういう意味では
>>803は相対主義を受け入れるという意味で非常にいいことを言ってると思うのだが、
問題はそれを萌えという機能で果たそうという戦略である。
では萌えとは?
>>802-802を読む限り理解できる(理想論的)萌えの機能は
「縛られない自由な嗜好による萌える心で、現実を妄想として補完する」
ことになるのだが、そもそも嗜好という言葉があればそれはもはや単なる好みの問題と変わらないように見える。
では現実の振る舞いが妄想を裏切ったらどうするのだ?
それも補完しつづけるのか?
ネコミミとめがねと体操服を着ていたら、ブサイクの巨漢の女でも萌えられるのか?
萌えが要素に向かえば、総体は関係ない。
だったら恋愛資本主義者はセックス萌えということになる。
つまり、萌えキャラはユーザーを裏切らない。この関係は重要だ。
萌えたいと思う脳内の補完は、むしろ裏切らないことを前提だからこそ広がる考えで、
例えば観鈴信者は観鈴は売春なんてしないと思ってるし、実際しないだろうと誰もが思える設定になってる。
だからこそ観鈴信者は観鈴の居ない場所で観鈴を妄想することができる。
もし観鈴が売春したら、そのイメージはありえないし、それは妄想のいたすところではない。
そして現実は裏切る。
現実は裏切りうる要素を孕むからこそ、カオスとして理解不可能な状態が広がる。
「萌え」はそれを射程に捉えられない。
カオスを萌えるという機能はありえないのだ。
僕がその「理想主義的萌え」の代案としてかかげたのが「否定」だ。
否定とは僕らがマゾのように、自己の存在の論理的要素を否定されて恍惚にいたるという状況だ。
僕は人間の意識が論理要素でなっていると考えている。それはラカンを信奉していることにも端を発するが。
ともかく、そのときにはカオスを射程に収めることが出来る。
私の論理が世界の現在の射程だとしたら、私の世界の妄想は私の世界の中にしか通用しない。
つまり、萌えというのはカオスから自分の言語の共通項を探すという手段に過ぎない。
カオスの本質であるような、裏切り、不明瞭、不可解といった要素は絶対に捉えられない。
なぜなら矛盾を矛盾として受け入れる機能など、萌えにはないからだ。(もし認めれば、セックス萌えもありうるパラドクスに陥る)
カオスをカオスのまま受け入れるということ、つまり自己の存在を常に否定されて喜ぶということ。
808 :
hage:2005/12/05(月) 18:18:56 ID:xTIr5azO0
>そもそも嗜好という言葉があればそれはもはや単なる好みの問題と変わらないように見える。
>では現実の振る舞いが妄想を裏切ったらどうするのだ?
>それも補完しつづけるのか?
勿論現実が「萌え」の世界とは想定外の事象に陥ったとしても、それは「萌え世界観」には大して影響を及ぼさない。
そもそも「現実で起こっている事」の不完全さを最初から認めて、かつそれを是正して脳内で再構築すらしているのだから。
>萌えが要素に向かえば、総体は関係ない。
>だったら恋愛資本主義者はセックス萌えということになる。
確かに、恋愛が「萌えの要素」として認識され、「恋愛萌え」という要素となるなら、それも「萌え」に組み込まれることは可能かもしれない。
ただ、「恋愛資本主義」が「萌え」と決定的に異なっている事はそこに「人種の分化」を強制することであり、(経済主義的)行動を強制することであり、
他者を「差別」すると言う事だ。
「恋愛資本主義者」は「セックスに至上価値を置く萌えの一派」と定義する事は一見可能に見えるが、
それが他者を差別し支配する構図である限り、破綻し続ける。
それは「萌え」の目指す理想とは決定的に異なるものだと言えるだろう。
結局「萌える男」の問題は
・モラルの問題で否定できることを語っているに過ぎない
・萌えすらも恋愛資本主義と同じ一元論的であることを理解できてない
ということにある。
僕はそういう社会的、政治的な文化要素など何の興味もないし、下らないから、
文化としての醸造を望む。
>>808 無茶苦茶だ!
>勿論現実が「萌え」の世界とは想定外の事象に陥ったとしても、それは「萌え世界観」には大して影響を及ぼさない。
そんなバカなことってあるかい?
じゃぁどうやって認識を可能にするんだ?
現実が関係ないのならそれはほとんど精神病だ!
だったら萌える要素を確認する必要もない。ただ夢遊病のように現実逃避してるにすぎない。
現実逃避しても意識が現実を愛せばいいのか?
だったら何故本田は叩かれることを拒むのだ?萌えればいいじゃないか!
ストイックな女に好かれたら、そいつらに萌えればいい。何故萌えない?
母親が異常なら母親も萌えればいい。何故萌えない?
それは人間としての理性があるからだ。
>他者を「差別」すると言う事だ。
何度もいってるが、それは単なるモラルの問題だ。
>それが他者を差別し支配する構図である限り、破綻し続ける。
もちろんこれはモラルの問題だ。
萌えに、萌える理由がある限りは、その萌える理由は現実を理由にする。
妄想を理由にはできない。
妄想が先にあるのだとしても、その妄想すらも現実の理解がさきにある。
現実のある要素を嗜好として設定した時点で現実を理由としている。
その時点で優劣観からは逃れられない。
812 :
hage:2005/12/05(月) 18:34:18 ID:xTIr5azO0
>>810 「現実逃避」とは、「現実」が「自分の理想」に合わないからといって、その「現実」を「否定」し、
かつ「自らの妄想を実現しようとする」行動や「ひたすら妄想にハマり現実を一切合財否定する」事だと思うのだが、
>>808ではそのような行為を推進しているつもりはない。
勿論「理性」は必要だ。
元々、「萌え」は「現実世界にあるであろう(もしくはあってほしい)」理想について「萌え」る事が原則であり、
現実を認識できなければそもそも「萌える」事ができない。
そんなのは自明のことだろう。
>>812 つまり現実を理解する。
その現実に萌える。
で、萌える対象が萌える理由を裏切っても萌える。
なんじゃそりゃ、って感じですね。
矛盾を抱えることに平気で居られるのはアホと精神病患者だけですが、どう思うのですか?
814 :
hage:2005/12/05(月) 18:38:28 ID:xTIr5azO0
例えば「現実」の女が「萌え世界観」の中の「萌えキャラ」と似ても似つかない行動を取ったとしても、
正しく現実と「萌え世界観」を認識しているからこそ、その齟齬を是正できるのだ。
本田透がどうしても母親のふるまいや自らを否定してきた女たちに「萌え」られなかったのは、当然のように
それが自らを救う(肯定する)モノでは無かったからであり、その現実を認識することができたからこそ「萌えキャラ」
に活路を求められた。
現実を認識できなければ「現実逃避」し(妄想力の欠如により)「鬼畜化」するしかなかったと本田透は言うであろう。
何度言えばわかりますか?
そもそも本田は妄想のシステムを取り違えてます。
まず現実が先にあって、妄想はその現実が干渉しない地帯で繰り広げられるものです。
だから破綻しないんです。
ところが現実は明らかにカオスを孕みます。
その地点で妄想は絶対的に無力です。だって妄想する理由があって、初めて妄想が可能なのですから。
どこの科学者が、理論と反証する実験結果が出ても、理論の方を擁護するんです?
そいつは単なるアホか、病気です。
816 :
hage:2005/12/05(月) 18:40:45 ID:xTIr5azO0
>>813 >その現実に萌える
↓
>「現実世界にあるであろう(もしくはあってほしい)」理想
この場合(2つ目の)はコレね。
現実世界を正しく認識する事によって存在として結実する理想に萌えるわけで。
>>815 まったくわからない。
>正しく現実と「萌え世界観」を認識しているからこそ、その齟齬を是正できるのだ。
何を言ってるの?
意味がわからない。是正って何?何をどう是正するの?
例証してみ。
>それが自らを救う(肯定する)モノでは無かったからであり、
どういうこと?
彼女達に萌えれば、救われるに決まってるジャン。
だって自分達を攻撃する側が萌えとして認識されれば攻撃はもはや無力化するはず。
まったく意味がわからない。
>>815じゃなくて
>>814だった。
>>816 理想に萌えるということは、理想じゃなかったら萌えないということ?
