CLANNAD -クラナド- 総合 Part143

このエントリーをはてなブックマークに追加
673長谷部悠作 ◆xxFBKR1QBE
話は変わるけれど。

エロゲーのBGMは大概にしてそのまま単体で聴けるわけだが
理由は簡単で、メロディーがあるからでしょ。
メロディーってものにはそれ自体では何の意味性も持たないような
内的なもので、内側をシンプルな流れに統合するという意味合いしかないわけです。
つまりメロディー自体はサウンドスケープにはなりえない。
メロディーは統合の機関ゆえにわかりやすさが求められるわけで
求められるということは、理解されることを求めているということだ。
要はメロディーは音の自己主張なんですよ。

それに比べて、イーノが提案した環境音楽は、聴かれ得ないことを認めた形を
していて、事実、イーノのソロのいくつかはメロディーが解体されて難解な形をしている。
環境音楽は聴くことと聴かずにいる事の中間にある音楽なわけで、
その聴かれえない力がある限り、メロディーに付属するような
音楽を規制する約束から解放されえるわけで、より自由な音像の組み立てが
可能となるわけでしょう。

映画では現実にこういうBGMは多用されているけど
優れているとか抜かすエロゲーのBGMは未だに前時代的な
メロディーに拘束されている。

本当にエロゲーのBGMは優れていれのか?