葉鍵的 SS コンペスレ

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75名無しさんだよもん
 ヤマユラの集落――
 つい先頃、ケナシコウルペからトゥスクルと名を変えた國の辺境に位置する小さな村である。
 叛乱の指導者であり、朝廷を打倒して玉座に就いた仮面の青年ハクオロを輩出したこと以外は何の変哲もないこの村は、新王朝樹立後、叛乱軍に参加していた人々が次々に帰還し、また元通りの静かな時を刻んでいた。
 ずっと、刻んでいくはずだった。


「ここはもう駄目だ! 女子供から優先して退却、急げェ!」
 筋骨たくましい髭面の男が大音声を張り上げ、手にした戦斧を振り上げる。
 押し寄せる騎兵の群れの中で、退却する村人たちの指揮を取るその男の名は、テオロ。この村の男衆の統率役を自認する、豪放で快活な男だったが、阿鼻叫喚の戦場でその顔は焦りと絶望に染まりつつあった。
「あんた、後ろ!」
「カァちゃん!?」
 妻のソポクが叫ぶ。同時に、テオロの後ろから槍を振りかざして迫っていた騎兵の一騎が、弓矢の一撃を受けて倒れた。
「オヤジ、おまえ最後。もう後退する」
 矢を放った寡黙な青年が、後方からテオロを呼ぶ。
「すまねぇ、ウー。ヤーとターは無事か?」
「ここにいるダニ」
「ぼ、僕も何とか……」
 小柄な老人と、気弱そうな少年がテオロの声に答える。辺境の小村と侮っていたらしく、敵の第一陣は後退して体勢を立て直しているようだ。
「奴ら、すぐにまた来るよ。こっちも最後の防壁まで後退した方がよくないかい?」
 ソポクの言葉にうなずき、テオロは朝廷に反旗を翻す際に築かれた砦まで後退する。
 物見台に上がって見渡せば、体勢を立て直した騎兵隊が今にも第二陣を送り込もうとしていた。その動きには無駄がなく、熟練した軍隊であることが窺える。
「連中、クッチャ・ケッチャの騎兵隊か? 何だってこんな田舎に」
「さあね。ただ分かるのは、連中がこっちを皆殺しにするつもりだってことさね」
 唇をかみしめながら、ソポクが言う。確かにその通り、単なる辺境の小村を制圧するにはいささか過剰な兵力だった。いきなり現れ、降伏勧告もなしの一斉攻撃。叛乱で培った実戦経験がなければ、刃向かう間もなく蹂躙されていただろう。
 もっともその抵抗も、ここにきて風前の灯火ではあったが。
「次が来たら持ちこたえられねぇ、降伏は考えるだけ無駄。八方ふさがりか……」
 絶望的な心境で、敵軍を眺めながら呟くテオロ。森へ逃げ込もうにも、既に退路は断たれていた。
「……あんた。あそこ、見えるかい?」
 ソポクはテオロの二の腕を軽く叩くと、展開している敵軍の一角を指さす。そこだけは、ほかと比べてやや包囲が手薄だった。
「ああ、確かにあそこは穴だ。けどよ、この人数で、女子供連れて抜けられる穴じゃねぇ。抜けられたとしてせいぜい一騎か二騎……」
 そこまで言って、テオロはソポクの真意に気づいた。
77伝令 3:02/05/10 16:24 ID:2hpDyET7
「おいおいカァちゃん、おめぇまさか……」
「そのまさかさ。どのみち立てこもったって皆殺しにあう。そしたら連中は次にどこへ行く?」
 皇都やここ以外の集落は、この奇襲に気づいていない。次々に抜かれて、下手をすれば都すら危うくなるだろう。
「誰か一人でも、伝令が出なきゃならない。幸いウォプタルも一頭生き残ってる。分かってると思うけど、この村で今一番強くて五体満足なのはあんただよ」
「ば、馬鹿野郎! みんなを置いて俺だけ逃げろってのか!?」
 口の端から泡を飛ばすテオロを、ソポクはぴしゃりと遮った。
「逃げるんじゃない。これはあんたがやらなきゃならない仕事だよ。いや、あんたしかできない。ハクオロたちにこのことを知らせなきゃ、この國が危ないんだ」
「だからってな……」
「オヤジ」
 なおも食い下がるテオロを、今度は三人組が制した。
「仲間、家族、守る。ハクオロも、仲間」
「ここで全滅じゃ、ワシらは犬死にダニ。オヤジが行くしかないニ」
「あ、あの、僕からもお願いします……」
 振り返れば、生き残った村人たちがテオロの周りに集まっていた。彼らは一様に期待を込めたまなざしを、テオロに注ぐ。
78伝令 4:02/05/10 16:25 ID:2hpDyET7
「いや、駄目だ。俺もここでみんなと……」

 パァンッ!

