『ほんとなの!!』
最後に描かれた!マークが澪の心情を表しているのだろう。
だけど……なあ。
「それ、ほんっとーーに緒方理奈のサインか?」
澪のスケッチブックに書かれた流麗な文字は
確かに緒方理奈と読める。
だが、それを確認する術がない。何しろ緒方理奈は事務所の方針な
のかサイン会とか握手会といった若手アイドルの登竜門のような
イベントは一切無しで、トップアイドルとなったのだ。
プライベートもほとんど明かされることはなく、サインを貰ったという
人間も数えるほどしかいない。
だから、澪のスケッチブックに書かれたサインが本物かどうかは、
折原浩平や――。
「何言ってんのよ、折原。
澪ちゃんが本物だって言っているんだから、本物に決まってんでしょ」
「……そうですね」
や柚木詩子、それに里村茜にはさすがに判断がつきかねた。
『絶対本物なの』
『一緒におしゃべりしたの』
「本当かぁ?」
浩平はほとんど信用していない。勿論澪が嘘をついているのではなく、
緒方理奈に似ていた誰かが嘘をついて、適当にあしらったのだと
解釈している。
実を言うと、詩子や茜もそれには同意である。
「じゃあ、どんな話したんだよ」
浩平がもっともな疑問を言う。
澪は
『理奈さんは口がきけなくなりそうだったの』
と書こうとして――消した。
「?」
『ないしょなの』
澪のような一般人でも緒方理奈の病気が(治療したとはいえ)
おいそれと他人に語っていい内容ではないのは理解している。
三人が他人にうわさをばらまくような人間でないことは判ってはいても、
やっぱりこのことを話すのは良くないと……澪は思った。
「やっぱり信用ならん」
『ひとを信じないとだめなのっ』
「まー、まー! 二人ともやめなさいって。
それよりほら、緒方理奈のライブ生中継! 始まるわよ」
ちょっと険悪な雰囲気を察してか、詩子が素早く二人の間へ
割って入ると、テレビの方を指差した。
「っつーかお前等人の家でな! おつまみ用意し! 酒を持ち込み!
くつろぐな!」
浩平はリビングでくつろぐ三人を睨んだ。
三人は思い思いの場所に座り、おつまみを用意して酒を飲んでいる。
……ちなみにこの酒は浩平の叔母にあたる小坂由起子のもので、
遅かれ早かれ事は露見し、事が露見すれば即ち折原浩平の死亡確認。
「衛星中継が見れるのは」
「浩平の家だけですから」
『なの』
ぶつぶつ呟きながら、浩平も床に座り込んだ。
「理奈、その、何だ、大丈夫か?」
「あら、兄さんが私の心配?
珍しいこともあるもんね」
「そう言うなよ……」
苦笑して、英二は退院三日目でコンサートに出ると言い張る妹を見る。
我を押し通すのは珍しくなかったが、何しろ今回は体力的な不安が
残っている。
英二は最後まで反対していた。
何しろついこの間まで失声症と判断された身の上である。
万が一、無理をして再び声が出なくなれば――。
緒方英二はそれが心配だった。
「だから、大丈夫。それにね、早く伝えなきゃいけないことがあるから」
「誰に?」
「……大事な人に」
「――っ!?」
英二はさすがに絶句した。
「じゃ、行って来るわね」
ひらひらと手を動かして、理奈はステージへ向かう。
「大事な人って誰だー! 青年か! 青年なのかー!」
「ふぁっくしょ!」
「冬弥、風邪?」
「いや……何か殺意の篭った呼びかけをされた気がした」
「?」
――大丈夫。私は大丈夫。
そう、今日のステージに出ると言い張ったのはあの人に伝えたいこと
があったから。
私に勇気をくれた、あの人に――。
「おっ、始まる始まる(ポテチを齧りながら)」
「きゃー、やっぱり格好いいよねぇ……」
「……(一言も発さず瞬き一つせず)」
曲がスタートする。
いつもの正確無比なステップ、ポーズ、そしてダンス。
緒方理奈のステージはこれ以上ないくらい完璧だった。
四人は固唾を飲んで、その様子を見守る。
「スゲ……」
圧倒的なまでの存在力、歌唱力。やはり緒方理奈はカリスマだった。
(……)
澪は、以前自分の前で泣き崩れた緒方理奈を思い出す。
(やっぱり、あれは……)
ただの夢、ただの幻だったのだろうか。
あの女性と同一人物だとはとても思えない。
『やっぱりすごいの』
澪はちょっと哀しくて、そんな感想を紙に書いた。
何曲歌っただろうか、四人は夢中になってライブ中継に齧りついていた。
「――それでは、最後の曲です」
緒方理奈が会場に向かって語り始める。曲の狭間のフリートーク。
「私は、いつもファンの皆の為に歌っています」
「……?」
英二は台本とまるで違うことを話し始めた理奈を不信気に見つめる。
「勿論、ファンの皆さんだけじゃなくて、事務所の為だったり、
作曲を手がけただらしのない――兄さんの為だったり」
観客席から笑いが漏れる、理奈の兄弄くりはいつものことだ。
「勿論、自分の為でもあります。
だって、私は歌うことが大好きだから……」
「でも」
緒方理奈は視線をきっと観客席、いや観客席のはるか遠くへ移す。
きっと観てくれているだろう、あの少女を想って。
「今から歌う最後の一曲、この曲だけはある人の為に歌いたいんです」
「えーっ!?」
「熱愛宣言か!?」
「……」
観客がざわめき、さすがに英二も緊張を隠せない。
「私は一週間くらい前、ちょっと体力の限界が来て……倒れてしまいました」
さらに観客がざわめく。
「その時、くじけそうだった私に勇気をくれた女の子がいるんです」
「……へ?」
「う、嘘……」
「本当……だったんですね」
澪は口をぱくりと開けた、スケッチブックが手から滑り落ちる。
「その娘は病気だったのに、ずっとずっと今まで苦しかったろうに、
たった一度の挫折でくじけそうになっていた私を慰めてくれました」
「だから、今日は、最後の一曲はその娘――上月澪ちゃんのために
歌わせてください!」
澪はふっと目の前の景色が歪むのを感じた。
(やだ、わたし、泣いて――)
そして歌が始まった。
「ほら、澪ちゃん! 泣いてちゃダメだって!」
「観なきゃダメです」
「とりあえずハンカチで顔を拭け」
ぽろぽろと涙を流す澪を三人は懸命に慰めた。
「あー、ほら歌が始まっちゃうよ、聞く聞く!」
イントロが終わり、声が流れ出す――。
愛という形無いもの とらわれている
心臓が止まるような恋が あること知ってる
ララ 星が今運命を描くよ 無数の光輝く
今一つだけ決めたことがある あなたとは離れない
そっと目を閉じれば 鼓動が聞こえる 私が生きてる証
ハートの刻むリズムに乗って
踊りながら行こう! どこまでも…
歌が終わり、満場の観客から歌への賞賛だけではない拍手が送られる。
翌日。
「上月、上月! お前マジで緒方理奈の友達なのか!?」
「澪ちゃん、本当!?」
「すっげー! さ、サイン貰えないかな?」
「お、俺はなんか、身の回りのもの!」
「俺、下着」
「素で言うな、この阿呆ども!」
「せ、先生はステージ衣装が……」
「髭ーーーーーーー!?」
学校はちょっとしたパニックに陥っていたり。