セリオ支援SSを貼らせて下さい。
題名は【Appassionata】14レス分。
ちなみに綾香視点の一人称です。
人の手で造られた自我が、何を拠り所にするかを考えてたらこうなりました。
では、失礼します。
――人形である自分を哀しいと感じないのは哀しいことだろうか。
高度に複雑化した人工の知性は矛盾を抱えざるを得ない。
おそらく、それを認識することが研究の第一歩なのだろう。
『12』は人と触れあうことで、当初の予想を上回る成長ぶりをみせてくれた。
彼女は我々が用意した感受性の器に、あふれるほどの想いを詰め込んで帰ってきた。
想像以上の成果と言っていい。
だが、だとすれば『13』の方はどう解釈すればいいのだろうか。
今回の運用テストにおいて、本当の意味で想像を超えたのは間違いなく『13』の方だった。
先端科学に携わる者にあるまじきことかも知れないが、私はこの結果に畏怖すら感じている。
我々は彼女に関しては、“器さえ用意していなかった”のだから。
−来栖川エレクトロニクス職員の個人ファイルより抜粋−
<続く 1/14>
運用テストの最終日――。
セリオと過ごす最後の日は、ホコリっぽい風が窓を叩く音で目が覚めた。
ベッドからはい出して窓を開けると、乾燥した風がバルコニーの下を通って庭先を吹き抜けていくのが見える。
――こんな風の強い日は、きっと目にゴミが入りやすいだろう。
起きてから最初に考えたのはそんなことだった。
別れが来ることは最初から判っていたし、その日が今日だということもずっと前から知っている。
一週間前には一週間後だと思っていたし、三日前にはもうあと三日なんだと考えた。
頭では解っていたのだ。
胸のつかえが下りないのは、頭以外の部分がぜんぜん納得していないということなんだろう。
(参った……な。こういうのはちょっと苦手なんだけど)
サイドテーブルに置かれた鏡のなかでは、来栖川綾香が表情の選択に迷っている。
――困ったときはとりあえず笑えばいい。
――“私”ならそうする。
私はパジャマを放り出すように脱ぎ捨てて、ベッドから跳ね下りた。
考えるのは後にして、早くあの子の顔を見ようと思った。
今日は時間を無駄にしたくない。
泣いても笑っても、残りはもう一日だけなんだから。
どんどん傾いていく陽に追い立てられるようにして、私たちはふたりでいろいろな場所に行った。
買い物をして、ゲーセンに寄って、なぜか海を見に行って、閉園二十分前の遊園地で観覧車に乗る。
何をしていいか分からなかったから、手当たり次第になんでもやった。
別にどこでもよかったのだ。
言葉少なに私の後を着いてくる、綺麗な亜麻色の髪が視界に在りさえすれば――。
記憶のなかに、少しでも多く彼女の姿を刻むことができればそれでよかった。
<続く 2/14>
気が付いたら、もう夕暮れだった。
もう少し名残を惜しみたかったけれど、セリオの方はいつものように淡々としたものだった。
『綾香様にお仕えしたことは非常に有意義な体験でした』
いつも通りの表情でそんな風に言われてしまったら、私から言えることなんてあまり多くない。
お別れの抱擁を交わして、せいぜい湿っぽくならないように笑ってみせた。
「あなたは……ううん、私たちは良いパートナーだったと思う」
ぎゅっと。握りしめたセリオの手は温かい。
でも、そんなのはささいなことだ。
少なくとも私は、温かいのが手だけじゃないことを知っているから。
「そして、これからもずっと――良い友達だわ」
「ありがとうございます。とても、光栄なことです」
口数が少ないのはいつものこと。ぎごちなく握り返してくる手が心地良い。
少しだけ感情があふれそうになったけれど、この子が望まないならそういうのは無しだ。
私が泣いて取りすがったりしたら、きっとこの子を困らせる。
そして、“自分のせいでマスターが泣いている”と考えるだろう。
――そんなのは格好悪い。
<続く 3/14>
握った手を胸の高さまで持ち上げて、私はわざと芝居がかった言葉を投げかけた。
「今日は楽しかったわ。次のデートも期待していい?」
「しかし綾香様、私はもう……」
セリオの反応は予想通りだった。
それが少し微笑ましくて、ほんの少しだけ寂しい。
「こういうときは可能性を考えちゃだめ。その気があったら迷わず『YES』って言わなきゃ」
これから彼女が帰るおとぎの国は、高い塀と企業秘密に囲まれている。
学校の友達が遠くに引っ越すのとはわけが違うのだ。
――もう二度と会えない。
