よう。
俺はパンツだ。
ふざけちゃいないぜ。
正真正銘の、パンツ様だ。
綿100%、紳士向けトランクスって言うのが正確だな。
はるか悠久の大地、中国に根づいた綿から編まれ、クーニャンの繊細な手に
よって工場生産されて、はるばる数千kmを越え、安価な輸入パンツとしてこの
日本に渡って来た。デパートの一画で、特売品として、気のいい仲間連中と束
ねられて売られるために。
柄は、暗い地色に細い青やパープルの線が縦横に入った、チェック柄の地味
なもの。
?
もっと格好いいデザインや、ブランド品に生まれたかったかって聞きたいの
か?
そうか、聞きたいのか。
ああ、そういう生き方もある。
だが、特売品として安価で安心して手に入れられるパンツ、ってのにも、社
会の中での役割があるはずだぜ。俺に課せられたのはそういう役割、そういう
人生だ。そして、そういう生き方だって、俺は、けっこう気に入っていないでもないんだ。
次世代の人類を造る生殖行為。できねば死んでしまう排泄行為。
決して華美とは言えないが、俺たちは、人間にとって最も重要な行為のうち
ふたつを守護するための衣類だ。
それが重要なんだ。
それを満たしていれば、廉価品だろうとブランド品だろうと、プライドは抱
ける。それが俺たちパンツなのだ。
俺のご主人は、柏木耕一という大学生だ。
買ってくれたのは、まだ元気だった頃の、耕一の母親。
耕一が高校生の頃だな。
買い物の途中でふと思い出したように、俺は、束ねられた仲間と共に、包ま
れたビニールパッケージ越しに手に取られた。
気に入ってくれたのは、値段か。地味なデザインか。それとも、俺たちのほ
がらかな人柄か。
どれかってのは重要なことじゃない。重要なのは、相手が「気に入ってくれ
た」ってことだ。
人生、好意は、好意で返すに値する。
買っていただいたからには、俺は精一杯息子さんか旦那さんのパンツ役を勤
めてやるぜ。
そう誓って、俺はウィンクした。
彼女に気付かれはしなかったろうがな。
俺、目、ないし。
耕一は、がさがさと何の気なしにビニールを開けると、ある日、ついに俺を
手に取った。
そして、脚を通した。
ついに、俺もパンツとして一人立ちしたか…。
思わず、中国大陸で俺を見送ってくれたたくさんの仲間たち、長い船旅、日
本海の汐の香り、そんな、生まれてからもろもろのことが、脳裏を過ぎ行きた。
耕一の尻も。前の方も。
ぴったり重なって。ゆったりくるみ込んで。
俺と耕一は、ベストフィットの一対となった。
耕一は、気にもせず続けてTシャツを羽織りはじめたが、俺は確かに、これ
からの俺たちの良好なパートナー人生を予感していた。
その後数年が過ぎ、耕一が二十歳の大学生となったいまも、俺の耕一との二
人三脚は続いている。
破りもせず、汚し過ぎもせず、長く使い続けてくれたこの主人に、俺は感謝
していた。
悲しい出来事もあった。
身銭を切って俺を自宅に引き取ってくれた恩ある耕一の母親が、亡くなった
のだ。
病気であっさりと。耕一と、俺を置いて。
耕一も予想しなかったあっけない最期だった。
俺も、病床の恩人になにか自分がしてあげられることはないかと耕一の股間
で懸命に模索したが、パンツが難病の人間にしてあげられることは、残念なが
らひとつもなかった。
俺にできたのは、ただ耕一の股間から彼女を見送ることだけだった。
葬儀の日も、耕一のパートナーは俺だった。
俺は、声を殺して泣いた。
耕一も泣いていた。
耕一と、話には聞いていたが別居していた父親との邂逅は、彼らの複雑な事
情を、俺に垣間見せた。
そして俺たちは、いま、耕一の父の実家にいる。
先日、耕一は、父親も交通事故で亡くなったのだ。
幸い、母方の実家もよくしてくれるようなので学生の耕一にも不便はないが、
それにしても、かける言葉もみつからない不遇さだ。
俺は、耕一に深く同情した。