 言い終える間もなく、ソポクの平手打ちがテオロの右頬を襲っていた。
「痛てっ! な、なにすんだカァちゃん!?」
「あー痛い痛い。まったく無駄に頑丈なんだね、この宿六は」
 テオロを打った掌をさすりながら、ソポクが言う。
「いい加減にしなよ。あんたにしかできない仕事が、あんたを待ってんだ。辺境の男なら、ぐだぐだ言わずにさっさとやりな」
「カァちゃん……」
「ここで自分だけみんなと離れるのが嫌だなんて、そんなタマ無しを旦那にした覚えはないよ。でかい図体にごつい顔して、あんたの頭は何のために付いてんだい」
 ソポクはテオロに一歩歩み寄ると、テオロの襟首をつかんで強引に引き寄せた。
 そして、背伸びしてテオロにくちづける。
 わずかな沈黙の後、ソポクはテオロに微笑みかけた。
「……ほら、しゃんとしな。あんただって、もう分かってるんだろ?」
「……ああ」
 テオロは、そう頷いてソポクを抱きしめた。強すぎる抱擁の痛みに身をよじりもせず、ソポクは軽くテオロの背中を叩く。
 お互いの体を離し、夫婦はおそらくこれで見納めになる互いの顔を焼き付けるように見つめ合った。
「……必ず、役目は果たす」
 生きて帰る、とは言えない。それはあまりに儚い約束だから。
「よろしい。それでこそあたしの旦那だよ」
 待っている、とは言えない。それはあまりに哀しい嘘だから。

 けれど、もしも。
 奇跡が起きて、もう一度生きて逢えるなら――

 その思いだけは確かに伝わっていると信じて、夫婦は互いに背を向けた。
79伝令 5:02/05/10 16:26 ID:2hpDyET7
「抜けたぞォーーー! 一騎ィーー!」
 村を包囲するクッチャ・ケッチャの騎兵隊が、囲みを破らんと突進するテオロを阻もうと動いた。
 そこへ、集落の砦からありったけの矢が射かけられた。
「どぉけェェェェェェ!!!!」
 隊列を乱した騎兵の中を、大音声とともにテオロが駆け抜ける。
 立ちふさがる槍ぶすまを戦斧でなぎ払い、慣れないウォプタルの手綱を片手で必死に操って、いくつもの手傷を負わされながらも、テオロは囲みを抜けた。
「弓隊、構え!」
 後方から、敵軍の指揮を取る声がする。しかしその声には一切構わず、テオロはさらにウォプタルに鞭を飛ばし、加速させた。
「放てッ!」
 疾走するテオロの背中めがけ、雨あられと矢が降り注ぐが、ほとんどの矢はテオロの速さを追い切れず、虚しく地面に突き刺さる。
「よしっ……!」
 振り切れる――そう確信したとき。
「グッ!?」
 背中に突然の灼熱感。ついにテオロをとらえた一本の矢が、深々と背中に突き立っていた。
「くっそぉ……この程度!」
 危うく落馬しかけるところで歯を食いしばり、背中の激痛にさえ耐えて手綱を握りしめる。もはや余計な重量でしかない戦斧を放り捨て、なおも駆ける。
 駆けて駆け抜いて、気づいたときには周囲に敵兵の姿はなかった。振り切ったのだ。
 けれどその事実に安堵もせず、テオロは砕けそうなほどに歯を食いしばってウォプタルを走らせた。
80伝令 6:02/05/10 16:27 ID:2hpDyET7
「ハアッ……ハアッ……!」
 傷は深い。一歩進むごとに、背中の矢傷は脳髄にまで響く激痛を訴える。
「畜生……畜生……ッ!」
 けれどそんな傷よりも遙かに深く、テオロの心はえぐられていた。
 矢を抜くことさえ忘れ、泡を吹いて倒れたウォプタルを乗り捨て、一歩たりとも立ち止まらずに駆けぬくこと半日。ついにテオロの眼前に、トゥスクル皇城の威容が姿を現した。
「で……伝令ーーッ!」
 気力を振り絞って声をあげ、動揺する衛士を押しのけて宮内に押し入る。
「ま、待て!」
 止めに入る衛士はしかし、鬼気迫るテオロの形相に思わず一歩退かされた。
 テオロは衛士たちを一顧だにせず、玉座へと続く大扉を押し開ける。
 そこで彼を待ち受けるのは、ともに戦った狩猟部族の若き族長。妹のように親しんだ薬師の姉妹、そして。
 彼らの一番奥、そこに目指す人影はあった。
 仮面の下に優しげなまなざしを隠した青年。テオロが村長と仰いだ漢。
 王となっても変わらない、その懐かしい姿に、テオロは彼のことを呼んだ。

「てぇへんだ、アンちゃん!」

 騒然とする周囲のざわめきが遠くなるのを感じながら、テオロは最後の気力を振り絞ってハクオロに火急を告げた。
81伝令 7:02/05/10 16:29 ID:2hpDyET7
 夢か現か、それはテオロが今際の際に見た光景。
 モロロの生い茂る畑で汗を流しながら、村の仲間――家族たちと笑いあう。
 ここでの時間はゆっくりと、本当にゆっくりと刻まれて。
 もう、痛みに歯を食いしばって走る必要など、どこにもない。
 日差しは暖かく、風は優しい。土の香りが、静かに村を包み込む。
 傍らで微笑む妻を抱き寄せて、テオロは静かに目を閉じる。

 それを最後に、彼の意識は永遠の眠りに沈んだ。