葉鍵的 SS コンペスレ 2

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578優しき嘘の辿り着く場所(1/13)
「祐一、準備出来た?」
「ああ、これで終わりだ……っと」
 段ボールのふたを閉め、ガムテープで封をする。
 すっかりガランとした部屋を見回すと、一つ残った目覚まし時計に手を伸ばす。
「ありがとうな。今まで世話になった」
 そう言いながら、従姉妹の声が録音されたそれを、元の持ち主に差し出した。
「うん……」
 名雪は両手で受け取ると、そのまま胸に抱え込む。
 俯く顔に一瞬光るものが見えたのは、気のせいだろうか。
「……お別れ、だね」
「そんな寂しそうな声、出すなって。また今度、遊びに来るから」
「うん、そうだね」
 そういうと顔を上げ、笑みを浮かべてみせた。
「今度来た時は、あんなに待たせないよ」
「まったくだ。こんどはせめて一時間は切ってくれよ」
「うん、頑張るよ」
「……冗談なんだけどな」
 俺は苦笑すると、旅行鞄を手に取った。残りの荷物は宅急便で送ってもらうこ
とになっている。
「あ……もう行っちゃうんだ」
「ああ。最後にこの街を一通り見て行こうと思ってさ」
579優しき嘘の辿り着く場所(2/13):02/08/05 08:07 ID:F/UpyJA1


     優しき嘘の辿り着く場所


580優しき嘘の辿り着く場所(3/13):02/08/05 08:07 ID:F/UpyJA1
 俺がこの街に来てから二ヶ月余り。ようやく暖かくなり、俺もこの街に馴染ん
できた頃、思わぬ事が起きた。
 両親の長期出張が取りやめになってしまったのだ。なんでも景気の悪化から、
そんな余裕が会社になくなったとか。
 お陰で俺は、また四月から元の街で暮らすことになったのだ。

「それじゃ祐一さん、またいつでもいらしてくださいね」
「はい。それじゃ、また。今までお世話になりました」
 いつもと変わらぬ笑顔の秋子さんに別れの挨拶をすると、俺は水瀬家に背を向
けて歩き出した。
 この街で暮らしていきたい、と思わないこともなかったが、俺が居候すること
が迷惑になっているのも事実である。むろん、秋子さんは何を言うわけではない
が、母子家庭で食い扶持が一人増えるというのは大変なものだ。
 それに名雪のこともある。
 名雪だって年頃の娘だ。そのうち誰かと恋に落ち、彼氏も出来るだろう。そん
な時、俺のような男が同居してる、と聞けばその男も気分が悪いだろうし、いら
ぬ誤解を生むことも十分に考えられる。
 二人のためにも俺は引っ越した方が良い。そう俺は納得している。

    ――※――※――※――※――

581優しき嘘の辿り着く場所(4/13):02/08/05 08:08 ID:F/UpyJA1
 俺はいつもの道をたどり、商店街にやってきた。
 ここも春の装いのまっただ中だ。
 花をあしらったディスプレイが並び、ピンクを基調とした装飾が辺りを彩って
いる。
「わーい、まってよー」
「おいてっちゃうぞー」
 歓声をあげ、小さな子供たちが俺の横を通り過ぎる。
 男の子と女の子。互いに手を繋ぎ、笑いながら駆けてゆく。
 まるで七年前の、俺とあゆのように。

 月宮あゆ。七年前に出会い、その七年後に偶然再会した少女。
 しかし、ある日を境に彼女と出会うことは二度となかった。
『もう会えないと思うんだ』
 その時彼女が言った言葉通りに。
 遠くに引っ越したんだろう。
 そう納得しようとはするものの、最後に出会った時のことを考えると、いつも
ある疑問にたどり着く。
 七年前、俺はあゆとどうやって別れたのだろう?
 様々なことを思い出したが、結局そのことは最後まで思い出すことはなかった。

 ふと足を止める。
582優しき嘘の辿り着く場所(5/13):02/08/05 08:08 ID:F/UpyJA1
 この場所だ。あゆと俺が最後に話をしたのは。
『探し物、見つかったんだよ……』
 声と共に脳裏に蘇る、あゆの顔。言葉とは裏腹の、寂しげな表情。
『だから……祐一君とも、もうあんまり会えなくなるね……』
「また……会えるといいな」
 俺は小さく呟いた。