だったらカオスを孕む現実は理想たりえないから破綻しますが?
819 :
hage:2005/12/05(月) 18:43:32 ID:xTIr5azO0
>>815 >ところが現実は明らかにカオスを孕みます。
この断言条件を、具体的に、理論的に、かつ分かりやすく述べてくれまいか。
無論何度も言うように「萌え」はとてつもない「理想主義」だと言える。
現実を認識してなお求めてやまない「理想」に「萌え」、かつ個々人のパーソナルな内面的世界観
として、外面とは基本的に干渉しない究極の個人主義だし。
820 :
hage:2005/12/05(月) 18:44:18 ID:xTIr5azO0
>外面とは基本的に干渉しない
というのは行動として他者に強制しないと言う意味
>>819 現実がカオスを含むのは当然だろ。
というか恋愛資本主義として退けたのはまさしくカオスじゃないか。
恋愛資本主義はオタクを否定します。その理由はまさしくモラルの欠如だが、
モラルの欠如もまた現実だ。
例えば明日にでも事故にあって死ぬかもしれないし、明日にでも凄い美人が俺にほれるかもしれないし、
そんな極端なことじゃなくとも理想主義が破綻をきたす要素はこの世に溢れていて、むしろそれが
出てくるからこそ精神は危機を迫られる。
ラカンでいうところの現実界だ。
カオスを含む理由は、俺の思ったとおりに世界が進まないというだけで明らかなことだ。
もしカオスが含まないなら科学はとっくに世界の全てをときあかし、この世は平和に満ちて、
老衰になってさえも人は死なないという異常な事態になる。そんなわけあるか。
>現実を認識してなお求めてやまない「理想」に「萌え」、かつ個々人のパーソナルな内面的世界観
>として、外面とは基本的に干渉しない究極の個人主義だし。
言葉遊びはいいから戦略を語れ。
今のところ、俺には戦略云々以前に、概念として矛盾してる。
822 :
hage:2005/12/05(月) 18:51:37 ID:xTIr5azO0
>>817 だから、砕けた言い方するけど、基本的に「理想」ってのは「現実」を認識しないと現れてこない、と俺は考える。
現実を正しく認識せずに、「あるべき姿」は結実しない。
もし現実を正しく認識もできずに、「あるべき姿」を結実させようとしても、それは単なる「欲望」でしかない、と。
俺は「理想」と「単なる欲望」は明確に違うものだと認識する。
そして、「理想」が「現実には無いもの」だとしても、それを正しく認識できているなら、「理想=萌え世界観」
として、「萌え世界観」の中に存在しない事象が発生しても、大して影響は無いということ。
例えば「ニーソックス萌え〜」とか「妹萌え」〜というカタチがあって、そのニーソックスを履いてる女子高生から「キモイ」とか、妹から
「キモイ」とか言われても、まぁ基本的には大した変化は起きない(勿論何故自分が「萌える」のかという部分が曖昧であれば、自己を確立できないほどの
トラウマを抱えるかもしれないが(笑)
>>822 だったら現実は射程に入らないということだ。
その場合には「ニーソックスを履いてる女の子」という普遍的な観念(=イデア)が現れて
それを愛するだけだ。つまり、そこにあるのはイデアだけであって、そこに現実は含まれない。
ということは現実に萌えることは出来ない。
萌えは現実を射程に捉えられないと観念として証明された段階で、萌える男の企みは
一撃で消えるわけだが。
824 :
hage:2005/12/05(月) 18:55:35 ID:xTIr5azO0
>だって自分達を攻撃する側が萌えとして認識されれば攻撃はもはや無力化するはず。
だからそれらは「理想」でもなんでもないから「萌え」られるわけないんだって。
無理やり対称に愛情を持ちえるように自己訓練することが「萌え」ではない。
あくまで「萌え」は現実を認識し過ごした上で発生する「理想」の色々な事象の総体。
だから個々人に「萌え」の形は違ってくる。
ただ「理想」であるがゆえに、モラルに反するようなことはしないし、できない。
>>824 >あくまで「萌え」は現実を認識し過ごした上で発生する「理想」の色々な事象の総体。
だったら萌えは二元論的ではない。
一元論だ。
確か観念と現実を繋げるのが萌えだとか言ってたが、現実に繋がらない。
単なる観念の「これがいいな」という趣味・嗜好に過ぎない。
826 :
hage:2005/12/05(月) 18:59:19 ID:xTIr5azO0
>萌えは現実を射程に捉えられないと観念として証明された段階で、萌える男の企みは
>一撃で消えるわけだが
何故?WHAT?
現実の理想の欠如を諦める事と、現実を認識して受け入れることは基本的に同じではないか?
「現実に存在しない」事を「絶望」と言い切って、それで終わってしまうようなものだとするなら、それはそうかもしれないが。
ただ理想の何万分の一を現実に見て人は救われることもある。
イデア(理想)が全て手に入らないから死ぬなどという事は、よほど現実を認められない人物の行動でしかないのではないか。
とすると反転するな。
セックス萌えという理想論を持って、それを現実にするために戦略的に女性に接し、
そのセックス萌えを履行して幸福感につつまれる。これが恋愛資本主義。二元論的だわ。
ところが萌えは現実を見ない。イデアだけを見る。現実に渡らない。ということは一元論的だわ。
>>826 >現実の理想の欠如を諦める事と、現実を認識して受け入れることは基本的に同じではないか?
現実の理想の欠如って何だ?現実世界には理想的な状態が欠如しているということ?
だとしたら同じですね。
>ただ理想の何万分の一を現実に見て人は救われることもある。
いやいや、だからさ。
何を言ってるの?
理想は常に裏切るんだから可能性の問題じゃない。
だったらそれこそ萌えキャラが現実に存在するのを探せといってることになる。
本田はそんなこと言ってなかったろ。
>イデア(理想)が全て手に入らないから死ぬなどという事は、よほど現実を認められない人物の行動でしかないのではないか。
まったくわからない。誰が死ぬとかなんとか言ってるんだ。
イデアが手に入らない。だから結局萌える対象は裏切らない萌えキャラだけで
現実を対称にできないっていってんだけど。
理想は、じゃなくて、現実は常に裏切るんだから、だ。
830 :
hage:2005/12/05(月) 19:05:52 ID:xTIr5azO0
というか、
一元論→×
二(多)元論→○
という議論だったっけ?
そもそも個々人の萌えはあくまでパーソナルなものであって、モラルやなんやは含まれるが、
総論として結実しない点で俺は多元論的だと考えるが?
恋愛資本主義はセックスという至上価値を求めて行動することから(
>>827の定義だと)むしろ一元論的では?
>>830 むちゃくちゃだなー。
本田の定義と俺の定義がごちゃまぜになってる。
本田の二元論って「現実/理想を繋げる」から「萌え」が二元論とか言ってたと思うが、
だったらセックスという至上価値を現実で履行して喜びを得るんだから、セックスは二元論的だ。
というか本田の言葉の使い方がそもそも間違ってる。アレは二元論的なんじゃなくて
二重的なだけだ。
で、問題はどうやって現実にそれを対象とするの?って話。
セックスが一元(一重)論と本田が考えるのは、セックス至上主義の観念が社会的に正しいという
委任、盲目な信仰ゆえであり、そもそも盲目だから立場が消えるわけでもなんでもない。
本田の言ってることは無茶苦茶だから定義として使うな。
あぁ、よくわかんねーけど「萌え」世界を認めないから一元論的だって考えるわけ?
だったら本田の定義であってるよ。
何度も言ってるが、それは単なるモラルの問題だが。
恋愛資本主義はモラルが欠如してるからそういう主義に陥ってるだけで、
世界的に考えて道徳的にオタク趣味は悪というような教えは存在しない。
833 :
hage:2005/12/05(月) 19:16:41 ID:xTIr5azO0
>>831 つーか、今は俺の考え含みでやってたつもりだから、本田はあんま関係ないんだがねぇ。
本田透の引用あんましなかっただろ?
