「もう、付き合い悪いなぁ。そんなんじゃだめだよ?」
「いえ、ほんと勘弁してください。うちには俺の帰りを待っている・・・」
「そんなの関係ないじゃない。本当に信頼しあっているなら、そんなの無問題!」
「そんな・・・」
「ほら、もう一軒いくよ〜!」
『貴方のオートマトン〜雪の少女』
ここに、一人の少女がいる。
いや、正しくは少女というのは適切ではないのかもしれない。
なにしろ、彼女は人ではないもの。メイドロボなのだから。
「−マスター、今日は早く帰ってくると仰っていたのに・・・」
時計を眺めながら、そう一人呟く。
頬杖を付いたその姿さえも、彼女にかかっては一枚の絵画のように絵になる。
さらさらと、その金糸のような髪が流れる。
「−マスターの帰り道は、大体覚えていますね・・・」
ふと、彼女は何かを思いついたかのように立ち上がる。
「−たまには、途中までマスターをお迎えするというのもいいかもしれません」
すでに彼女の頭の中は、その結果生じるであろうバラ色の未来で一杯のようだ。
「−ああ、マスター。こんな所で・・・。でも、マスターが望むのなら、私・・・」
仲良き事は、良き事かな。
バラ色メイドロボは、身支度をし、玄関を飛び出てゆく。
「−お待ちくださいマスター。今私がお迎えに参ります」
彼女は、戸締りをし、彼が通るだろう道筋へと走っていった。
「せんぱ・・・い。これ以上は・・・限界でっす。もう駄目でっす。」
「だらしないなぁ。もう二、三軒回ろうと思ってたのに。」
「先輩が常識はずれなだけっす。・・・うぷ」
「ほら、しっかりしなきゃ、食べた物戻したらもったいないよ」
「そういう問題じゃないっす・・・」
繁華街、その一つの通り。そこで繰り広げられるよくある風景。
「先輩は・・・良く平気ですね」
「私?私はほら、鍛え方が違うから」
「そんな事鍛えたって女としては何の役にも・・・」
「余計な事を言う口はこの口かな、うん〜?」
「いひゃいひゃい!ひゃめれくらさい、すみまへんごめんらさい!」
「まったく、君もその余計な口を少しは鍛えなおした方がいいかもね」
「余計なお世話ですよ、いつつ・・・」
「そんなに痛かった?やり過ぎたつもりはないんだけど・・・」
すっと男性の傍に寄り添う女性。
「あ、ちょっと腫れてるかな。まあ、これもいつか良い思い出に変わるから」
「そんな事はないです・・・いてて」
さらに密着度を高める女性。
「ほんと、大丈夫?私ってほら、悪に対しては容赦ないから」
「誰が悪ですか、誰が・・・」
傍目には恋人同士にも見えるその距離。
その距離を保つ二人を、一人の少女が虚ろな瞳で眺めていた。
ただ、その場に立ちつくしながら。
やがて、彼女は踵を返すと、夜の街へと走り去っていった。
人々の間を縫い、風のような速さで走る。
「−マスターは、以前あの方とは何の関係もないと仰っていました・・・」
「−でも、今日のあれを見ては、そうも言い切れない」
「−マスターとあの方には、何か特別の繋がりがある・・・そう感じる・・・」
思考の迷路は、なかなか抜けられそうに無く、気がつくと彼女は家の前へと立っていた。
家の主人は、まだ帰ってきてはいないようだ。
ほっと、ため息を一つつく。
今の彼女の顔を見られないだけでも、感謝しなければならない。
涙に濡れ、絶望を瞳に宿した顔。
そんな顔を見られれば、彼女は絶望のあまり、何をしてしまうかわからない。
空から、ひらひらと舞い落ちるもの。
どうやら雪が降ってきたようだ。
彼女は空を見上げる。つぅっと涙が一滴、頬から零れ落ちる。
雪。純白のそれは、やがて全てを覆いつくし、真っ白く染め上げてしまうのだろう。
「−私の心も、真っ白に染め上げてしまえたなら・・・」
「−こんなにも、悩み、苦しむ必要なんてないのに・・・」
「−なぜ、私には心があるのでしょう」
「−こんなにも、辛く、苦しい思いをするのならば・・・」
すでに、雪は彼女の髪や肩にも降り積もり、薄らと白く化粧をしている。
「−・・・心なんて、持たなければ良かった・・・」
「ただいまー、セリオさーん」
奥に向かって声をかける。
「たーだいまー。・・・セリオさーん?」
反応が無い、いや、気配すら感じない。
肩に降り積もった雪を、両手で払いのけながら部屋へと上がる。
「セリオさーん・・・って、いるじゃない、セリオさん」
部屋の隅、ぽつんと一人、セリオさんは膝を抱えて座っていた。
「ただいま、セリオさん」
「−・・・」
「・・・どうしたの、そんなに暗い顔をして」
「また何か、僕がいない間にあったの?」
「−・・・マスター」
セリオさんがこちらを向く。その瞳は、どんよりと暗く、悲しみとも憎しみともつかない何かを湛えている。
「セリオ・・・さん?」
「−マスターは」
「−マスターだけは、私を裏切りませんよね?」
「・・・え?」
「−すぐにご夕食の支度をいたします」
濁った瞳のまま、台所へと去って行くセリオ。
その姿に、妙に寒気を感じて。
「一体、何があったっていうんだ」
僕は、ただそれだけを考え続けた。
また、僕がくだらない事からセリオさんを傷つけてしまったのではないか。
その可能性も考えながら。
夕食も終わり、お風呂にも入って。
そして、僕達はベッドへともぐりこむ。
「おやすみ、セリオさん」
「−・・・おやすみなさいませ、マスター」
まだセリオさんは少しぎこちない。
僕は彼女が冷えないようにしっかりと布団をかぶると、明日に備えて早めに眠る事にした。
「−マスター、寝ていらっしゃいますよね」
夜中、夢うつつのうちにセリオの声を聞いたような気がする。
「−今日はごめんなさい。私、マスターの事、やっぱり信用しきれていなかった」
「−一度手に入れてしまった温もりを、手放すのが怖かった。」
「−私には、他に何も無いから・・・。マスターを繋ぎ止めるものさえ、何一つ、無いから・・・」
「−無いのなら、それはそれで構わない。初めからそうであれば、何も気に病むことは無い」
「−でも、私は手に入れてしまったんです。マスターという温もりを」
「−一度幸運にも手に入れてしまったものは、もう二度と、手放す事はできないんです」
頬に軽い感触。
「−・・・私は、諦めません。何があっても、貴方を手放しません」
「−この願いが叶わないのならば、貴方を・・・」
「−マスター、お願いです。私と共にいてください。私と共に歩んでください」
「−・・・それが・・・メイドロボである私の、たった一つの願いです」
傍から離れていく気配。・・・これは、夢か?
「−せめて・・・ずっとお傍に・・・」
「−おやすみなさいませ、マスター。よい夢を」
(続く)