ぐーたら天使のコリンが、漫画を読みながらこんな事を言っていた。
「ねーねー芳晴、満月の夜や新月の夜って、犯罪発生率とか高いらしいよ?」
何処から仕入れたのか解らないような情報を、あやふやなまま他人に伝える。要するに噂話。
他の誰かがする分には、例えそれが歩く東スポと呼ばれる女性であろうが、乙女を目指す武士で
あろうが一向に構わないのだが、天使がそういう無責任な行動をとるのはどうかと思う。
新旧の聖書や、各種聖典に刻まれた教えが、実は天使の単なるゴシップでした。……とか。
そんなことを、不敬にも考えてしまいかねないからだ。誰に不敬って、コリン以外の天使に。
「おあつらえ向きに、今日は満月らしいね」
漫画を横に放って、綺麗に畳んである今日付けの新聞を開き、天気予報の欄をチェック。
すぐに脈絡もなくそんなことを言い出すのには、正直なところ慣れていたので気にならない。
難しい記事など読んでいられるかとばかりに、瞬く間にテレビ欄のチェックに入ったコリン。
その状態でさらにとりとめもなく言葉を繋げる。
「何かいいことありそうだー」
……それは果たして、前々言と絡めて考えてもいい台詞なんだろうか。
悩みながら彼は、部屋を出た。
……彼女は、悩んでいた。
いつも世話になっている、少なからぬ好意を寄せている相手への贈り物。
手作り……というよりはリサイクル品。昔の彼女自身の装飾品を鋳直したものではあるが、
わざわざ綺麗な紙で包装してもらって、あまつさえリボンを掛けるほどのものでもない。
かといって、堂々とこれをそのまま渡すのも、どうにも気恥ずかしくて気乗りしない。
相談した近しい人々は、そんなの気にしないで渡せばいいのに、と言うのではあるが、どうも
こればかりはそうそう気楽になれそうもなかった。それだけ、彼女自身意識しているのだろうが。
と、そこで彼女は思い出した。
いつだったか、別の案件で相談したうちの一人が、こんな事を言っていた。
「誰かにこっそり何かを渡したかったら、ベッドの脇に脱ぎ捨ててある服に忍ばせるのよ」
……さすがに、助言のままの作戦を使うわけには行かないが。
彼女は、その応用で『贈り物』をすることに決めた。
「ありがとうございましたー」
本日最後の客が店を出て行く背中に向けて、彼はそう声を掛けた。
サウンド・ゼロは、全国にいくつかの支店を持つ中堅CDショップである。
そして彼、城戸芳晴はそこのアルバイト店員であった。
ぺぽぴぱ……と、レジを叩いて問題がないことを確認する。
その作業を終えると、芳晴は店の奥に声を掛けた。
「さてと。それじゃ店長、今日はこれであがりますねー」
んー、とやる気なさげな了解の声が奥から聞こえると、芳晴はやれやれ、と帰り支度を始める。
すっかり暗くなった外を見ながら外套に袖を通し、空腹感に耐えながら街路に足を踏み出す。
「――帰ったら夕食だなあ」
と呟きながら、冬場の夜特有の透明感のある寒さに凍える手を、外套のポケットに突っ込んだ。
「……あ」
その指先が、こつん、とコートの中にあった何かに触れる。
硬い触感。金属のひやりとした感覚が、温もりを求めた素肌に容赦なく突き刺さる。
ポケットからそれを引っ張り出す。
月の光を反射して輝く銀色のキーホルダーと、貼り付けてある『いつも有難う』のメモ書き。
「江美さんが言ってたのって、これのことだったのか」
思わぬ贈り物に、にへらと思わず顔を崩してしまう芳晴。
そうとわかれば善は急げ。芳晴はポケットから鍵を取り出すと、キーホルダーに通した。
しゃりん、と金属同士が擦れあう小気味良い音が空気を揺らす。
「へへ」
どのような意匠であるものか、怜悧な輝きを損なわない曲線の柔らかさが、まるでこの贈り物の
主の雰囲気をそのまま現したかのようで、芳晴の顔がより一層綻んでくる。
こりゃ、バイト代で何かお返しするしかないな。
内心そう思いながらも、身体はしめたデートの口実が出来た、とばかりに足取りも軽く、まるで
跳ぶように浮かれ気味の芳晴。
こんな月夜には、何かいいことありそうだ――。
いいこと、とひとくくりにするには些か最高すぎる贈り物に、心から感謝する芳晴であった。