「あれ? どうしたの舞?」
問い掛けた言葉に舞はどうしてか反応してくれなかった。
もう一度、訊くことにする。
「どうかしたの? 佐祐理で良かったら話してくれない?」
黙り込んでいるのは何故なのだろう。
いつもと同じはずなのに。今日の舞はどこか様子が可笑しかった。
今も瞳を揺らして私を見ているだけだった。
「……どうしたの、本当に?」
三度目は不味いと自分でも思ったけど、何か悩み事があるなら相談してほしい。
この、佐祐理にしてほしい。
「佐祐理は……」
薄っすらと雲が霞んでいく。
風が出てきた。
舞の長い髪は茜色に映えながら梳かれていく。
また、沈黙。
舞は俯いてしまった。
「……ううん、何でもない」
私は言う。
「何でもあるよ、舞。佐祐理じゃあ頼りにならない?」
「そうじゃない……けど、やっぱりいい……」
とても寂しい言葉だった。
私を頼ってくれないからなのか人を頼りにしないで思いつめてしまうタイプからなのか。
今の佐祐理≠ナは分からない。
もう私に言えることはなかったのは確かだったけど……。
「佐祐理で良かったらいつでも相談に乗るから」
「……うん、ありがとう、佐祐理」
空の音が聞こえる。
不思議と懐かしい子守唄のように……。
でも、どんな音を奏でていたのか佐祐理≠ノは分からない。
……舞は眼を閉じて耳を澄ましていた。
「つまりは――」
帰宅して制服のままベッドに倒れ込んでしまう。
行儀は宜しくない。
でも、今はそんなこと気にならなかった。
胸の中に不安があるから。
私にとって舞という存在はどういうものなのだろうか?
友人というフレーズで収めたくない。
親友ではなく心友でいたい。
二人の仲は死で別つとも離れることないという誓いを立てたのだから……。
でも……一方的だったのだろうか?
それとも、私の思い込み?
「ああ、そうか……」
側に居たいだけなのに、どうして欲を張ってしまうのだろう?
そう、同じ時間を過ごせた思い出が在ればいい……。
求めることは已めよう。
舞にとって私の存在が希薄だったとしても構わない。
私が舞の側に居たいだけなのだから。
相談相手なんて身勝手な思い込みに過ぎないのだ。
幸せにしてあげたい
この言葉がどんなに無責任であるかを思い知ってしまう。
舞は私が居なくても良いのだと思う。
でも、佐祐理には舞という存在が必要だったから。
せめて邪魔にはならないように……。
舞と一緒に居たかった。
時間は留まることない。
舞と出会ってから私は少しずつ変わっていけた。
空虚だった心が満たされていく。
優しい時間が流れていく。
そう、永遠なんてないと知っていたのに強く望んでしまう。
私は頭の悪い女の子だった。
「ねえ、舞……」
「……なに、佐祐理?」
いつもと変わらない舞を見ていると、本当に私も優しくなれる。
どんな時にでも笑っていられる気がする。
「佐祐理には、弟がいたんだよ」
「……え?」
だから私はいつもと同じように笑って話すことができた。
自分でも驚くくらいだった。
もっと佐祐理のことを知ってほしい。
佐祐理の心に触れてほしい。
「あははーっ」
ほら、こんなにも私は笑っていられるよ。
辛いことを話す時……。
記憶は思い出になってくれたと思うから……。
誰でもない舞に話せること……。
(ああ、なんてことだろう……)
私は舞に幸せにして貰っていたのだ。
ひとりの友人との触れ合いのおかげで私の中には一本の線が出来ている。
しっかりと佐祐理を支えてくれるもの。
辛い≠ェ幸せ≠ノなれるように。
例え、舞には私に話せないことがあるのだとしても、私はたくさん話したいことがある。
迷惑だ、と言われる日まで……。
やっぱり一緒に居たいから。
現在≠ェ思い出を形作っていく。
確かな温もりを彩り豊かなものにしてくれる。
舞と過ごした日々は宝石のように光り輝いて佐祐理には眩しいくらいに。
「昨日のテレビはどんなの見た?」
「……置いてあるのは見た」
「舞ってどんなCDを聞いてるの?」
「……CD? CDって何?」
何気ない朝さえも舞と居れば可笑しくてしょうがない。
私は思わず笑ってしまう。
ずっと、ずっと、いつまでも笑顔で居られるのだ。
「でも……佐祐理が面白いというテレビなら見てみたいし、CDだって一緒にやってみたい」
そして、私はふと立ち止まってしまう。
不意に鼓動が逸るのだ。
「うん、佐祐理も舞と一緒にCDをしてみたいよ」
――笑う。
こんなにも可笑しい。
瞳に涙が溢れるほどに胸の奥に来るものがあった。
「あははーっ」
舞はどんなCDを想像しているんだろう?
