出港直前の休日、俺は葉鍵楼に向かっていた。美凪さんに会えるのもこれが最後、
そう思うと、俺は自然と急ぎ足になった。
葉鍵楼に着く頃には、ほとんど走るような勢いになっていた。息を切らして
入ってきた俺を見て、受付の青年は目を丸くしていた。
「……美凪さんを……頼む」
「はい、かしこまりました」
青年はすぐに普段通りの表情に戻ると、俺を奥へ案内してくれた。
「しつれいします」
通された座敷で待っていると、襖の向こうから声をかけられた。みちるの声に
似ているが、それにしては大人しい。
だが、そっと襖を開けて入ってきたのは、やはりみちるだった。彼女は手際よく膳を
配し、決まりきった口上を礼儀正しく述べた。
「どうした? 元気がないな」
俺が声をかけると、おそるおそる、といった様子でみちるは顔を上げた。
「あの……みちるのこと怒ってない?」
みちるが語るところによると、前回俺が帰った後、彼女は店の者にたっぷりと
絞られたらしい。俺は何も言わずに帰ったのだが、やはり見ている者はいたのだろう。
「気にするな、別に俺は怒ってなんかないから」
「よかったぁ」
それだけ言って、みちるは顔を伏せた。
「葉鍵楼に来てくれなくなったら、みちるのせいだって、ずうっと思ってたの」
「心配かけて悪かったな。仕事が忙しかったんだ」
俺が頭を撫でてやると、やっとみちるが笑った。
「それより、美凪さんはなんて言ってた? やっぱり怒ってたか?
俺はそっちが心配で心配で……」
「えっとね、美凪はべつに怒ってなかったよ」
「そうか」
美凪さんが怒っていないのは喜ぶべきだが、怒る相手にもされていない、と思うと
心中複雑である。
「あのさ、汗かいてない?」
いつの間にか懐に入り込んでいたみちるが、遠慮がちに言った。
「そうか? 確かにここに来る前、少し走ったが」
そんなに汗をかいたとも思えないが、よく気がつく子だ。
「今ならたぶんお風呂入れるよ。みちるが聞いてきてあげる」
俺の返事も待たず、みちるは座敷を飛び出していった。
「ひゃっほう」
「体を流してから入れよ」
盛大な水音にかき消され、俺の言葉はみちるの耳に届かなかったようだ。まあ、
泳ぎたくなるような立派な風呂ではある。
「お前、風呂で遊びたかっただけだろ?」
「ちがうよ、美凪はきれい好きなんだから、汗くさい男は嫌われちゃうよ」
微妙に嘘の匂いがしたが、ここは騙されてやることにした。
掛け湯をしてから、湯に浸かった。隣では、みちるが体を浮かべて遊んでいる。
水中でひらひらと動く足の裏が、妙に綺麗に見えた。
片足を掴んで、足の裏をくすぐってみた。がぼがぼ言いながら、みちるが浮いたり
沈んだりするのは、見ていてけっこう楽しかった。
いいかげん泣きそうだったので、手を離した。
「みちるを殺す気か!」
みちるはすでに半泣きだった。思いきり頭から湯をかぶせられた。
みちるで遊ぶのにも飽きたので、体を洗うことにした。
「あ、みちるがやるよ」
浴槽から飛び出ると、みちるは俺から手拭いを取り上げた。俺を椅子に座らせた横で、
わしゃわしゃとシャボンを泡立てる。泡だらけになった手拭いで、みちるは俺の背中を
こすりはじめた。
「けっこう筋肉あるねぇ」
「こう見えても、軍人だからな」
「そうなんだぁ」
がしがしと背を流す手拭いの感触が心地よい。時折、掌が背に触れる。その感触が
とても小さくて、ああ、みちるの手だな、と思った。
「お湯かけるよ〜」
熱い湯が体に沁みた。
「はい、手上げて」
「いいよ、背中以外なら自分で出来る」
「いいじゃん、みちるにお仕事させてよ」
そう言われると断りづらい。言われるままに腕を持ち上げた。
肩、二の腕、手先、脇の下、胸。
みちるは後ろから手を伸ばして洗おうとするので、自然、身体が密着する形になる。
目で見るよりもはっきりと、俺の背中は彼女の身体を感じた。
微妙な胸のふくらみが、腕の動きに合わせて上へ下へと動く。
「わ、げんきだねぇ」
みちるに触れられて、我に返った。背中の感触に気を取られているうちに、みちるは
俺の胴体を洗い終えたらしい。彼女の手の中で、俺の股間はすでに固くなりはじめていた。
