「――以上、本日の業務報告終了です」
「おう、ご苦労。後は俺が適当にやっとく」
小さなモニター画像の中で、セルゲイ氏が無愛想に言った。
「適当に、では困りますが」
「言葉のあやだ。本当に適当にやるわけねぇだろ。っとにてめーは固っ苦しい野郎だな」
「申し訳ありません」
「交代だろ。とっとと休め」
「はい。お疲れさまでした」
面倒くさそうに手を振るセルゲイ氏に短い挨拶を返し、モニターを切る。
私は最後にもう一度通してチェックを行い、計器が正常に作動していることを確かめた。
――心配性だね、セリオは。
よく、マスターにも笑われたものだ。
私達には、俗に言うロボット三原則はないが、できうる限り人命を尊重するようにプログラムされている。
ましてや数万単位の命がかかっている状況下では、何度チェックしてもし過ぎることはないだろう。
チェック終了。やはり異常はない。同時に別のHM−13が入ってきた。
「交代の時間です」
「はい。後はよろしくお願いします」
席を立った勢いで、髪がふわりと広がる。
すれ違い様に軽く手を合わせて挨拶し、互いの手を掴んで運動エネルギーを交換すると、私の体は容易く宙を進んだ。
3つほど扉をくぐると、展望室を兼ねた通路に出る。
そこは空に繋がっていた。
空。暗い空。永遠の深さを持った闇の空。
その闇を切り裂く雲は、白銀の光の群れ。銀河……名前通りの、銀色の河。
よくマスターと一緒に地上から見上げていた空を、私達は旅している。
外宇宙移民船――数万の命と希望と可能性をその内に秘めた、巨大な船で。
自由時間、というのもおかしな話だが、私達には労働をしてはいけない時間が定められている。
理由の一つとして、本来、人間の代わりに仕事をするべく作られた私達だが、今度は人間の雇用不足が問題になった。
そこで私達を導入している企業には、一定比率以上の人間の雇用義務と、私達の労働時間短縮が義務づけられた。
非効率的だとは思うが、理屈としては納得できる。
もっとも、この船の運用はメイドロボの稼働が前提になっているため、雇用不足の心配をする必要はない。
だが、第二の理由として、私達の電子頭脳はなにもしない休息期間を与える方が安定する。
人間の脳神経と構造が似ているので、人間が夢を見るのと同様に、記憶の整理をする時間を作るのが必要、という理屈だ。
無粋な言い方をすればデフラグだが、根を詰めすぎるとよくないのは、人間もメイドロボも同じなようだ。
他にもメイドロボにも人権をと言い出す、メイドロボ愛好派の主張もあったらしいが――それはあまり関係ないらしい。
標準労働時間は十六時間。部署はある程度決まっているが、サテライトサービス――衛星を介してはいないが、
慣習でそう呼ばれている――でデータを受け渡しできるので、必要とあればどこの仕事にも就く。
労働を終えた後は、充電、整備などに二時間割いたとしても、余りは六時間以上。
待機スペースでおとなしくしているものもいれば、ここに来て宇宙をぼうっと眺めるものもいる。
それぞれお気に入りの場所、落ち着く場所で、ゆったりと時を過ごすのだ。
私のもっとも落ち着く場所、それは……マスターの側。
そう、私にはマスターがいる。私は他のメイドロボと違い、この船に所属しているメイドロボではないから。
展望室を抜け、いくつもの通路と扉を経由した奥に、巨大な部屋――通称寝室――がある。
気温が低く設定されたその部屋には、まるで工場のように無数のカプセルが並べられている。
これらは狭い地球を飛び出し、外宇宙の開拓に希望を見いだした人達のゆりかごだ。
