葉鍵板最萌トーナメント!! 準決勝 Round161!!
河原には、早めの春が訪れていた。
柔らかな日差しの午後、半ばほど開いた桜の木の下で、一人の女性が黒髪を風になびかせている。
「うん……いい風だよ」
見上げる眼差しには光はない。だが、どこまでも優しく、穏やかだ。
桜の花弁が一枚飛んで、川名みさきの頬に張りついた。
「ん……?」
甘い香りを移した花弁を手に取る。
「……食べても平気かな? でもかわいそうだね。はい」
珍しく理性が食欲に勝った。
花びらを風に乗せて、空に流すと、くるくると回って、川に落ちた。
みさきは小さく手を振った。
そんな静かな時間に、にぎやかな声が混じり込んできた。
「ほらーっ、あれですよ。まだ五分咲きですけど、おかげで静かにお花見できます」
「ああ、ほんとだ。こりゃまた見事に1本だけ……あれ?」
「……誰かいる」
みさきは聞き覚えのある声に、にこ、と微笑んだ。
「佐祐理ちゃんに、祐一君に、舞ちゃんだね。お久しぶりだよ」
「それじゃ、みさきさんもお花見に?」
少し不思議そうに……祐一が聞いた。
四人は佐祐理の用意した、ビニールシートの上でくつろいでいる。
佐祐理がポットからお茶をつぎ、みんなに回した。
「うん。桜、きれい? 何点くらいかな?」
いわれて祐一は桜を見上げる。
半ば開いた花が、枝の所々で薄紅色の固まりを作る。
隙間からのぞく空、注ぐ光とのコントラストが、ささやかな色合いを強調する。
「綺麗ですよ……。まだ五分咲きだけど、95点あげます」
「わ、高得点だね」
だけど女性陣二人はもっと甘かった。
「……100点」
「佐祐理も100点あげます」
やはり花を見て喜ぶ気持ちは、女性の方が強いようだ。
「あ、あのなぁ……そんなことを二人が言ったら、俺だけ見る目がないみたいじゃないか」
「……祐一は感性が乏しいから」
「桜はいつだって100点ですよーっ」
「うう……二人が俺をいじめる……」
仲のいい三人のやり取りに、みさきはくすくす笑う。
「ふふっ。そっか、100点なんだ……」
みさきはなにかを懐かしむ目で、桜を見上げる。
もうなにも映らない瞳で、目の前の景色でなく、遠い過去を見る。
「わたしも小さい頃見たんだ。この木に咲いた、満開の桜……。
うん。あれは本当に、100点満点に花丸3つつけてもいいくらいだったよ……」
脳裏に浮かぶ、いっぱいの花に覆い尽くされた桜の木。
風が枝を揺らすたびに、まるで雪のようにこぼれ落ちる花びらが、子供の頃の自分に降り注ぐ。
その下でみさきはくるくると踊っていた。
なにもかもが、綺麗に見えたあの頃。
みさきは両手を広げ、木の幹を抱きしめ、目をつぶる。
「こうして木の幹に耳を当てるとね、生きている音が聞こえてくるんだ。
一生懸命、綺麗な花を咲かせようとしている。それが愛おしいんだよ……」
佐祐理達も、同じように耳を当てる。感触は固いが、温もりが心地良い。
その向こうから吹き抜けるような音が聞こえる。
>>151 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
「ほんとだ……なんかゴーっていってますね」
佐祐理が不思議そうに言う。
「トンネルの音みたい……」
舞が情緒もなにもないことを言う。
「お前なぁ……」
さっき感性を否定された祐一が、責めるように言った。
「ふふふ。そうだね。根っこから水や養分を汲み上げている音らしいけど、
きっと心臓がトクントクンいっているのと同じなんだね」
「ふぇ……、森は生きているってよく言いますけど、実感したのは初めてです」
「うん、そうだよ。森だけじゃなくって、風も、水も、太陽の日差しも、みんな生きているんだよ」
みさきはいたずらっぽい笑顔をひらめかせた。
「そうは見えないけどね」
「あの……佐祐理達、お弁当作ってきたんですけど、一緒に食べませんか?」
「いいの? 私は大歓迎だけど、後悔するかも知れないよ?」
さらりと笑顔でそんなことを言う。舞の顔が少し嶮しくなった。
「あははーっ。たくさんありますから、大丈夫ですよーっ」
佐祐理はお重を重ねた風呂敷包みを開く。
いつもは3人分詰め込んであるが、今日は宴会だからかなり多めだ。
「それじゃ、遠慮なくいただくよ」
「すみません。ちょっとでいいですから遠慮してください」
祐一は本気で頭を下げた。
「……うん。努力してみるよ」
みさきはとても目が見えないとは思えない、見事な箸捌きでお重の中身を平らげてゆく。
もっとも努力の成果か、あるいは愛用のスプーンがないためか、そのペースはいつもよりはるかに遅く、祐一は胸を撫で下ろす。
しかし、お重が空になる寸前。その戦いは起こった。
がしっ!