「おいおい、そこは……」
「ん? 痛かった?」
慌てて声をかけると、みちるは手を止めて聞き返してきた。違うと答えたが、
止めるきっかけを逃してしまった。
鼻歌交じりで、みちるが俺のものをいじりまわす。泡だらけの器用な手が、竿の裏表、
皮との境目などを丁寧に洗っていく。
そして
「失礼します」
涼やかな女性の声が、脱衣所から聞こえてきた。
引き戸が開いて、冷たい空気が流れてくる。吸い出された湯気の向こうには、
美凪さんが、白い浴衣の上に襷がけをして座っていた。
一瞥して室内の様子を確認すると、彼女は無表情のまま一礼した。俺が声をかける前に、
からりと音を立て、戸が閉じた。
「あ、ちっちゃくなった」
みちるの声が、遠くで聞こえた。
湯気が抜けたせいで、洗い場の空気は少し肌寒い。そんな中で、背中に張り付いた
みちるの身体だけが、変わらずに暖かかった。
沈んだみちるの声が、背中越しに聞こえてきた。
「もしかして……美凪、来た?」
「ああ」
「行っちゃった?」
「ああ」
「ごめんなさい」
それきり無言のまま、みちるは手早く俺の身体を洗い、湯をかぶせた。湯に乗って白い
泡が流れていく様子を、俺はぼんやりと眺めた。
「あのさ、みちるが……りに……」
何かみちるが言いかけたが、声が小さくて聞こえなかった。
「なんでもない、美凪呼んでくるね」
俺から身を離し、みちるは風呂を出ていこうとした。
その背中がやけに寂しそうに見えて、俺は気がつくと彼女の手を掴んでいた。
「うにょわっ」
強く引いたわけではないのだが、みちるはあっけなく体勢を崩した。奇妙な悲鳴を
上げながら、彼女は俺の膝の上に落ちてきた。
「いきなりなにすんだっ」
腕をまわすと、みちるの身体はすっぽりと俺の懐に収まった。
「どしたの?」
不思議そうに俺の顔を見上げ、みちるが尋ねてくる。
その唇を、唇で塞いだ。
「んっ」
軽い形ばかりの抵抗のあと、みちるは俺に身体を預けてきた。俺が舌を差し入れると、
すぐに彼女も舌を絡めてくる。
ひとしきりじゃれ合ってから、どちらからともなく唇を離した。
「いいの? 早く呼びに行かないと、ほんとに美凪行っちゃうよ?」
不安そうに、少しだけ嬉しそうに、みちるが問う。
「いいさ」
自分でも意外なくらいに、迷い無く答えが出た。
「ん、わかった」
言葉短かにみちるは答えて、今度は自分から唇を重ねてきた。差し込まれてきた舌を
甘噛みしつつ、みちるの背に指を這わせた。
「んんうぅ」
肌の感触を楽しみながら、みちるの背に当てた手を下へと滑らせていく。
「ふあっ」
軽く喉をそらせ、みちるは息を吐いた。さらけ出された白い首筋に、俺は軽く歯を
立てる。
「ひゃうっ」
俺が何かをする度に、みちるは両手両足でしがみついてくる。そのおかげで、俺は手を
動かしづらくて仕方がない。
「みちる、ちょっといいか?」
「んに?」
俺はみちるの身体を持ち上げると、後ろを向かせて抱きかかえた。みちるの腹に手を
回すと、俺の手の上に小さな手が重ねられた。
薄く生えた毛をかき分けて、みちるの花弁にたどり着いた。溢れてくる熱い液体を
指先に絡めてから、みちる中に中指を埋めた。
痛いくらいに締め付けられた指で、ゆっくりと彼女の中をかき回す。添えられた
みちるの手に、わずかに力がこもった。
空いた手で軽く彼女の花芯を撫でると、みちるの喉から甘い声が漏れ出した。
頃合いと見て、俺は声をかけた。
「そろそろ、いいか?」
「うん、だいじょぶ」
みちるは腰を浮かせると、俺を入り口に導いた。
ゆっくりと息を吐きながら、みちるが腰を落としはじめる。
予想以上に抵抗が強い。身体を固くしているわけでも、濡れ方が足りないわけでも
ないのだが、とにかく狭い。それでも彼女は休むことなく体重をかけ続け、少しずつ
俺を飲み込んでいく。
やがて、俺の先端はみちるの最奥の感触を伝えてきた。俺の胸に寄りかかり、みちるは
大きく息をついた。呼吸に合わせて、彼女の中が微妙に動く。
「あのさ、うごいても、いいよ? みちるは平気だから」
こちらに顔を見せないまま、みちるはそんな強がりを言った。
