「ふぅ、さっぱりした〜」
頭にバスタオルを巻いた名雪が、居間に入ってきた。
夕食後の水瀬家。あゆと真琴の二人は、秋子さんに買ってもらった
家庭用ゲーム機で、麻雀ゲームに熱中している。
最近、水瀬家では静かなブームなのだ。名雪も時々やっているらしい。
「あゆちゃんも真琴も、あんまりゲームやりすぎたら駄目よ」
「「はぁーい」」
そのやり取りをぼんやりと眺めている俺の隣りに名雪が座った。
心地よいシャンプーの匂いでふっと我に返る。
「ねえ、祐一。明日の約束、覚えてる?」
「・・・何だっけ?」
「もう〜。明日は私の陸上の大会でしょ」
「あ、そうだ、応援しに行くんだった」
我ながら間の抜けた返答だ。そんな事、すっかり忘れてた。
それを聞きつけたあゆが俺たちのところにやってきた。
「祐一君、今の話、ホント?」
「なんだあゆ。何か問題でもあるのか?」
「だって、明日はボクと映画見に行く事になってるのに・・・」
「あ・・・」
そういえば、確か1週間くらい前に、そんな事を言われたような気がする。
秋子さんが仕事先からもらったチケットを、あゆに渡したんだったか。
すると真琴もコントローラーを放り出して、こちらに口を挟んできた。
「ちょっと待ってよ。明日はあたしと『国際肉まん見本市』に
行くんでしょ。忘れたの?」
「ひどいよ、祐一・・・」
「映画のチケット、指定席なのに・・・」
「このイベント、明日までなのよ。どうするの祐一?」
俺は返答に窮した。どの約束も微妙に時間がかぶっていて
順番に、というわけにはいかない。いつもなら名雪やあゆは
譲り合いそうなものだが、よっぽど俺と行くのを楽しみに
していたのか、退く気配はない。
「三人とも、喧嘩しちゃ駄目よ」
そこに、会話を聞いていた秋子さんが、仲裁に入った。
「それなら、麻雀で白黒つけるというのはどう?」
「麻雀で・・・?」
かくして、麻雀に勝った者が、俺を明日一日独占できる権利
を得ることになった。公平を期すため、秋子さんが参加する。
俺が入ると、誰かをアシストするかもしれないからだ。
俺に発言権はない。というか、俺は景品だ。
コタツの板をひっくり返し、麻雀牌を広げる。昔ながらの練り牌だ。
起家はあゆ。左回りに名雪、真琴、秋子さんの順に座る。
ギャラリーの俺は、あゆと秋子さんの手が見える位置に腰を下ろす。
もちろん、アドバイスは禁止されている。
こうして、運命を賭けた真剣勝負が始まった。
序盤は意外にも真琴が速攻でペースを掴む。
「チー!ポン!・・・ツモ!さあ何点かしら?」
「点数もわからないでいばるな!」
何でも食い散らかす、滅茶苦茶な打ち方だが、
そのスピードに他の三人はついて行けない。
速い流れの中で、名雪は面前で丁寧にアガリを重ねて、
懸命に真琴に追いすがる。出親を蹴られたあゆは、
いまいち流れに乗り切れないようだ。
南場に入ると、あゆにようやくドラ三のチャンス手が入る。
「うぐぅ、リーチだよ!」
三つ鳴いて四枚しか手牌のない真琴が放銃した。
「あう〜」
秋子さんは傍観者の立場を決め込んでいるのか、
目立った動きを見せていない。
あゆ、名雪、真琴の三者が僅差のまま、ついにオーラスを迎えた。
泣いても笑っても、これが最後の局だ。三人とも、
トップの可能性が残っているので、目つきは真剣そのものだ。
親の秋子さんが、優雅な手つきでサイを転がす。
「五ですね」
三人は配牌とにらめっこしながら、手作りを考えている。
めくられたドラに気付かず、一巡目で切りかねないほどだ。
運のいいことに、トップのあゆの配牌には、白が暗刻で入っていた。
早アガリにはうってつけの手だ。
秋子さんの方は―――
「☆※∬!?」
「静かにしてよ、祐一君」
「祐一さん、勝負の邪魔をしてはいけませんよ」
おれはパニックを起こしかけた脳をなんとか鎮めようとした。
あ、あ、あれは・・・。
三巡目。
「あら・・・?ツモりました」
そう言って、秋子さんが開いた手は国士無双。役満だ。
「「「ええー!?」」」
「このアガリで、私のトップですね」
親のアガリやめで、ゲーム終了。
あまりの出来事に、秋子さん以外の三人は言葉もない。
待てよ?秋子さんが勝ったらどうなるんだ?
秋子さんと・・・デート?