    ――※――※――※――※――

 商店街を抜け、学校に向かって歩を進める。
 街路樹からの木漏れ日が地面に斑模様を描く。こんな光景を見ると、春になっ
たことを実感させられる。俺がこの街に来た頃はまだ、葉の上にまで雪が積もっ
ていたものだ。
 そういえば、その雪を頭からかぶった少女がいたことを思い出す。場所もちょ
うどこの辺りだ。

 美坂栞。自称、病気の少女。
 雪にも劣らぬほどの白い肌を持った少女は、風邪で学校を休んでいる、という
話だった。
 けれど、俺はあの後学校で、彼女を見かけることはついに一度もなかった。
 風邪なら一週間もすれば治るだろうに。
583優しき嘘の辿り着く場所(6/13):02/08/05 08:26 ID:F/UpyJA1
 彼女は一体何だったのだろう?
 実は別の学校をずる休みしている、登校拒否児だったのだろうか?
 ちゃんと学校に来ていて、単に俺が会えていないだけなのだろうか。
 それとも実はもっと重い病で、今も家で寝ているのだろうか。

 あと気になることが一つ。
 学校に美坂香里、という級友がいた。
 栞と同じ名字。けれど香里は、自分に姉妹なんていない、と以前話してくれた。
 果たして本当に無関係だったのだろうか。嘘を付いていたんじゃないだろうか。
 もはや確かめることもできないのだが。
 二月に入ってから学校を休みがちになった香里は、三月にはついに一度も俺た
ちの前に姿を見せることもなかったからだ。
 引っ越した、と聞いたのはつい最近のこと。名雪も知らなかったらしい。

 美坂栞と美坂香里。
 この二人の事を思い、俺は空を見上げた。
 緑の葉の隙間から見える空は、ただ青く透き通っていた。

    ――※――※――※――※――

584優しき嘘の辿り着く場所(7/13):02/08/05 08:27 ID:F/UpyJA1
 あえて何も考えないように努めながら先を急ぎ、俺は学校へとたどり着いた。
 どうやら今日は卒業式だったようだ。校門では華やかな姿の人々が談笑している。
 感極まったのだろう。袴姿の女性が目を潤ませ、ハンカチで目元を押さえている。
 俺も後一年この街にいれば、こうして卒業式を迎えていたのだろうか。

 そういえば、あの人はどうなったんだろう。
 俺は何とはなしにある女性の姿を探してみる。が、見つかるわけもない。
 ここにいないだけなのか、それとも――。

 川澄舞。
 彼女との出会いは突拍子もないものだった。
『……私は魔物を討つ者だから』
 嘘か冗談だとしか思えない言葉を、彼女は深夜の学校で口にした。制服に剣を
持った幻想的とも言える格好で。
 興味を持ったのは事実だ。何度か話もした。けれど直ぐに疎遠になった。
 話す事は理解できなかったし、何より彼女は学校の問題児だったからだ。

 その後も何度か彼女の華々しい噂を聞いたのだが、ある時を境に全く話が出て
こなくなった。
 それは学校の窓ガラスが全て割られていた日。
585優しき嘘の辿り着く場所(8/13):02/08/05 08:27 ID:F/UpyJA1
 二階、三階の窓ガラスも廊下側に向かって割られており、どんな超常現象が起
きたのかクラスでもひとしきり話題になったものだ。
 川澄舞との関係を噂する者もいたが、学校からは何の発表もなかった。
 何も。
 ガラスが割られたことについてさえ――。

「あの……」
「あ、はい」
 気が付くと、袴姿の人が俺に向かってカメラを差し出していた。
「一枚撮ってもらえないかしら」
 拒否する理由もない。俺は桜をバックにその四人グループをファインダーに収
め、ボタンを押す。
 シャッターがきれるその一瞬、幼い女の子の姿が見えた気がした。

    ――※――※――※――※――

 お礼の声を背に、学校を後にした。
 まだ時間がある。
 俺は最後に街の全景を見ようと、丘に登ることにした。子供の頃の記憶を頼り
に細い道を歩く。
586優しき嘘の辿り着く場所(9/13):02/08/05 08:28 ID:F/UpyJA1
 しばらく行くと視界が開けた。青々と茂った草の向こうに、ミニチュアの様な
街が広がっている。
 柔らかな風が、少々ほてった体に心地よい。