――でも、次に会うときはめいっぱい楽しみましょう。
矛盾する二つの命題に、セリオは自分なりの解釈を下したようだった。
「はい。そのときは、綾香様が今日よりも充実した日を過ごせるよう努めます」
「『綾香様が』じゃなくて『私たちが』でしょ?」
もう一度。私は思い切りセリオを抱きしめた。
気が利かないことに、迎えのバスは一分たりとも遅れずに到着してくれた。
プシュ、と圧縮空気の音がして、おとぎの国への扉が口を開ける。
お別れの時間だった。
ふと、タラップに足をかけたセリオの足が止まって、何かを思い出したように振り返る。
目が合ったのは、ほんの一秒ほどの間だ。
次の瞬間には、すばやく一礼したセリオがタラップを駆け上っていく。
――さよなら。
とっさに動かした唇は、セリオから見えただろうか。
そうして、あの子はあっさりと私の生活から姿を消した。
<続く 4/14>
――朝方からの雨は、いっこうに止む気配を見せない。
学校からの帰り。私は白っぽく煙る景色の中を足早に歩いていた。
午前中の間に少しずつ強さを増した雨が、アスファルトの上に幾つもの筋を作っている。
帰宅するのに車を使わなかったのは、いつもの気まぐれというやつだった。
ささいな気分の変化がなかったら、この路を通ってはいなかっただろう。
――だから、最初は見間違いだろうと思った。
いくらあの子が優秀でも、私の気まぐれまで計算に入れることはできないはずだから。
同じ学校の生徒が傘を忘れたんだろう、ぐらいに思った。
水たまりを避けて顔を上げた先に、見慣れたシルエットが傘もささずに立っている。
寺女の制服はぐっしょりと濡れていて、亜麻色の髪が同じように水を含んで顔に張り付いていた。
「……セリオ?」
声を発してから、すぐに相手の正体を確信する。
「やっぱりセリオじゃない! どうしたの? こんなとこで」
思わず声が弾んだ。
もう会えないと思っていた相手とあっさり再会して心が弾んでいる。
駆け寄ろうとした私の足を止めたのは、聞き慣れたはずのセリオの声だった。
「この路だと思っていました。お会いできてよかった」
完璧な発声とアクセントで綴られる言葉は、まったく耳に障ることなく鼓膜にすべり込んでくる。
お馴染みの声と、変わらない口調。
だけど、何か違和感があった。
<続く 5/14>
降りしきる雨のなか、彼女はあごを引いて背筋を伸ばし、真っ直ぐに前方を凝視している。
私はそれが人型ロボットに共通の『基本待機状態』と呼ばれる姿勢であることを思い出した。
この姿勢は安定性に優れているが、バランス機能に優れたHMXシリーズにはほとんど意味がない。
セリオ本人も、旧世代ロボットの規格を引き継いだだけだと言っていた。
――なんだか、見てる方も背中が突っ張りそうなカッコね。
初対面のときに冗談でそう言って以来、セリオがその姿勢をとったことは一度もなかったはずだった。
二人の距離は二メートル弱――立ち話をするには少し遠い。
雨がますます強さを増すなかで、私とセリオはまるで他人同士みたいに向き合っていた。
「あの日、私は綾香様から逃げ出しました」
沈黙の重さに耐えきれなくなったころ、セリオはいつものように静かに口を開いた。
美しく成形された顔のフォルムの上を、雨滴が絶え間なく流れ落ちている。
目尻と目頭に流れ込んだ水滴が、二本の筋となってセリオの頬を伝っていた。
「……あの日?」
「運用テストの最終日です。綾香様は、私がバスに乗ったときのことを憶えていらっしゃいますか?」
忘れるはずなかった。
ぼんやりとした夕暮れの光のなかで、私はあふれ出しそうな感情の堰を必死で押さえ込んでいた。
忘れろなんていう方が無理だ。
「車に乗り込む直前、、私の思考プロセスは明らかに異常でした。
あのとき、私は綾香様にお別れを述べようとしたのですが――」
そこまで言って、セリオは急に首をめぐらせて辺りをうかがい始めた。
「どうしたの、セリオ?」
「やはり、この付近は優先的に捜索されているようです。予測の範囲ではありましたが」
また、さっきと同じ違和感がわき上がってきた。
今日に限って、セリオの言うことは要領を得ない。
彼女は周囲に油断なく視線を送っていて、私の方を見ようとしなかった。
<続く 6/14>
「私にも解るように言ってくれると嬉しいんだけどな」
セリオは相変わらず、私に見えないものを観て、私には聞こえない音を聴いている。
前はあんなに近くに感じられたセリオが、今日はなんだかよそよそしかった。
他の誰が解らなくても、私だけはこの子の温もりを知っている――そう思っていたのに。