一つ言っておくが俺は
「萌え」→「現実の延長線の理想」
だと思ってるし、現実なくして成り立たない、と「現実を認識して始まる」という点で再三話した。
>問題はどうやって現実にそれを対象とするの?って話。
んで、「萌え世界観=理想」であって、そっちはパーソナルな世界としてあって、現実と言う世界がもう一つあっても、
別にパーソナルな世界を現実に焼き移す事は特に必要ない、と。
自分で自分を救済している状態で現実に影響を及ぼす必要はないと言ってたと思うのだが、俺は。
本田は「萌え」によって培われた精神を「家族愛」等にフィードバックして社会全体の改善ができるのではないかという思考実験をしていたけどね。
つまり、恋愛資本主義が一元論的なのはアプリオリな状態でもなんでもない。
勝手にそういう敵を捏造してみせただけ。
だったら観念と現実をどうつなげるの?
オタに許されたのは、一元論と背反する立場のはずだから、やっぱり観念だけの世界になる。
観念と現実を繋げるのだったら、現実にも足を踏み込んでるはずだから、差別されえない。
結局は破綻する。
>>833 >だと思ってるし、現実なくして成り立たない、と「現実を認識して始まる」という点で再三話した。
それはわかってる。もういい。
>自分で自分を救済している状態で現実に影響を及ぼす必要はないと言ってたと思うのだが、俺は。
だったら萌えは文化的射程しか存在しない。
おいおい、俺の言ってることに回収されたぞオイ。
>本田は「萌え」によって培われた精神を「家族愛」等にフィードバックして社会全体の
>改善ができるのではないかという思考実験をしていたけどね。
だからさー。
それが不可能って話をしたんだよなー?
でさー。
お前らが「可能性」として提示して、そしてその例として正しいかはともかく家族愛だの何だの持ち出したんだろ。
しかし可能性そのものの存在不可能性を今俺は論じてるわけだろ。
実際お前も認めたじゃん。
理想は理想の世界であり、それは現実を根底にしてようが、現実はカオスを孕むから履行できない。
ということは文化としての射程しか萌えは持たない。
ということは文化としての射程の可能性を追求すべきで、そこに救いも糞もない。
あるのは「文化としての救い」という巨大な射程だ。
つまり、オタクにとっての萌えは別に妄想がどうだのなんて関係ない。
単なる文化的享楽があるだけだ。
だったら文化の醸造方向へ向かえ、といってる俺は正論だ。
萌えが文化として大衆と結合して深化する可能性もないし、実際「萌え」が
大衆と馴染まないことも上の方で証明した。
全部可能性は断った。
戦略なき可能性は可能性ですらない。単なる言葉遊びだ。
「俺はイチローなみの天才打者としてこれからデビューする!」
言うだけなら誰でも出来る。
837 :
hage:2005/12/05(月) 19:27:53 ID:xTIr5azO0
だから個々人が「理想」を持って「萌える」事によって、今の差別的な社会観念の「恋愛資本主義」
が変化して、個々を尊重する新たな風潮が成立するかもしれない、ってな事をあとがき辺りで言ってただろう?
萌えとしては文化的射程しか持たないかもしれないが、総体で社会性を持つ事によって
現実が変化するかもしれないという話なワケで>可能性
それと俺が言ったような「萌えの意味」は全く違うものだと思わないかい?
>>837 恋愛資本主義など関係ない。
何故、恋愛資本主義と関係があるのだ?
だったらスポーツ観戦趣味にも個人を尊重する立場があるし映画鑑賞趣味にも個人を尊重する
立場があるし小説鑑賞趣味にも音楽鑑賞趣味にもロックンローラーにも…
というわけで「萌え」が恋愛資本主義を殊更解体できる立場にはない。
だって関係ないもん。
お前認めただろ?関係ないって。
ルサンチマンじゃないんだからさ。
じゃぁ関係ないじゃん。(不可能と証明したが)大衆化しても全く関係ない文化として存在し続けるだろう。
文化的射程とはそういうことナワケ。
>総体で社会性を持つ事によって現実が変化するかもしれないという話なワケで
だからそれが不可能って話をしたんだろ。
社会性をもつことも、現実が変化することも。全部言葉遊び。
>それと俺が言ったような「萌えの意味」は全く違うものだと思わないかい?
それは知らん。
説明してくんなきゃわかりようがない。
839 :
hage:2005/12/05(月) 19:40:08 ID:xTIr5azO0
>というわけで「萌え」が恋愛資本主義を殊更解体できる立場にはない。
>だって関係ないもん。
「萌える男」を読む限りでは、「恋愛資本主義の引き起こした二極化の一方→オタク→萌え」
が関係性を発揮している、とさ。
関係ないというならまずその二極化の一方のオタクの存在を吟味すべきかと。
ちなみに、「俺が関係ない」っていったのは「萌え世界観」とリアル世界の完璧な整合性についいてだね(と補足しておく)
>だからそれが不可能って話をしたんだろ。
>社会性をもつことも、現実が変化することも。全部言葉遊び。
いやいや、現実に「萌え」が氾濫しているじゃないか?
んでもって本田透や(まぁ俺)等の言う「萌え」が正しく普及されれば〜と言う話。
そりゃまだ実現してないんだから可能性で留まっているしかないが。
俺の言った「萌えの意味」についてもう一度説明すると
「萌え」→「正しく認識することによって生じる現実の延長線上にある理想」
「萌え世界観」→「現実とは異なるパーソナル(全く個々人の)な世界観で、現実と並立しうる」
>>839 >関係ないというならまずその二極化の一方のオタクの存在を吟味すべきかと。
そもそもその二極化をでっちあげたのは本田であって、その勝手な仮定を
批判できようはずもない。
「この数字をxとおく」「なんでxとおくんだ。yとおけよこの野郎!」と切れるのは論理ではない。
>「萌え世界観」とリアル世界の完璧な整合性についいてだね
わからん。何のこと?
>いやいや、現実に「萌え」が氾濫しているじゃないか?
だからそれは経済的に勃興したサブカルとしてだろ。
萌えなんて関係ない。単にネットやら秋葉原やらのキモオタが目立つ立場になるほど拡大しただけだ。
どこに萌えが氾濫してるんだ。
それと、最後の「萌えの意味」はそれであってる。
841 :
hage:2005/12/05(月) 19:46:10 ID:xTIr5azO0
前の議論でも言ったが本田透は現実的世界の風潮という事実を元に萌え世界観論(便宜的にそう言う)
を構築したわけで、全世界的ではないな。
あくまで今の所日本での話じゃないかな?
世界史的に芸術と萌えとの共通点を発見する事によって、全世界に通用しうる可能性も提示はしたが。
842 :
hage:2005/12/05(月) 19:49:37 ID:xTIr5azO0
>>840 >そもそもその二極化をでっちあげたのは本田であって、その勝手な仮定を
批判できようはずもない。
それはそうだw
だが、「恋愛できない男」「お宅を相手にしない女=くらたま他」がいるような証拠は出していたが、ソレは本田透だけ
しか今の所やっていない(特に「萌え」に関連させて)ので、判断の難しいところだけれどね。
「萌え世界観」とリアル世界の完璧な整合性については、その二つに齟齬があったとしても、それほど関係(問題)は無い。
並立しうるから、と。
>>841 いやいや、関係ないし。
日本とかありえないし。何言ってるの。え。
例えば文学なら西洋的個人主義の体現というのが目標としてあったわけだ。
パンクなら歌ってれば金が入るぜというDQN救済があったわけだ。
でも萌えは現実と全く関係ない、単なる文化的射程と証明した。
関係ないの。わかる?関係ないのよ。
何度も言うが現実と萌えは関係ないの。
844 :
hage:2005/12/05(月) 19:51:45 ID:xTIr5azO0
>>843 いや、だから、俺の定義する「萌え」は「現実の延長線上の理想」だから、現実が無ければ成立し得ない。
関係はあるという立場。
>>842 最後の説明は、要は
>>839の最後の「萌えの意味」だな。
それは別にいいや。
萌えはホームランと一緒ナワケ。
ホームランは見てる人は救う。だって嬉しいもん。ドハデに点数入るんだから。
でも社会は救わない。
そしてそれでいい。文化的射程とはそういうことだ。
>>844 例えばネコミミって現実に存在するのか?
