風が吹くと思い出す。
『いつか見た夢』
ブラウン管の向こう側では、極めて無表情な顔をしたアナウンサーが、至極ありふれた
六時のニュースを伝えていた。曰く、どこどこで傷害事件が起きた。曰く、誰かが誰かを訴えた。
今日も日本は全国的に平和日和だ。
「『もし右のカードを取るならば、左のカードはジョーカーである』が真実だとすれば」
重大な秘密を告げるような押し殺した声で、祐一が真琴に囁いているのが見える。真琴は
円い瞳を一層大きくして、身じろぎ一つしない。
「左のカードはお前がこれを取らない限り、ジョーカーではない。よってお前は左のカードを
取らない。ゆえに、ジョーカーを引く。これは理論的に同値であり、トートロジーだ」
真琴が小さく喉を鳴らして唾を飲み込んだ。祐一は両手に一枚ずつカードを持ったまま、
クッションに坐り直している。
「だから、真琴。右のカードを引け。いいな」
ずい、と差し出された二枚のカード、日本全国厳選狐表情パターン集が背面に印刷された
美汐愛用トランプのカードを均等に見比べて、真琴は明らかに肩を強張らせた。ちかちかと
点滅する蛍光灯の下、相沢宅の居間を烈しい痛みのように張り詰めた空気が支配する。
「じゃ、じゃあ右……と見せかけて祐一は絶対右にジョーカーを持ってるから、左を取ると
リロン的に同値でとーとろじーだから、やっぱり右を取ると左にジョーカーがない時を考えて、
ひ、左……でも右?」
蜃気楼で囲まれた迷宮に踏み込んでしまった真琴は、あぅあぅ唸りながら祐一の手元を
凝視する。祐一の唇は笑みを作るが、そのすぐ脇を一筋の汗が伝っていく。
壁時計に目をやり、一人離れてソファーに坐っていた美汐はついに立ち上がって、言った。
「二人とも、カードを引くだけのことにいつまで時間を掛けているんですか。ちゃっちゃと進めて
下さい。たかが、ババ抜きでしょうに」
「たかが、だと!」祐一が視線を真琴に向けたまま、声を張り上げた。「ああ、これはババ抜きだ。
子供のお遊戯だ。だがな。言うなれば、俺と真琴のプライド、いや尊厳を賭けた一世一代の
大勝負なんだ。部外者は口を挟まないでくれ」
「そうよぅ。一人で勝手にあがっちゃった美汐は部外者なんだから!」
全くもって、始末の悪い二人組みだった。言葉の端々に込められた八つ当たりの感情を
体一杯に受け止めて、美汐はカード二枚分のため息を深深と吐き出した。
「あーもう、美汐がそんなこと言うから、わからなくなっちゃったじゃない。えっと、右、じゃなくて
左がジョーカーである、が真実なら、左はジョーカーじゃなくて、ゆえに右を取ると……」
「いや待て。大前提として、果たして本当にどちらかがジョーカーなのか? もしかしたらどっちも
ババじゃないかもしれないぞ。そうだ、その可能性があった。とにかく、引いてみればわかる。
ほらほら」
「あ、そっか――ってそんなことあるわけないわよぅっ」
「ならば、引け。さぁ早く」
「じゃ、じゃあ……こっち?」
「ああ! そのカードは」
「と見せかけて左!」
「よっしゃあぁぁっ!」
派手なガッツポーズをつくる祐一と、その場に糸が切れたように崩れ落ちる真琴。
「あぅぅ。とーとろじーに負けた……」
「……二人とも楽しそうですね」
美汐の語調に浮かぶ微妙な変化に気がついたのか、祐一は急にこちらを振り向いて、
にやにや笑った。
「ああ、楽しいとも。さっきから疎外感があって寂しいんだろう? よしよし、そんなみっしーに
一つ仕事を与えてやろう」
つい、と天井の蛍光灯を指差す。余力を振り絞って瞬きを繰り返すそれは、命が燃え尽きる
寸前の蝋燭を思わせた。
