葬式も一段落したので、梓は足立に声をかけた。
「足立さん、会社の事なんだけど...........」
「あ? ああ梓ちゃんか.......」
「この後どうすんの? 足立さんの考えを聞きたいんだ」
梓の言葉に足立は一瞬驚いた顔をした。
「それは.............つまり梓ちゃんには梓ちゃんの考えがあるって事かい? 」
「そんな大したものじゃないんだけどさ」
そう言って梓は照れながら頭を掻く。
「足立さんには悪いけど、今のわたし達じゃ鶴来屋の会長は務まらないよ。だから会社は足立さんに任せるのがベスト...........というかそれしかないと思う。」
「ふんふん」
「それでわたし達の事なんだけど、昨日貯金見たら五百万ぐらい入ってたんだ。それに家を売って金に変えれば、わたしが就職するまでならなんとかなると思う」
梓は勢いこんで続きを話す。
何せ昨日寝ないで考えたのだ、早く足立の意見を聞いてそれが通用するものかどうかを聞いてみたかった。
「初音と楓の学費は奨学金とかいう制度でなんとかなる。調べたら二人とも条件にはあてはまってるんだ。それに.............」
梓の言葉を足立は途中で遮る。気持ち俯いているようだ。
「それは梓ちゃんが見られる貯金の話だね? 」
「え? 」
「ちーちゃんはね、柏木家の資産として一億近いお金を持っているんだよ」
「な! なにぃい! 一億ぅう! 」
「それに私が君たちを放り出したりすると思うかね? 」
「で! でも! これ以上足立さんに迷惑は.........」
梓はその先を口にできなかった。
「頼むよ梓ちゃん............私にも何かさせてくれ」
足立の顔は見たこともないほどの苦悩に満ちていた。
「私はねえ、ちーちゃんが会社で孤立しながらもずっと頑張ってきたのを見ているんだよ。」
「足立さん............」
「まだ若いのに並の大人の何倍もの苦労を背負って、よってたかって周りから攻められながらも必死に会社を支えようとしているちーちゃんに...............私は何もできなかったのだよ」
「そんな! 足立さんはいつも千鶴姉の力になってたって! 」
「私の力なんて微々たるものさ.............」
そう言って肩を落とした足立が余りに弱々しく、それでいて安易な同情を拒絶しているようで、梓はかける言葉が見つからなかった。
葬式が終わった。
梓は虚ろな顔をしている二人の妹の背中を叩く。
「ほら、後かたづけ残ってんだ。しっかりしろ! 初音はテーブルの上の食器集めて! 楓は残り物をゴミ袋に入れて! 」
「う、うん」
「................(コクン)」
二人は言われたとおりに後かたづけを始める。
足立はそんな梓に話しかけた。
「それで? 耕一君はどうしたんだい? 」
『耕一』という単語に三人の体がびくっと震える。
「耕一は............まだ部屋にいる」
その言葉を聞いた足立は黙って部屋を出た。
「任せて! 」
不安げな残りの人間を置いて梓は後を追った。
足立は大股に耕一の部屋を目指していた。
「足立さん! 」
梓が後ろから続くが足立は返事もしない。
怒り肩で耕一のいる部屋のドアを開いた。
「耕一君! 」
部屋の中では耕一が壁にもたれて座り込んでいた。
「こう........いち君? 」
最後に会ったのはいつだったか、少なくとも今の耕一よりは覇気に満ちていたと思われる。
「足立さん? 」
そう言って耕一は足立の方を向く。
今にも消えてしまいそうな表情。
だが、それは足立の怒りを誘うだけだった。
「耕一君、君は何をしてるんだね? 」
大人になると理屈が激情よりも先に来る。
「.................」
「君の従姉妹達は立派にちーちゃんを送り出したよ」
「.................」
「それで君はなんだね? そこで何をしているんだ? 」
足立の詰問口調を、梓が見かねて止めに入る。
「足立さん! 」
「黙って! 」
足立は耕一に歩み寄る。
「いいかい、みんな頑張ってるんだよ? 初音ちゃんも楓ちゃんも」
「...................」
「それに............梓ちゃん............彼女がどんな思いでいると思ってるんだ! 」
「.........あずさ? 」
「そうだ! 彼女はな! 最初の訃報以来一度も涙を見せてないんだぞ! 葬儀をまとめて二人の妹を励まして! この後の自分たちの生活を考えて! 何歳だ? この子は一体今幾つなんだ? 私は! わたしは........」
そこまで言うと感極まったのか涙をこぼす足立。
足立の言葉に耕一は肩を震わせていた。
「俺が..............俺さえまともだったら..............千鶴さんは....................畜生!!!!」
立ち上がった耕一は壁に裏拳を叩きつける。
漆喰の壁はまるで粘土か何かの様に簡単にへこんだ。
「俺のせいなんだよ! 俺が力に溺れなきゃ千鶴さんは! 」
耕一の叫びに足立は更なる怒りをかき立てられる。
「何が自分のせいだ! それが君の言い分か? そんな事で! そんなくだらない事で! 」
「なんだと! 」
怒りに任せてつかみかかろうとする耕一だったが、先に足立の方が耕一の肩をつかんだ。
「君は...............ちーちゃんがどれだけ君を頼りにしていたか知っているのか? 」
「なっ! 」
「君がこちらに来てからのちーちゃんは傍目に見ても嬉しそうだった!」
『あ! すみません足立さん、今日は...........残業は...........その........』
『そうだね、部下の育成という意味でもこの仕事を振るのは悪くないと思うよ』
『え? あ、あはは〜、そ、そうですよね! 』
いそいそと片づけを始める千鶴。
足立はにやにやしながらそれを見ていたが、ついちょっかいを出したくなった。
『あれ? そういえば耕一君はもう帰ってきているんだよね? 』
がたーん! がらがらがしゃーん!
