みんなで観鈴ちんを囲んで〜九死一生〜

このエントリーをはてなブックマークに追加
14せみっぽくない?1
学校から帰ってきた観鈴が麦茶を飲もうと台所へ行くと、冷蔵庫を物色する往人がいた。
「あれ、往人さん」
往人は黙々と作業を続けていた。腹の足しになりそうなものは何でも袋に詰めていく。ピンク色の紙パックのジュースはゴミ箱へ投げ入れた。
「がお…ひどい…」
観鈴は涙目でゴミ箱からジュースを拾い出す。冷蔵庫を閉めた往人は部屋を見回して、ちょうど観鈴が立っている横の食器棚に目をつけた。
往人が近づいてきたので観鈴は思わずジュースを抱きかかえたが、往人はそれには目をくれずに戸棚の物色を始めた。
「…おなか空いてるの?」
「まあな」
「わたし、なにかつくる」
「遠慮しておく。セミを食わされるのはたくさんだからな」
「往人さん、まだ怒ってる…」
「べつに」
「…そのお饅頭、賞味期限過ぎているよ」
往人は一瞬手を止めたが、
「セミよりはマシだ」と饅頭を袋に入れた。
「やっぱり怒ってる」
「……」
昨日のことだった。換気扇から入ってきたセミが、調理中の往人の目玉焼きに落ちた。そのセミが黄身の上でぶんぶんと暴れたものだから、目玉焼きはスクランブルエッグになってしまったのだった。
「だいたいだな…」
往人は観鈴に向かって、やや声を荒げた。
「セミが落ちただけならまだしも、そのまま卵に閉じて出す奴がいるか」
「だって、怖かったし…」
「もう少しで食うところだったんだぞ」
「でも、往人さん、丈夫だし…」
「……」
「意外とおいしいかもと思って」
往人は戸棚を乱暴に閉めると、食料を詰め込んだ袋を肩にした。
15せみっぽくない?2:03/05/29 20:42 ID:blPkloyr
「でかけるの?」
「ああ」
「帰ってくるよね?」
「さあな」
往人はすたすたと観鈴の前を通り過ぎようとする。観鈴は慌てて往人のTシャツの袖をつかまえて、
「帰ってくるよね…?」と不安そうな表情で言った。
「セミのこと怒ってるなら、あやまるから…ごめんなさい…」
観鈴は泣き出しそうな、困ったような顔で、往人を引きとめようとあれこれ考えているようだった。
そこへ換気扇からアブラセミが一匹入り込んできた。
「あ、セミ…」
往人は頭上を通り過ぎようとしたセミを素早く捕まえた。
「わ、すごい」
セミは往人の手の中でジジジともがいている。
「食え」
往人はセミを観鈴の顔の前に突き出して言った。観鈴は小さく悲鳴をあげて仰け反った。
「食えたら言うとおりにしてやる」往人は観鈴の手にセミを置いた。
悪い冗談だった。どうあれ往人はこの町を出て行く。その決意はもう変わらない。
観鈴はセミを手に困惑していた。懇願するような視線で往人を見つめていたが、往人はそれを振り切って家を出て行った。
16せみっぽくない?2:03/05/29 20:43 ID:blPkloyr

田舎のバスは本数が少ない。堤防のバス停に座っているうちに、陽が傾きだした。バスを待ちながら、往人は観鈴に悪いことをしたと思っていた。バカがつくほどお人好しの観鈴のことだ。きっと自分が言ったことを真に受けて困ってしまっていただろう。
そうしているうちに自分を呼ぶ声が聞こえた。
「往人さーん…!」
観鈴だった。観鈴は息を切らして往人の隣に座り込んで、
「よかった…もう行っちゃったかと思った…」と笑ってみせた。
「あのね、往人さん───」
「悪かったな」観鈴の言葉を遮って、往人はぶっきらぼうに言った。
「え?」
「ちょっと意地悪をしてやろうと思っただけなんだ。すまない」
「う、ううん、いいよ、そんな…」
往人は観鈴に何か気の利いたことを言ってやろうかとも思ったが、そこへちょうどバスが到着した。乗客は他に誰もいなかった。
「じゃあな。晴子にも礼を言っておいてくれ」
「あっ…」
観鈴の手は届かなかった。バスのドアが閉まる。
「待って、往人さん!」
後部座席に座った往人が観鈴に向かって何かを言ったようだった。
エンジン音を立ててバスが走り出す。観鈴はバスを追いかけて叫んだ。
往人が手を振るのが見えた。観鈴は必死で追いかける。
バスはどんどん加速していく。息が切れて、観鈴はとうとう倒れこんだ。
「ううっ…げほっ、げほっ───っ!!」
観鈴はそのまま胃の中のものを吐き出した。
酸っぱい胃液とともに分解されたセミの破片がぼろぼろと吐き出された。
「約束…食べたのに……げほっ、ごほっ!」
喉に引っかかったセミの足がなかなか取れなくて、観鈴は激しくむせた。

end