葉鍵的 SS コンペスレ 8

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 なんて暑いんだ。
暑い暑い暑い暑い。暑すぎる。
梅の木は一身に太陽の光を浴びながらその緑々とした葉を大きく広げていて、空の青にその緑が映えてなんだか眩しい。よく見ると家の塀の上には少しだけ陽炎が揺れていた。土は完全に水気を失い少しだけひび割れていて、塀の影に申し訳程度の雑草が群生していた。
「雑草じゃないよ」
 観鈴が後ろから俺に声をかけて来た。
「あれはね、往人さん。大葉って言って、食べるとおいしいの」
 と彼女は言う。
 そうして、どこから汲んできたのか律儀に上呂の水をその大葉にぴしゃぴしゃかけている。妙に涼しそうに揺れる大葉が、少しだけ気持ち良さそうに俺には見えた。
一通りかけ終えた観鈴はにこりと笑い、俺のほうに振り返った。
縁側にぼけっと座ったまま彼女の顔を見る。
「ねぇ、往人さんは旅人だよね?」
 不意にそんなことを観鈴は言った。
「あぁ」と俺は答える。「それがどうした?」
「だったら、暇だし何かおもしろいお話をしてくれないかな?」
 俺は暇じゃない、と言おうとしてやめた。理由は簡単で、誰がどう見ても暇だったからだ。昨日も今日も明日もずっと暇だった。泣きたくなるくらい暇だった。
「話なんて言われても大それた体験談なんて、俺は生憎持ち合わせてないぞ。どこかの秘密組織と戦ったこともなければ、追っ手と血で血を洗うような抗争もしたことないし、お宝を求めて遺跡の中に入って、大岩に危なく潰されそうになった経験も無い」
 言いながらやっぱり俺は泣きたくなった。
「いいよ、私も往人さんがそんなたくましい人だって思ってないもん」
 むかついた。
 観鈴はそれでも笑顔でいて、ゆっくりと歩き俺の隣に腰をかける。
俺たちはしばらくそうやって陽の当たる縁側に腰をかけ、何もせずぼーっと空を眺めてい
た。端から見ればボケた老夫婦である。
「ねぇ」
 また先に観鈴が口を開く。
「例えばお祭りとか何か、いろいろ見たことあるんじゃないかな?」
「祭りねぇ」
「うん。珍しいお祭り」
「まぁ、あると言えばあるな」
 俺は暖かな日差しの中、そんな記憶を少しだけ呼び起こした。

 舵狩地詰祭という祭りがある。かじかりちづめ祭。
 これはかなり東北の奥深くに、たまたま俺が歩みを進めたときに見つけた町の、いわゆ
る伝統行事だった。語源は風怒り鎮め(かぜいかりしずめ)といって、それがいつのまに
やら訛って「かじかりちづめ」などという言葉になったらしく、舵狩地詰という字はただ
の当て字みたいなもので実際のところ意味は無いらしい。
 その字の如く、祭りは風の怒りを鎮めるために平安時代の百姓が興したものだ。当時は
蝦夷地などとも呼ばれた東北のかの地では、農耕技術などは明かに関東以下のそれとは劣
っていた。さらにその辺り一帯は「やませ」という初夏の北東から吹く冷たい風で、冷害
が絶えなかったという。
 そういう環境下で厳しい生活を強いられていた農民達は、その原因をやませであると考
えた。そしてその風を治めるべく生まれた祭りが、風怒り鎮め祭だ。
 この祭りの奇妙なところは、風が吹かないときは皆が一斉に動きを止めるというところ
にある。風が吹いている間は皆で神輿を担ぎ、わいわいと騒ぎあげながら山の頂にある風
鎮神社に向かうのだが、風が止んだと判断した瞬間先導が指示をだし、皆はどのような状
況であれ動きをぴたりと止めなければならない。指示を出す先導はいつもその町一番の美
女と決まっているがもまた、他の祭りとは違いおもしろいところだ。
「どうだ?おもしろいだろう?」
 俺は観鈴が一応わかりやすいよう、大方の概要を説明して見せた。
彼女の反応はなかなかに食いつきがよく、「へぇ」と何度も相槌をいれながら俺の話を聞
