「…以上で議題は全て終了します。なにかある人…いませんね。
…それでは、これで閉会します。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
副会長である太田叶人(かなと)の号令に、列席した生徒会役員一同は追従した。
配布された書類を皆一様に眺めながら、どやどやと出席者が退出していく。
美和子も書類を鞄の中に収め、次の集会までのスケジュールを考えながら立ち上がった。
そして放課後の道草先について内密に会議を行おうとしたとき、
美和子はある一つの光景を目撃した。
自分の親友である由紀が、椅子に腰掛けたままぼんやりと一人の女性の姿を見つめていたのだ。
提出された書類をクリアファイルに纏めている彼女の背後を、日暮れ時の斜光が照らしている。
肩まで届く黒髪はほつれ一つ無いほどに梳き上げられており、
あたかも清純を具現化したかのような在り様だった。
「あっ、あの、拓美さんっ!」
しばらくの間、由紀は彼女の姿を食い入るように見つめていたが、
脱兎のごとく彼女――月島拓美――の元へと駆け寄った。
拓美はファイルを学生鞄にしまう最中だったが、その手を止めずに応える。
ファイルの中は先程の資料で一杯のようだ。
「何かしら?」
由紀の顔が紅くなっているのを美和子は見た。
彼女は由紀の顔が紅くなっているのが緊張からくるものではないことを知っている。
そして、そのことについて少なからず困惑していた。
「拓美さん、今日はこれからお暇ですか?もしよかったら、お茶でもどうかなって…
おいしいお店を見つけて、それで…」
「御免なさいね、吉田さん」
しかし拓美は残念そうに首を振った。
「今日は私が夕食を作る番なの。早く帰ってあげないと瑠依がお腹空かせて死んじゃうわ」
「そう…ですか」
「弟さん、でしたっけ。2年生ですよね」
美和子がすかさず落ち込んだ由紀にフォローを入れる。
申し訳なさそうな拓美の表情が、わずかに明るさを取り戻したようだ。
「ええ、可愛い弟よ。女の子みたいでね、からかうと面白いの」
「月島さんに似て綺麗な顔なのよ、由紀」
「あんまり人のことをからかうものじゃないわ、桂木さん」
「あの…」
二人の会話に由紀の気持ちが落ち着きを取り戻しかけたとき、叶人が会話に割り込んできた。
「なにかしら、太田くん?」
「月島さん…少し、いいですか」
叶人は拓美のそばまで近付いて何やら耳打ちをした。
「――桂木さん、吉田さん、少し外していてくれるかしら?」
「あ、はい。それじゃ由紀、行きましょう」
「うん。…あの、拓美さん、また今度お暇でしたら、その時にでも…」
「…ええ。楽しみに待ってるわ」
拓美は首を軽く傾げ、にこりと微笑んだ。
その日の帰り道、由紀は美和子に生徒会室での話題について尋ねた。
「…あの二人ってどんな関係なのかな?」
美和子はそうねえ、と視線を宙に浮かせながらソフトクリームを頬張る。
バニラの香りが口の中にほんわりと広がり、しつこすぎない甘さがまた程よいバランスで――
「聞いてるのっ!?」
「……うん、聞いてる」
「だから、心配なんだよ…拓美さんが太田くんと付き合ってたらどうしよう、って…」
「……うんうん」
「それに、最近拓美さんの様子がいつもと何だか違うから、それも気になって…」
「……うんうん」
「199X年に地球は核の炎に包まれると思う?」
「……うんうん」
大きなため息が由紀の口から漏れた。
「由紀が月島さんの事をそんなに心配することないよ。あの人はあの人だもん」
「そりゃそうだけどさ、でも…」
「それにね、由紀。何度も言ってるかもしれないけど、私…」
「『女性が女性を好きになるのってなんか変だよ、由紀』でしょ?」
美和子が、こく、と頷く。
「でもさ…なんていうか、憧れなんだよね、拓美さんは」
「うん…」
「ま、ちょっと憧れが強すぎるかもしれないけどね、あはは」
照れ隠しに頭をぽりぽり掻く由紀を見ていると、美和子はなんだか複雑な気分になった。
こういう場合に、自分はどんな言葉を掛けてあげればいいのだろうか。
今ここで自分の思いを告げてしまったら、きっと彼女はさらに混乱してしまう。
だから、言わない。
美和子は口を開き、言葉を吐き出す代わりにソフトクリームの最後の一口を舐め取った。
その夜。
由紀は一本の電話を受け取る。拓美からだった。
「今から…平気かしら?」
憧れの女性からの個人的な呼び出し。しかも、夜間の学校、密室の中へ。
由紀の胸は蒸気機関のように激しく鼓動を刻み、あまりの歓びにふるえていた。
そして由紀は一人、拓美の待つ生徒会室へと歩くのであった。
その先に彼女を待っているものは……