ふたなりとか。
ま、いいけどね。どーでも、、、。
いや、ホームラン(嬉的要素としての対象)見て楽しいってのは、一過性じゃないかw
「萌え世界観」はいってみれば「その人そのもの」だから、人一人を救う。
皆が皆自分を救えば社会を救うかもしれない。
ではないかな。
ホームランではどうやったってその人の人生そのものを救うことはできないだろう。
他者に干渉しなくなるほどその「嬉しさ」にのめりこめば可能かもしれないけどね。
思うのだけど、文学の使命とかパンクの救済とかは単なる戦略に過ぎない。
表舞台に躍り出るようなね。
でもそういうイデオロギーは死んだ。そういう空虚な時代が今だ。
そして萌えはその時代に対応して、純粋な文化的射程として現れた。
それを無理矢理現実と連環させようとするからバカらしくなる。
恋愛脱落者救済として萌えを切り売りすれば今度はルサンチマンに陥る。
だからオタクは現実となんら関係ないし、それはプライドとして持てよ、と。
キャラクター主義そのものは日本の人情主義観で受け入れられるだろうが、結局は
鍵や月姫みたく大衆文化の入れ物にデフォルメされたキャラを入れるだけしかできない。
それは本質的な意味では萌えではない。
そしてそういう需要は、漫画で消化されてる。
現実的にもオタが表に躍り出るのは不可能だし必要もない。
せいぜいキワモノ扱いしてるほうをニヒルに笑ってればいい。
事実、2ちゃんねらーはDQNに対して異常なほど反感をもってるしな。
849 :
hage:2005/12/05(月) 20:05:09 ID:xTIr5azO0
>>846 ネコミミは、コスプレでなんとかなるなぁ。
まぁそういう事が言いたいんじゃないってのは分かるが。
だから、「現実にフィードバックしなければならない」って部分が必要不可欠だとしたら、
「萌え世界観による個人救済によって争いが無くなる」というのも立派なフィードバックじゃないか?
そもそも本田は「萌えルート」「鬼畜ルート」とか言ってた位なんだからかなり穴のある極端な理論を最初から
提唱しているんだから穴なんか幾らでも指摘できるというのは周知の事実だともさ。
(例えば「現実的ではない」と言い続けることによって封殺することすら可能。意味は全く無いが)
>>847 萌えだって一過性にすぎないわ。
萌えっていうけれど、結局はオタの欲望の対象は萌え要素ではなくキャラクターという総体
なわけでしょ。イデアはイデアのままじゃ欲望の対象たりえない。
だからキャラクターの触れ合いを楽しいと思うような一過性に過ぎないでしょ。
甘い考えだ。
何度も言ってるが、萌えと現実は何の関係もない。
ホームラン打ってくれたからといって現実の苦しさから逃げられはしないが、
しかしホームランを見たときには心が晴れやかな気持ちになる。
そして萌えもその限りでしかないし、それでいい。
851 :
hage:2005/12/05(月) 20:07:10 ID:xTIr5azO0
>>850 「萌え世界観」はその人の人生そのものという考えだから、一過性ではないんだよね。
何故萌えが萌えのままじゃ欲望の対象たりえないかは「語る主体には享楽の接近が許されない」という
一事で全て説明がつく。
萌えを設定したのは他でもない本人だから。
自分が勝てるように仕組んだゲームで勝利しても何もうれしくない、ということだ。
だからこそ、重要なのは、それを起点に利用するということ。つまり萌え要素を持ったキャラクターの
総体に萌えるということ。
>「萌え世界観による個人救済によって争いが無くなる」というのも立派なフィードバックじゃないか?
だからそれは文化的射程に過ぎない限りはなんだってそうだっていってんだろ。
>>851 無茶苦茶いうなって。
現実への履行不可能性は話した。
つまりそれを抱えることは単なる趣味のレベルであって人生の何の利用価値もない。
それが履行されるのは萌えキャラと接するときだけだ。だからそれは一過性だ。
そうじゃないというのなら反証どうぞ。
854 :
hage:2005/12/05(月) 20:19:12 ID:xTIr5azO0
>>853 反証として、というか。
例えば宗教にハマる人間がいる。
彼らはその宗教の教えを「(現実世界で)履行する」事によって、心の安定を見出す。
それはその人にしかわからない「救い」だし、他者には絶対に理解されない。
(同じ宗教の中にいるものを総体として見るならば、彼らは互いを理解できる(と教えられてもいる)とされる)
さて、彼らは自らを「救われている」と考えている。
他者は彼らを「宗教の教えと言う一過性の文言、規律を守っているときだけ救われてるつもりになってるだけだ」
というだろうか?
それは「誰にとって」の事実だ?
855 :
hage:2005/12/05(月) 20:21:13 ID:xTIr5azO0
んでもって本田透は対外他者(異教徒)排斥に走りがちな宗教よりは萌え思想で自らを救済するほうがマシというな。
>>854 宗教は明らかに現実を干渉している。
宗教の問題は、簡単に効果覿面だからこその危険性だろ。
萌えが鬼畜をさけるんだったらその効果覿面性を期待すること事態無理がある。
そして宗教の救いは常に一過性が連続してる。
例えば自分が働くということはそれで天国へといける理由になる。
一過性を外すために死後の世界だの輪廻転生の輪がどうだの、ぶっとんだことをいいだす。
それとも萌えたら死後どっかにいけるのか?え?
857 :
hage:2005/12/05(月) 20:30:22 ID:xTIr5azO0
>>856 なぜ宗教は認めて「萌え」は認めないかなw
「宗教」はその危険性が歴史的に証明されているから実証できて、「萌え」は無理だと?
要するに宗教は「天国」という「仮想理想」を設定する事によって、その為に数々の規律を守って
生きる事で、「現実で救われる」というのか。
ならば、「萌え」も同じステージに行けばいいのではないか?
「萌えキャラ」という「脳内妻」を設定して、彼女の嫌いなことはできない、という規律(モラル)を設定し、
彼女のご機嫌を取り、最終的に彼女に愛される自分になる、という「天国」(目的)が存在しうる。
本質的には両者は同じではないか?
それが「総体」であるか「個体」であるかの違いはあるが。
だが「理想」を実証できない(「死後の世界」なんかも実証できない)
ここが重要なのだが違うと言うなら、確実に、正しく実証して欲しい。
>>857 萌えキャラを神様もしくは恋人だと思えばそれはあってるよ。
俺はそんなのスゲー下らないと思うし、不可能だと思うが。
だって恋人は現実に独占され、カオスの存在が明らかに統一した見解を述べるという
支配性がある上に、神様は死後の世界だのまで持ち出す異常な存在だものな。
どちらも、かなり異常な性質を根幹においてる。
だから、人並みはずれたキチガイ妄想家ならそれは可能だろう。
だとしたら何故商業関係を通すのか。何故他の女にも萌え〜とか言っちゃうのか。
まさか多神教と?
859 :
hage:2005/12/05(月) 20:39:33 ID:xTIr5azO0
こっから先は「萌え」の通るべき(行き着くべき)道という議論になるだろう、という事は予想できるだろうか。
結局、「概念」を提唱しただけにすぎないんだからその先は各々が考えるしかない部分もあるんだって。
現実の存在だった「キリスト」という指導者が死んで生まれ変わっって神になった(っていうか元々神でしたYO!)
って唱えた奴らだって相当なキチガイ扱いされたぜ?
860 :
hage:2005/12/05(月) 20:40:26 ID:xTIr5azO0
この場合「キリスト=萌えキャラ」じゃねーか。
宗教の本質と何の違いがあるっていうんだ?
俺の考え方は少し違う。
理論的には「萌えキャラ」を神様代わりにすることは不可能じゃない。
しかし、現実にはそれは難しい。
だって萌えキャラはあくまで商品としての存在だし、神のように過剰でもなければ
現実存在のような存在感もない。そもそも何万ににも股を広げてる女に愛を語るとは…。
では「萌え」現象とは何か?