いていくれていた。
 しかし、調子に乗り饒舌に喋りすぎたのがよくなかった。
彼女は眼を輝かせながら俺にこう言ったのだ。
「じゃぁ、二人でその祭りしよっ!」
 観鈴がこう言い出すと終わりである。絶対逆らえない。
しかしそうだとわかっていても俺は反論しないと気がすまないのである。
「祭りを二人でするだって?本気で言ってるのか?」
「うん」
「ありえない」
「どうして」
 本気でわからないという顔で観鈴は俺に迫る。
「祭りってのはみんなでやるから祭りって言うんだ!二人でやったってそりゃただの大騒ぎだ!」
「じゃぁ、風怒り鎮め大騒ぎ!」
 これである。
そしてこの家の住人で最もまともな人間でさえも俺にこう言うのだ。
「なんやぁ〜?観鈴その居候と遊びいきたいんか?」
「うん、そうだよお母さん!」
「よっしゃ!いって来い居候!」
 そうやって、真昼間から酒瓶を片手に持った女が、部屋の奥で高笑いをする声を俺は聞く。
この一家が、何かずれていると思うのはこういうときだ。普通じゃぁない。
 しかしながらこれ以上の反抗がそれはそれで無駄なことであると言うのも実はわかって
いた。観鈴に反抗すること、即ちそれは飯抜きを意味する。飯は命の次に重要なものだ。
人間でなくとも生物は飯を食うために生きているといったって過言じゃない。その権限を奪おうと言うのは全くの暴虐だ。人間の道に反している。絶対悪だ。
 そういうわけで俺は観鈴に連れられて出かける羽目になるのだった。
 真夏日和の中、「おみこし」と書いたダンボールを頭に被り、少女に黙ってついていく寡黙
な2枚目青年が居る。それが俺だ。何かこう、居たたまれなくなってくることもあるが。
観鈴は何が嬉しいのか、家を出たとたん終始スキップで俺の前を歩いている。にははとい
う笑い声がする度、ぶん殴ろうとして俺は思いとどまる。
 風は比較的穏かに流れつづけていた。今のところ止まる気配は無い。というか、止まっ
て欲しくは無い。さっきも言ったとおり、ここで俺たちが緊急停止するということに命令
権を持っているのは、今のところ自称町一番の美女の観鈴である。彼女が「止まった!」
といえば俺はぴたりと止まらなくてはならない。そしてそれは、実に恥ずかしいことだ。
そもそもこの照りつける太陽の中、じっと風が吹くのをぼさっと待つなんて間違っている
。ありえないことだ。
 神社へと続く石階段に足をかけた瞬間、そんなわけで俺は少しだけほっとした。何しろ
ここは山林の中である。余程のことが無い限り人はそんなに居ないだろうし、日光も草木
にさえぎられて涼しいものだ。だがその安心は次の瞬間絶望へと変わり果てる。

「止まった!」

 何かの冗談だと思った。しかし観鈴はマジで、体をまっすぐにしたまま足を次の石段に
進めようとしたポーズので止まっていた。俺はというと、そんな格好の観鈴に呆れて、ぼ
けっと突っ立っていただけだった。頭には相変わらず「おみこし」と書かれたダンボール
がぶら下がっている。
「動いちゃ駄目だよ、動いちゃ駄目だよ〜!」
観鈴はずっとそんなことをずっと言いつづけている。何かまるで、変な悪魔にでも取り付
かれたかのごとく。考えてみれば俺は言われた瞬間に止まったわけではなく、言われたこ
とに一瞬気付かずにいたわけで、結果的に居直ってしまっていた。
「卑怯だよ往人さん、ルール違反!」
 観鈴はしきりにそんなことをわめいていたが、無視することにした。
 さらにまずいことになった。小学生どもがわめく声が聞こえ始めた辺りで、それはよく
わかっていた。ガキどもが俺たちの奇妙な構図に気付いたのはそれからまもなくだった。
「おい、なんか変じゃねぇ…?」
ガキの一人がそういいながら観鈴に近づき、「ん?」という顔で見ている。
観鈴はどんなに見られても動かず、結構しんどいであろうポーズのままぐっとこらえていた。