「動きたくなったら、動くさ」
「そっか」
それきり交わす言葉もなく、俺達はただ繋がったまま、互いの体温を感じて時を
過ごした。遠くから聞こえる酔客の笑い声が、別世界の出来事のように思えた。
「あったかいねぇ」
みちるはそう呟いて両手を重ね、下腹部に置いた。ちょうど俺の先端があるあたりを、
愛おしげに撫でさする。みちる越しに、掌の圧迫感が伝わって来た。
「そうだな」
俺は答えて、みちるの胸に手を伸ばした。とくとくと打つみちるの鼓動を感じながら、
押さえるようにして薄い胸を刺激する。
「ひゃあぁ」
鼻にかかった声を上げながら、みちるは身体を揺らした。
応えるようにして、俺も腰を使う。するとみちるがまた、身体を揺らす。
おたがいの存在を確かめ合うように、交互に身体を揺らしながら、俺達は、ゆるやかに
上り詰めていく。彼女の呼吸が、次第に浅く、早くなっていった。
「ふぁああぁぁん」
少しだけ高い声で、みちるが鳴いた。伸び上がるようにして背を反らし、ふるふると
小さな肩を震わせる。
強い締め付けに誘われて、俺もすぐに限界を迎えた。みちるの身体を固く抱きしめて、
俺は何度も、何度も彼女の中に精を送り込んでいった。
最後の一滴まで出し尽くしてから、俺は腕の力を緩めた。
みちるは俺の胸に寄りかかり、呼吸を整えている。
「あったかいねぇ」
覗き上げるようにして俺の顔を見ながら、みちるが笑った。
その後、俺達は風呂から上がって部屋に戻った。なんだかその夜は寝付けなくて、
結局俺は、朝近くまでみちるを抱き続けた。
――俺の最後の女がこいつか
疲れ果てて眠るみちるの顔を見ながら、そんなことを考えた。
このくらいが俺には似合いかな、とも思った。
長い航海を終え、ようやく俺は内地に帰ってきた。艦から降りると、俺は真っ先に
葉鍵楼へと向かった。
「よう」
店の前で、みちるの姿を見つけたので、俺は声をかけた。
「あ、いらっしゃい。ひさしぶりだね、どっか行ってたの?」
「戦争行ってたんだよ、南の果てまで」
「うわ、そりゃ大変だったねぇ。ケガとかしなかった?」
「俺も死ぬ覚悟して国を出たんだけどな、結局、俺の乗ってた艦は、砲弾一発も
撃たないで帰ってきたよ」
「それはそれで、よかったじゃん」
そうだな、と言いながら頭を撫でてやると、みちるは気持ちよさそうに目を細めた。
「美凪さんは元気だったか?」
「うん。でも、美凪は今、店に出てないんだ」
「どうして?」
「身請けがきまったの」
まるで自分の事のように嬉しそうに、みちるは身請け先のことを語りはじめた。
相手は大金持ちの跡取りで、本人も相当にいい男らしい。親の反対を押し切っての
大恋愛で、いずれは正式に祝言を上げるとか。
あの美凪さんが嬉し泣きしたと聞かされて、俺は自分の負けを悟った。
「そんな事になってるとはな」
憧れ続けていたあの人は、ついに手の届かない所へ行ってしまった。だが、
意外と俺は冷静だった。
「俺も金貯めてたんだけど、無駄になっちまったな」
充分な額になったら、美凪さんにうち明けるつもりだったのだが、その機会はもう
来なさそうだ。
「へぇ、貯めたって、どれくらい?」
俺はみちるを手招きすると、そっと耳打ちした。艦に乗ってる間、ほとんど金を
使わなかったせいで、俺の貯金はけっこうな額になっていた。
「あのね、言いにくいんだけど、それじゃぁちょっと……」
「ダメか?」
「普通のお店なら、それで足りると思うんだけど。ほら、葉鍵楼っていちおう高級って
ことになってるでしょ? その中でも美凪は看板だったからね」
「そうか」
所詮、高嶺の花だったか。思わずため息が漏れた。
「だいじょうぶ、それだけあればみちるを身請けできるよ」
照れたような笑みを浮かべて、みちるは言った。
「莫迦、そんな無駄遣いが出来るかよ」
「あ、ひどぉい」
ぎゃあぎゃあと文句を言うみちるをからかいながら、二人の生活を想像してみた。
意外と悪くないな、そう思った。
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