(10レス分の予定です)
「あっ!」
理奈ちゃんが急に声を上げたので、俺は驚いて振り向いた。
今日は夏休み特番の収録で、理奈ちゃんの母校の小学校に撮影に来ている。
昔お世話になった人や初恋の人を探そう、というありがちな企画だ。
その撮影の休憩時間、紙コップのコーヒーを飲んでいた理奈ちゃんが、急に
大きな声を出したのだ。
「どうしたの?」
俺は慌てて理奈ちゃんに駆け寄った。
理奈ちゃんは校門の横の方を見つめたまま微動だにしない。
「もしもし〜?」
目の前で手をひらひらさせると、理奈ちゃんはやっと気が付いた。
「え? あ、バイト君、どうしたの?」
きょとんとした表情で訊く理奈ちゃんに俺はガクッと膝をついた。
「どうしたのはこっちだよ。急に『あっ!』とか言って固まっちゃってるから
どうしたのかと思った」
苦笑して言うと、理奈ちゃんはくすっと、でもちょっと硬い表情で笑った。
「ごめんね。ちょっとアレに苦い思い出があってね……」
そう言って、理奈ちゃんはさっき見ていた方向を指差した。
今日は、りなちゃんの小学校の入学式です。
昨日の夜からどきどきしちゃって、りなちゃんはあんまり眠れませんでした。
買ってもらってからずっと隠してあった赤いランドセルが枕元に置いてあっ
て、そのにおいがしていたから、というのもありましたが、もっと大きな訳が
ありました。
りなちゃんのおにいちゃんは、お隣りの中学校へ通っているんです。
だから、これから毎日おにいちゃんと一緒に学校へ行けるんです。
そう思うと、りなちゃんはうれしくってしかたがないのでした。
「じゃあ、りな、先生の言う事をよく聞いて、しっかりお勉強するんだぞ」
学校に着くと、えーじおにいちゃんはそう言って、りなちゃんの頭を撫でま
した。
「うん!」
りなちゃんは元気いっぱいにうなずきました。
りなちゃんはおにいちゃんの事が大好きです。
だって、とっても優しくて、頭がよくって、物知りなんですもの。
でもちょっと、かけっことかは苦手みたい。
だけど、そんなところもおにいちゃんらしくって、好き好きなのよ〜。
そんな事を思って、りなちゃんはくすくすと笑いました。
「まぁまぁ、元気がいいのね。それじゃりなちゃん、行きましょうか?」
ママも笑って、りなちゃんの手をくいくい、とひっぱりました。
「あっ、おにいちゃん、いっしょに帰ろうね、先にかえっちゃやだよ?」
りなちゃんはちょっと寂しくなって、おにいちゃんにそう言いました。
「わかった。おにいちゃんも今日は授業ないから、ここで待ち合わせな」
おにいちゃんはそう言って手を振って、中学校のほうへ駆けていきました。
入学式が終わり、りなちゃんとママは学校の入り口の桜の木の下で、おにい
ちゃんを待っていました。
待ち合わせ場所におにいちゃんがくると、ママは買い物して帰るから二人で
先に帰っててね、と言って行ってしまいました。
「おにいちゃん、おにいちゃん、あれなぁに?」
りなちゃんは、さっきから気になっていたものを指差しました。
黒い大きな人形が、桜の木の蔭に隠れるように立っています。
パパがよく見ているテレビに出てくる、おさむらいさんみたいな頭をしてい
ます。
そして、手にはご本を持って、背中になにかを背負っているのです。
ランドセルみたいですが、ちょっと変な形です。
「ん? あれかい? あれは、あんまりじろじろ見ちゃだめだよ」
えーじおにいちゃんは、ひそひそ声で言いました。
「え? どーして? どーして見ちゃだめなの?」
りなちゃんは不思議そうに訊き返しました。
「ここは危ないから、ちょっと歩いてから教えてあげるよ」
そう言って、おにいちゃんは先にすたすたと歩いていってしまいます。
「あっ、やだ〜、待ってよぉ、おにいちゃ〜ん!」
りなちゃんは、慌てて後を追いかけました。
少し離れた公園まで来たところで、おにいちゃんはやっと立ち止まりました。
「はぁ、はぁ、はぁ、お……おにいちゃん、歩くのはやいよぉ」
りなちゃんは少し泣きそうになって、おにいちゃんを睨みつけました。
「ごめんごめん、でもりな、あのままあそこにいたら、危ないところだったん
だぞ?」
えーじおにいちゃんはりなちゃんをベンチに座らせると、その前にしゃがん
でりなちゃんの膝に手を置いて、とっても真剣な表情で言いました。
「え? 危ないって?」
りなちゃんは怖くなって、膝の上のおにいちゃんの手をぎゅっ、と握り締め
ました。
「いいかい、りな。学校は勉強をするところだ」
「知ってるよ。りな、それくらい知ってるもん」
「そうだな。りなは良い子だもんな」
そう言って、えーじおにいちゃんはりなちゃんの頭を撫でました。
「えへへ〜」
りなちゃんは途端にうれしくなって、にこにこしてしまいます。
「でもな、中には勉強しない悪い子もいるんだ」
「うん、悪い子だね」
りなちゃんはうん、うん、と頷きます。
「学校ではそんな子にはどうすると思う?」
「え〜? う〜ん。え〜と、え〜とねぇ・・・」
りなちゃんは一生懸命考えます。
お家では、りなちゃんが悪い子の時は、ママがお尻ぺんぺんをします。
膝の上に腹ばいに乗っけられて、スカートをめくってぱんつも下ろされて、
ぺちん、ぺちんと叩かれるのです。
痛いし、恥ずかしいしで、りなちゃんはもう二度と悪い子にはならないぞ!