俺は、むしろこのような掲示板郡で人々と繋がるということだと思うね。
神でもなく、女と言う個人でもなく、ある団体とコミットするということ。
萌えキャラを通じて、それを道具にコミュニティに繋がることこそが、むしろ個人救済と
なっているのではないかと分析する。
でもさ、不可能とは言わないがだとしたらおかしな話だぜ?
何で観鈴が死んで泣いて喜んじゃってんだよ。
恋人が死んで喜ぶバカや、神様が死んで喜ぶバカはいないぜ。
結局商売上の存在という本質は消えないから、現実レベルでかなり無理がある。
864 :
hage:2005/12/05(月) 20:51:24 ID:xTIr5azO0
>>861 いや、どうかね、後半は、君の最近考えているテーマ(ってのはどっかで見た)
から派生しただけのようにも見える。
勿論、ネットでの繋がりが新しい概念として提示されている状況が今の「萌え」の状況に
似通っているとは思うが。
そして、ネットのそこかしこで「萌え」が安易に使われている状況も分かる。
ただ、それは今ですら確固とした定義がないから漠然と使っているだけではないか?
本来の萌えは、「萌えキャラ」を見て「なんかもやもやする」といったような感情に過ぎないわけだから…
言ってみればワケも分からず「とりあえず普通とは違う、奇跡のような人だ」とキリストについてった所期の弟子
達の感情のような。
んで、彼らはキリストが死んで(ユダがキリストを独占するために殺したと言う説すら)、彼の「カリスマ」を纏め上げ、
「聖書」にする事によって、一つの世界的な宗教は生まれた。
それはキチガイの妄信に過ぎなかったが、徐々に世界を侵食した。
今では全人類の数%にすら至っている。
概念とはそう言うものさ、といえる。
勿論「現実的に」考えて長谷部は「ありえない」と言っているのは分かるがね。
ただ、今の「関係ない」価値観と勝手に相対化するな!という意見の、更に別もありうると。
つまり、萌えとか何とか下らないことを言うより、むしろ重要なのは
文化として流行状態にあるということだ。
萌え現象が加速したのは、オタクがマイノリティじゃなくなってきたということに関係する。
比較的高級(8000円超)なゲームが10万本以上売れるという状況、この大衆的でありながら
しかし依然としてサブカル的という状況。
この状況こそがむしろ人々を熱くさせる。
866 :
hage:2005/12/05(月) 20:55:28 ID:xTIr5azO0
>>863 泣いて喜んでないだろw
本気で観鈴と脳内恋愛しようとしてた人間からすれば、恐らく悲しくて仕方なかっただろうよ。
というか勝手に生かしてる場合すらあるかも。
別に、所詮観鈴は麻枝の脳内萌えキャラにすぎないわけだから。
最終的には、かなり、前に言ったみたいに、改造するなり、死ぬ前で切り取ったりして恋愛し続る事すらできるのだし。
867 :
hage:2005/12/05(月) 20:57:23 ID:xTIr5azO0
スマン、悪いが抜ける。
また後で来るわ。
>>865 その辺が「保守」論に繋がるわけだな。確か。
>>864 神の存在というのはそもそも超越論的というか、神がまずいたわけではなくて
世界が必要としたから神が求められただけの話だ。
それは現在のように、科学が発展して、世界の姿が赤裸々に透徹して描かれるような
世界ではなかったからで、ニーチェが怒ったのも、そういう人間の意図的操作が入った
ところがあるから、っていう理由による(語る主体に享楽の接近は許されない)
だからキリストが受け入れられたのは(というか正確には改変されたわけだが)必然だし、
神の思想はむしろどんな地域でもあたりまえのように起こってる。
人間と世界の関わりにおいて、カオスを保障するものが必要だったからだ。
別に僕は世界的に見て萌えが勃興したのは日本だけだから、などといいたいわけじゃない。
重要なのは、萌えが発生したのは明らかに文化レベルだということだ。
神のように求められてできたわけじゃない。
これからニーチェがぶちきれたみたいに人間の手垢に染めるのか?
それとも文化は文化として生きるのか?
そこが問題なのだ。俺が文化としての醸造を望むのは以上の理由だ。
だが、理論的に、萌えキャラを神にするのは不可能ではない。
しかし現実的でもない。その議論は大分上でやってる。
だが現実に存在する萌え現象は何かといえば、それはコミュニティとしての流行だ、と俺は説明する。
色々論じたが、結局まさしく宗教の代案として萌えを提示するなら、文句はいえない。
宗教という存在自体が論理をぶち抜いてるからな。
で、俺が先日某コテハンと論じてたのは、現在の宗教(の代案)とそれの超克の問題だ。
だから俺は自分が理想主義的だと考える。
宗教超克のための代案が、「否定」であるわけです。
それは宗教のような神の名に救いをもとめるのではなく、ストイックに、システムを通して
自己の存在の変容を見ること。
そのように二元論を超克するべきでなければ、ファシズムは避けられない。
本田は萌えキャラならば個人の趣味が細分化するというような、政治的なレベルでのファシズム回避を
とろうとするが、無駄だよ無駄。現実にあいつも恋愛資本主義者に攻撃を加えてる。
どっちにせよ二元論を逃げようとしたって新しい二元論に陥るだけだ。
だからこそ、俺は神の名を求めない。
システムへと逃げる。システムのみが世界を救う。
今日、本屋に行って、「萌える男」とやらを立ち読みした
そして、その隣に並んでいた、ベストセラーらしい「下流社会」を読んでみた
_| ̄|○ ゴセンゾサマモウシワケアリマセンアナタガタガヒッシデマモッタニッポンコクハオレラノダイデシュウリョウシマス・・・
下流社会なんか読むくらいならもっとまともな本嫁。
お前ら、本田は商業作家であることを忘れてないか?
>>872 「萌え」がビジネスとして発展しそうだって事だよな。
簡単に言えばexp(-1)→exp(+1)方向への過渡期にあるわけだ。
液晶大画面の携帯電話やPSPのような携帯機器に載せるコンテンツとして、
PCの分野ではすでに成熟期に入った、萌え系コンテンツを持ってくれば、
そこそこの利益が出るだろう。
ま、韓国勢に先を越される前に日本勢ガンガレということだな。
>>873 ぜんぜんちがうし
萌えビジネスに未来なんかないし
随分痛いスレだな
長谷部はkagamiはどう評価するの?
