「四外途(よんげと)」
>>2、
>>3で記されているとおり、煮解賭・酸下吐が明朝末期に流行したのだが
当時、四順(よん・じゅん)という東の半島出身といわれる者が
煮解賭・酸下吐の名人と言われていた。
ところが四は実際には煮解賭・酸下吐の名手でも何でもなく
ただ時の瓦版出版者で大富豪だった蝦正日(えび・じょんいる)と
宦官田通(でん・つう)のお気に入りというだけで
彼の出場した煮解賭・酸下吐に関しては全てデキレースだったと言われている。
明代はTVは当然のことながらその他庶民が情報を知る術は殆ど無く、
首都以外においては蝦が発行する瓦版得鵺治恵(えぬえいちけい)が
庶民が情報を知る全てであった。
瓦版によると四は絶世の美男子と書かれているが
実際には外見も通常の人間より劣っていたという。
しかし瓦版を読んで、四の出場する煮解賭・酸下吐を観戦にきた庶民の多くが
実際の四を目撃してもなお四を英雄と崇め、「四様」と称されたと言う。
一方で、四の人気なるものが蝦・田の捏造だと見破った一部の者は
「人の途に外れた四」と言うことで、四外途と彼を嘲ったと言われる。
現在において「4ゲット」が「2ゲット」「3ゲット」と違って嘲りの対象でしかないのは
このことが原因ともいえる。2ゲット・3ゲットと違って
4ゲットには何の己の実力も必要としないからであろう。
なお、四順の正体は現在の青海省州毎里(すまいり)出身の武将で
根栗の乱で神策(かみ・さく)らと反乱を起こし女性を生き埋めにするなど残虐の限りを尽くしたが
政府軍に敗れ逃亡した鬼朽(き・くち)という説が濃厚である。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )