初めての買い物
カサリ、カサリ。
学校へと続く道。
足を前に踏み出す度に、落ち葉の絨毯が乾いた音をたてた。
時折吹く風が木々から枯葉をはぎ取り、道路をよりいっそう黄色に染め上げていく。
冬の到来は、もう間近に迫っていた。
「初音、今度の日曜日空いている?」
わたし(柏木初音)といっしょに歩いていた楓お姉ちゃんが、不意に声をかけてきた。
「えーっと、午前中に洗濯物をかたづければ、午後は暇になると思うよ」
「買い物につきあって欲しいんだけど……」
「うん、いいよ。どこに買いに行くの、楓お姉ちゃん」
「駅前のデパート」
「何を買いに行くの?」
楓お姉ちゃんは、私の顔をチラッと視線を向けた。
「ブラジャー……」
小声で囁くように答えた。
「初音、私、体重が少し増えたの」
「本当に?! 良かったね、楓お姉ちゃん」
わたしの返事に、楓お姉ちゃんは照れくさそうに頷いた。
「どれくらい、体重が増えたの?」
「これくらい……」
楓お姉ちゃんは、親指と小指を曲げた状態で、手の平を私に向けた。
「3キロも増えたんだ。ずいぶん頑張ったね」
「秋口から、いろいろ食べる量を増やしたから」
「楓お姉ちゃんて、油断すると、すぐに痩せちゃうもんね。同じ姉妹でも千鶴お姉ちゃん
は、すぐに太っちゃうのにね」
「それでね、初音。その……体重が増えた分、胸も、少しだけ大きくなったような気がす
るの。でも私、今までちゃんと体に合わせてブラジャー買った事一度もないから、一人で
行くのが不安で……」
「うん、いいよ。それじゃ日曜日あけとくね」
「お願いね」
そう言うと、照れくさいのか、楓お姉ちゃんは私を置いて学校へと駆けだしていった。
明るい照明に、きつめの暖房。モーツアルトだろうか、アップテンポのクラッシック音
楽が店内に流れていた。
デパートの下着売り場には、部活帰りと思われる、制服を着た女の子が、私達とおなじ
ように数人で下着を物色していた。
「コレなんかどう? 楓お姉ちゃん」
楓お姉ちゃんは私の手に持つ物を見ると、首をフルフル横に振った。
「ホックにある赤いリボン、結構可愛いと思ったんだけど。じゃあ、この花柄のブラジャ
ーはどう?」
「初音、私が欲しいのは、そういうのじゃないの」
「どんな感じの物が欲しいの?」
「その、子供っぽくなくて、なんていうか…………」
「大人っぽい物?」
「うん」
「えーっと……」
私は再び商品に視線を移した。
いろいろ探してみるも、どれもこれも可愛い物ばかりで、楓お姉ちゃんが気に入りそう
な物は見あたらなかった。
どうしようかと思ったとき、紺の制服を身に纏った、デパートの店員が近くにいるのに
気がついた。
「あのう、すみません」
私は下着を手に持ったまま、女性の店員に歩み寄った。
「はい、なんでしょうか、お客様」
「このサイズで、もう少し大人っぽい物は、ないですか?」
店員は私から下着を受け取ると、サイズを書いた札に目を向けた。
「申し訳ございませんが、当店にはお客様の望むような品物は、現在在庫していません」
「何か理由があるんですか?」
「このサイズは、小学生や中学生向けになりますので、比較的可愛らしい物しか置いてい
ないんです」
「初音、帰りましょう」
今の会話を聞いていたのか、楓お姉ちゃんはスタスタとわたしを置いて歩き出した。
「え、あ、うん。どうも、ありがとうございました」
わたしは店員に礼を述べると、慌てて楓お姉ちゃんの後を追いかけた。
その後、商店街にあるスーパーの、2階の下着売り場にも行ってみたが、そこも前のデ
パートと同じような物しか置いていなかった。
溜息をつきながらスーパーから出ると、日本海から吹き抜けてくる冷たい風が、わたし
達を襲った。あまりの寒さに、いそいでコートのボタンを全て穴に通した。
「これからどうする? 楓お姉ちゃん」
わたし達の住んでいるN市には、デパートとスーパー以外で、大量に下着を在庫してい
るお店は他になかった。つまり、楓お姉ちゃんの望む下着は、この町では手に入らない事
を意味していた。
「ごめんね、初音。私の我がままにつきあわせて」
「わたしは楽しかったよ。いろんな下着を見れたし」
「そう……」
「それより、まだ晩ごはんまで時間があるけど、どこか遊びにいく?」
「帰りましょう。今日は風が冷たいから」
「……………」
わたし達は無言で商店街を抜け、家へと向かった。
北風は時が経つにつれ、一層激しさを増していった。
楓お姉ちゃんは、風に耐えるように終始無言で足を前に繰り出していた。その表情は暗
く、視線は地面ばかり見つめていた。
わたしは胸が痛んだ。
こんなに悲しい目をした楓お姉ちゃんを見たくなかった。
でも、楓お姉ちゃんの願いを叶える術(すべ)は、わたしには無かった……。
わたしには……
…………。
本当に?
