俺は歩くのが速い。
雑踏を歩くと、前の人を追い抜かずにいられない。
だからその場を通り過ぎるのは、一瞬だった筈だ。ほんのちょっとずれて
いれば、それが届く範囲から離れていた筈だ。
だがそれが響いたのは、丁度俺の耳に届く距離でだった。
「にゃあ」
聞き逃してもおかしくない、小さな声。
気付かない振りをして通り過ぎる事も出来たが、実家で飼っていた為か、
思わず立ち止まり、道端に置かれた段ボール箱を見てしまう。
止めておけ、と俺の中のクールな部分が囁く。以前拾ったそれの中には、
ガリガリに痩せ手の施し様の無い赤ん坊が入っていた。
30秒ほど悩んでから、とりあえず中身を確認する事にする。
見てしまえば、見捨てることは出来ないだろうが。
『名前は楓です。可愛がって下さい』
能天気な走り書きがむかつく。
しかしその中身は、俺の予想とは大分外れていた。
蓋を開けて目に飛び込んだのは、ちょこんと正座した女の子だった。
バービー人形くらいの大きさ……か? その辺の知識は無いけど。
肩口で揃えた髪が日本人形っぽいけど、顔や体型はかなり写実的だ。
服は着てなく、黄色い布を身体に巻いている。
露出した肩周りの素肌が艶かしい。って、人形相手に何興奮してるんだ?
そう、精巧に出来た人形。彼女を見た瞬間から、そう信じて疑わなかった。
このサイズの人間など、いる訳ないから。
けど、さっきの猫の鳴き声は?
ほんの数秒でそこまで考えてから、彼女が口を開いた。
「こんにちは」
顔に似合う可愛い声。
「楓といいます。どうかよろしくお願いします」
ぱたん。
蓋を閉めて、硬直する。
あのサイズの人間など、いる訳ないから。
そう、いる訳ない。何かの見間違いだろう。
「あの〜、話だけでも聞いて下さい」
そうしている間にも、彼女の声はダンボールの中から聞こえ続けている。
聞こえているんだから、しょうがない。
自分でも驚くほどあっさりと開き直り、再び蓋を開けた。
「何してるの?」
「飼い主を募集しています」
妙に平静な俺の問いに、彼女は更に平静な口調で答える。
「何で?」
「この身体では一人で生きて行けませんから」
「家族は?」
「この身体では帰れませんから」
「そっか」
つまり彼女は、もともと普通の人間だったけど、このサイズになったらしい。
「って何でやねん!」
「知りません」
突っ込みにも、見事なまでの平静っぷりで答える。
「食事は食べ残しで良いです。トイレその他のしつけも不要です」
無機的な口調で、ペットとしての自分を売り込む。
「あ、これ少ないですけど、持参金です」
そう言って、普通サイズの財布を差し出す。中身は5千円1枚と千円札数枚。
持参金持ちの捨てペットなど、前代未聞だろう。
別にそれが決め手では無かったけど、
「とりあえず、うち、来る?」
「はい」
彼女を連れ帰ることにした。
「制服も入ってますから、箱ごと持っていって下さい」
「へいへい。そういやさっきの鳴き声は?」
「誰も拾ってくれなかったので、猫の真似でもすれば拾ってくれるかと」
「そんなの成功するか?」
「成功しました」
「そうだっけな」
この上ない異常事態なのに、マイペースな彼女に釣られたのか、家までの
道中も間抜けな会話を交わすだけだった。