CLANNAD -クラナド- 総合 Part145

このエントリーをはてなブックマークに追加
81長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE
今凄い事に気付いた。
観察文は、ある純粋知覚を記号若しくは統合化することにより
内容が満たされ、物語文は過去にあった純粋知覚を記号化することにより
著しはしても、内容がないわけだが。
つまり我々の過去は既に我々にとって他者のテキストだと言うことじゃまいか。
テキストの話者は死ぬとしたら、我々は現在にしか生きてないで、
過去の自分とは言えない何者かに騙されてるということだ。
我々が自分と考えていたようなある主体が常に他者であるとするならば、
我々が記憶に依り現在の主体が判断力を使うとする認識には、
既に他者の意向が含まれているわけで、我々の自我は現在のこの瞬間にしかない。
そして主体は一瞬にしかいない。しかし一瞬ってなんだよ。
ここはやはり一瞬ではなくて、主体は持続していると考えるべきなんだろうよ?
そうなると主体は概念であり、現実に存在しないことになる。
つまり主体は霊なんだという俺の思想を裏付けることになる。