「−マスター、今日のご夕食は何になさいますか」
「んー、なんでもいいよー」
「何でもいいというのが一番困るのですが・・・判りました。何とかします。」
『彼女との日常〜未来派Lovers』
セリオさんが家に来てから、毎日の生活はがらりと変わってしまった。
いや、変えられてしまったというべきかな。
とにかく、彼女の存在は僕の日常の全てを変えてしまった。
セリオさんは決して妥協をしない。完璧主義者なのかとも思ったが、
そもそもメイドロボにそう言う概念は存在するんだっけ。
ただ一つ、判った事は、彼女は自分のマスターの為にならば、どんな無理もしようとする事だった。
自分のすべてを賭けた献身的な、いや、自己犠牲的なそれは。
一つ間違えばすべてを壊しかねない。
僕は、それをある一つの事件を持って知ることとなった。
セリオは夕食の材料の買出しに行ってしまった。
ちょうどすることが無くて、暇な僕は部屋をごろごろとしてみる。
そういえば、彼女が来る前はこうやってごろごろするスペースも無かったっけ。
あの当時の、散らかり放題だった部屋を思い出して、僕は苦笑する。
お世辞にも綺麗好きとは言えなかった僕の部屋は、僕の趣味の本や物であふれかえっていて、
まるで足の踏み場も無かった。
彼女が目覚めて最初にした事、それが部屋の片付けだった。
「−これでは人として、活動不可能ではないでしょうか」
生真面目な、彼女らしい理屈。一言「汚い部屋」とでも言えば済む事なのに。
それが今では、前以上に安らげる空間になっている。
以前の倉庫兼寝るためだけの場所とは違う、安らぎの空間へ。
彼女がいるだけで、こんなにも。
「・・・それにしても、遅いな」
買い物に行ったセリオさんの帰りが遅い。
ただそれだけの事なのに、無性に気分がざわつく。
もう少し待てばいい、それだけで、きっと彼女は帰ってくる。いつものように、きっと。
だが、それにしても遅すぎる。
もう僕はいてもたってもいられなかった。彼女が心配なんじゃない、
そう、きっといつもの生活リズムを狂わされているからだ。このいらつきは。
そう自分に言い訳をしながら、僕は外へと飛び出した。
彼女がいつも買い物をする商店街。もうその殆どが店を閉め始めているそんな時間。
人通りも少なく、いつもの賑わいも鳴りを潜めている。
そこに、彼女はいた。
イヤーセンサーに手を当てて、まるで何かを探しているかのようだ。
「セリオさん」
「−・・・あ、マスター」
声をかけて初めて、こちらに気がついたようだ。セリオさんらしくも無い。
「どうしたのこんな時間まで、買い物は?」
「−それが、その・・・」
珍しい、セリオさんが言いよどんでいる。マスターの僕に、隠し事など一切したことが無いのに。
「−恥ずかしながら、お財布を、その、落としてしまいまして・・・」
理由は単純。そのあまりの単純さに気が抜ける。
「それだったら、もう誰かが拾って交番に届けてくれているかもしれない。
こんな所をいつまでも探していても無駄だよ」
「−そう・・・ですね。そうでした」
「こんなことに気がつかないなんてセリオさんらしくも無い・・・セリオさん?」
「−・・・あ、はい、なんでしょう」
まるで心ここにあらず、か。
「とりあえず、一緒に交番まで行こう。話はその途中で聞くよ」
「−はい・・・」
もう暗くなり始めた道を、セリオさんと歩く。
話を聞くとは言ったものの、その間に言葉は無い。
ただ、無言で二人並んで歩く。やや、セリオさんが僕の後ろに付き従う形になっている。
さっきから引っかかっていること。なんだろう。のどに刺さった小骨のような。
何か、気になる事があるはずなのに、それが形を成さない。気分が悪い。
「−あの、マスター」
セリオさんが声を上げる。
「−本当に、申し訳ございませんでした」
「−このような失敗をしてしまうなんて、私はメイドロボとして失格です」
失敗。そう、失敗・・・。そうだ。そうなんだ。
彼女は我が家に来てから日が浅い。にもかかわらず、まだ失敗らしい失敗を何一つしていなかった。
今回が、初めての失敗。彼女にとっての。
その痛みがどれほどのものか、僕は気がついてやれなかった。きっと彼女にしてみれば、これ以上ないほどの
苦しみと、悲しみとで心が(もし彼女にあると仮定するならば)張り裂けそうになっているはずだ。
「−マスター、私は・・・」
何かを言いかけた彼女を、黙って抱きしめる。ただ、他にやり方を知らなくて。柔らかく抱きしめる。
初めは理解不能といった感じだった彼女も、いつしかこちらの背に手を回し、抱きしめ返してきている。
「−怖かったんです、マスター。貴方に嫌われてしまうことが。捨てられてしまうことが。」
「−だからどんな失敗もしたくはなかった。しないようにしてきました。」
そう、彼女は『何でもできるメイドロボ』だったんじゃない。
『何でもできなければならないメイドロボ』でなければ、いけなかったんだ・・・。
僕はそんな彼女の苦しみを、わかってあげることができずにいた。それが悔しい。
・・・だから、黙って彼女を抱きしめ続けた。
幸いにも、交番に落とした財布は届けられていた。
セリオさんなどはよほど嬉しいのか、半分涙目になっている。
そういえば、僕はまだ、彼女が涙を流したところを見たことがない。
でも、このままでは遠からず、彼女に悲しみの涙を流させていたことだろう。
それに気がつくまでは。
「それじゃ、帰ろうかセリオさん」
「−はい」
二人並んで家路に着く。今度もやや、セリオさんが僕の後ろに付き従う形になっている。
僕は歩く速度を落とす。
「−マスター?」
黙って手をつなぐ。それしかできないから。こんな事しか言えないから。
「失敗したって、いいと思うよ」
「何度失敗したって、それで少しずつ、セリオさんは人に近づいていくんだと思うから」
「だから、失敗してもいいんだ。セリオさんは」
突然、胸の中にセリオさんが飛び込んできた。そのまま肩を震わせる。
「・・・泣いているの、セリオさん?」
「−そんな訳ありません、そんな訳・・・」
その瞳から大粒の水滴を流しながら、セリオさんは言う。
「−私には、泣くという動作は・・・えっく、組み込まれていないはずです」
「−ましてや、悲しいなんて思っていないはずなのに、嬉しくさえ思っているはずなのに・・・」
僕はそんなセリオさんを優しく抱きしめた。
日はもうすっかり沈もうとしていた。
僕は日が沈んでも、セリオさんが泣き止むまで、ただじっと彼女を抱きしめ続けていた。
彼女が、悲しみも、喜びも知って、本当に人間に近づいてゆく、その日を願いながら。
※>63-67の『夢見る少女〜A promised song』の続きになります。
俺セリオシリーズ第二段。設定無茶苦茶シリーズとも言います。
実はもうちょっとこのシリーズ、続いたりもします。大目に見てやってください。