と思います。
その時のママときたら、怖くて怖くて、鬼ばばぁ! とか思ってしまいます。
でも、そのあと「ごめんね、痛かったでしょ?」といってお尻を濡れタオル
で冷やしてくれるママは大好きです。
本当にりなの事を心配してくれてるんだな、と思うからです。
でも、もうちょっと痛くしないで欲しいな、とは思うのですけれどね。
その時は、ママの為にももう絶対に悪い子にはならない、と思うのです。
けど、やっぱり時々は悪い子になっちゃうりなちゃんなのでした。
「う〜んと、お尻ぺんぺん?」
りなちゃんは、とりあえず答えてみます。
「違うよ。学校の先生はね、生徒に手を出しちゃいけないんだ」
おにいちゃんは首を振りました。
「てをだす?」
「叩いたりつねったりしちゃ駄目って事。だから、お尻ぺんぺんはしないんだ」
「じゃあ、じゃあね、う〜んと……」
りなちゃんはまた一生懸命考えます。
「えっと……わかった、きゅーしょく抜きだ!」
りなちゃんは一度、晩御飯を食べさせてもらえなかった事があるのです。
あれはおととしの事でした。
その日の晩御飯はカレーでした。
りなちゃんはカレーが大好きです。
でもその日のカレーにはあろうことかグリーンピースとにんじんがたっぷり
はいっていたのです。
りなちゃんは、グリーンピースとにんじんが大っ嫌いでした。
りなちゃんは泣いて駄々をこねました。
だって、こんなにいっぱい嫌いな物が入ってたら、大好きなカレーが台無し
ですもの。
たとえ丁寧に全部取り除いたって、グリーンピースとにんじんの味が混ざっ
ちゃって、美味しいはずがありません。
『こんなの食べないもん!』
そう言って、キティちゃんのお皿に盛ったカレーを、スプーンといっしょに
りなちゃんはひっくり返してしまったのです。
ママはとっても怒りました。
いつもよりずっとたくさんお尻ぺんぺんをされたあと、りなちゃんは言われ
たのです。
『食べ物を粗末にする子に食べさせる御飯はありません! りなは今日は御飯
抜きよ!』
りなちゃんは泣いて謝りましたが、ママは許してくれませんでした。
でも、その日の真夜中、お腹が空いて眠れなくって泣いていたりなちゃんに、
ママはトーストと暖かいミルクを持ってきてくれました。
トーストには苦いのであんまり好きじゃないマーマレードが塗ってありまし
たが、りなちゃんは文句を言わずに食べました。
それ以来、りなちゃんは好き嫌いをなくそうと努力するようになりました。
今ではグリーンピースやにんじんも、嫌いじゃないかな? と思えるように
なっています。
ピーマンだけはいまだに苦手なのですけどね。
あっ、話がそれましたが、小学校に行くとお昼にきゅーしょくというものが
出る事を、りなちゃんは聞いて知っていました。
一つ年上のお隣りのゴローちゃんは『学校で一番きゅーしょくの時間が好き』
だと言っていましたし。
それでりなちゃんは、きっと悪い子はきゅーしょくを食べさせてもらえない
のだと思ったのです。
「違うな。逆に、給食は嫌いなものがあっても必ず全部食べないとお家に帰ら
せてもらえないんだぞ」
「えぇっ? そーなの?」
りなちゃんはびっくりしました。
だってゴローちゃんなんかお魚嫌いなのに大丈夫なのかな? と思ったから
です。
「それじゃぁ……え〜と、え〜と……」
「ブ〜ッ! ゲームセットだな、りな」
えーじおにいちゃんがそう言って、ちっちっちっ、と舌を鳴らして指を振り
ました。
「え〜? わかんないよぉ〜、おしえてよぅ、おにいちゃ〜ん」
りなちゃんはぷーっ、とほっぺたをふくらまして訊きました。
「そこであの二ノ宮尊徳像の登場だ」
「にのみあとんとくぞー?」
「に・の・み・や・そ・ん・と・く!」
「それなぁに? ねぇ、おしえておしえておしえてよ〜」
りなちゃんにはおにいちゃんの言っている事がよくわかりません。
知りたいのになかなか教えてくれないおにいちゃんに、りなちゃんはだんだ
ん焦れてきました。
「あれはね、ロボットなんだ」
「えっ!?」
りなちゃんはびっくりしました。