「さっきから、こいつが集中力を奪うんだ。どこだったけな、たぶん庭の物置にスペアがあると
思うから、持ってきて取り替えてくれないか」
そうしたら次のゲームに入れてやらないこともないかもしれないぞ、と祐一は言って、顎を
しゃくった。何時の間にか、テレビの画面には天気図が映し出されている。日本地図の下部に、
混乱の象徴である白い塊。さっきの事務的なアナウンサーが、やはり淡々と、台風が迫ってきて
いることを告げていた。
「雨が降り出さないうちに庭へ出ておいた方がいいと思うね、俺は」
祐一は肩をすくめると、再び真琴とのにらめっこに戻った。
忘れているのか、それとも作戦なのか。ババ抜きを始めたのは、誰がこの蛍光灯を取り替えるか
ということで揉めたからだったでしょうに、などと言うことも面倒になって、美汐は庭に向かった。
結局のところ、実際に自分は少し嫉妬しているのかもしれない、と思う。
祐一に、真琴に、そして彼ら二人に。
「しかし、この街にも台風は来るんだな」
居間を出る時に、そう祐一が呟いたのが妙に耳に残った。
ぎしぎしとガラス戸が悲鳴を上げていた。靴を履いて玄関から回ってきた美汐は、たった
数メートルのその距離の間に、風に舞う塵の竜巻と何度か遭遇した。過ぎ去っていこうとする
夏の熱を未だに孕む九月の大気は、莫大なエネルギーをもって攪拌されている。樹々が
共鳴し、雲が空を流れ、埋め尽くす。低くを舞う鳥が、鳴き声もあげずにどこかへと消えていく。
自然は自身の殻に閉じ篭る支度を終えた。
台風が来るのだ。
もうすぐ、あの雲から落ちる雨が世界を叩き付けるだろう。それはさながら大地の感情を
原色のままパレットに流し込んだように。川は歓喜に震え、アスファルトの道路は喜悦の
旋律を奏でる。
そして、風は嵐へと変化する。
こんな時、あの娘なら何と言うだろうと美汐は思った。どんな反応をするかと想像した。
悲しみの沈黙を守るか、喜びの囁きを漏らすか、怯えた笑いを浮かべるか。どれもが正しい
ようであり、どれも当てはまらない気がした。全て理解していたようで、何もわからない。
風が吹くと思い出す。
思い出さずにはいられない。
ぽつねんとして天に腰掛けている雲に朱の線が交じり、太陽が静かに稜線の陰へ沈んでいく
夕暮れ。夜が迫るものみの丘に吹くそよ風に、彼女はよく抱擁するような仕草をしていたもの
だった。風に靡(なび)く髪を撫で付けることもせずに、微笑すら浮かべて目を閉じているので、
美汐は一度尋ねたことがある。
『何が、そんなに嬉しいのですか』
しばらく黙り込んでいたが、やがて山彦のように答えを返してきた。
『美汐は、なんで嬉しくないの?』
さわさわと足元の枯草が波打ち、やはり朱に染まった鴉が遠くの空で仲間を呼んでいた。
その鳴き声が響き渡る度に、臆病な雀が樹から樹へ飛び廻る。
『風も、嬉しいな、楽しいなって、言っているんだと思うよ』
夕陽に引き伸ばされた二人の影は、緩やかに大地へ溶け込もうとしていた。
『そよ風は風が気分がいい時なの。特に、夕焼けとセットで吹く時は、さいっこうにご機嫌な時。
スキップしながら口笛吹いてる感じ』
『そう想うのは、何故ですか』
『どうして、そう想わないの』
『どうしてでしょう』
『なんでだろう』
言葉遊びのような掛け合いの末に、彼女は不思議そうに、幾分断定的な口調で言った。
『風だって生きているんだから、そう言うのは当たり前じゃない。いくら美汐だって嬉しい時は
スキップぐらいするし、口笛だって吹くでしょ』
その横顔は、その瞳は、誰よりも何よりも緋色を反射して。
『美汐は、どうしてそう想わないの』
おそらく、あまりにも有り触れていたから。手を伸ばせば、すぐにその存在を感じ取ることが