彼らは到着までの数年を、眠ったまま過ごす。目覚めるときは、新天地に到着したときだ。
そうすることによって、食料、酸素、エネルギーの消費を最低限に押さえることができる。
彼らは夢さえも見ない深い眠りの中で、ただ、旅が終わる時を待っている。
寝室を抜けた向こうにあるのが、乗務員待機室だ。
名前が違うだけで、やはりここにも寝室同様、乗務員が収められたカプセルがある。
乗務員は数年に及ぶ長旅を支障なく行うために、十二のグループに分けられ、一月単位で交代する。
一月に一回、全員が目覚めて報告等を行うが、それを除けば十一ヶ月眠っては、一月起きるの繰り返し。
今起きている人間は最低限の保守要員五名。それも仕事のほとんどは私達が行うから、僅かなチェックをしているだけだ。
緊急時には全員が起こされるが、今のところそれが必要になる事態は起きていない。
この船の設計者の一人であるマスターも、今はカプセルの中で眠っている。
私はカプセルの縁に腰掛け、ガラス越しにマスターを眺めた。
まるで死んでいるように静かで、時折体調管理センサーに目をやって、無事かどうかを確かめる。
曇ったガラスを拭うが、曇りはガラスの内側なので、ほとんど効果はない。ぼんやりとマスターの目鼻立ちが見える程度だ。
もちろん記憶の中のマスターは鮮明に再現することができる。だけど、それは過去の映像だ。
今、生きて動いているマスターを見ることはできない。それがもどかしい。
ひんやりとしたガラス。張りつめた沈黙。ゆっくりとしか動かない時間。
自由時間にはここに来ずにはいられないのに、ここに来るといっそう寂しさが募る。
次に目覚めるのは十五日と八時間後。それも一日で眠りについてしまい、次に一月目覚めるのは四ヶ月後だ。
私もマスターと同じサイクルで眠りにつけたならよかったのだが、メイドロボを遊ばせておくような余裕はこの船になかった。
早く会いたい、と思う。
この思いが孤独というものなのだろうか?
黙っていれば時は過ぎる。時の単位は一定で、いくつもの沈黙を重ねれば、いつかマスターが目覚めるときは来る。
それが分かっているのに、私はただ待つことに耐えきれず、小さく歌を口ずさむ。
マスターが好きだと言ってくれた、懐かしい歌だ。
静かで穏やかな、だけど強く希望を意識させるメロディーと歌詞。
歌いながら、思いを馳せる。
遠い過去、大地の上で。星を見上げ、僕らはいつかあそこにいくんだと嬉しそうに語ったマスター。
僕は、ではなく僕らと。
その夢は叶い、マスターはこの船を作り上げ、私達は今星の海の中にいる。
だけど余りにも遠く長い旅路は、私を押し潰しそうだ。
私はこのメロディーに必死にしがみついて、時が過ぎるのを耐える。
いつしか歌のレパートリーも尽き、膝を抱えて丸まり、宙に浮かんでいた。
もちろんサテライトサービスを駆使すれば三日三晩でも歌えるが、それはマスターとの想い出の歌ではない。
そんなことを考えているうちに、私の自由時間は残り少なくなっていた。そろそろ充電しなくては。
軽く天井を蹴って、マスターのカプセルに、そっと口付ける。
「では、行って来ます」
共用の待機スペースに収まり、メンテナンスと充電を受ける。
次の担当部署は、船体の損傷チェック、および補修作業。船外活動だ。
私達専用の船外作業服――酸素パックがついていない――を身につけていた時、振動が船を貫いた。
警告音が鳴り、照明が一段落ちる。それが回復すると同時に、セルゲイ氏の怒ったような声が響いた。
「非常事態だ! 隕石かなんかが船体に食い込みやがった!
