葉鍵的 SS コンペスレ 2

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628虚像の王子(1)
 あたしは、どうしてこんな日常を続けているんだろう。


 季節は春。
 頭の上に広がる空はどこまでも青く、降り注ぐ陽光は辺り一面を一層に彩り、
 ときおり吹き抜けていく風は暖かく、芽吹き始めた翠の匂いを運んでくる。
 ホント、散歩をするならいい感じ。

 普通のカップルなら、こんな日どうするだろう。
 そうね。天気もいいことだし、バスケットにサンドイッチを詰めて、
 二人で近くの公園へピクニックっていうのはどうかしら。
 芝生に敷いたチェック柄のシートの上、二人でサンドイッチを口にする。
 そしてお腹がいっぱいになったら、行儀の悪い彼はいきなり彼女の膝を
 枕にして昼寝をし始めるの。彼女はそんな彼に対して少し苦笑して、
 幸せそうな彼の寝顔をいとおしく見つめる、そんな一日を過ごす。
 ……あたしなら、きっとそうする。

 今、あたしはそんな彼を待っている。けど、来ない。
 ホントにいい加減なヤツ。
 自分から「来てくれ」って誘ったくせに、こんな可愛い彼女を待たせるなんて。

『約束、すっぽかされたかな……』

 そう思ったこともあった。
 でも、違った。
629虚像の王子(2):02/08/08 23:51 ID:jv3rMD7c
 "折原浩平という人はどこにも存在しない"


 それが、ただ一つあたしが理解できたこと。
 あたしの彼はこの世のどこにも存在しない。つまりそういうこと。
 存在しない、どこにも。

 仲の良かったクラスメイトにも、
 小さい頃からの幼なじみにも、
 同じ屋根の下に住んでいた家族にも、
 誰の中にも彼の存在する場所はなかった。

 存在しないから来ない、それは誰にでも分かること。
 でも一つだけ例外がある。

 それは、あたしの中にだけ彼が存在しているということ。

「折原……」

 少し前まではその名前を呟くことが多かった。
 そうしないと、彼の存在があたしの中からも消えていきそうだったから。
 でも、その回数はだんだんと少なくなっていった。
630虚像の王子(3):02/08/08 23:52 ID:jv3rMD7c
『折原浩平って、本当にいたの?』

 自分に問いかけてみる。

『……』

 分からない。本当にいたか、なんて。
 私以外の誰の中にもいないんだから、確かめることができない。
 ……じゃあ、何であたしは待っているんだろう。
 いないの、来ないのに、来るはずがないのに、どうして待っているの。

『……』

 嘘なのかもしれない、彼の存在自体が。
 折原浩平なんて人は最初からいなかったんだ。
 全ては幻想。自分を助けてくれる王子様を求めていたあたしの幻想。
 その幻想がありもしない王子様を作っていたんだ。
 つまり口からでまかせ、だから『嘘』

「帰ろう……」

 そう、帰ろう。
 折原浩平なんていない世界へ。あたしがいる世界へ。
 全ての時間を元に戻して、もう一度やりなおそう。
 
 そしてあたしは振り向き、この嘘の世界との決別の一歩を踏み出そうとした。
631虚像の王子(4):02/08/08 23:52 ID:jv3rMD7c
 その時。

「キキィィーーー」

 耳障りな急ブレーキの音ともわもわっとした土煙をあげ、一台の自転車が
 あたしの目の前に停止した。

「ぜー、ぜー、ぜー……」

 そして、あたしはその自転車の持ち主の顔を見てはっきりと思い出した。
 こいつは本当にいい加減なヤツだ、と。
 
 出会い頭に鳩尾に肘鉄をキメてくるわ、
 授業中に人の髪で遊ぶわ、
 人の制服を勝手にオークションにかけるわ、
 自分で聞きもしないデスメタルを薦めるわ、
 期待させといて、結局はキムチラーメンだわ。

 ……って、思い出しただけで、なんだか腹がムズムズしてきそうだけど、
 でも、それは私の思い込みじゃなく、実際あったことで、つまり、
 嘘でもなんでもなく、

「ねぇ、一つ訊いていい?」
「ん、なんだ?」
「あんた、本物?」
「ふっ、愚問だな……折原浩平が、この世に二人いると思うか?」
「いたら、困る」
「だろ?」

 折原浩平は本当にいたんだ。
632虚像の王子(5):02/08/08 23:53 ID:jv3rMD7c
「そんじゃぁ、今から行くぞ」
「えっ、どこへ?」
「どこへ……って、決まっているだろ。何のために待ち合わせていたんだよ」
「あっ、そっか」

 そう、あの日交わした約束。
 あたしが彼から貰ったドレスを着て、二人でダンスパーティーに行く約束。
 そんな約束を交わしたばかりなんだよね。
 ……一年前に。

「って、折原の着てる服、もしかして喪服!?」
「だって、オレの家にタキシードなんてねぇもん」
「あぁ、もう、こんなのと踊るなんて恥ずかしいっ」
「まぁ、気にするな」
「あたしは気にするのっ!」

 そして、あたしは走り始める。
 誰の作りだした嘘でない、本当の王子様と。