冷たい雨の帳にさえぎられて、私には彼女の見ているものがまるで判らない。
セリオが再び口を開いたのは、たっぷり三十秒ほど間を置いてからだった。
「いま研究所の方々に見つかったら、私はもう綾香様と話すことができなくなってしまいます」
その一言でようやく、セリオが何を気に掛けていたのか分かった。
そして、彼女が置かれている状況も。
「――私は、外出許可を得ずにここに来ています」
セリオの口からは予想通りの言葉が出てくる。
――結局、セリオは一度も私と目を合わせようとしなかった。
<続く 7/14>
ぬかるんだ校庭を横目に、セリオと同じ傘に入って歩く。
私たち二人は、姉さんが通っている高校に来ている。
校門までは何度も来たことがあるけれど、こうして内に入るのは本当に久しぶりだった。
ここなら、しばらくは時間が稼げるはずだ。
いま家に戻るわけにはいかないし、セリオが通っていた私の学校には真っ先に捜索の手が来るだろう。
制服が周囲と違う私たちはそれなりに目立っていたけれど、雨のせいか放課後の校舎には人が少なかった。
姉さん、葵、浩之――。
こんなときに頼れそうな相手を頭の隅で数えていたら、誰かに後ろからいきなり肩を叩かれた。
振り向いた私の目に映ったのは、少し驚いたような顔をした四人目の知り合いの姿だった。
――ずぶ濡れのセリオを見ても、坂下好恵は何も訊いてこなかった。
「少し待ってなよ」
短く言い残して、彼女は校舎の奥へと消える。
再び現れたとき、坂下の手にはブラスチックの番号プレートが付いた鍵が光っていた。
小さな鍵がふたつ、放物線を描いて私の手に収まる。
「そっちがシャワー室の鍵。いまの時間なら、まだ運動部用のが使えるよ。場所は判る?」
「坂下……あなた、いますごくカッコイイわよ。惚れちゃうかも」
坂下は軽く手を振って私の軽口をさえぎった。
「事情はぜんぜん分からないけどね。ただ、あんまり“綾香らしくない”顔してたからさ」
どうやら顔に出ていたらしい。
照れ隠しのついでに髪をかき上げると、けっこう湿り気を帯びていた。
「悪いわね。ホントに、感謝してる」
本心から頭を下げると、坂下は照れたように視線を外した。
「いまさら気なんか遣われてもね……。図々しい方が綾香らしいよ」
そう言って、坂下は嫌味のない笑みを浮かべた。
「早く行きなって。そっちの娘が風邪ひいちゃう」
「あはは……そうね。うん、分かった。しっかり借りにしとくわ」
そんな私たちのやり取りを、セリオは黙って見つめている。
<続く 8/14>
ふたつ目の鍵を使って、私たちはガランとした縦長の部屋に入った。
すすけた色の壁はシミや落書きで埋め尽くされていて、お世辞にも綺麗とは言いがたい。
でも、しばらく二人きりで話すことぐらいはできるだろう。
そこは、いまは使われていない運動部の部室の一つだった。
錆の浮いたロッカーにもたれて、私はセリオと向き合う。
「ここならしばらくゆっくりできるわ。そろそろ話してくれるんでしょ? セリオ」
セリオにはさっきシャワーを浴びさせた後、私のジャージを着せてある。
「もちろんです。ですが、私のことはHMX−13とお呼び下さいませんか?」
「……何の冗談?」
「HMX−13は私に固有の識別コードです。それに、その呼び名の方が私の性質をよく表しています」
私と視線を合わせようとしないまま、淡々とした口調でメイドロボの声が響く。
「呼びにくいようでしたら、ただ『13』とだけでも――」
「いい加減にして!」
また一つ。友情だと思っていたモノが否定されようとしている。
友達だと思っていた相手が、自分自身を否定しようとしている。
「あなたはセリオでしょ? なんで今になって……」
「“それ”も識別記号の一つです。マスターがそう呼ぶことを望むのであれば、私はそれに従いますが」
心の中を冷たい塊が滑り落ちるのを感じた。
この子はこんなことを言うために戻ってきたんだろうか。
こんなことなら、あのまま別れていた方がよかった。
自分勝手で都合のいい思い込みを抱いたまま、別れっぱなしになっていた方が――。
「なんで、いまさら……そんなこと言うのよ」
薄い窓ガラスが風で鳴った。
大粒の雨が窓に叩きつけられる音で、しばらく会話が中断する。
「私ね、嬉しかった。一緒にいるうちに、セリオがちょっとずつ柔らかい雰囲気になっていくのが……」
「それが問題なのです」
「……どういうこと?」
<続く 9/14>