十班から十三班の連中はB−2区画に集合して点検と補修に入れ。船外活動班は外部から船体のチェック! 急げ!」
指示を受け、私達はエアロックから外に飛び出す。どのセリオも無言で、一種緊張のようなものが見て取れる。
にもかかわらず私は、非常事態と言うことは、もしかしたらマスターに会えるかも知れない。そんな不謹慎なことを考えていた。
宇宙空間には様々なものが浮いている。と言ってもその大半は星間物質と呼ばれる塵の類で、密度も薄いためにほとんど害はない。
それでも衝突の被害を最小限に防ぐために、船体はできうる限り細くされ、船体前部は傘のようなシールドで厳重に覆われている。
今回は、ほんの僅かだけ斜めに飛び込んできた隕石が、シールドを避けて船体に衝突した。
光速の数%という速度で動いているこの船にそんなものが当たるのは、まさしく天文学的な確率だが、起こったものは仕方がない。
隕石自体はごく小さなものだったが、この相対速度の前では質量の小ささを無視した大被害に見舞われる。
船体の一部は大きくめくれ上がり、機能美のみを追及した灰色の船体に、醜い傷を穿っている。
幸い入射角が極端に浅かったおかげで、船体を長くえぐりはしたものの、構造材を貫通はせずに隕石は止まった。
航行に支障はないようだが、万が一に備えて損傷部のチェックと補修を始める。
装甲を切り取り、新しいものをはめ、溶接する。単純な作業だが、被害箇所が広いため、やたらと時間がかかる。
――マスターが起きているかも知れないのに。
そんな焦燥を感じながら傷跡を覗き込み、暗い穴の底にちろりと火花が瞬いているのを見た。
瞬間、サテライトサービスで船体構造の全てを取り寄せる。あの場所は――。
爆発が起きた。
推進剤の経路。そこについていた微かな傷、僅かな火花。それらが反応し、膨張し、私を吹き飛ばした。
一瞬命綱が張ったが、衝撃と飛び散った破片が引きちぎり、私はくるくる回りながら船体から遠ざかる。
いけない!
現時点での船体の速度、方角、私の現在位置の変遷をサテライトサービスで取り寄せる。
航行予定の全てを引き出し、できうる限りのデータを私の中に詰め込む。
その合間に私は姿勢制御用バーニアをふかし、船体と同じベクトルを得ようと調整する。
「おいっ! セリオ! どうし……z……」
セルゲイ氏の声が聞こえた。だが直後、通信にノイズが混じり始める。
船体が遠ざかる。ほんの僅かな減速が、致命的な遅れとなる。星の中に船の輝きが混じってゆく。
遠く、小さく、見えなくなる……姿も、声も……。だけど最後に、ノイズの中に混じった声を確かに聞いた。
「セリオっ……」
マスター!?
直後、砂嵐のようなノイズの海に、全ては閉ざされた。
私は船を外れ、減速はしたものの、なお同方向に凄まじい速度で動いていることに代わりはない。
それだけの慣性力が、私の体には残っている。問題があるとすれば……一センチのズレが、一秒後には数キロにもなることだ。
私は最後に受け取ったデータを元に、ミリ以下の単位で姿勢を制御。
周りの星の姿から、現在地点を測定しつつ、方向を合わせる。
電力は最低限の機能しか働かせられない。一日に一度、十秒だけ起きて現状把握。バッテリーの消耗を最低限に押さえる。
ただ、それを何百回、何千回繰り返せば、目的星域に到達できるのか分からない。
それ以前に、到達したとしてどうするのか……。減速できずに、どこかの星の引力圏に掴まって、燃え尽きるのが落ちだ。
だけど私は諦めたくはなかった。
最後に聞いたマスターの声、それをもう一度聞きたいと思った。
宇宙は孤独だった。
暗く、冷たく、本当の意味で一人きりだった。
周りに生きている命はなく、音さえも聞こえない。
人間は、全ての感覚を遮断した状態に置かれると、ほどなく発狂するという。
どんなに訓練を積んだ宇宙飛行士でも、1日と持たないそうだ。
ロボットの私はどうなのだろう。孤独を前にして狂うのか、絶望するのか、壊れるのか。
私は、十秒だけ星を見た。そして全てを閉ざす。
なにもかもが闇に塗りつぶされる中で、夢を見た。そこには人間の手が入っていない、緑の大地があった。
マスターは今頃、新たな大地を踏みしめているのだろうか。
それとも未だにカプセルの中で眠ったままか……。
そんな想像を幾度繰り返したのか分からない。だけど他に考えることはなく、他にできることもなかった。
余りにも夢見る時間が長すぎて、起きている十秒の方が夢なのではないかと思うほどに、脆く儚い。