 頼むから風が流れてくれと俺は祈った。法術で空気を動かせないかともがんばってみた
が、イメージが何ともしづらく俺には無理だった。自らの扇風機にすら及ばない能力を呪
ってみたりもした。
 ガキどもが四、五人ほどぞろぞろ近づき「なんだ?なんだ?」と騒ぎ出す。俺のほうに
もいよいよガキどもがあつまり、
「おい、お前何やってんの?」
 と言い始めていた。
 そりゃ、こんなところに奇妙なポーズをしてる女とダンボールを頭にかぶった男が、微
動だにせずぼさっと突っ立ていれば、気にもなるだろう。だがこれには飯がかかっている。
ある意味じゃ仕事みたいなものだ。こんなところでは手を抜いてはいけないと俺は強く自
分に言い聞かせ、それこそ念を唱えるかのごとく眼をつぶり目黙然と精神集中を始めたと
いうのは全くの嘘で、耐え切れなくなった俺はガキども全員に
「うるさいガキンチョども!ホモバーに売り飛ばすぞてめぇら!」
 と啖呵を切ってみた。
 俺の叫び声にびびったガキどもは、餌に群がった蟻の緊急非難の如くあたりに散ってい
った。軟弱なやつらである。俺は誰もいなくなったのを確認すると、観鈴に声をかけた。
「なぁ、そろそろ上に行こうぜ」
観鈴は黙ったまま口を開こうとはしない。
どうやら本気で風の到来を待つつもりらしく、ただじっとスキップの途中のポーズをしていた。
 風はなかなか来ない。いらいらする。俺はこの事態を打破すべく、一計を案じた。
「観鈴、白はくんだな、お前」
「えぇ!!」
 そうだ。
 実はずっと見えていたりした。
 段差ということもあるんだろうが、足を上げっぱなしのままの観鈴はじっと同じポーズ
をしようとするあまり、少しずつ体制がくずてしまっていた。それでもバランスをとろう
とすると、足がどんどんあがってしまうわけだ。
「ほぉ、なかなか大人っぽい感じのパン」
言い終わる前に、蹴りが俺の頭部を吹き飛ばしていた。
「もう、せっかくきちんとやれてたのに…往人さんのせいで台無し」
 俺は腫れた頭をすりすりと撫でながら観鈴の言葉に黙って頷いていた。
まさか彼女に蹴られるとは思わんだな、だったので少々驚いていたりする。
結局仕方がないので、風が吹いてるわけじゃないのに俺たちはそのまま進むことになった。
一応は怪我の功名としておくべきだろうと思う。
 道の両側は、延々と背の高い竹林や林に囲まれている。セミの鳴き声がけたたましく、
せっかくの涼しい空気を台無しにしているようにも思えた。石段をある程度昇り頂上が見
えてくる頃には、さすがの俺もそれなりに疲れていた。観鈴もやはり疲れているらしく
、「ふぅふぅ、きついきつい」なんておどけていっていた。
 頂上につくと、そこは夏祭りでしか見る機会のないような立派な社がたっていた。
 まぁ見るからに結構な年代モノであるし、古びたというよりは既に寂れた感じがしてな
んとも言えない感慨を持ってしまう。とはいえ今の俺にはそんなことはどうでもいいわけで。
 観鈴がぐっと体を伸ばして思う存分、日の光を浴びていた。その顔は何か妙に満足げだったように見える。
「風、気持ちいい」
 風はいまのところそよそよと髪がなびく程度に流れていた。やませが吹く東北では、風
というものはもっと切実な悩みの種なのだろうけれど、少なくともこうやってぼうっとし
ている分にはそんなものには全く思えないから不思議なものだ。
俺たちはそのまま境内の方に足を運び、その縁側に腰を下ろした。
「おい」
 俺はそんな開放的な気分からか、なんとなく話してみるかと思いたった。
「何?往人さん」
 くるりと観鈴が体をこちらに振り向かせた。
「頂上に上った後、まぁ今はしてないんだが…昔は先導の女はどうなったかわかるか?」 彼女は何を言っているのか最初わからかったと見え、む?と表情を変える。