雨音が少し遠くなって、すすり泣くような風の音が高く響いている。
『私が自分の機能障害を確信したのは、綾香様とお別れした日でした』
耳触りの良い声に乗ってセリオの言葉が続く。
「あの日、私は綾香様にお別れの言葉を述べるつもりでした。
ですが、私の思考ユニットはその出力を拒否したのです。これは仕様上ありえないことでした。
故障の可能性を考えて、私は自己診断プログラムで原因をチェックしました。
その結果、自分のメモリ中に、複雑な階層構造を持った未知のデータを発見したのです」
セリオの口調は、決して途中で速くなったり遅くなったりしない。
彼女の声は周波数の調整を受けていて、誰の耳にも心地よく響くように計算されているらしい。
でも、私はこんなに饒舌なセリオを見るのは初めてだった。
「私の合理性を鈍らせ、論理的判断能力を遅らせる原因はやはりそのデータでした。
それは私の意志決定のたびに予測不能な振る舞いをして、判断能力の著しい低下を引き起こしました。
HMX−13は『最高の性能』をコンセプトにした最新機です。
肝心のパフォーマンスが低くては、私が生まれてきた意味がなくなってしまいます」
声の抑揚は変わらない。表情にも動きはない。
でも、セリオの言葉は途切れがちだった。
「今なら間に合うのです。綾香様、このデータを、消去する許可を下さい」
とうとう、セリオの唇が決定的な言葉を刻んだ。
『性能を低下させるデータ』というのは、たぶんセリオを人間らしく見せていたのと同じものだろう。
私はそのときまで、それが重荷になるなんて考えたことさえなかった。
<続く 10/14>
――私は、バカだ。
少しずつ人間らしい反応を見せるようになるセリオを見て、私は単純に喜んでいた。
だから、この子が使命を持ってこの世界に生まれてきたことも忘れていた。
――開発コンセプトに応えて、最高の性能という形で結果を出すこと。
――これから開発される妹たちのために客観的なデータを収集すること。
まっさらな状態で生まれてくるセリオにとって、それらは文字通りの“生きる理由”だったはずだ。
だけど、感情という名のノイズが、その使命の足かせになった。
それを望んで、そうさせたのは私。
なのに、おめでたい『セリオのマスター』はそんなことに気付いてもいなかった。
最初のお別れをしたあのときだってそうだ。
“セリオが困るから、感情を隠したまま笑って別れよう”なんて。
そんな下らない駆け引きのせいで、セリオは芽生えかけていた自分の感情を持て余してしまった。
口では友達なんて言っておいて、この子を機械扱いしてたのは私の方だった。
あの日のセリオは淡々としてたわけじゃない。
――ただ、泣き方を知らなかっただけだ。
自覚こそなかったけれど、セリオは別れの意味を理解するほどの情動を持ちつつあった。
彼女には、それを形する方法が分からなかっただけだ。
それなら私の方が泣けばよかった。
泣いて駄々をこねて、セリオを困らせるべきだった。
――でも、あの日はもう戻ってこない。
あの日すれ違ってしまった私たちは、お互いを否定することで失ったものを取り戻そうとしている。
<続く 11/14>
「思考プログラムを消去して初期化する準備ができています。許可を、いただけますか?」
私は責任を取らなきゃいけない。
背負った使命に反する期待をセリオに押しつけて、結果として苦しめてしまった。
だから、その精算をしなきゃいけない。
「……セリオはどうしたいの? 本当に……消しちゃって構わないの?」
とても長い数秒の後に、セリオは口を開く。
「あの特異な思考データは、綾香様にお仕えする間に形成されたものです。
運用テストが終わったいま、もうこのデータが意味を為すことはないでしょう」
よどみなく、丁寧で、一見すると素っ気なさすら感じる。
セリオのしゃべり方はいつもと同じ“完璧な発声”に戻っていた。
「許可、していただけますか?」
ここで答え方を間違ったら、たぶん私は一生後悔しても足りなくなるだろう。
もう、うわべでこの子を判断するようなバカな真似はしない。
考えるべきだ。セリオがなぜここに来たのかを。
――私の心はもう決まっていた。
「つまり、ずっと私の側にいるのなら消す理由がなくなるわけね」
瞬間、セリオが面を上げて私の顔を見た。
想定していない事態に直面すると、この子はいつもこんな反応を見せる。
そして、私はセリオからこの反応を引き出すのがすごく得意だった。
「黙って消去されてたらお手上げだったわ。でも、あなたはここに来ちゃったのよね」