明日、お気に入りのCDを舞に貸してあげようか。
舞も気に入ってくれるかな?
(だと、いいな……)
同じものを『好きだ』と言える仲なんて素晴らしいことだと思う。
私にとってもより掛け替えのないものになるだろうから。
「あのね、舞……じゃあ、明日は――」
また、一日が過ぎていく。
春の日は風。
雪解けの街を二人で歩く。
「また、同じクラスになれたらいいね」
「……うん」
風は薄紅色の花びらを運んでいる。
夏の日は太陽。
夏服に衣替えして思いの限り駆けていく。
「こう見えても佐祐理は運動神経いいんだよ」
「……まだ、甘い」
「わ、舞、早すぎるよー」
陽の光が二人を照らしてくれる。
秋の日は落ち葉。
ものみの丘の紅葉は見るものすべてに淡い感動を与えてくれる。
「あ、狐さんがいるよ」
「……かわいい」
「あははーっ、ほら見て、ここに鈴が付いてるよ」
舞の鼻先に散り行く落ち葉……。
冬の日は雪。
凍れる季節の到来を予感させる風。そして雲。
「うわ、あの人の頭すごいねー」
「……あれは、2時間は待たされてる雪の量だと思う」
「早く待ち人が来るといいね、舞」
「…………」
「……どうしたの、舞?」
「何でもない……」
雪は今も降り積もっている……。
何気ない時を過ごすことがこんなにも心地いいなんて知らなかった。
少しは近づけただろうか?
今の佐祐理は、舞にとって知人くらいにはなれただろうか?
いつか思い出を振り返った時に、私のことを思い出してくれるだろうか?
――刻み込まれているだろうか?
私はとても舞のことを大切に思っている。
初めに芽生えた感情は、今はどこにもなかった。
幸せにしたい≠ナはなく幸せになろうね≠ニ想いは心ではなく語り掛けになっている。
一弥が巡り合わせてくれたなんていう想いだって微塵もない。
私にとって舞はずっと舞だったから。
佐祐理≠ヘどんな風に思っているのだろう?
今でも一弥≠フことを引き摺って笑えないのだろうか?
私は空の上から佐祐理を見下ろした。
――笑っていた。
いつしか思い描いていた光景がそこ≠ノある。
『まだ知らない悲しみがある』と言って泣くことはもうしない。
この先にしかないものが見えたから。
もうすぐ自分のために笑える日が来ると信じられたから。
輝く季節だ。
色褪せることのない光の中を舞う。
いつか言えるかな?
もしも、この道の先で、男の人に敬語を使わないわたし≠ェ居るのなら……。
きっと、舞にとっての大切な人で……。
そして、言葉を……。
心をこめて大切な舞のために贈りたい――
「幸せになってね」と。
その時になってようやっと私は知るのだろう。
失恋したことに。
それが、新しいスタートだということに……。
「舞、ごめんーっ」
昼休みの時だった。
「って、あれ?」
私は職員室に呼び出されていたので舞を待たせてしまっていた。
でも、そこには見知らない人。
目を丸くしてしまう。
「えっと……お友達ですか、舞の?」
恐る恐る訊いてしまう。
ちょっとした予感。
「彼氏だ。全校公認のな」
「ふぇー……」
――的中だった。
少しだか寂しいけど大丈夫だと思うから。
祝福したい。
「ほら、否定しないから信じているじゃないか」
ちょっとした冗談?