できたから。いつまでもそこに在るものだと思い込んでいた。
なんででしょう、と言ったあの時、僅かに強さを増してきた風の中で、彼女は少しだけ口を
尖らせていた。
遥か彼方のサイレン音が静寂を切り裂いて、けれど静謐さは弾力性をもって維持される
初冬の夜更け、月が煌煌と闇を濡らす空。慎ましいくしゃみをしながら、彼女は星に目も
くれずにベランダで虚空を見据えていた。“儀式”は三十分と決まっていた。時計の長針が
半回転すると、寸分の狂いもなく彼女は部屋へ帰るのだった。
来る日も来る日も繰り返されるその儀式に、美汐は毛布を抱えながら、しばしば付き合った。
二人して何も語らないまま、握り合っていた右手と左手のように心の中では二人同じことを
考えていると信じていた。
清冽な空気に混ざり込んだ不純物のように、木枯らしが轟々と鳴り響く。彼女に屋内へ
入ることを勧めるのは、とうに止めていた。その代わりに、時折遠慮がちにこちらを向いて、
いいよ、部屋に入ってても、と目で言う彼女を、柳のように流し、石のように頑としてベランダに
美汐は立っていた。この儀式が彼女なりのルールであるならば、一緒に外で頬杖をつくのは、
美汐なりのルールであった。
今でも思う。果たしてあの時、本当に二人は分かり合っていたのだろうか。
同じ月を見て、同じ風を感じて、それでも実際は同じものを見ていなかったのではないか。
彼女がちらちら美汐の様子を窺っていたのは、別の何か、とても大事な何かを伝えたかった
からだったのではないだろうか。
彼女の想いを推し量ろうとしても、記憶の中の彼女はいつも俯いていて、樹海を覆う薄霧の
ように何も見えない。
風だけが世界を支配していた。世界は風だけに全てを見せていた。
美汐が彼女の不思議な儀式を生活の一環として認識できるようになった頃、彼女も美汐の
ルールを尊重して共にベランダにいることを自然なものと受け止めるようになった頃のこと。
いつにも増して、彫像のように動かなかった彼女が唐突にぴくり、と首(こうべ)を回(めぐ)らせた。
彼女が儀式の中で言葉を発したのは、その日が最初で最後だった。
『明日は、降るみたい』
何が、とは訊かなかった。ちょうど晩のニュースで、もうすぐこの地方に今年最初の雪が降ると
予報士が天気図を棒で指しながら言っていた。
それきり、嫌だなとも、楽しみだなとも言わずに、彼女は象徴的な彫像へと戻った。
風を愛し、風に怯えた彼女が美汐の手からすり抜けるようにして消えたのは、皮肉にも風が
全く吹かない大雪の日だった。
しんしんと雪が積もり、病室の窓を埋めてゆく。生まれ立ての灰色な朝は音を吸い込み、二度と
吐き出さない。太陽は垂れ込めた雲に阻まれて、地上には白い悪魔ばかりが、乱舞することも
なく、ただ垂直に自らの責務を果たしていく。
ゆっくりと熱を失っていく彼女の体を、美汐は一晩中抱きしめていた。まるで自分の体温を
彼女に分け与えるかのように力を込めること以外に、彼女を守る術を知らなかった。
『おそとに、でたい』
うわ言のように、彼女は呟いていた。だらりと垂れた右手は、見えない出口を捜し求めるように
シーツの上でもがいていた。それでも、美汐は彼女を決して離さなかった。早々に匙を投げた
医師を憎んで、昇らない朝日を恨んで、美汐はたった独りで彼女を繋ぎ止めようとしていた。
けれど、彼女は消えた。髪の毛ほどの痕跡も残さず、吐く息ほどの感触も奪われて。
その日、風は一度たりとも吹かなかった。
あれから、ずっと自問している。どうして彼女は消えたのか。何のために彼女は現れたのか。
彼女の何を見ていたのか。