「祐一さん、明日はよろしくお願いします」
「は、はい・・・」
信じられないような逆転劇。だが、俺は見てしまったのだ。
あがる直前、秋子さんがツモ牌と王牌をすりかえるのを・・・。
日付も変わり、ひっそりと静まりかえった薄暗い廊下を、
俺は音を立てないように歩きながら、秋子さんの部屋に向かう。
コン、コン・・・。
そのドアを、ためらいがちにノックした。
「・・・だれ?」
「祐一です。お聞きしたい事があるので、入って良いですか?」
「こんな時間にですか?」
「どうしても、いま聞きたいんです」
「・・・わかったわ祐一さん。どうぞ」
秋子さんは寝間着の上にカーディガンを羽織っていた。
深夜の突然の訪問にも、さほど慌てている様子はない。
妙な駆け引きなどするつもりもなく、単刀直入に切り出した。
「秋子さん。さっきの麻雀、オーラスでイカサマしてましたね?」
俺が秋子さんの配牌を見たときには、すでに一、九、字牌―――
いわゆるヤオチュウ牌が十二種もあった。サイの目が五で秋子さんの
山からの取り出しである事を考えると、積み込んだ可能性が高い。
だがそれだけだは八枚しか欲しい牌が来ないので、ドラをめくる前に
山を直す振りをして、四枚ぶっこ抜いたのだろう。そばにいた
俺が気付かなかったのだから、大胆というほかはない。
「あら・・・見られてたんですか?」
秋子さんは、意外なほどあっさりと、その事実を認めた。
「ええ。見えたのは、すり替えの時だけですけど」
「残念です。しばらく打ってなかったから、私の腕もだいぶ
なまってしまいましたね。素人の方に見つかるなんて」
一体、どこの鉄火場で打ってたんですか?秋子さん・・・。
頭の中で疑問が渦巻いた。が、口にしたのはもうひとつの疑問だった。
「どうして、あんな事を?」
「三人とも、あの時、だいぶ熱くなっていました。あんな状態では
三人のうち誰が勝っても、あとでしこりが残りますから・・・
いっそのこと、私が勝ってしまおうと思ったんです」
確かに、秋子さんなら誰も文句は言えないな・・・。
「でも、イカサマを見られて、わたしは祐一さんに秘密を握られて
しまいましたね。・・・困りました」
そう言って、秋子さんはため息をついた。
頬に手を当てる仕草が悩ましげだ。
「ははっ、誰にも言いませんよ、秋子さん」
「ありがとうございます、祐一さん」
いつのまにか、秋子さんがそばに来ていた。
顔を寄せて、俺の耳元でささやく。吐息が熱い。
「口止め料は・・・私の体でお支払いしますね」
な、な、なんですとぉ!
少しの間、眠っていたらしい。
ベッドの上で漂っていた俺は、ゆっくりと意識を取り戻した。
体を起こして周りを見渡すと、秋子さんが隣りで穏やかな
寝息を立てていた。
俺はさっきまでの情事を思い返してみた。
立場が上な筈の俺は、完全に秋子さんにリードされていた。
俺の上で秋子さんは激しく動き、俺も秋子さんも、
繰り返し絶頂を迎えていた。
(よりによって、自分の叔母と関係を持つなんて・・・)
快楽の波が過ぎ去った後に来るものは、後悔の凪だ。
だが、俺には目の前に転がり込んできた好機を
見逃す事など、到底出来なかった。
美貌の肉親との、ばれる心配のない密通。
それはあまりにも、甘美で背徳的な果実だった。
秋子さんを起こさぬよう、忍び足で俺は自分の部屋に戻った。
すぐにベッドに体を横たえる。疲れ切っているにもかかわらず、
気持ちが昂ぶって、なかなか眠りはやって来なかった。
「おはようございます、祐一さん。
・・・どうしたんですか?なんだか顔色が悪いわね」
「ははっ、秋子さんとデートだと思うと、緊張して眠れなくて」
「もう、お上手ですね、祐一さんは」
「名雪の奴はもうでかけたんですか?」
「ええ。大会が終わったら、陸上部のみんなと打ち上げに
行くと言ってました」
あゆと真琴は、仕方ないので二人で映画を見たあと、
『国際肉まん見本市』とやらに行って、試食しまくるつもりらしい。
呉越同舟の二人はどんな騒動を巻き起こすのだろうか。
俺と秋子さんは支度を整えて、玄関から外に出た。
秋子さんの後姿を見ているうちに、ふっと頭に閃いた事があった。
もしかしたら、ゲーム機と麻雀ソフトを買ったのも、あゆにチケットを
渡したのも、麻雀による勝負を提案したのも、全て秋子さんの
計算だったのかも知れない。ひょっとしたら、俺にだけ
イカサマを見られたことさえ。
「考え過ぎですよ、祐一さん」
と、秋子さんがいきなり言ったので、心臓が止まる思いがした。
いつのまにか、こちらをじっと見つめている。
自分の考えを口にする悪い癖が出てしまったのだろうか。
それともただ物思いに沈む俺の心中を見透かしたのか。
秋子さんの表情からは、何の解答も得られなかった。
「さあ、行きましょ。早くしないと、日が暮れてしまいますよ」
そう言って、俺の腕を取る。いつもと変わらぬ微笑みを浮かべて。
今日からずっと秘密を共有していく共犯者たちは、二人にしかわからない
視線を交わしながら、眩しい日差しの中を並んで歩き出していった。