初めて、目覚めた時の事は覚えている。
「おはよう、セリオ」
あの人は、まっすぐ私の目を見つめ、そう言ってくれた事を覚えている。
「心の卵〜或いは、彼女はいかにして悩むのを止め、彼を愛するようになったか」
目覚めたばかりの私を、彼は手をとって起こしてくれた。
「大丈夫?歩けそうかい?」
各種自己診断モード起動。各部間接アクチュエータ異常無し。メモリー、異常なし。
各システム、オールグリーン。いつでも行動可能。
「−はい、大丈夫です。えっと・・・」
「うん?」
「−貴方様のことは、何とお呼びすれば良いのでしょうか」
「そっか、うーん、そうだね・・・」
彼はしばし悩んだ挙句、「マスターとでも何でも、呼びやすい呼び方でいいよ」とのたまった。
曖昧な理由付けでは、私のシステムは納得しないのだが、そこは素直に「マスター」という
呼び名をとることにした。今にして思えば、なぜ、そこで「○○様」などと名前で呼ぶことを
しなかったのだろうと、多少の後悔がある。
だが、私はそのとき決めてしまったのだ。私と共に歩むこの方を、「マスター」とお呼びする事を。
彼の行動は、私には理解不能なものが多かった。
元々、主といえども、他人と無用の関係を築くことを極力避けようとしていた私にとって、
人の気遣いは、余計なお世話にしかならないはずであった。
それでも、彼は極力起動したばかりの私に接し、その行動を見守るような動きを見せた。
「−これからよろしくお願いいたします、マスター」
その挨拶一言で済むはずだったのに、彼は余計な事をしでかしてくれた。
突然視界が「まっくら」になった。
突然体の自由が効かなくなった。
大慌てで私のシステムが導き出した答えは、私が「彼」に抱きしめられているという言語道断なものであった。
そして私のシステムは、その状況を導き出すと、静かにその機能を止めてしまったのだ。
「ごめんごめん、いきなりでびっくりしたかな?」
「−はあ、唐突な行動でしたのでCPUに負荷がかかり強制終了しただけです。お気遣いは無用です」
「うん、そうだよね。ちょっと感極まっちゃって。これからは気をつけるよ」
そんなこんなで、私と彼との出会いは終了したのだった。
ずいぶんとおとなしいものでしたね、私。
たぶん、初めて感じた人の体温が思ったより悪くはなくて、あまりうろたえなかったのかも知れません。
初対面でいきなり抱きしめられたことを皮切りに、彼の行動は理解不能のものが多かった。
メイドロボであるはずの私を気遣うそぶりを見せたり、満面の笑みで話しかけてきたり。
正直、私にはまったく理解不能な状況でした。
メイドロボは人に従い尽くすもの、そういった私の考えは彼の前では脆くも崩れ去り、
自己を防衛するために最小限にする為に創った、私の堅い強固だった筈の殻は、
いともたやすく破壊されてしまったのでした。
「うん、どうしたのセリオさん?」
「−いえ、何でも」
あなたのことを考えていたなんて、言えるわけ無いじゃないですか。
メイドロボであるはずの私に、まるで人のように接する貴方。
理解不能、でも、それを悪く思わない私がいて。その状況にさらに困惑し。
結局、今にして思えばあの時点で「ころっといっちゃっていた」のかもしれませんね、私。
あの人の好意には、いくら生まれたばかりの私といえども気がつかぬはずも無く、
「−私、メイドロボですけれど、本当に私で良いのですか?」などと言う台詞を何度も飲み込んだりしました。
どんどん彼のの存在が、私の中で重要な物になっていきました。
不安がまったく無かったといえば嘘になります。
メイドロボである私に、こうも優しく接してくださる彼は、その、メカフェチと呼ばれる類なのではないかと。
あの頃の私は、自分に対して全く自信がありませんでしたから。
自分が異性にとって魅力的なはずが無いとも信じていましたし。
メイドロボとしての自覚もありましたから。
そう思って、いろいろリサーチまがいの事もしてみました。結局、結果はシロだったのですけれど。
しかし、そうなってくると別の問題も湧き上がってきました。
メイドロボである私、それ以上の異性が現れたのなら、私は捨てられてしまうのではないかと。
私があの人と暮らし始めて以来、私の中に理解不能な感情と呼ばれるものが生じ始めました。
それは今にして思えば、「嫉妬」と呼ばれるものだったのでしょう。
彼が私以外の女性と二人っきりになったり、楽しげにお喋りしているだけで、自分でも理解不能な
思いが胸の奥にわだかまってくる。
そんな私が、「既成事実」という概念を持ち出そうと思ったことを、いったい誰が咎められるでしょう。
そんな訳で、私と彼とは「結ばれ」ました。半ば私からの強引な求めではあったのですけれど。
でも、これで良かったのでしょう。暴走しかけていた私と、火を付けながらその自覚も無くのうのうとしていた彼。
彼の方からの一目惚れに近い形だったはずなのに、今までまったく手を出さなかったのが不自然だったのでしょう。
そう思って自分を納得させてみたりもしました。
でも、彼は彼のほうで色々と思う事もあったらしくて。
すべては自分の一人相撲ではないのか、そう思っていた節もあったようです。
そんなこんなで、手を出す機会を逸していたと。馬鹿みたいですね、人事ながら。
結局、私たちは結ばれました。それからは、今までの分を取り戻すかのように愛し合いました。
その頃ですね。私が、自分の中に「愛情」と呼ばれる感情が、確実に存在していることに気がついたのは。
一度自覚してしまえば、後は簡単でした。私が彼を愛する事に、何の不都合があるのでしょう。
邪魔者がいるならば排除すれば良い。彼が振り向いてくれないのならば、意地でも振り向かせる。
私はもはや迷いません。彼を愛することを。彼と共に歩むことを。いつの日か、私という存在が失われるその日まで。
「・・・なにボーっとしてるの、セリオさん?」
「−いえ、少々昔のメモリーの整理などを」
「セリオさんの大事な記憶、か」
「−はい、眩しい位に大事な記憶、です」