ううん、私には分かった。
――うん、この人だ。
「じゃあ、一緒にご飯でも食べましょうか」
「はあ?」
どうしてそうなるんだという目で私は見られる。
でも、きっとそうだという瞳で見てしまう。
「舞とお話してたんですよね?」
だから大丈夫。
私はこの人を好きになれる。
佐祐理もそう。
「俺は相沢祐一って言うんだ」
相沢祐一さん。
……祐一、祐一さん。
――うん、いいかも……。
そして、春……。
いつだって木漏れ日の中を花びらが舞っている。
息を切らせて祐一さんが駆けて来る。
そして、他愛もない冗談。
「はは、本日の主役を待たせるわけには行かないだろう?」
「佐祐理が主役ですか?」
少しだけ期待を込めて私は問い掛ける。
「さあ、行こうか。お姫様」
「はい」
祐一さんの手を取ろうとした時、
――ぽかっ。
「あははーっ、残念です。本当のお姫様の登場ですね。これで私は脇役です」
桜が舞う。
風も舞う。
花びらが舞い散る。
「私だけ置いていこうとした」
「お、妬いてるのかお前」
そうではなくて、本当は佐祐理の方が妬いていたのだけど……。
二人を見ているとどうでも良くなってしまうから。
「祐一さんが舞を置いていくわけないよ」
優しい時間だった。
途切れることない瞬間の連続だった。
「佐祐理だって舞の祐一さんは取らないし……いたっ」
舞のちょっぷが飛んでくる。
「お前なー、そんな反応したら脈ありありなのがバレバレだぞ?」
そして次は祐一さん。左に右にで舞は大忙しだ。
「さて……行くか」
いい加減、頃合だろうと祐一さんが背を向ける。
その隙を見て、私は言う。
抱き付くように、後ろから舞の耳元に囁く。
――今なら分かる。
舞という優しい女性のことが。
遠い過去、
「変わってますね、川澄さんは」
「……?」
二人が他人同士だった日。
私は自分がこの世で必要のない人間だと感じていた。
この人≠フためになれるなら。
空白だった想い。
でも、今はこんなにも自分でいられたから。
不器用で良かったのだ。
厳しくすることの優しくすることの必然性なんて実はない。
こんなにも当たり前のこと――
川澄舞、相沢祐一、この二人に恥じないように生きてみたい。
そして、一弥にも……。
だから、私は言うのだ。
「幸せになってね、舞」
そこに、またちょっぷ。
「佐祐理も一緒……」
ちょっと怒ったように口を尖らせながら舞に言われる。
私には立つ瀬がなくて笑うしかなかった。
こんなにも幸せでいいのだろうか?
ふと、私は佐祐理に問い掛ける。
「あははーっ」
どうやら、いいらしい。
もしも、この道の先で……夢は終わりだと現実に向かって歩き出すことが出来る少女がいるのなら。
過去の傷を乗り越えたものの強さだと思う。
自分がどうしたいのか。どうしたら大切な人に誇れる生き方が出来るのか。
そうやって初めて今≠ノ目を向けることが出来るのなら。
私はいつしか言えるかもしれない。
「祐一くん」
振り返れば思い出だ。
辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、どんなことも越えて行ける。
舞の悩み事だって今なら言われなくても分かる。
舞の表情を読み取れるようになったのは、私にとって誇らしいことだ。
夜の校舎。舞踏会。何も出来なかった自分。
私には出来なくて祐一さんなら出来たこと――
そして、私はその反対を出来るように、これからも努力していきたい。
祐一さんのことが好きで……。
舞のことが大好きで……。
いつか自分も二人のことを思っているくらい佐祐理のことを好きになってあげたい。
もう失うことの怖さに何かを諦めたりはしないから。
「祐一さん、舞――」
二人とも私を見てくれる。
「行きましょう!」
二人はたおやかに微笑んでくれている。
だから――
行こう。この旅路に終わりはないのだから――
『さらなる路』
『さらなる轍』
『数多の悔恨を踏みしめて』
<FIN>