あたしは、どうしてこんな日常を続けているんだろう。
季節は春。
頭の上に広がる空はどこまでも青く、降り注ぐ陽光は辺り一面を一層に彩り、
ときおり吹き抜けていく風は暖かく、芽吹き始めた翠の匂いを運んでくる。
ホント、散歩をするならいい感じ。
普通のカップルなら、こんな日どうするだろう。
そうね。天気もいいことだし、バスケットにサンドイッチを詰めて、
二人で近くの公園へピクニックっていうのはどうかしら。
芝生に敷いたチェック柄のシートの上、二人でサンドイッチを口にする。
そしてお腹がいっぱいになったら、行儀の悪い彼はいきなり彼女の膝を
枕にして昼寝をし始めるの。彼女はそんな彼に対して少し苦笑して、
幸せそうな彼の寝顔をいとおしく見つめる、そんな一日を過ごす。
……あたしなら、きっとそうする。
今、あたしはそんな彼を待っている。けど、来ない。
ホントにいい加減なヤツ。
自分から「来てくれ」って誘ったくせに、こんな可愛い彼女を待たせるなんて。
『約束、すっぽかされたかな……』
そう思ったこともあった。
でも、違った。
"折原浩平という人はどこにも存在しない"
それが、ただ一つあたしが理解できたこと。
あたしの彼はこの世のどこにも存在しない。つまりそういうこと。
存在しない、どこにも。
仲の良かったクラスメイトにも、
小さい頃からの幼なじみにも、
同じ屋根の下に住んでいた家族にも、
誰の中にも彼の存在する場所はなかった。
存在しないから来ない、それは誰にでも分かること。
でも一つだけ例外がある。
それは、あたしの中にだけ彼が存在しているということ。
「折原……」
少し前まではその名前を呟くことが多かった。
そうしないと、彼の存在があたしの中からも消えていきそうだったから。
でも、その回数はだんだんと少なくなっていった。
『折原浩平って、本当にいたの?』
自分に問いかけてみる。
『……』
分からない。本当にいたか、なんて。
私以外の誰の中にもいないんだから、確かめることができない。
……じゃあ、何であたしは待っているんだろう。
いないの、来ないのに、来るはずがないのに、どうして待っているの。
『……』
嘘なのかもしれない、彼の存在自体が。
折原浩平なんて人は最初からいなかったんだ。
全ては幻想。自分を助けてくれる王子様を求めていたあたしの幻想。
その幻想がありもしない王子様を作っていたんだ。
つまり口からでまかせ、だから『嘘』
「帰ろう……」
そう、帰ろう。
折原浩平なんていない世界へ。あたしがいる世界へ。
全ての時間を元に戻して、もう一度やりなおそう。
そしてあたしは振り向き、この嘘の世界との決別の一歩を踏み出そうとした。
その時。
「キキィィーーー」
耳障りな急ブレーキの音ともわもわっとした土煙をあげ、一台の自転車が
あたしの目の前に停止した。
「ぜー、ぜー、ぜー……」
そして、あたしはその自転車の持ち主の顔を見てはっきりと思い出した。
こいつは本当にいい加減なヤツだ、と。
出会い頭に鳩尾に肘鉄をキメてくるわ、
授業中に人の髪で遊ぶわ、
人の制服を勝手にオークションにかけるわ、
自分で聞きもしないデスメタルを薦めるわ、
期待させといて、結局はキムチラーメンだわ。
……って、思い出しただけで、なんだか腹がムズムズしてきそうだけど、
でも、それは私の思い込みじゃなく、実際あったことで、つまり、
嘘でもなんでもなく、
「ねぇ、一つ訊いていい?」
「ん、なんだ?」
「あんた、本物?」
「ふっ、愚問だな……折原浩平が、この世に二人いると思うか?」
「いたら、困る」
「だろ?」
折原浩平は本当にいたんだ。
「そんじゃぁ、今から行くぞ」
「えっ、どこへ?」
「どこへ……って、決まっているだろ。何のために待ち合わせていたんだよ」
「あっ、そっか」
そう、あの日交わした約束。
あたしが彼から貰ったドレスを着て、二人でダンスパーティーに行く約束。
そんな約束を交わしたばかりなんだよね。
……一年前に。
「って、折原の着てる服、もしかして喪服!?」
「だって、オレの家にタキシードなんてねぇもん」
「あぁ、もう、こんなのと踊るなんて恥ずかしいっ」
「まぁ、気にするな」
「あたしは気にするのっ!」
そして、あたしは走り始める。
誰の作りだした嘘でない、本当の王子様と。