「よぉ、椎名、どうしたんだ?」
椎名は、不器用にリボンの結ばれた箱を体の後ろに持っていた。
隠しているつもりで、全然隠れていないのが、また、こいつのかわいいところ
だ。
「う〜」
「なんだ、何か俺に渡したいものがあるのか」
そういうと、やっと、その物を、背中から大事そうに取り出し、俺に差し出し
た。
「これ、俺がもらっていいのか?」
「みゅ〜っ♪」
ははぁ、そういうことか。
俺は日曜日のことを思い出した。
俺がソファーでテレビを見ながら、ゆっくりしていると、どたどたと、廊下を
椎名があがりこむ音が聞こえた。
「椎名、どうしたんだ?」
「う〜。ゆきこさん・・・。」
「何だ?俺に用じゃなくて、由起子さんに用なのか?」
「チョコレートのつくりかた習いにきたんだもぉん」
「は?」
そう思ったとき、もうすぐバレンタインだったことを思い出した。
そして、由起子さんは、お菓子つくりが上手だったからな。
「でも、ふつー、そういうことは、本人に言ったらだめじゃないのか?」
「うー。違うもぉん。こーへーにはあげないもん」
そんなやりとりのあと、由起子さんと椎名は、台所にこもって、なにやらがちゃ
がちゃやっていたっけ。
俺が覗こうとすると、噛み付きそうな勢いで、うーって、うなられもしたな。
結局、俺にくれるんだな。本当にわかりやすくて、かわいいやつだ。
「ああ、サンキュな。椎名」
そういって、頭を撫でてやる。
椎名は目を細くして、気持ちよさそうにしている。
「ところで、おなかもすいてきたことだし・・・」
「ほぇ?」
「あけてもいいか?」
「うー」
どうもここであけて食べるという案は気に入らないようだ。
だが、くまさんクッキーだろうが、なんだろうが、食べ物はすぐに食べてしま
わないと気がすまないのが俺の性格だ。
そこで、俺は言った。
「椎名、一緒に食べようぜ。」
「うー・・・・・うん。」
しばらく考えた後に、椎名はうなずいてくれた。
なんだかんだ言っても、甘いもの好きだからな。
そして、不器用な包装をぺりぺりと剥がしていく。
その中には、悲しいくらいぶかっこうなハート型のチョコが一つ入っていた。
う・・。これはさすがに・・・・。俺は一瞬凍りついた。
やばい。その引きつった表情を、椎名に見られてしまった。
こいつは、言葉よりも、表情で人間の感情を読み取るところがあるからな・・・。
案の定、椎名はもう、泣き出しそうだ。でも、泣くのをこらえて、なにかつぶやいている。
俺が耳を近づけるとこう聞こえた。
「・・もぉん・・・。がんばったんだもぉん・・」
小さな声で呪文のようにそう繰り返す。
その時、俺は自分の浅はかさがわかり、唇をかみ締めて悔やんだ。
あの日曜日、台所から何度も聞こえてきた、物が落ちる音、みゅーっ!という
叫び声、由起子さんのなだめる声・・・。
そう、椎名は文字通り、全力でがんばった。
その成果に対し、俺はあまりにひどい態度をとってしまった。
悔やんでもくやみきれない。
俺はその場でチョコレートを一口かじり、言った。
「味はまずますだ。椎名、よくがんばったな」
けれども、俺の言葉は今の椎名には届かなかった。
ただ、地面を見つめ、泣くのを必死で堪えている。
俺はその場にかがみ、目線を合わせた。
そして、口移しで、チョコレートを食べさせてやった。
チョコレート味の口付けは、なにか懐かしい味がした。
「ほら、おいしいだろう。一緒に食べるって約束したじゃないか」
そう言うと、椎名は顔を上げ、最高に素敵な表情をみせてくれた。
「椎名、ありがとうな。それと、ごめんな」
そういって、もう一度、今度はチョコレートの味のしない、大人の味の長い口
付けを交わす。
仲直りの口付け、感謝の口付け。そして、なによりも愛情をこめた口付けを。
椎名の大人への旅はまだまだ続いていく。ダメでしょうがない彼女だけど、案
外俺のほうがずっとダメなのかもしれないな。
今日みたいに百点満点とはいかなくても、せいぜい30点くらいでも、それが
がんばった結果ならいいじゃないか。
たとえ30点でもチョコレートを自分で作ってくれた気持ち、日曜日に一日か
けてがんばってくれた気持ち。大切にしたい。
だから、一歩一歩一緒に進んでいきたい。
こいつと一緒に、いつまでも・・・。