朝目覚めると、そこは一面の白い世界であった。
そういえば、昨夜の天気予報で雪になるとか言ってたな。
冷える冷えるとは思っていたが、それにしてもよく積もったもんだ。
『……地方は、この冬で一番の冷え込みとなりました。各地で雪かきをする姿が見られ……』
一応、店を開けたものの、往来にはほとんど人影が見えない。
店内は俺ひとりしかおらず、テレビの音だけが妙に響いている。
スフィーはと言えば、子供は元気でいいなぁ、という俺の皮肉も気にせずに、
大はしゃぎで雪の中へと飛び出していった。まったく……。
それにしても今日は寒い。じじくさいが、ストーブの前から離れたくない。
まぁしかし、こんな日に骨董品を見に来る客もそうそういないだろう。
よし、今日は一日テレビとお友達になろうと、俺は店番モードを半ば解除していた。
「こんにちは、健太郎さん」
おっと、みどりさんだ。みどりさんなら大歓迎、俺はいらっしゃいませと
笑顔で答えて、みどりさんをストーブの前に案内する。
よほど冷えたのだろう、みどりさんはマフラーと手袋をしたままストーブに手をかざした。
「こんな日に来てくれるのはみどりさんだけですよ」
お茶を出しながら俺がみどりさんに語りかけると、みどりさんはくすりと小さく笑った。
「実は……あんまり寒かったから、今日は家の中でぬくぬくしていようかと思っていたんですよ」
「みどりさんって寒いの苦手なんですか?」
「はい、少しだけ……でも今日はどうしてもここに来ないといけなかったんです」
そう言ってみどりさんは鞄の中から包みを取り出し、はい、と俺に手渡す。
「え?これは……って、ひょっとしてチョコレート?え?もらってもいいんですか?」
「ええ、どうぞどうぞ。そのためにここに来たんですよ」
穏やかな笑み。あぁ、生きてて良かった〜〜〜。
「ありがとうございます、ほんっっっっと〜〜〜〜〜に嬉しいです。仏壇に供えて毎晩拝みます」
「そ、それはちょっと……」
みどりさんは苦笑する。
それにしても感激だ。雪の中わざわざ店まで来てくれて俺にチョコを……しかも随分高価そうな。
包装紙にはフランス語らしき綴りで店の名前が書いてあるが……
そういえば、以前結花から聞いた、本場のショコラティエを招いたチョコ専門店(なんでも、
買うのに3ヶ月待ちで、値段もべらぼうに高いとかいう)がこんな名前だったような。
「でも、本当にありがとうございます。一番欲しかった人からもらえたんですから」
「まぁ、お上手ですね」
「欲を言えばみどりさんの手作りだったらな〜、なんて言っちゃったりして」
「え?」
一瞬みどりさんの顔から笑みが消える。しまった、図に乗り過ぎだ。
「あ、冗談ですよ、冗談。これ以上欲張ったらバチが当たりますよね。もらえるだけでも神様と
仏様に感謝しないと」
慌てて取り消したものの、みどりさんはちょっとだけ深刻そうな顔をしている。まずいまずい、
話題を変えよう。
あ、そういえば、ちょうど前の骨董市でみどりさんが好きそうな茶碗を手に入れていたんだった。
いい機会だから見てもらおう。
「そうだ。いい茶碗が入ったんですよ。せっかく来てくれたんですし、良かったらどうですか?」
俺がそう言うと、みどりさんの頬がふっと緩んだ。
「本当ですか?じゃあちょっと見せてもらいますね」
みどりさんが茶碗を手にとろうと手袋を外した時、俺はみどりさんの指にいくつもの絆創膏が
貼っているのを発見した。
「その傷、どうしたんですか?」
「あ、こ、これは……」
なぜかみどりさんは赤くなった。何やら言いよどんでいるようだ。
触れない方が良かったのだろうか。
「あ、すみません。俺、差し出がましいことを……」
「あ、いえ、違うんです。その……」
しばらくみどりさんは考え込んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。
「あの、実は昨日、健太郎さんにお渡ししようと思ってチョコレートを作っていたんです。
でも、ちょっと失敗してしまって……それで火傷を……」
「え?」
「一応、持ってきたんですけど、その……健太郎さんにさしあげられるようなものでは……」
「ください」
間髪入れずに俺は言った。
「え?でも……」
「ください」
「…………」
俺が真剣なのを感じてくれたのか、みどりさんはもう一つの包みを鞄の中から取り出した。
シンプルな包装紙にシンプルな箱。中身もシンプルな一口大のチョコ。
確かにみどりさんにしては失敗作なのだろう、多少不恰好ではあるが、それでも気になる
ほどではない。俺はチョコを一つ摘まんで口の中に放り込んだ。
うん、美味い。
「俺にとってはこっちのチョコの方が遥かに価値がありますよ」
「健太郎さん……」
見つめ合う俺とみどりさん。そのまま顔と顔が近付き、くちづけを交わす。
「……チョコレートの味がします」
そう言ってみどりさんは微笑んだ。
本日最高の微笑みだった。
「いつまでいちゃいちゃしてんのよ〜……中に入れないじゃない……」
その頃スフィーは、外で震えながら二人の様子をうかがっていましたとさ。
おわり