お重の上で、みさきと舞の箸が交錯し、同じ卵焼きを掴む。
みさきは笑顔で、舞は厳しい顔で。力が均衡し、二人の中央で卵焼きが止まる。
「舞ちゃん、行儀が悪いよ」
「卵焼きは渡さない……」
「私ね、佐祐理ちゃんの卵焼きはおいしいから、もっと食べたいんだよ」
「これが最後の一個」
「目が見えないから、分からないよ」
「私は卵焼きを食うものだから……」
「こらこら」
「あははーっ。それじゃ、佐祐理がはんぶんこしますねーっ」
佐祐理が二人の中央で止まっている卵焼きをひょいと取り上げ、箸で割り、二人の口に押し込む。
「あの状態からどうやって抜き取ったんだ……?」
祐一は悩んだが、みさきと舞は、そんなことは気にしない。
「うんうん。やっぱりおいしいよ」
「佐祐理の料理は全部おいしい……。でも、これは格別」
「やっぱり卵焼きは甘い方がいいよね」
「剥同」
さっきまでの争いを忘れたかのように、笑い、頷く。祐一が呆れてため息をついた。
「もう勝手にしてくれ」
「ごめんね。祐一君も欲しかった?」
「祐一、浅ましい」
自分たちを棚に上げて、二人が言う。
「俺かよっ! 悪いのは全部俺か!?」
「あははーっ。次は祐一さんもありつけるように、たくさん作ってきますから」
「佐祐理さん。それはフォローの仕方が違う……」
「ふぇ?」
お茶を飲みながら風に吹かれ、桜を見ながら時を過ごす。
「はぁ……優雅ですねぇ」
「こういうのんびりした日曜も、たまにはいいな」
「私はいつものんびりしているけどね。でも、今日は本当に楽しくて良かったよ」
「……嫌いじゃない」
だけど楽しい時間は永遠に続かず、気づけば過去になる。
今日という一日が、思い出に変わるのと同じように。
桜の花が夕焼けを浴びて、オレンジ色に染まる頃。
「それじゃ、私たちはそろそろ失礼しますね。みさきさんはどうしますか?」
みさきは少しだけ考えて、桜に視線を送る。
見えないはずの目でなにを見ているのか。ただ、何かに引かれるように答える。
「……うん。私はもう少しだけ、ここにいるよ」
「そうですか。じゃあ、佐祐理達はここで」
「……今度は卵焼きは渡さない」
「まだそんなこと言ってるのか、お前は」
ぽかり、と祐一の突っ込みチョップが舞を打った。
「あはは。それじゃあ、さよならです」
「うん。ばいばいだよ」
舞と祐一が何事か言い合い、佐祐理が笑いながら、なだめながら、遠ざかっていく。
みさきは小さく手を振って3人を見送り、桜の幹に背を預けた。
「100点、かぁ……」
目を閉じ、思い出す。正面には隠れつつある夕陽。背には満開の桜。それはみさきの思い出の風景。
「今の君は、どんな風に咲いているのかな……?」
木の上に昇り、遠くに沈む夕陽を、地平線に消えてしまうまで眺めていた。
世界は美しく、なにもかもが鮮やかに輝いていた。
「少しだけ……少しだけだよ? …………残念だよ」
夕陽が長く木の影を伸ばす。
木の上と、木の下と、二人のみさきが太陽が帰るのを見送る。
「いつかまた……見られるといいね」
〜 FIN 〜