ニーチェとかバタイユとか宮台とかを持ち出すことも、言ってることも近いと思うが
k様は本田を好意的に引用してるよ。叩くかわりに強引に持ち上げてるだけかもしれないけど。
877 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 09:39:16 ID:pC2otwj40
878 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 09:45:44 ID:pC2otwj40
「萌え」は人を救いません。いや、もしかしたら本田のようなキチガイレベルのオタは救うかもしれない。
けどそれは全国民の0.1%たりとも、いや、全国民のうちの数千人程度しか救わないだろうと思う。
実際のところ労働難という事情を、本田はうまいことやって、その数千人以外を相手にして救われてるんだから
笑えないんだが、まぁいい。
この時代は空虚だといわれます。
それはあらゆる権威が解体され、その反動のアイロニズムさえもが消えて、リースマンの言うところの
内面指向型人間が死に絶えて他者指向型が増えたからです。
つまり他人に承認して欲しいというような究極の欲望だけが世界の心理を支配してる。
他人から独立したような伝統だとか権威だとか神だとかが不在だから、日本の「和」のように他人の
欲望へと向かうしかない。実は、アメリカが真っ先に大衆文化を根ざしたのは、日本以上に
他者志向が強かったからです。
そういう意味で、コジェーブの唱えた、世界の日本化はあたっている。
そこでは無意味な形式と言葉の戯れが、何の意味も大儀もなく行われる。
例えば、ハラキリ。
879 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 09:51:24 ID:pC2otwj40
つまり、「萌え」文化はこのハラキリの延長なのだ。
空虚な時代だからこそ、空虚に存在するような記号(キャラクター)が受け入れられる。
正し超越系の人々はその無意味な戯れは耐えられない。
意味を求める。
無意味に割腹自殺などできるわけがない、というわけだ。
そこでそのアイロニズムに耐えられずに、内面形成段階を踏まえず、非戦略的に
くだらない「感動」や「道徳」や「キャラクターとの愛(理想論的萌え)」なんて概念が
持ってこられる。
空虚に対して必死に抗おうとする。
彼らは戦略性はないが、カーニバル化した社会の中では、すべてが無意味な記号として空転するので
とくに問題にはならない。俺のようなごく一部の人間が気味悪いと思うだけ。
880 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 10:11:46 ID:pC2otwj40
空虚だということは、必然的に、この時代を時代として生きることが不可能だということ。
時代に対応するには時代との因果関係が必要になるけれど、その因果の存在自体こそが
意味となるわけだから、時代と対応できない。
もう俺達は絶望の時代を生きてるとしか言いようがない。涙が出てくるよ。
882 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 10:54:24 ID:pC2otwj40
ちょっと読んだ限りでは、2ちゃんねるによく居る空転道徳主義者にしか見えないです。
日本の現状を無理矢理批判するやつって大概バカだし。
その調子で己を知れよ
バカっぽい感じなのはそうだが、多分この人も保守主義者だし(政治的にはけっこううさんくさいが)、気晴らしになるよ。
2ちゃんだから仕方ないとはいえ、毒ばっか吐いてると荒んでくるだろ。
俺はよく知らん対象になら脳内補完で萌えられるけど、知れば知るほど萌えから遠ざかるね。
虹キャラ、アイドル、ろくに喋ったことないクラスメイト、かなり昔の彼女とかとは脳内でなんども
ゲームや漫画みたいな恋愛したり、一緒に冒険みたいのもしてるけど家族だとか今カノだとか
よく知ってる女友達とかは萌えられないんじゃない?萌えは現実と地続きだからブス萌えは
ありえないし知りすぎてると脳内補完できる余地がないしね。だから俺の理想的な萌え対象は
程よく現実的で不可解な余白をもってる存在「○女」だね、時期が時期なので○の中は割愛。
醜女
887 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 11:48:46 ID:pC2otwj40
>>883 うるせー
>>884 どうでもいいですね、そんなん。
ヘーゲルなんか持ち出して常識的なこと語ってるだけでしょ。
>>885 結婚すると冷めるとかいいますね。
888 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 13:08:59 ID:pC2otwj40
>>881 読めば読むほどアホらしと思う。
オタ界隈の、(本田含めて)この辺の下らない話を延々するのがカッコイイみたいになってんの?
こんなんと一緒にせんといて、マジで。
>>844 人のことは言えた義理じゃないが、
文面といいページのデザインといい、どうもカルト宗教じみてるな。
一見いいことを言っているように見えるが……。
なんだか、2ちゃんの方が居心地よく感じられる気がするぞ。
891 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 15:29:41 ID:7v1i7FwZ0
>>889 同じに見える人には同じに見えるんでしょう。
そもそもサブカルをオオマジメに(見えるように)語ることは似たような薄気味悪さがある。
それは東のようなそれなりの神童であろうが俺のような糞コテだろうが同じだ。
だけど僕には僕なりの普遍的立場をもって答えてる。そういうポリシーがある。
例えばヘーゲルを引用して下らない道徳を語らないし、バタイユが幼子という単語を使ったからと言って
無理矢理ロリコン肯定などしないし、欝エンドというだけでスピノザの俗的な引用で賞賛するような無意味なことはしない。
僕は常識は常識として奨励するし、その常識を大仰しく権威化するような汚い真似はしない。
>>890 レス番ミス?
>>891 じっくり881のサイト見直してみたが長谷部と似てると言ったもののあれは確かに度が過ぎるな・・・。
「エチカ」を斜め読みしたってあんな強引な曲解はしないな。
彼はあれだな、啓蒙本とか世界の名言集だとか好きなタイプだな。
きっと林羅山の生まれ変わりなんだろう
いくらなんでもアレと長谷部を比べるのは失礼だろ
長谷部とはいえ
895 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 19:27:40 ID:7v1i7FwZ0
別に他人はどうでもいい。
896 :
名無しさんだよもん:2005/12/06(火) 20:01:11 ID:LuRzrREx0
897 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 20:16:58 ID:7v1i7FwZ0
長く続きすぎなんだよ。
898 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 22:12:07 ID:Pnd2fFkK0
考えてみてください。
いい年した、建前上はそれこそ18歳以上という連中が、空想の女の子と
繰り広げる下らない恋愛ごっこに、8000円以上の大枚と、10時間を越える時間を費やし、
さらには初回特典がどうだのあの仕草萌え〜だの抜かしているのです。
これを空虚といわずして何を空虚と呼ぶのか。
少なくともアカデミズムやモラルのような権威の存在が自明なら、こういった流れは後ろめたいと
思うはずなのに、連中はそう感じないのです。
別にいいとか悪いとか言う話ではなくて。
もともと誠実さのかけらも持ち合わせていないのに、
とってつけたような最後の一行が不実ささえも中途半端にしている。
900
901 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/06(火) 23:11:34 ID:Pnd2fFkK0
>>899 僕は空虚さを否定してないよ。
むしろ柄谷なんかは「悪くない流れだ」とか言ってしまう。
俺はそれがいいとも思わないけど、とにかくそういう流れが現実として現れてる。
902 :
hage:2005/12/07(水) 09:27:16 ID:D6mNM7680
>色々論じたが、結局まさしく宗教の代案として萌えを提示するなら、文句はいえない。
>宗教という存在自体が論理をぶち抜いてるからな。
厳密に言えば「宗教」の代案なのではなく、「恋愛資本主義の対極」という地に足の着いたところから
説明し、最終的には「家族愛といった社会概念の復興、もしくはその適正化」の断片を理想化して、
「人が萌えによって救われる」過程を希求しているのだがね。
その「救いの理想主義」の一端が、そもそも本田が単なる批評化なのか、行動化なのかを区分けしている。
本田はあくまで「萌えによって救われる」と叫び続ける事を選んだ思想家であって、「理想」を否定できない
ベージックな所を理解しなけらばならないと。
そんな彼に対して「現実的ではない」と叫んだ所で、それがどんなに正しく優れた批判的な言葉であったところで、
「では、どうやってもっとよりよい理論を構築しましょうか」となるしかない。
俺は本田を批判するなら、その「より良い部分」を思考して欲しいと思うのだがね。
理想主義者をバカ扱いすることは可能だが、まずカタチとして醜いと言わざるを得ない。
903 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 12:50:13 ID:R3+uQ4a60
>>902 何度も言ってるが、僕は理想主義を批判してるのではない。
理想主義が現実的でないのは、外部の事情に拠るものでなければならない。
少なくともプロレタリアートが立ち上がった時代に、社会主義が理想主義だったというのは
そういう意味であって、社会主義が理論的に誤っていれば、それは理想主義ですらない。
そして僕が批判するところはそういった理論的な内部における破綻だ。
宗教の代案という形をとるにせよ、その代案をとるという行為自体が、恋愛(非・恋愛資本主義)に対する
敗北というルサンチマンを永遠に引きずることになる。
なぜならここで問題となるのは、レゾンデートル(こんな青臭い考えを…)を託すというシステム自体が
恋愛の機能そのものだからだ。そしてそれが確保される場合も、恋愛というストーリーの模倣であるのは
みながご存知の通りだ。
だから恋愛以外の形式をとらなければ「萌え」は独立しない。
そもそも実存を確保するという考え方そのものがバカバカしくて怪しい。
そんなものがなくても人間は生きている。恋愛がそれを確保する装置だというのならば
恋愛は所詮功利主義的という謂れを逃れられない。
北村透谷はキリスト教徒であった。だから実存を預けたいなら、別に神でよかったのだ。
北村がプラトニックな恋愛を描いたのは、尾崎紅葉と同じく、個人主義体現のために他ならない。
それは超越論的な西洋化、民主化へ向けた策略であって、決してなければ人間が死ぬわけでもなんでもない。
904 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 12:59:47 ID:R3+uQ4a60
何故根本的道徳観は宗教たりえないのか?