ちなみにこれは机に足をぶつけてすっころぶ音。
『きゃーっ』
ずがん!
そしてこれは起き上がろうとして机の角に頭をぶつけた音。
『..................いたい〜』
足立は笑いを堪えるのに必死だった。
『今日は五人で晩餐かい? おっと二人だったかな? 』
すてーん!ごぶっ!
これは落とした書類に足を取られたあげく、つんのめって鳩尾を机の角にぶつけた音。
『!!!!!!!っ〜〜〜ん! 〜〜ん! む〜〜!!! 』
ごろごろごろ
そして床を転がりながら痛みに悶える千鶴。
『あ〜だ〜ち〜さ〜ん』
『はっはっは、ごめんごめん』
「君がいる事でちーちゃんは悩みも増えたさ! でもな! そんな事忘れるぐらい君がいてくれるのが嬉しかったんだよ! 家族が増えるのが嬉しかったんだよ! 」
やっと落ち着いた千鶴は書類を拾って身支度を整えた。
『では、失礼します』
『ちーちゃん』
『はい? 』
『............いや、なんでもない。早く帰ってあげなさい、みんな待ってるよ』
『はい! 』
こぼれる様な笑みで千鶴は答えた。
耕一が帰ってきただけで千鶴は信じられない程笑顔になれる。
会社では千鶴の余所行きの顔以外は滅多に見られないというのに、耕一の話題になった途端これである。
『さて.........と仕事、仕事』
そう言って千鶴の机にまとめてあった書類を手に取る。
すぐに目に付いたのは明らかに誤った位置に捺印されている会長印だ。
『ん? ちーちゃんらしくもない.............こんな初歩的なミスを』
よく見るとそこかしこに似たようなミスを見つける。
『................何か心配事でもあるのかな? 』
その心配事が柏木家の事であるなら足立にはどうする事もできない。
部外者を頑なに拒否する何かがそこにはあった。
『だが、耕一君なら家族になれる...............彼なら..........』
「君ならちーちゃんの力になれる! 一人苦しんでいるあの子を助けてあげられる! 私はそう思っていたんだ! なのに! なのに! なんだこのザマは! こんなんでちーちゃんの力になどなれる訳がない! 」
足立は耕一の胸ぐらを掴んで上下に揺する。
余りの足立の取り乱しように、ただ呆然と突っ立っているだけだった梓だが、力無く揺さぶられるままの耕一を見て我に返った。
「足立さん! 」
梓が後ろから足立を取り押さえる。
「なんて!..................なんて情けない! 」
最後に足立はそう叫ぶとその場にしゃがみこんだ。
顔を両手で覆って泣き崩れる。
耕一は一言もなかった。
足立夫妻は帰り、さすがに疲れが出たのか二人の妹も既に夢の世界だ。
耕一は明日まで待ってくれと言い残して部屋に残った。
梓は一人居間でお茶をすすっていた。
「あの二人がケンカねえ」
そう言いながら羊羹に手をつける。
「あんなの見ちゃうと.................」
楊枝で刺した羊羹の欠片を、口には運ばず皿に戻す。
「本当に千鶴姉がいないんだなあって.............実感するよ」
『梓、夜中に甘いモノなんて食べたら体に悪いわよ』
「わたしは食べた分全部胸にいくからな、心配無用だよ」
『...........自慢のつもり?』
「いんや、いくら食べても太れない千鶴姉のスレンダーボディを褒めてんだよ」
『何よ〜! 私だってまだまだこれから...........』
「その年じゃお腹以外の成長は望めないよな」
『あ〜ず〜さ〜』
「あはははは..............はは...........は..........」
目に一杯の涙が溜まる。
「いっつもこんな事言ってる影でさあ、わたし達の事考えて、準備して...............」
握った拳に力が入る。
「いちおくなんていらないよ..............みんな揃ってればどんなに苦労したっていいじゃんか..............」
涙がこぼれる寸前で梓は奥歯を噛みしめ、それを堪えた。
「し、心配すんなよ千鶴姉。わたしがいるからさ.................わたしがなんとかしてみせるからさ...............楓も初音もきっとわたしが守ってみせる」
一度でも泣いてしまったら頑張れなくなる。そう思って肩を震わせながら耐える梓。
「耕一だってきっと立ち直る。だから...............」
『頑張ってね、梓』
「うん」
半月後、楓は墓前に花を添えていた。
「久しぶり千鶴姉さん...............っていっても一週間前に来たばっかりだけど」
柄杓で墓石に水をかける。
「今日はね、耕一さんがこちらに来る日なんです。」
手に持ったお線香に火を付ける。
「だからみんなはしゃいじゃって.............私もそうだけど」
墓前にお線香を立てると肌寒い風が吹き抜けた。
「耕一さん、もう元気ですよ。電話では梓姉さんとケンカまでしてたし」
わずかに残っていた落ち葉が風に舞う。
「千鶴姉さんずっと耕一さんの事心配してたもんね」
「耕一さんを.............なんて辛かったよね? 悲しかったよね? 」
「でも.............もう心配しなくていい..............耕一さんは殺人鬼なんかじゃないから」
「千鶴姉さんの知ってる優しい耕一さんだから」
「梓姉さんも初音も耕一さんもみんな一緒に笑ってるから.................」
不意に風向きが変わった。
お線香の煙が楓の周囲を漂う。
楓は久しぶりに千鶴に抱きしめられた気がした。