「何かするの?」
「あぁ」俺は答える。「一番大事なことをする」
「何?」
「崖から飛び降りてな、生贄になるんだよ」
 俺はそういい、観鈴を崖から蹴り落とした。
………。
……。
…。
いや、嘘だけど。つぅか崖なんかないし。というかそれはどうでもいい。
観鈴はいつものどこか間の抜けた顔で俺の顔をじっと見ていた。
「なんだか、かわいそう」
「そりゃ昔の風習だからな。そういうことをすることもあるだろう」
俺は少しだけわざとおどけたような仕草をしてそう言ったが、彼女はやはり悲しそうな顔
をした。
「でもな、一人だけそれに反対した女がいたんだよ、昔」
「え?」

 その女は町1番の美人で、いつも活気に溢れよく働く女だったと言う。名はわからない
。町の人間からの信頼も高く、笑顔で毎日皆を和ませていた。そんな女であるのだから当
然、舵狩地詰祭の先導へと抜擢されるのも遅くなかったらしい。彼女は当初、喜んで町の
みんなの為に命を捨てましょうといっていた。
 彼女のことを悲しむ人間は多かった。町のことより、彼女のことを想う人間も多かった
のだ。それに彼女には将来を誓った相手も居た。彼は彼女を何度も何度も説得したが、と
うとう祭りの日までに彼女のことを止めることはできなかった。
 当日、例年のように滞りなく祭は進んでいった。彼女が生贄に向かう瞬間も、刻一刻と
近づいてきていた。彼女も己に与えられた仕事をひとつひとつきちんとこなしていく。そ
して彼女が崖の上に一人で上り、まさに祭りのクライマックスである、生贄の崖降りにな
った折。その時、彼女は想わぬ言葉を皆に投げかけたのだ。
「わたすはこの腹に、新しか赤ん坊(おぼっこ)さ抱えとるでな。まだ見ぬおぼっこば見
ずして、どうあんして死ぬことができましょう?」
「その人はじゃぁ」
観鈴はじっと俺の顔を覗き込んでいる。朝よりも尚一層、俺の話を聞きこんでいた。
「あぁ、飛び降りなかったのさ。彼女がその言葉を口にした瞬間、町の皆は黙り込み、そ
してしばらくすると口々に彼女を罵った」
「酷い…」
「そういうご時世のときだったんだ。仕方がないんじゃないか?」
 俺が言うと、彼女は視線を今度は下におろし、何かやはり悲しそうに下を見ていた。
 風がひょうひょうと、今度は少しばかり強く流れていた。
辺りの木々がそれに答えるように、かさかかさ音を立てながら小さく揺れていた。
 観鈴は何を思い立ったか、急に立ちあがり、俺にこう言った。
「ねぇ、一緒についてきて」
 俺は何も言わず、その言葉に従い彼女についていった。
観鈴は黙ったまま、社の横を通り、ちょうどその裏側にあたるような場所に入った。さら
にその奥、道のない竹林の中へとわけ入る。どこへ行こうとしているのかまったく予測も
つかなかった。時折、竹林が風で大きく揺れていた。徐々に風が強くなってきているんだ
ろうと思う。もしかしたら一雨くるだろうか、と思っていた頃
「着いたっ」
と観鈴が前方で言っている声が聞こえた。
 そこは隣の町が一望できるような、かなり急な崖の上にある高台だった。
高台とはいっても家二、三件分くらいの広さしかなく、そこはなかなかに狭い。雑草もぼ
うぼうと繁茂して、とても人の来るためような場所のようには思えなかった。とはいえ、
その風景は絶景と言うに相応しいものだった。
「へぇ」
 と俺は思わず声を洩らす。
「ここはね、私しか知らないとっておきの場所」
 観鈴はそう言いながら、少しずつ前へと歩いていく。
「おい、あんまりそっち行くと危ないぞ」
「大丈夫だよ」
 彼女はにっこりと笑ってそう答える。
「ねぇ、往人さん」
 彼女はじっと俺とは反対の方の空を見ていた。
「なんだ?」
「さっき言ってた女の人がもし私なら、きっと飛び降りてたと思う」
「そうか」
 観鈴の目はうつろだった。風はより一層強さを増し、あたりの植物たちを揺らしていた。