「この世に死んでいい人間は居ない」これも宗教的と言っていいほど、人々を赦す言葉のはずだが、
これで救われたと思う人間はほとんど居ない。
それは、結局宗教が内と外を設けて、外より価値があるという歪んだ優劣感を絶対肯定しなくてはならないからだ。
この範囲が拡大するにつれ、宗教の力は薄まり、道徳のレベルで宗教は無化になる。
しかし無宗教、道徳主義の日本人は、現に生きてる。
子供達は恋愛も宗教も知らないが、楽しく生きてる。犬も日向でおねんねして幸福そうにしている。
それでいいじゃないか。それの何が悪い?
恋愛の形式は、最初から歪んでいるのだ。それは救いでもなんでもない。楽なだけだ。
それでも救われないなら宗教にでも入ればいいだけのことだ。恋愛がレゾンデートルの補完であれば
恋愛自体も宗教のルサンチマンということになる。
恋愛すらも、一過性でいいのだ。
思うに、この一過性の問題は、根本的な認識の形式による。
宗教の点でも上記にあるが、「内と外を造る」というシステムの恒常化を保障するというのが
一過性でないという考え方なんだろう。(ちなみに、ここで重要なのは、我々の感性の問題は現在にしか
ないということで、現在がよければそれで人は救われるのだけれど、人間の思考だけは未来を想像できるから、
その未来の恐怖に今現在おののくだけに過ぎない。)
ここで問題は内と外を作るというシステム、これは何を基盤にしているかといえば、空間の認識だ。
60億人という人間が想定されて、その中で自分が価値があるかないかを想定としてる。
だから俺は、そういう考えはくだらないし、もし救われるということが可能だった場合、他の人間を差別せずには
いられないといってるのだ。
905 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 13:05:35 ID:R3+uQ4a60
僕が根本的に問題とするのは次の二つ
・恋愛(非・恋愛資本主義)の形式の救いを取る限り、萌えはルサンチマンに過ぎない
・そもそも恒久的な救いというのはファシズムにすぎず、それこそ理想主義でもなんでもなく現実主義だ
萌える男はちっともラジカルでもなんでもない。
恋愛の代わりに、頭悪くなって、二次元の存在しないと頭でわかってる連中に神様になっていただこう
という「無理」を肯定してるだけだ。
俺の言ってることの方がよほどラジカル
・空間に目を向けるな、時間の自分の差に目をむけよ
・自分が否定されることを受け入れよ
・空間へコミットするな。戦略的に自己実現のために利用せよ。
906 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 13:22:11 ID:R3+uQ4a60
要約しよう。
まず萌えに可能性も糞もない。
まず、現実履行不可能性は述べた。いい加減認めろ。
その上で・宗教的射程 と ・文化的射程
のうち、無理矢理・宗教的射程 に萌えをカテゴライズしただけだ。
だから可能性も糞もない。単なるカテゴライズの問題。Q.E.D.
エロゲーに対して自覚的に享楽的に振舞うか、自覚的に批評的に振舞うかの違いがあるとして
前者から後者へつなげていこうとして失敗したのが本田では。
たいした分析もできずに媚びているように見えるわけだし。
本田の考えを好意的にとるなら、萌えに可能性がないことは認めた上で、
長谷部も言うようにそのことに良し悪しは左右されないのだから、
萌えを良しとして、その上で(芸風として)可能性があると言ってるのでは。見苦しい感じがするけど。
享楽的に振舞うことに決めたのなら、それがいくらキモかろうが不道徳だろうが構わないんだろ。
908 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 15:06:59 ID:R3+uQ4a60
>>907 俺の考えでは、本田は政治的な存在だ。確かに政治的じゃない本はつまらないし
そういう意味では面白いと思う。
ただ、自覚的に批評的、かしら?
批評的というのは疑問をもちながら萌えを探る作業になると思うけど。
たしかに本田は萌えの分析らしきものをやっていたとは思うが、明らかに萌えの負の面、つまり
自分の論旨に妨げる要素(商業性やルサンチマン)を無視していた。
なるほど、あなたが仰る失敗はそういう意味ではそうなのかもしれない。
享楽的というのが僕の言う文化的射程なのだとしたら、そのことに対して異議は勿論ないです。
萌えと恋愛の政治闘争を悪いとも言いません。
ただ、やり方は見苦しいと、僕も思います。
そういう意味では非常に同意します。
確かに自覚的に批評的といえるほど、対象と距離は取りきれていないと思う。
これは単なる著者の力不足で、誰か他の人がもっといいのを書くのを待つしかない。
前著「電波対戦」でも、岡田としおに媚びるなと滝本竜彦に言われたりしていて
腰の低さばかりが目に付いてかっこ悪かった。
こう書くと何だかいいところが一つもないみたい。
>自分が否定されることを受け入れよ
相手を否定されることでしか自らの正しさを証明できない哀れないきものに言われてもな……。
911 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 19:00:54 ID:ppjYxHpC0
いい加減まともにオタク文化を考察した本が出てもいい
912 :
名無しさんだよもん:2005/12/07(水) 19:01:57 ID:CwVSwW1t0
914 :
hage:2005/12/07(水) 19:17:14 ID:D6mNM7680
だから本当の意味でのオタク文化の考察本ではないと何度も…(ry
915 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 19:27:21 ID:ppjYxHpC0
2ちゃんねるには凄い才能持ったコテ(俺のことじゃないよ)が結構いるのに
彼らが才能を潰していくのは悲しい。
そんな中、萌えを宗教化するだけの本が書かれるこの業界には絶望。
>>911-912 いろいろな意味で無茶苦茶いうなと。
>>914 とりあえず
>>903-905にこたえてみれ。
萌えを宗教の射程で捉えるのが「萌える男」だろ。
例えばこいつか?
ミルフィーユ・桜葉 ◆6ka.zaV/GU
917 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 19:59:58 ID:ppjYxHpC0
おまwwww
1:事実に対して仮定を持ち出す
「ねるねるねるねは」
3:自分に有利な将来像を予想する
「ねればねるほど色が変わって」
4:主観で決め付ける
「うまい!」
8:知能障害を起こす
「ヘッヘッヘ」
10:ありえない解決策を図る
「こうやってつけて」
13:勝利宣言をする
「チャーラッチャラー」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「♪ねって美味しいねるねるねーるね」
はじめて見たテンプレだが、爆笑。
そっかー、長谷部の論理ってねるねるねるねなんだ。
そう思ったらなんでも許せる気がしてくるな。
920 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/07(水) 22:40:00 ID:ppjYxHpC0
921 :
hage:2005/12/08(木) 00:00:01 ID:25gcRL1c0
というか、何度も言ってるように「萌え」は単なる恋愛としての対極に位置する仮想恋愛性だけに注目しているのではなく、
「家族愛」等の社会理想性(現実の果てに見出す理想としての萌え)に最終部分で着目しているのは、「萌える男」を読み返せば分かる事だろう。
恋愛以外の方法…同姓同士の擬似恋愛を見出す「百合」(この場合、「ヤオイ」は女子的観念の男性への逆超克であるから、ソレは置く)
の伸張によって、男女の被支配性からの脱却さえ見出しているし、単なる恋愛の代替物という理論だけではなかったはずだろう。
そもそも、俺が宗教を持ち出したのはその概念の広まり方の例示に過ぎない。
現実的不履行性ってのは脳内恋愛を指すのか?
「萌え」から始まる「家族愛」等の再発見と改良は十分現実的履行性を意識しているだろう。
何か、同じ事を何度も繰り返しているようで徒労に思えてきたが。
要するに「萌える男」を一言で纏めてしまえば、何度も言うようだが
「恋愛資本主義の二極化」という現実を認識し、その一方でのオタ産業の伸張と浸透を分析し、
「恋愛至上」の対概念としての「萌え」を発見し、その過程で「家族愛」等の恋愛資本主義によって破綻しだした
社会の安定を「萌え」の見地から希求する(それが今のところの家族愛)
という「現在進行形」の試行実験の提示だと。
922 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/08(木) 00:09:26 ID:gUKfy2BN0
>「萌え」は単なる恋愛としての対極に位置する仮想恋愛性だけに注目しているのではなく、
だけ、ということは事実そういった機能はあるのね。
>「家族愛」等の社会理想性(現実の果てに見出す理想としての萌え)に最終部分で着目している
「家族愛」だけでは何を指しているのかわからないが、現実の萌えの履行不可能性は大分
時間かけて不可能だし論理が破綻してることは話したと思うのですが。
つまり、萌えは社会を救わないし変えもしない。文化は世界を変えようがない。
>現実的不履行性ってのは脳内恋愛を指すのか?