だって、カブ○ックとかガ○ガ○ガーとは全然ちがうんですもの。
「勉強しない悪い子や、給食で嫌いなものを残すような悪い子を見つけると、
あの人形が動き出してお仕置きするんだ」
「えっ!? ほ、ほんと!?」
さっき見たあの黒い人形が動き出す様子を思い浮かべて、りなちゃんは震え
上がりました。
「お仕置きって・・・どんなお仕置きをするの?」
恐る恐る訊いてみます。
でも、おにいちゃんは首を振りました。
「わからないんだ。だって、二ノ宮尊徳像のお仕置きを受けた悪い子は、二度
とお家には帰れないからねぇ」
そう言って、おにいちゃんも怖そうに身体を震わせました。
「い、いやぁ、こわいよぉ〜」
りなちゃんはおにいちゃんにしがみつきました。
「いやだぁ〜、りな、もぉ学校いかないぃ〜、お家に帰れないの、やぁ〜」
そして、わんわんと泣き出してしまいました。
そんなりなちゃんを、えーじおにいちゃんは一生懸命なだめます。
「大丈夫だよ、だってりなは良い子だもん」
りなちゃんはふるふると首を振ります。
「りな、いい子じゃないもん、おにいちゃんのプラモデルこわしちゃったもん。
それに、ママの口紅勝手に使っちゃったし、パパの大切な眼鏡をおままごとに
使ってなくしちゃったもん」
りなちゃんはいっこうに泣き止みません。
ふう、とため息をついたおにいちゃんは、ポケットをごそごそしだしました。
そしてしがみついて離れようとしないりなちゃんの肩を掴んで、そっと身体
から引き離します。
「りな、いい物をあげよう」
そう言っておにいちゃんは、りなちゃんの前に手のひらを広げました。
りなちゃんは、涙で霞む目を拭ってその手のひらの中を覗き込みました。
そこには・・・
「わぁ、きれい」
思わずりなちゃんは声を上げました。
だって、本当に綺麗だったんですもの。
おにいちゃんの手には、二粒の綺麗な半透明の石がのっていました。
指の先ほどの小さな石ですが、陽の光を反射してきらきらと光っています。
「お守りだよ」
そう言って、おにいちゃんは一粒摘み上げて、それをりなちゃんに差し出し
ました。
りなちゃんは両手でそれを受け取りました。
さっきまでおにいちゃんのポケットに入っていたそれからは、おにいちゃん
の温もりが伝わってきます。
りなちゃんはなんだか自然と落ち着いて、いつのまにか泣き止んでいました。
「ありがとう、おにいちゃん」
りなちゃんはうれしそうに言いました。
「これを持っていたら、二ノ宮尊徳像も追っかけて来ないからね。それでも駄
目な時は、この石を持っておにいちゃんを呼ぶんだ。必ずおにいちゃんが助け
に来てあげるからね」
おにいちゃんはそう言って、自分の石を太陽にかざして見せました。
「うん!」
りなちゃんは、大きくうなずいて石を大事にポケットにしまいました。
「おにいちゃん、りな、これ入れる袋作ってあげる! おそろいのね!」
そう言って、りなちゃんはまたおにいちゃんに抱きつきました。
やっぱり、りなちゃんはおにいちゃんが大好きです。
だって、こんなに優しくって、頭が良くって、物知りなんですもの。
きっと大きくなったらおにいちゃんのお嫁さんになるんだ!
りなちゃんはそう心に誓うのでした。
「いま思えば、これって河原で拾ったただのガラスのかけらだったのね。ほら、
川を流れていくうちに角が取れて丸くなるじゃない?」
理奈ちゃんはそう言って、すっかり年代を感じさせる手作りの小さな袋から
取り出した石を、細い指先で弄んでいる。
「おかげでもうすっかり兄さんのパターンが読めちゃって。最近私が騙し甲斐
なくなったもんだから、すっかりターゲットが由綺に移っちゃってるのよね。
ホント、ごめんね」
理奈ちゃんは片目をつむって謝った。
「あ、でも最近はバイト君もターゲットの一人かな?」
そう言ってあはは、と笑う。
「でも、いいお兄さんだね」
俺が言うと、理奈ちゃんはそう? そんなことないよ、と言いながらも嬉し
そうに微笑んだ。
その笑顔は、本当に天使のように清らかな笑顔だった。
>>30-39 長くてゴメンなさい……