なにか、俺がしてやれることがあればいいんだがな……。
とりあえず、特別なことはなにもできない。
優しく股間を包んでやることだけが、俺にできる仕事。俺の精一杯だ。
長期にわたって別居していたため、父の死にそれほど耕一本人が悲嘆してい
ないのが、わずかな慰めだった。
むしろ、従姉妹の美人四姉妹と再会し、ほのぼのと旧交を温める機会、田舎
でのんびりできる機会に、耕一は満足しているようだった。
女の子、それも、耕一が気に入っている子ばかりの家に俺を同行させてくれ
たということは、やはり俺を気にいってくれているということだろう。俺は誇
らしい。ブランド品の同僚たちとも密着してカバンに収まっているから、口に
出しては言わないが、廉価品の俺としては、パンツとしての誇りを感じた。
笑わないでくれ。
パンツにはパンツの、価値観がある。
新品を下ろしていくのが当たり前の旅行に、ホームユース・パンツの中から
抜擢されて出征していくことは、俺たちパンツにとっての誉れなのだ。
何人もの同僚から「頑張って来いよ」「土産話を聞かせてくれ」「お前なら
信じてるぜ」そう、エールとともに見送られた。
エールをくれた者の中には、俺といっしょに買われた詰め合わせの兄弟、稲
妻紋様から仲間うちでは「サンダー」と呼ばれているやつもいた。
ある者は破れ、ある者は旅行で耕一の友人に間違って履いて行かれ、いまや
兄弟で残ったのは、俺とサンダーのふたりきり。
「頑張って来いよ。お前が元気だと、俺までつい、まだやれるんじゃないかっ
て思っちまう」
「今回は運が良かっただけさ。次はお前の番だろうよ、サンダー」
「いや、俺はもう駄目だ……。実は、尻のあたりの繊維が薄くなってきちまっ
た。たぶん、次になにか強い力が働いたら破けるだろう。耕一はまだ気付いて
いないが……」
「サンダー!」
「いずれ来る時が、来た。それだけのことだ。永遠に生き続け、主人の股間を
守るパンツなんて、この世に存在しない。どのパンツも、使命を一定期間果た
し、やがて役割を終えて、人生というステージから消え去ってゆく……。そう
いう星の下に生まれている。お前相手じゃ、釈迦に説法だがな」
「…………」
「暗い顔するなよ! 楽しかったな、俺たち。五人揃って行った東北貧乏旅行
……」
「ああ……。最高だった……」
「家に来た従姉妹の千鶴さんに洗ってもらったこともあった。それを知った時
の耕一の顔ったらなかったな」
「ああ、ああ……」
胸を暖める、耕一と兄弟たちと共に作った思い出の数々……。しかし、悲し
みは留めようもなかった。
だが俺は泣かない。主人が着る時に、生地が湿ってしまう。
パンツは、泣かないのだ。
そんな、幾多の思い出と、思いを背負って。
俺はいま、ここにいた。
スッ。スッ。
カバンの中で静かに出番を待ち続けて四日。とうとう出番がやってきた。
耕一が俺を脚に通す。その回数は、出逢いの日から数えれば、もう三桁にも
なったろうか。
今日の耕一は慌ただしかった。
TVを見ていきなり家を飛び出し、午後になってからようやく汗だくになって
帰ってきた。
シャワーを浴びて汗を流し、そして俺に着替えたのだ。
どうやら、大事件が起きたらしい。
耕一の身になにかが起きなければ良いが……。
耕一の心配する、彼の身内、知り合いのことももちろん心配だが、俺たちに
とっては耕一のことが一番心配だ。
風呂場で脱がれた仲間の縦縞は、洗い籠に放り込まれている。
昨日の朝も立派に朝立ちした耕一は、その様を従姉妹の千鶴さんと梓にばっ
ちり見られてしまっていた。
その時、朝立ちをくるんでいたのが双子の縦縞、こいつの兄弟だ。
朝立ちは耕一の若さと生命力の証し。俺たちにはどうすることもできない。
その縦縞も、ストライプを揺らしながら千鶴さんたちの前に雄姿を誇示する
以外すべはなかった。
少しでも、雄々しく見えただろうか?