マスター。
会いたいです。早く、早く。いつまでこうしていればいいのでしょうか。
つらいです。寂しいです。抱きしめてください。暖めてください。笑いかけてください。
変ですね。前はこんなこと考えなかったのに。いえ、考える必要なんて、ありませんでした。
マスターはいつも側にいましたから。
今はずっと、マスターのことばかり考えています。思いだしています。
髪に触れてくれた手。抱きしめてくれた腕。頂いた言葉の一つ一つ。そして笑顔。
マスター、お食事ができました。
あ、そっちはダメです。クリーニングに出していません。ネクタイも曲がってます。
レストラン、ですか? 私は食事は必要ありませんが……。
流れ星に三回願うと、願いが叶う……やってみます。
――はい。マスターと一緒に、星の世界にいけますようにと。
マスターの願いは、私の願いですから。
夢は叶いました。私たちは星の世界に来ることができました。でも、今はマスターがいません。
マスターはずっと先に行ってしまいました。早く、追いつきたい。
追いついて、会えたら、笑ってください。頑張ったね、って誉めてください。
そんな希望を抱かないと、静かすぎる時間に耐えられそうにないから――。
時間の流れは余りにも遅く、この変化のない宇宙同様、凍り付いているように思えた。
孤独な旅は、まだ終わらない。
十秒。
私は目を開いた。
目指した恒星の輝きと、その隅でひっそりと輝く目的地が、ようやく視界に捉えられた。
それはまだまだ遠いけれど、確かにそこにあった。
マスター、そこにいるんですね。でも。
できうる限り節約してきたバッテリーは、そろそろ限界だった。
どうせならマスターのいる星に落ちて死にたいと思ったけど、惑星の公転周期を計算すると、どう考えてもぶつからない。
悲しい。
最後の願いさえ叶わない。
次に目覚めたときは、マスターのいる星は別の惑星の影に隠れてしまう。
なら、ここで力尽きた方がいいかも知れない。
どうしよう。どうすれば、一番綺麗に終われるか。
マスターのことを思い出しながら、最後の時を迎えられるか。
ああ、そうだ。
私はメロディーを口ずさんだ。
遠く限りない宇宙へ 夢を探して迷うfar away 揺れる運命になぜか 心みだれて道を惑う
月に見守られて 気高く生きてゆける 時間は砂のように so 流れるけど……
Eternal love 君に逢えた 蒼いこの銀河で いま信じて 飛び立つ天使
Eternal dream 光浴びて 翼広げたなら きっと奇跡は始まる Angel in my heart……
声が掠れた。
視界が歪んだ。
私は……泣いていた。
そういう機能はある。だけど、命令を入力してもいないのに、勝手に涙が溢れる。
まるで……まるで、人間みたいに。
胸が潰れそうに痛い。心が苦しい。命の残量が減ってゆく。消えてゆく。恐い。……いやだ。いやだ。
マスター……私、死にたくありません。会いたい。もう一度……あなたに会いたい。
どうして、やっと近くまで……長い時間をかけて、ここまで来たのに、あなたに会えずに死んでいくのは……いやです。
なんのために、私はずっと孤独に耐えてきたんですか?
あなたに会えないなら、そんなの無意味だったのに……。
……マスター……っ。
――ザッ……
ノイズが走った。
とうとう最後の時が来たのか、と冷たい絶望に襲われる。
だけどその中に別のなにかが混じっていた。
――ザッ……なぁ……歌……聞こえなかったか?
この、声……。
――歌だよ! セリオがよく歌ってくれたあの歌!
余りにも懐かしい、忘れようのない、声。それはだんだんと大きく、
――俺には聞こえなかったぞ。なぁ、ナガセ、やっぱ無理だって。見つかるわけ……。
――聞こえたんだよ、セリオの歌がっ! ちくしょう、絶対にいるはずなんだ! 俺のセリオなら、それくらいできるはずなんだ!
――ああ、分かったよ! どうせここまで来たんだ、とことんつきあってやらぁっ!
マス……ター……。
星が見えた。青く、小さく、涙のせいで歪んでいたけど、希望と、可能性と、夢と、命と……。
そして、マスターがいる星。
――私達は思い出の場所によく似た大地の上で、あの時と同じように、夢を語る。
ここから見上げた星の形は、地球とはまるで違っていたけれど、私たちは確かにその空を越えて、ここに到着した。
「ねぇ、セリオ。歌ってよ、あの歌――」
「はい、マスター」