脳内恋愛は宗教の分野の話でしょ。現実の問題じゃない。
>「萌え」から始まる「家族愛」等の再発見と改良は十分現実的履行性を意識しているだろう。
でしょ。そうそう、でそれが不可能だよね?って話をかなり上の方でしたんですよね。
それは現実的とか理想的とかそういうレベルの問題じゃなくて、理論として破綻してる、って意味で。
>何か、同じ事を何度も繰り返しているようで徒労に思えてきたが。
僕もそう思いますよ。
まったく論点がわからないのだけど、僕からしたら何故同じ事を何度もいうのかよくわからない。
おそらく認識に何か差があるのだろうけれど、それがわからない。
まず家族愛だのなんだのに拠る現実履行性の話は、僕が不可能(理論的に破綻してる)だと示しました。
そして宗教として恋愛として独立性をとるにしてもルサンチマンを引きずり、ファシズムを引きずるという事実からは
逃れられないことも示しました。
この見地が問題ならば仰られればいいのだけれど、この二つを説明しなおしてるようにかみえませんです。
923 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/08(木) 00:13:37 ID:gUKfy2BN0
>「恋愛資本主義の二極化」という現実を認識し、その一方でのオタ産業の伸張と浸透を分析し、
>「恋愛至上」の対概念としての「萌え」を発見し、その過程で「家族愛」等の恋愛資本主義によって破綻しだした
>社会の安定を「萌え」の見地から希求する(それが今のところの家族愛)
>「恋愛至上」の対概念としての「萌え」を発見
ここが破綻。恋愛形式を負うゆえに萌えが恋愛に依存する。それも、実存主義というファシズム的な歪んだ恋愛を。
ルサンチマンとファシズムを引きずるので不許可。
>社会の安定を「萌え」の見地から希求する
これも破綻。文化は社会に関与を持たない。
924 :
hage:2005/12/08(木) 00:15:33 ID:/l5P8azz0
萌える男は「宗教」だ、ってのは、「個人救済」と「社会の安定」をオオマジメに「萌え」
から探っている部分の「胡散臭さ」を示唆しているんだろうが、
ただ一つ「宗教」とも言えない所は、↑の議論に「結果」が出ているのではなく、まだまだ模索中の実験段階に
過ぎないと言う事を認識している事から外れるだろう。
読んでれば分かるように「萌える男」では(極最近の)「萌えの流れ」を例証を挙げて分析しながら、
社会位相と相対させつつその意味を確かめている。
結論から言えば「萌える男」はそれらの分析結果を「今現在」の段階において反恋愛資本主義の価値観から
切り取って纏め挙げ、その未来を「予測」しているだけだ。
完全に固まった概念を押し付ける宗教書ではなくある価値観からの現実分析を啓蒙する啓蒙書だと俺は理解する。
だから本田は「反恋愛資本主義的概念としての萌え」の見地からしか発言できない。
「萌えの文化的真実」等の本質をニュートラルに探求するフィールドにはいない、既に実践の道を歩みだしている。
だから、未だニュートラルな立場において研究を進めようとする長谷部とは決定的に異なっているんだよ。
925 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/08(木) 00:19:34 ID:gUKfy2BN0
何でしたっけ。
「萌え」は商業という前提を通すことによって、カオスを排除した理想世界だからこそ成り立つ概念であって
常にカオスを孕む現実相手には、射程として収められない。だから「萌え」は現実相手には無力。
だから萌えキャラを神様、恋人がわりにするしかないけど、そうなると実存主義という歪んだ恋愛の形式を引きずる点で
ルサンチマンとファシズムを引きずる。
全部破綻する。
926 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/08(木) 00:27:48 ID:gUKfy2BN0
>>924 >萌える男は「宗教」だ、ってのは、「個人救済」と「社会の安定」をオオマジメに「萌え」
>から探っている部分の「胡散臭さ」を示唆しているんだろうが、
違います。胡散臭さとか、オウム真理教以降の意味じゃなくて、純粋な宗教の機能。
仰ってるのは現実レベルからの見方なんでしょうが、どちらにせよ理論的に破綻した理想・戦略などありえない。
ルサンチマンが回避不可能なら、それを利用せよと俺は言う。それが戦略だ。
純愛がどうだのなんて情けないことを言う前に、だったら徹底的に恋愛資本主義に依存しろ。
それがいやならそもそもタブーに触れるな。
そしてオタクはそもそもそのための文化じゃない。
恋愛資本主義に依存するならば、新たな文化を創れ。
ただ考えなしに大衆化するというのならば、確実に単なる大衆文化に飲み込まれるのは目に見えてる。
927 :
hage:2005/12/08(木) 00:39:28 ID:/l5P8azz0
ちょっと聴きに徹するわ。
>ルサンチマンが回避不可能なら、それを利用せよと俺は言う。それが戦略だ。
>純愛がどうだのなんて情けないことを言う前に、だったら徹底的に恋愛資本主義に依存しろ。
この辺は純粋な興味なんだが「恋愛資本主義に依存し、かつ利用する」ってのは何をどう利用しどんな結果を導き出すんだろうか?
>恋愛資本主義に依存するならば、新たな文化を創れ。
恋愛資本主義にオタクが依存する事によって生まれると言う「文化」とはどう名づけられるべきもので、
何を示唆し目的にするだろうか?
大衆化云々は「萌え」の概念を社会に持ち込む事を意味しているんだろうが。
何か今更だけど。
928 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :2005/12/08(木) 00:51:26 ID:gUKfy2BN0
>>927 >この辺は純粋な興味なんだが「恋愛資本主義に依存し、かつ利用する」ってのは何をどう利用しどんな結果を導き出すんだろうか?
要は自分達がルサンチマン的集団だとまさに当の相手に宣言し、露骨に喧嘩を売れということだ。
喧嘩を売ることで文化が花開けば、もちろんこの文化は恋愛資本主義に依存する。
しかしそれが意識されてるならいいだろ。どんどんやればいい。
少なくともパンクはそうやった。そうやってふざけてゴッドセイブザクイーンを歌った。
>恋愛資本主義にオタクが依存する事によって生まれると言う「文化」とはどう名づけられるべきもので、
>何を示唆し目的にするだろうか?
重ね重ね言うが、それはもはやオタクではないだろう。
恋愛資本主義へのルサンチマン、が文化の条件だから、それは超越論的といわなければならないのだから、
オタクとは性質が違うはずだ。
その際に、萌えキャラのような偶像を掲げてもいいが。
彼らが目的とするのは「戦争」だ。つまりガンジーでありマルコムXでありキング牧師にならえ、ということだ。
彼らに習い戦争を起せ、喧嘩を売れ、緊張状態を持続せよ、ということだ。
929 :
長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE :
つまり「戦いもする勇気なくして革命なんてちゃんちゃらおかしいぜ」だ。
パンクですら、結局何も変えなかった。
正確に言えば、パンクはそういった革命への欲望を利用した音楽革命に過ぎないのだけど、
それはともかく、パンクですら世界は変わらなかったという事実は重い。
黒人達の差別への熾烈な戦争を見ずして、甘いこと抜かしてんじゃねぇよ糞が、というわけだ。
福田和也のイデオロギーにはこの暴力の話が詳しく載っているが、黒人は白人から差別されることを
望んでいたのだ。何故か?
差別をなくしましょう、という平和的な言葉では差別はなくならないからだ。
今、本田が言ってるのは、そういう「差別をなくしましょう」というモラルに立脚してるだけの
下らない話だ。
だから黒人は差別されることを望む。
差別され、差別の腹いせにそいつをぶん殴ったときにこそ、初めて尊厳は回復する。
それは戦争を持続する、ということだ。
だから差別を肯定し、戦い合え。
それが嫌なら、黙ってろ、とこういうわけだ。