縦縞がずっと気にしていたのは、そのことだった。
ばっちりだったぜ。
俺たちは、カバンの中から応えてやった。
俺たちパンツには、仲間同士、意志を信号化して交感する能力があるのだ。
耕一はシャワーのあと、ニュースで事件の続報をチェックすると、夕食も食
べずに早めの眠りについた。
りー…りり……り……
虫たちの声が、庭から静かに響く。
黒い夜空、優しい気温になった風と、そして柔らかな月光が、心地よく俺た
ちふたりを包み込んでくれていた。
勝手知らぬ土地で装着されて、ふたりきりの夜。
それでも落ち着いていられたのは、田舎のこの優しい風土のおかげだろう。
しかし……。
しかし、耕一は違ったようだ。
徐々に、様子が変わっていった。
呼吸が乱れ、手はふとんを掻き。
汗が多くなっていった。
寝言で、苦しそうな言葉を……「やめろ」「そんな」「千鶴さん……」、そ
んな言葉を、次々漏らしていた。
あきらかに、異常だった。
寝つきはいい方のはずなのだ。耕一は。
やがて、むくむくと起き上がった。
耕一がではない。耕一の男性が、だ。
その熱いものをくるむのが俺の仕事だった。それ自体は珍しいことじゃない。
しかし、今日は熱さが異常だ……。何が起こるのか……そう思った時。
耕一は、夢精した。
俺にも、そして耕一にも初めての経験だった。
その感触を詳しく説明して欲しい者もいないだろう。説明しないが、しかし、
俺は多少驚きつつも、平然とそのすべてを受け止める。
俺はパンツだ。
「大丈夫か!」「しっかりしろ!」「おいっ!」
カバンの中から、仲間たちが次々と声をかけて来てくれた。
俺は、親指をぐいっと立てて、笑顔でそれに応えた。パンツには親指も顔も
ないが。
気分を悪くした奴もいるだろうが、主人の体液を布地で受けるのは、男物だ
ろうが女物だろうが大事な仕事だ。
動物の母親は、幼児の便通をよくするため、肛門の弁を舐め取るのも厭わな
いという。母のない孤児の動物を育てる人間が、同じくそれを実行するのすら、
俺は耕一と共にTVで見たことがあった。幼い動物の子の排泄は生死に直結する
ためだ。
必要があればそこまで平気でできるのだ。我々は。
そして俺はパンツ。
厭う理由など、あるはずもなかった。
やがて目覚めて、パリパリになった俺の感触を確かめると耕一は情けない顔
をして俺を脱ぎ、着替えた。
俺の処置には困っているようだ。さすがに従姉妹にこの状態の俺は洗濯させ
られまい。
俺をみつめて悩む耕一。
みつめ返し、気にしなさんな、男だぜ?と慰める俺。
人間には、パンツの気持ちは伝わらないのが残念だが。
と……。
障子に影が差し、耕一は慌てて俺をふとんの中に隠した。
「千鶴さん……?」
その影は、千鶴さんだった。
従姉妹の長女、耕一にとって、憧れの年上の人。
やがて部屋に入り、千鶴さん、そして耕一は言葉を交わす。
俺はそのなりゆきに驚いた。
千鶴さんが、耕一に告白して……誘惑している。
逆なら有り得るが、千鶴さんも耕一と同じ気持ちだったとは……。俺の予想
を超えていた。
やがて、唇の吸い付く音。
やわらかな、女の声。吐息。
耕一の荒い呼吸音。
ふたりの行為の音が、ふとんの下の俺にまで届いていた。
やったな。
やったな。耕一。
これが、お前の初体験か。しかも、憧れの人と。
耕一の、過去の人生で最大の幸せの瞬間かもしれない。
惜しくもその時履かれていたパンツから漏れたのは残念だが、その瞬間に立
ち会えたのは、パートナーとしての幸福だと俺は思った。
だがしかし。
俺は、重要なことを忘れていた。
背筋がぞくっとした。こんなことを……忘れていたなんて……!
