関西では毎年新入学季節の前になると転居の実体がないのに住民票を移す親が非常に多い。
これは「越境入学」を狙ったもので、古くから当然のように行われている。
作家の野坂昭之が子供時代にも普通に行われていたそうである。
関西以外では通学区域図は一般に公開されているが、たとえば大阪市では
「越境入学」を防止するという理由で非公開扱いとされ、いくら情報公開請求しても却下される。
自分のかわいい我が子と被差別出身者の子供の席を同じくさせたくない親とそうはさせない行政との
壮絶なバトルが入学前に毎年繰り返されている。
そういう中で池田小の存在は残念ながら差別を合法的に助長温存しかねない存在として機能しているように思える。
差別心がないと自分で思い込みたい親にとっても合法的に全く後ろめたさを感じず「越境入学」させることができる。
宅間のような踏みつけられてきたノンエリートから見れば、池田小の存在はエリートと差別の象徴であり、
NYのツインタワーをユダヤ資本の象徴と捉え、自爆したアルカイダのテロリストと通じるものがあると思える。
宅間の供述からもそういう屈折した感情がうかがわれる。
筋違いではあるが、人間は存在が立場を決定する以上、これからも第2、第3の宅間は生まれてくるだろう。
そういう視点で見ると池田小は今までのようにエリート教育を助長し差別の抜け道として機能し存続するより、
色々な階層の子弟を受け入れた方が、軍事要塞化するよりはるかに安全でコストも安く済むと思う。
保護者は猛反対しそうだけどねえ。