野中「…あの子は、どうしてますか?」
不意に野中が口を開いていた。
俺はその言葉で救われた気分になる。
最後に会った時、野中は俺に告げた。
『もうこれ以上巻き込まないで』と。
だから俺からその話を持ち出すわけにはいかなかったのだ。
俺はいつだってそのことを野中と話したかった。話して、現状を把握していきたかった。
不安で不安で仕方なかったのだ。
純一郎「いろいろ変わってしまったよ。野中と話していたころからな」
野中「なにかありましたか?」
純一郎「ムネヲは…まるで手のひらを返すように、いろいろな議員や党員が離れていってる」
野中「離党勧告を出しましたね」
純一郎「ああ、出した」
野中「……」
野中「力が失われているとき、雲隠れするようです」
純一郎「それは……予兆、ということなのか」
野中「予兆……いえ、本来ならば、それで終わっていたのでしょう」
野中「ただ、思いが強いだけに、不完全な形で今も居続けているんです」
ずっと前から始まっていたのだ。
以前からムネヲの政治活動における不備は目についていた。
あれこそが予兆だったんだ。
外務省に圧力をかけるのもそうだったし、私設秘書のパスポートを偽造するのもそうだった。
よく顔を赤くしながら大声で怒鳴り散らすのも、そうだったのかもしれない。
そして今回の証人喚問で、一気に政治生命が縮まってしまった。
でもぎりぎりのところで、ムネヲは持ちこたえた。
ならばもう、ムネヲの思いはいつ費えてもいいような状態なのだ。
野中「もう離党は免れることはできない、と思ってください」
ムネヲはそんなにも権力にしがみつきたいのか。あんな、アホの坂田のようになってまで…。
純一郎「そして、どうなるんだ、あいつは…」
野中「消えます。初めからいなかったかのように」
俺は目を瞑り、顔を伏せた。なんて言っていいか、わからない。
純一郎「……」
野中「……」
野中は、ただ黙って、俺が次の言葉を促してくれるのを待っていた。
そんなふうに見えた。
野中なら、もしこれ以上話を続けたくなければ、簡単に俺を置いて去れたはずだからだ。
これまでもそうだったように、俺の知っている野中とは、そういう人間のはずだった。
純一郎「なんでもいい。話をしてくれ」
野中「…他愛ない昔話です」
純一郎「いいよ。聞かせてくれ」
野中「北方領土は、ご存じですね」
純一郎「……」
ここからでは建物が邪魔して見えなかったが、俺が目を向けた方向で合っているはずだ。
ムネヲが、長い間返還を求めている、という島のことだ。
通称をそう呼ぶことを同時に思い出した。
純一郎「ああ」
野中「その北方領土には、友好の家が建てられたのだそうです」
野中「古くからそれはムネヲハウスと呼ばれ、形は家のそれと同じ」
野中「多くのムネヲの関わった建築物が、裏金まみれとなるのだそうです」
野中「ムネヲが姿を現した国はことごとく汚職に見舞われることになり、その頃より厄災の象徴として厭われてきました」
野中「現在に至るまでです」
すぅ、と野中は小さく息を吸った。
野中「ただそれだけの、どこにでもよくある昔話です」
純一郎「それが、あいつだと言うのか」
野中「……」
野中「…小泉さん」
野中「あの子は、小泉さんに災禍を見舞いにきたのですよ」
純一郎「……」