がさがさという擦れる音。その中に立つ少女。
「嘘じゃないよ?だって、私はみんなに幸せになって欲しいもん。赤ちゃんも、幸せにな
って欲しいけれど…でも、その子もまた私なんだから。だから私、私だったら飛び込んで
るな」
 その意見は、少し飛躍しすぎている感があったが、それはそれで彼女らしいと俺は思っ
たから「そうか」とだけ、もう一度答えていた。
「でも、悲しむやつもいるんじゃないか?」
「居ないよ」
 その瞬間、観鈴はその崖の向こうに足を進めていた。
一瞬で、彼女の姿がその場から「消えた」のだ。いや、落ちた。
そうとわかるまでにどれだけの時間を要したのかよくわからなかったが、気付けば走り出
し、やはり彼女と同じ方向に俺も落ちていた。
 何度か石壁で腰を打ち「観鈴!」と口が勝手に叫んでいたような気がする。
しばらくそうやって落ちていると、どさりと、平らな地面に落ちたのを肌で感じだ。
何がどうなったのかよくわからない。
咄嗟に観鈴のことを思いだし、もう一度「観鈴!?」と叫んでいた。
「往人さん、大丈夫?」
「……あんまり…」
 観鈴が当たり前のように俺の目の前に現れた。瞬間、拍子抜けした俺は、そのばでぐったりと四肢を伸ばした。
「何でお前が無事なんだよ」
「あれ」
 観鈴はそう言いながら俺たちが落ちてきた方の崖を指差した。
よく見るとそれはなだらかなカーブを描いており、ここはちょうど高台からでは死角にな
るぎりぎりの平地だったのだ。つまり、観鈴にはめられたわけである。
「おまえさ、頼むから変なことするなよ…」
「ごめんなさい、往人さん…その、そんなに急に飛び降りてくるなんて思わなかったから」
 どうも、ゆっくり降りれば怪我をせずとも普通に降りれる場所のようだ。
それを無理矢理、それこそ落ちるように転がってきた俺は、結構全身をすりむいていたみたいだった。
「その…あの…往人さんが追ってくるなんて思わなかったから?」
「あ?」
「あの…往人さんは私のことなんか見てないだろうしって…」
 俺はひとつため息をつき、そして満身創痍の体を無理矢理起こして立ちあがった。
観鈴の頭の上に手をのせ、がさつにその髪をくしゃくしゃにした。
「わっ…ゆ、往人さん?」
 観鈴は不思議そうに俺の顔を見つめていた。
「お前そういや、あそこで最後に変なこといってたよな?」
「え?」
「俺が悲しむやつがいるだろ、って聞いたら『居ない』とかいってたろうが」
 そんなことを言うのは、寂しいことだ。
「でも…」
「お前がどうでもいいんだったら、俺だってお前のことを追いかけたりはしない」
「…」
「観鈴は俺の友達なんだろう?」
 彼女は何も答えず、下をうつむいてしまった。
しばらくして、「にはは、往人さん…ともだち!」と言っていた。
少し涙を浮かべた、満面の笑みだった。
それにしても…。
あの話には実は続きがある。
 結局あの女は、町の皆から追いたてられるように突き落とされそうになるのだ。それは
町のしきたりなのだからそうなるのは当然であり、むしろ女のそんな身勝手な理由で生贄
が生き延びていいわけがないのだ。そして最後に女が突き飛ばされ、落ちそうになった瞬
間、彼の旦那が彼女を抱きとめた。二人はそのまま抱きしめ合い、崖から落ちたのである。
そんなわけでその崖の名は…

 この話を聞いたとき、まず俺はこんなことはしないだろうと考えて居たんだが…。
馬鹿げたラブロマンスは、大抵の場合作り話なんだからな。
しかしどうもそれは違ったらしい。
人間、一人じゃ生きてはいけないと言うことだろうか?
しばらくいろいろと考えてみたが、馬鹿らしくなってやめた。
「観鈴、もう帰るぞ」
 まぁ、それでもいいかとも思う。
じりじりと嫌味のように照り付ける日光が、未だ続く夏を予感させる。
まったく。
夏はまだまだ続くわけである。