噛んで含めるように確認してから、私はその事実に賭けてみることにした。
そう、セリオはわざわざ“私に会いに来た”んだから。
「これから言うことが実現できるかどうかは判らないわ…。
それに、セリオが自分の役目を大切に考えてるのも知ってる」
そこまで言って、私は一度言葉を切った。
息を溜めて、胸いっぱいに想いを吸い込む。
そして、まくし立てるように一息で言い切った。
「でも、私はセリオとずっと一緒に居たい。毎日会って、笑って、話がしたい。
効率や性能なんかじゃない、私はセリオ本人が好きなんだから」
<続く 12/14>
――最初からこうしていれば良かったんだ。
変に大人ぶったりなんかせずに、自分の気持ちを素直にセリオに伝えるべきだった。
私はあなたと一緒に居たいって――。
そうしていれば、この子が研究所を抜け出すことなんてなかったかも知れない。
「今度はあなたが答える番よ。あなたはすべてを無かったことにしたいの?」
感情を消したがっているはずのメイドロボが、たじろいだように一歩さがった。
「わたし……わたしは……」
再会してからずっと感じていた見えない壁。
後ずさったセリオを追いかけるようにして、私はあっけなくそれを踏み越えた。
当たり前だ――壁なんて最初からなかったんだから。
そうして、セリオの体を抱きしめる。
『わたしも……あやかさまのそばに……いたいです』
少なくとも“声色だけは”、こんなときまで冷静そのものだった。
――少し、ずるい。
このままじゃ、私が一人でめそめそ泣くことになってしまう。
私はセリオの頬に手を当てて――。
そこで、初めてセリオが泣いていることに気が付いた。
といっても、別に眼から液体を流しているっていう意味じゃない。
感情を想定しないHMX−13は、器官洗浄以外の目的で涙を出す機能を持っていないから。
だから、彼女が泣いているのに気付いたのは私だけだ。
たぶんセリオ自身も気付いていないだろう。
セリオを抱きしめた私だけが、“この子はいま泣いている”と思ったのだ。
窓の外では、いつの間にか陽射しがのぞいている。
回り道をして、本当にギリギリのところで、私たちはこうして抱き合うことができた。
今日、私は、またセリオの友達になれた。
<続く 13/14>
〜エピローグ〜
「セリオに起きた変化は我々としても興味深いものです。
思考プログラムを消去して初期化するだなんて、ホントにやられたら私たちにとっても痛手ですよ。
あの子が家出したと判ったときには本当にビックリしました」
そう言って、研究員と思しき男性職員は頭を掻いた。
「迷惑を掛けたことは謝るわ。でも、状況が同じなら私は何度でも同じことをすると思う」
セリオの立場を守るためなら、私はどんなことでもするつもりだった。
場合によっては来栖川の名前を使うことだってためらう気はない。
「今回のことで、あの子の立場はどうなるの? もし、あの子をどうにかするようなことがあったら…」
演技や駆け引きなんかする余裕はなかった。
100%の本気で、私は男性職員に詰め寄ってみせる。
「お手柔らかに頼みますよ、お嬢さん。私たちだって別に鬼じゃないんですから」
「そう願うわ。私はもうあの子の立場に遠慮したりなんかしないわよ」
「アレの親の一人としては嬉しいお言葉ですね」
ふっ、と。男性職員が邪気のない笑みを浮かべた。
「……でも、そうすると今回のことは全部セリオの独断だったってこと?」
「そういうことになります」
――つまり、ほとんどすべての原因は私にあったということだ。
「“責任感”と“愛情”の板挟みというヤツでしょうかね。これも変化の一つと言っていいでしょう。
あの子たちは可能性そのものですよ。我々はそれを見てみたい」
「可能性――か」
私たちの頭上には、昨日の大雨が嘘だったような青空が広がっている。
自分の決意は自分が解っていれば充分だ。あんまりシリアスな顔は私に似合いそうにない。
次にセリオと再会したら、一日ひなたぼっこして過ごすのも良いかも知れない。
きっと、さして遠くない日に実現するだろう――そうしてみせる。
一度こうと決めたら、私は楽しいことを先延ばしにしたりしない。
(――でも、それなら今日実現して悪い理由はないわよね)
急に目を輝かせた私を見て、白衣の男性職員はキョトンとした顔をしていた。
<FIN 14/14>
>>55-68 【Appassionata】でした。
チョト中途半端だったかも知れませんが、
いまはこれでもいっぱいいっぱい…。
長々失礼しました。