本当に?
本当に他に方法はないの?
なにか、良い方法はないの?
良い方法は…………。
「そうだ!」
わたしは、ハッと頭に閃いた。
急いで自分の財布を取り出し、中をのぞき込む。
1枚、2枚、3枚、4枚…………いける!
「楓お姉ちゃん、K市に行こう!」
「え、今から?」
「きっと、そこなら楓お姉ちゃんの欲しい物が見つかるよ」
「でも、私はお金があまり………キャッ!」
わたしは楓お姉ちゃんの右手を強引に握ると、駅に向かって走り出した。
「切符代は私が出すから!」
「そ、そんなに急がなくても……」
左手で、白いベレー帽が落ちないように押さえながら、楓お姉ちゃんも走り出す。
「今なら、3時にW駅を発車する特急に間に合うはずだから、早くいこう!」
「う、うん」
わたし達は今まで歩いてきた道のりを、風を切って駆け抜けていった。
ショキングピンク、レモンイエロー、ライトブルー、色とりどりの下着がライトアップ
され店の壁を埋め尽くしていた。シャンソンだろうか、落ち着いた感じの音楽が流れ、柑
橘系の甘い匂いが店内に満ちていた。
「初音、ちょっといい?」
試着室のカーテンから、ひょっこりと楓お姉ちゃんが顔を出した。
「ちょっと見てくれない?」
そう言うと、わたしが見えるくらい、ちょっとだけカーテンを開いた。
わたしは、楓お姉ちゃんの試着したブラジャーを見て、少し目が点になった。
色は白に薄くピンクが混じり、飾り程度にレースがついている。カップの部分は上半分
が透けていて、乳輪のピンク色がはっきりと見て取れた。
私はなんて答えて良いのか言葉が見つからず、楓お姉ちゃんも恥ずかしくなったのか、
無言のままカーテンを閉じた。
数分後、服を着替え終えた楓お姉ちゃんは、そのままレジに向かった。どうも、あの大
人っぽい……っていうか、エッチなブラジャーを買うこと決めたみたい。
レジを済ませ、買い物袋を胸に抱え、わたしの所に戻ってきた。
「初音、良くこんなお店知っていたわね」
「先月、梓お姉ちゃんの買い物につきあって、いっしょにK市に来たから」
「ここは梓姉さん、行きつけのお店なの?」
「うん、梓お姉ちゃん、サイズが大きいから、ここじゃないと可愛いのが手に入らないみ
たい」
「私と逆ね」
「同じ姉妹なのにね」
楓お姉ちゃんはクスリと笑った。
やっと笑顔になった楓お姉ちゃんを見て、私も嬉しくなった。
「ねぇ、楓お姉ちゃん、ひとつ聞いてもいい?」
「聞きたい事って、何?」
「今日選んだ下着って、自分の為?」
楓お姉ちゃんは、わたしの質問の意味が判からないのか、首をかしげた。
「だって、自分の為なら、あんなデザインの物を選ぶ必要ないと思う」
「それは……」
「まるで誰かに見せる為みたい……」
そう言うと、楓お姉ちゃんは黙ったまま頬を赤く染めた。
よく見ると、耳たぶまで真っ赤になっていた。
サクッ、サクッ。
学校へと続く道。
足を一歩踏み出す事に、新雪が静かに音を立てた。
12月に入った為か、雪が多く降り、辺り一面が白一色の世界に覆われた。
「昨日は随分と振ったね、楓お姉ちゃん」
「そうね」
楓お姉ちゃんは、白いマフラーを首に巻き直しながら答えた。
吐く息が白い。
「耕一お兄ちゃん、大学は冬休みに入ったのかな」
「多分。ただ、アルバイトがあるから、年末まで来ないみたい」
「そうなんだ………。そういや楓お姉ちゃん、この間買ったブラジャーは使っているの?」
「……………」
楓お姉ちゃんは何も答えず顔を下に向けた。
「何かあったの? 楓お姉ちゃん」
「初音、この間、私がインフルエンザで学校休んでいたの覚えているよね」
「うん、一週間くらい学校休んだよね」
「あの時、ひどい吐き気と下痢と、食欲不振になってね……」
「確かそうだったね」
「体重が減って、ブラジャーのサイズが合わなくなったの……」
「え、どれくらい体重が減っちゃったの?」
楓お姉ちゃんは、おずおずと右手を私に広げて見せた。
「ご、5キロも痩せたの?! それじゃ、前より2キロも痩せて………………………だ、
大丈夫だよ、すぐに元に戻るよ」
「…………」
「短時間に、3キロも太ったんだから、きっと増えるのも早いに決まってる」
「…………」
「そ、それに、ほら、最近大きい胸の好きな男の人、減ってるみたいだし」
「…………」
「こ、耕一お兄ちゃんも、胸にあまりこだわらないかもしれないし」
「…………」
「き、きっと、楓お姉ちゃん、まだ成長期だから、きっと胸も大きくなると思うから」
「…………」
「だから、だから、もう泣かないで、楓お姉ちゃん!」
<終わり>