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http://www.bungle.info/text/index.html ■高橋
先日、約20年の付き合いになる友人であり、業界で同じ仕事を
続けてきた青紫こと竹林明秀くんが、交通事故でこの世を去りまし
た。
事故は11月23日(日)午前9時38分、自宅近くの大きな交
差点で起こりました。救急車が駆けつけた時点ですでに脈はなかっ
たそうです。
僕が彼の訃報を聞いたのは25日(火)の午後過ぎでした。生前
彼と親しくされていたお知り合いの方から連絡を受けました。彼の
勤めていた会社の方が、僕と水無月に知らせてくれるように、おっ
しゃってくれたそうです。すでに火葬を終えたとのことでした。
正直、まったく実感が湧きませんでした。頭ではしっかりと理解し
ているのですが、それがどういうことなのか、想像できませんでし
た。
実は、彼は十数年前、同じように交通事故を起こしたことがあり
ました。その時は、しばらく意識不明の状態が続き、ご両親からも
回復しないかもしれない、回復したとしても後遺症は残るだろうと
の説明を受けていたにもかかわらず、ある日を境にみるみる回復し、
全快に至ったのです。死から生還した彼は、その時の臨死体験をネ
タに笑いを提供することもしばしばでした。
ですから、今回もあの時みたく、突然ふらりと遊びに来て、何事
もなかったような顔を見せてくれるのではないかと、訃報を受けた
全員がどこかで思っていた気がします。
訃報を受けた翌日の午後、僕と水無月、親しかった友人ふたりと、
彼と身近に過ごしていた方の5人で、彼の部屋に残された荷物の片
付け、整理を行ってきました。
滅多に帰ることなく、すっかり物置と化していたその部屋は、前
にいた会社で僕と机を並べて仕事していた空間を、そっくりそのま
ま持ってきたような感じでした。荷物整理に当たった全員が、その
ままだなあ、という感想を抱いたと思います。
ガチャガチャで引き当てたよくわからないおもちゃ、食玩のおまけ、
疲れ目を冷やすくまのぬいぐるみ、頭を叩くと鳴くガチョウのぬい
ぐるみ、チョロQ、チョコエッグのおまけ、自分の担当していたキャ
ラクターのグッズなど。志保はガンダムハンマーを手に持ったまま
でした。会社からの引っ越しの際に、手近な物から詰め込んでいっ
たのか、彼のモニター前に並べられて物が、そのままの順番で残さ
れていました。
全部はとても整理しきれないので、要る物、要らない物に分けて、
要らない物は袋に詰めて捨てることにしました。見た目にはどうし
ようもないガラクタの数々ですが、一品一品、必ずと言っていいほ
ど、それにまつわるエピソードが残っている品ばかりでした。本人
がこの場にいれば、彼特有の説明文的な言い回しで、ひとつひとつ
語ってくれただろうと思います(と言うより語りたいが為にずっと
所持していたんだと思います)。そんな品を勝手に捨てていいのか
と思いましたが、一応自分的には本人に確認しながら分別していき
ました。
さらに翌日、荷物を一旦別の場所へ移し、そこでもう一度、部屋
の持ち主の方の立ち会いのもと、水無月と一緒にジャンル別に箱に
詰め直しました。大量のマンガ本、ゲームのCD、彼が携わった仕
事のグッズの数々、ファンの方にいただいた同人誌やファンレター、
仕事に使用した資料の数々(イルカに関する物、犬、猫、フェレッ
トに関する物、英会話、銃に関する物、車に関する物など) 資料
は膨大な量でしたが、それでも彼の作品を知っている人間なら、ど
の作品に使用したか
すぐに思い出すことのできるものばかりでした。
彼が高校時代から描き溜めていたマンガや小説などの自分の原稿
は劣化しないよう、きちんとファイルやクリアケースに仕舞われて
いました。多分、彼と身近だった人間のほどんどが一度は見せられ
ている作品たちです。彼が事故当時に所持していたクリアケースに
も、高校時代に僕や田舎の仲間たちと描いた下手くそで恥ずかしい
連作マンガなどが入っていました。彼にとってはそれを持ち歩いて
いることがすでにネタのひとつで、初見の人に、なんでこんな物を
持ち歩いてるのかと言わせたいと本人はよく言ってました。それら
の入ったクリアケースが無惨に割れていたのが、事故の凄惨さを物
語っていて、居たたまれない気持ちになりました。
彼のお気に入りだったCD(工藤静香、石井竜也(米米クラブ)、
広瀬香美、グラディウス、ビートマニアなど)、愛して止まないシュ
ーティングゲーム関連、バイブルのように読み返し、ボロボロになっ
ていたオールアバウトナムコ。
中学・高校時代、連日のように夜遅くまで一緒に遊び、卒業後も
大阪へ出て自分の近くに暮らし、自分が仕事で助けを求めたがきっ
かけで、同じ業界で仕事をすることになりました。世間から厳しい
批評を受け、一度は業界から完全に身を退くことを決意した彼です
が、一年ほどして、やはり物を書く仕事をしたいと言って復帰し、
別の会社に就職しました。会社が違うので深くまで突き詰めた作品
の話はできませんでしたが、それでも中学からの田舎の友人が近い
場所にいて、同じ業界で頑張っていることに、心強さを感じました。
それは今でも変わりません。彼の徹底した自己作品への愛情と、目
の前にいる人間を楽しませたいという精神は、自分の作品作りの強
い指針になってくれると思います。
彼のことを文章にしてこの場で告知してしまうのは、正直どうか
と思いました。彼がいなくなったことをひしひしと感じてしまうの
と同時に、彼本人がこのような公の場に名が出ることをあまり望ま
なかったからです。ですが、同郷の友人であり、同じ業界で働く人
間として、やはり僕がみなさんにお伝えしなければいけないと思い
ました。
中学時代から一緒に馬鹿なことをやってきた友人であり、仕事で
の楽しい時と辛い時を同時に経験してきた掛け替えのない味方のご
冥福を心からお祈りします。
お疲れ様です!
彼の葬儀は11月30日(日)、彼と僕の実家である石川県で行
われます。