時が経つ毎に、彼女の姿は朧げになっていく。腕の中の喪失感だけが、美汐の中で肥大する。
何もできなかった。
川原を二人で散歩して春一番に顔をしかめることも、五月のピクニックに出かけてハーブティーと
一緒に風を味わうことも、笹の葉に吊るした短冊を揺らす夜風を楽しむことも、シャツ一枚で
寝転がって涼やかに鳴る風鈴に耳を澄ますことも、枯葉を踏みつけながら秋風とステップをとる
ことも、何も。
時々、特に風が吹いた日は、彼女を夢に見る。いつも決まって、彼女は妖精のように空を舞って
いる。美汐が飛ぼうとしてもちっとも羽は生えてこない。ジャンプして、手を伸ばして、なんとか傍に
行こうとしている内に、彼女がこちらに気づく。靄がかかったような雲の上で、表情が見えないまま、
彼女は何かを言って、どこかに飛び去ってしまうのだ。
その言葉がわからないことが腹立たしくて、悔しくて、どうにもならなかった。
後ろでわざとらしい咳払いが聞こえて振り向くと、祐一が胡乱な目つきで美汐を見ていた。
「どうかしたんですか」
そんな所に立ち尽くして、と美汐は言った。声を張り上げないと、横からの風に遠くへ運ばれて
掻き消されそうだった。空を見上げれば、南の方から灰色の夜が足音を立てて、すぐそこまで
迫っている。
「そうか」と祐一は唇の端を吊り上げて、美汐が好まない笑い方をした。「みっしーは、時間の
使い方によほど長けていると見える。たかだか、そこの物置に電球を取りに行くだけで三十分。
真琴とのトートロジー決戦をうっちゃってまで探しに来たこの俺に、『どうかしましたか』なんて、
冗談も随分上手いな、みっしー?」
「考え事をしていたんです」
「ほぉ。すまん、風が煩くてよく聞こえなかった。自分に課せられた使命を忘れて、まさか考え事を
していたなんて言うまいね。さぞかし、立派な考え事なんだろうな」
「そうですね、祐一さんがいつも学校帰りに用もないのにわざわざ商店街に立ち寄って、肉まんを
買っていることとか、デパートでコスプレ用の狐耳を発見してにたにた陶酔されていたことや、
真琴の写真を財布に入れて常時持ち歩かれていることとか、主にそんな感じのことです」
「――ごめんなさい」
「よく聞こえませんよ? 風が煩くて」
薄紅色の花を咲かせたサルスベリが、美汐の頭上でぱら、と湿った音を立てた。次いで、足元の
芝生からも一オクターブ低い音。
「ほら、降ってきたっ」
祐一が救われたように叫んで、美汐の手を強引に引っ張った。
「でも、まだ蛍光灯が」
「それはもういい。真琴が素晴らしいアイディアを披露した。あいつも、やる時はやる奴だった」
働き盛りの風と、産声を上げた雨に追い立てられるようにして、二人は玄関へ飛び込んだ。
ほんの少し、風に煽られて雨が吹き込んできたが、ドアを閉めると全ては平穏無事な状態に
落ち着いた。
扉に備えられた飾り棚は深く闇の底に沈んでいる。青白い光だけを発するブラウン管は、逆に
正常時のそれよりも存在感があった。床に敷かれたカーペットは部屋の端へ近付くにつれて、
影のグラデーションをつくっている。部屋の中央には燭台に置かれた蝋燭と、満面の笑みで正座を
している真琴がいた。
「そこの棚にあったの。こないだ、秋子さんが出し入れしてるのをちらっと見た気がして」
「よしよし、誉めてつかわす」と祐一が真琴の頭を撫でる。
子供扱いしないでよ、手足を振ってじたばたしていた真琴が、ふと止まった。
「……でも、その蝋燭たくさんあって、数えたら三十八本あったのよぅ。一体何の数なんだろう」
祐一が腕組みをして宙を睨んで、すぐに青ざめる。
「そ、それは誰にも言ったらダメだ。いいいいいいいな。ぜぜ絶対だ」
