葉鍵的 SS コンペスレ 3

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160夢見る頃へ 1/4

 どんな時も元気になれる 場所が必ずあるから

   どこにいても忘れないで  前に歩いて行こう…


 志保の歌が、終わった。
 かつて通っていた高校の門の前で、俺たちの高校生時代を懐かし
むように、ふっと志保が唄いはじめた、あの頃の歌。
 今年大学を卒業する俺と、もう社会に出て働きはじめている志保。
 ほんの思い付きで見に来たかつての校舎だったのに、そのあまり
に変わらぬ佇まいは、俺たちの心のどこかを、鈍く刺激していた。
「ほんと、まだほんの三、四年なんだもんねえ」
「ああ」
「なんだろうね。この日常感──親近感と、この違和感と、同時に
感じるのってさあ」
「……俺も、おんなじだ。おんなじように感じてる」
「あらそう?」
 志保は、くったくなく笑った。
「あんたにしては珍しく、反論してこないのねぇ?」
「だってよ、本当にそう思ったんだ」
「……そうね」
 静かにもう一度校舎に目を向けた志保の、その横顔は、目鼻立ち
も、造りも、よく見れば高校の時とまったく変わっていない。
 でも、髪型も変わったし、化粧も覚えた。ファッションも変わっ
た。
 よく見なきゃぁ、……同じだなんて思えないほどに。
「なぁに人の顔をじっと見てるの? フジタヒロユキ」
「あ、ああ……」
161夢見る頃へ 2/4:02/08/18 15:19 ID:/5m6JcmE
「ねえ、あたし、いまさあ、ここに通ってた頃の自分って、まるで
別人にしか思えないのよねえ」
「そうか?」
「あんたは違うの?」
「そこまでは思わねえな」
「それはあんたが成長してないからよ」
「うるせえ」
 アハハ、と笑う志保。ようやく昔のペースに戻って来たみたいだ。
 俺たち自体、会うのは四年ぶりだしな。
「ガキ過ぎるのよねー。思い出の中のあたし…あたしたちって」
 志保は、くるっと身体ごとこっちを向いて言った。
「ね。そう思わない? いまの自分ならあんなことしなかったなー、
もっと上手くやったなー、とか。アレはやらないっしょ、とか」
「…ああ」
 俺のことを好きになり、俺の気持ちも知っていたくせに、そのず
っと前から親友のあかりが俺のことを好きだったのを知っていたか
ら、──ひとりで悩んだ末に、きっぱり身を引いて関西に行っちま
った、高校の頃の志保。
 志保が、“ガキね”とその頃の自分を一言で切って捨てたのを、
俺はさっき聞いたばかりだった。
「あたしだって、高校中学の思い出だってまだほとんど覚えてるし、
カラダもココロも結局は99%あの時の長岡志保のままだってわか
ってるわよ? でもね」
「でも?」
「もうあの頃の自分には戻れないな、ってのも、よくわかんのよ。
もう、二度とね」
 その言葉を、志保は、すごくいい笑顔とともに言った。
162夢見る頃へ 3/4:02/08/18 15:24 ID:JK+KqEg2
“あ…──”
 いまの志保が、俺の知ってる志保と別人に見えるのは、例えば、
こんな表情をする時だった。
 いまの自分にしっかりと自信を持ってて、いまの自分のことが、
なんだかんだ言って好きで。そう、はっきり言える奴の顔だ。
「そうか……。そりゃあ、そうだな…」
「ね。それでもね」
 志保は、ゆっくり門柱に近づくと、手のひらでそれを撫でた。
「それでもね、あの頃の自分が嫌いだってわけじゃないの。ていう
か、好きなのね」
 門柱が、鈍い色の表面で、キラキラと太陽光を反射している。
「そりゃ言ってやりたいことの百や二百はあるけどねえ、でも、自
分がもうあんな風には戻れないってことを知ってるから、あの頃な
りに一生懸命悩んだりエネルギー使ったり、頑張って背伸びしたり、
他人に──自分に嘘ついてまで、友達を守ろうとしたりさあ、そん
な自分を、自分たちを、どうしても嫌いになれない気持ちもあるの
よ」
「…………」
「まるっきり別の生き物に思えるから、存在感感じるのね。変なこ
と言うなぁって言われるかもしんないけど、」
 志保は、門柱に触れたまま、逆の手を広げた。
「あの時の自分たちは自分たちで、まだこの辺をふつ〜に歩いてて、
あの時のままやってる。なんだかそんな光景がさ、見える気がすん
のよ」
163夢見る頃へ 4/4:02/08/18 15:25 ID:JK+KqEg2
 志保の言葉は唐突だったが、意外にもしっかり俺の胸に落ちて来
て、俺はそれに、軽く驚いた。
 目の前の校門を通って、今の俺の目線より少し下を、志保の丸い
頭が、あかりの笑顔が、志保と言い争う俺が、珍しく部活が休みの
雅史が、一団となって通り過ぎてゆく……。
 今は忘れてしまった、たくさんの他愛ない話をしながら。
 そんな姿が、俺にも想像できた。
 いつかこんな日も終わる、そんなこと考えてもいない、考える必
要もない時代の俺たち。
 そんな、特別な時代の俺たちの姿が。
「ああ。俺にもわかるぜ。その気持ちな」
「へえ…、そう。気が合うのだけは昔のまんまなのね。あたしたち
……」
 志保の歌の、最後の方のフレーズを、俺は思い出していた。


 いま思えば楽しい日々が フルスピードで過ぎて行き

  そしていつか大人に変わる そんなことに気が付かない…──