「うにゃー、うなー、なー」
 不意に聞こえる猫の声。
「にゃー、うにゃー」
 高く低く、歌うかのように続くその鳴き声は、なぜか悲しげに響いてくる。
 どこからだろう。
 草を掻き分け、声の方に近づいてみる。草むらを掻き分けつつ進むと、突然開
けた空間に出た。十メートル程度の広場の中央に一匹の猫がうずくまり、鳴き声
をあげている。
「お前は……?」
 その猫の容姿には見覚えがあった。真琴が歩道橋から落としたヤツによく似て
いるのだ。

 沢渡真琴。自称、記憶喪失少女。
 よく分からないうちに水瀬家に住み着き、ある日突然いなくなった迷惑なヤツだ。
 夜毎の悪戯に随分と睡眠時間を削られたことを、今となっては懐かしく思い出す。
 けれどそれも、真琴が拾った猫を歩道橋から落とした時に終わりを告げた。
 どこに行方をくらましたのか、あの後彼女に出会うことは二度となかった。

587優しき嘘の辿り着く場所(10/13):02/08/05 08:28 ID:F/UpyJA1
 結局記憶喪失は嘘だったのだろう。今頃は家族や友達を困らせつつ、楽しく遊
んでいるに違いない。そうに決まっている。決まっているんだ。けど――。

「ねこ、ねこ」
 片膝をつき、猫に手を伸ばす。本当にあの時の猫か、確かめてみようと思った
のだ。しかしそいつは警戒の声を上げると身を翻し、あっという間もなく姿を消
してしまった。
「これは……?」
 猫がいたところに、土が小さく盛り上がっている。
 その前には、小さな茶碗。
 まるで……まるで何かの墓のように。
 何より俺はその茶碗に見覚えがあった。いや、あるような気がした。あれは――
 ……いや、気のせいだろう。そんなはずはない。だいたい、今まで残っている
はずがない。

 俺はそこに眠る何者かに対して、そっと手を合わせ冥福を祈った。
 再び聞こえだした猫の鳴き声が、鎮魂曲のように思えた。

    ――※――※――※――※――

588優しき嘘の辿り着く場所(11/13):02/08/05 08:29 ID:F/UpyJA1
 街を一通り回ってきた俺は、ようやく駅前の広場に辿り着いた。
 時間を確認する。よかった、後数分でちょうど予定していた列車が出発する。
 俺は改札に向かって歩き出した。
「祐一っ!」
 突然背後から声をかけられる。振り向くとそこには、名雪が立っていた。
 名雪にしては珍しく息を切らしている。格好も先ほど別れたときのままだ。
 動揺を抑え、笑顔で問いかける。
「あれ? 名雪、どうしたんだ? 何か俺、忘れ物したか?」
「ううん、そうじゃないよ……あ、そうかも」
「おいおい、一体なんだ?」
「忘れたのは、わたしの心」
 そういうと名雪は目を閉じ息を整える。何か大事な事を伝えようかとするように。
「あのね、わたし――」
「名雪っ!」
 俺は名雪の言葉を遮るように大声を出した。
「えっ、なに?」
 驚く名雪を後目に、俺は改札に向き直った。
「……元気でな。彼氏でも出来たら、連絡しろよ?」
「っ――! 祐一……」
「じゃあな」
589優しき嘘の辿り着く場所(12/13):02/08/05 08:33 ID:F/UpyJA1
「ゆう……い……」
 俺は歩き出した。後ろを振りかえず。
 名雪のためにも。俺のためにも。

    ――※――※――※――※――

 本当は気が付いていた。

 あゆがこの世から姿を消したことも。
 栞が大病を患っていたことも。
 舞が魔物と戦って果てたことも。
 真琴という記憶喪失の少女を見捨てたことも。
 けれど俺は、誰も救うことが出来なかった。
 気が付いたときには遅すぎたのだ。
 嘘の中の真実に。真実の中の嘘に。

 そして、名雪。
 名雪が俺のことを好きなことも分かっていた。
 俺も名雪のことは嫌いじゃない。
 だからこそ、こんな情けない男の側を歩かせるわけにはいかないのだ。
 彼女には幸せになって欲しいから。
590優しき嘘の辿り着く場所(13/13):02/08/05 08:33 ID:F/UpyJA1

    ――※――※――※――※――

 ホームに着くと、ちょうど列車が到着したところだった。空席を探し、腰を下
ろす。
「すまんな……」
 誰にともなくつぶやき、目を閉じた。
 発車のベルが鳴り響く。

 こうして俺は逃げるようにこの街を出ていくのだ。
 自分自身にも嘘をついて。
 優しき嘘が降り積もった、この街を。


〜了〜