「あぅ……わかった」
炎の動きに合わせて、天井や壁に映った三人の影が揺らめく。この幻想的な世界なら、隣を
妖精が羽ばたいていても頷けるだろうと美汐は思った。風が大好きな妖精でも、きっと。
「さ、やろやろ。もうカードは配って置いてあるから」
「またババ抜きですか」
「今度は一番に上がってみせるわよぅ」
「はっはっは。俺のトートロジージョーカーが見破れるかな」
高笑いをする祐一を尻目に、美汐は真琴の隣にそっと膝をつき、形のいい彼女の耳朶に口を
寄せた。
「祐一さんはカードを取られる時に、必ずジョーカーに目を走らせる癖があります。注意深く
観察すれば、絶対にババは引かないでしょう」
「え、ホント?」
「ええ。大体、先ほどのゲームで祐一さんが言ったのは、見せかけだけのロジックです。あれ
自体に大した意味はありません。そもそもトートロジーというのは、命題が前提の真偽如何に拘らず
真と解釈される時に使う論理学用語です」
「えっと……」
「つまり、前提はすっぱり無視して、右といったら右。左といったら左、と言うように結論だけを見れば
いいのですよ」
何時の間にか傍ににじり寄っていた祐一が、よくぞ見破った天野探偵今夜はわたしの負けの
ようだなだがしかし次はこうはいかんぞうんちゃら、とぶつぶつ言っているのを遮って、真琴がぱん、
と手を叩いた。
「例えば、風が吹いても吹かなくても、真琴が嬉しければ笑うのはトートロジーなのね」
似ているないつもバカみたいに笑っているからな、と祐一が美汐の代わりに相槌を打つ。それに
真琴は蹴りを入れつつ、人差し指を立てて言った。
「あ、でも。風がたくさん吹いたら、トートロジーじゃないのかな」
「どうしてですか」
「だって、今日はもう美汐帰れないでしょ。そうしたら嬉しくて、笑うもん。明日も風が吹けば、もっと
嬉しいし、台風が一週間ぐらいこの街にいたら、もっともっと嬉しいわよぅ」
あーバカだな。しみじみと祐一が頷くのに真琴がドロップキックを飛ばす。
ちらちら揺れる蝋燭に照らされて、真琴の顔は刻一刻と陰影が変化する。顔のつくりはほとんど
似てやいないのに、その表情がどうしてか風を受け止める時のあの娘に似ているように見えて、
美汐は何度か目を擦った。
「わかった。早く始めようよ。トートロパー祐一をコテンパンにしてやるんだから」
真琴が手札を整理していく。その動作を見守りながら、ぼんやりと思った。彼女がもしこの場に
いたら、ということ。彼女が台風をどう思うかは依然わからない。きっとこれからもわからないままだ。
けれど、一つだけは確信を持って言えた。
彼女は、外に飛び出していくだろう。全ての行動に優先して、風を胸に吸い込んだだろう。
そして、風がもっと吹くことを願ったに違いない。何故なら、美汐があの娘を愛するようなやり方で、
あの娘も風と付き合っていたのだから。
「美汐、早くペア捨てて」
真琴が美汐の視線に気づいて訝しげに言う。祐一はジョーカーを持っているのだろう、頻りに
ある一枚をつまんで場所を微調整している。光源である蝋燭は若々しく燃え盛っている。
時計の文字盤は暗くて見えなかったが、時間がたっぷりあるということはわかった。
「……楽しいですね」
と、美汐はぽつりと言った。
「いまさら、なによぅ」と真琴が噴き出す。
祐一は、また唇の端で笑った。「ババ抜きに入れてもらって嬉しいだろ?」
風が吹くと思い出す。
風が止んでも忘れない。
外を暴れる風の音にじっと耳を澄ませ、それから美汐は、トランプカード、狐の笑い顔と泣き顔とが
背面に印刷されているカードのペアを順番に、手札から床へ並べていった。