いや、背筋もないが。
俺はいま、夢精パンツ。
こんな俺がみつかったら、この情事はどうなるだろうか。
耕一の、男の沽券(こけん)にかかわるだろう。
青ざめ、俺を恨む耕一の顔が、まざまざと目に浮かぶ。
ましてや、千鶴さんに最初にみつけられたりしたら……。
素晴らしい愛と官能の睦み合いの舞台を上にして、俺は焦った。
俺がだいなしにしてはならない。耕一、一世一代の幸せを。
パンツが。
パンツとして。
パンツ、ゆえに。
……あ。
そして、俺は気付いた。
これが、チャンスでもあることを。
そう。
そうだ。
チャンスだこれは……。
耕一に、そして耕一の母親に受けた恩を返す。
耕一よ、お前は何も心配するな。そのまま、千鶴さんを愛し続ければいい。
俺は、このふとんの下でじっとしていてやる。
決して姿を見せず。決してお前たちを邪魔しないように……。
フッ……。
フフ……。
こんな場面で、こんなことで、お前の人生の大事の手助けをできるとはな…
…。
俺は、密やかに。
しめやかに。
ふとんの下で隠れ続ける。
千鶴さんの、手折られるようなあでやかな声、吐息が届く。
俺はひそみ続ける。これが、おまえにできるこれまでで一番特別なプレゼン
トだ、耕一。
律動するような、規則的な、ふとんの上の動き。
耕一たちの熱が、俺にまで伝わって来る……。
三人が──耕一と、千鶴さんと、俺──三人ともが、幸福感に包まれて。
素晴らしい夜になった。
事が終わりいったん千鶴さんが部屋を後にすると、耕一は俺を引き出して洗
面所に行き、こっそりと洗った。
こんな汚し方をしたら捨てられるやつだっているのに。
やっぱり耕一は、優しいやつだ。
パンツ思いだ。
やがて部屋の目立たないところに俺を干すと、耕一は、千鶴さんと連れ立っ
て外へ出た。
どこへ行くのだろう?
その時……。
その時、いつもの顔、二枚目とも三枚目とも言いきれない、あのいつもと同
じひょうきんな耕一の横顔を宵闇の中に見ながら……。
俺はなぜか、この横顔が二度と見れないような気がしていた。
……どうして?
? ?
自分でも、よくわからなかった。
思い人と結ばれて、その彼女と涼みに外に出て。なんで帰って来れないんだ。
俺はそのつまらない思いつきを捨てた。
今日は、幸せな日だった。きっと、耕一にも負けない満足感が、俺を満たし
ているだろう。つまらない思いつきで気分に水を差したくなかった。
元気に帰って来い、耕一。
大丈夫だ、お前なら。
そしてまた俺を履こう。いっしょにどこへでも行こう。
サンダーたちだって、向こうでお前に履かれるのを待っている。
そうだ。
俺は思い付いた。
今度こういうことがあったら、俺がお前の夢精を止めてやる。
これが次のプレゼントだ。恩義はまだまだあるからな。
……どうやってって?
それはな。
それは、これから考えるさ。
干されて。タンスにしまわれて。装着されて。その間、俺たちには、考える
時間だけはたくさんある。
そう、俺と耕一には、まだまだ時間があるのだから。