繭・20歳(2/7)
驚いた。
長身で、細身のスーツがよく似合う、モデルかと見紛うばかりのオトナの女性になっていた。
「ぐあ…しかし、変われば変わるもんだな、椎名」
「はい、今年成人式を迎えました。もう20歳なんですよ、私」
「ってことは…今度は俺たちが年齢不詳になる番か」
「…いろんな人たちの夢を壊しちゃいけないもんね」
「ホント、オトナっぽくなったよ、椎名。瑞佳なんて、いまだに牛乳好きなだよもん星人だってのに」
「余計なお世話だよっ」
「みずか…?」
椎名が怪訝そうな顔をした。
「確か以前は、『長森』ってお呼びになってましたよね…?」
「あ、ああ…。俺たち、結婚したんだ」
「あははっ、なんか、照れ臭い…」
「そうだったんですか。おめでとうございます」
ぺこり、と頭を下げられる。
「そういえば、椎名も結婚式に呼ぼうと思って、連絡しようとしたんだけど…」
「うん、繋がらなかったんだよね」
「あ…。はい、ごめんなさい…。あれから、引っ越したもので」
「そうだったのか…」
「はい…」
椎名の目が、少し遠くを見たような気がする。
繭・20歳(3/7)
「あ、浩平…」
「うん? どうした?」
「布団、干したままなんだよ。早く帰らないと湿っぽくなっちゃう…」
「そうか。じゃあ帰るか?」
「あ、いいよいいよ! 浩平は繭との『同窓会』を楽しんで!」
「え…」
「瑞佳さん…」
「それじゃ、繭。また今度ね。バイバイ」
「お、おい、瑞佳…!」
「あ、はい。さようなら…」
…二人、残された。
しかし、どうにも間が持たない…。
「し、椎名」&「浩平さん」
二人、同時に喋っていた。
「な、なんだ、椎名?」
「いえ、浩平さんこそ」
「あ…その、これから時間あるのか…?」
瑞佳の勝手な思い込みで、俺はこの場に残されたけど…。
相手の都合ってもんもあるだろう?
「え、ええ…。あまり遅くならなければ大丈夫です」
「そうか。…そしたら、どこか落ち着いた場所で話でも…」
「…はいっ。あ、でも立ち寄るのでしたら…」
繭・20歳(4/7)
二人は懐かしいハンバーガーショップに座っていた。
「今でもてりやきバーガー、好きなんだな」
「はい。…今では6つは食べられますよ?」
「女の子一人でそんなに頼むのか」
「いえ、さすがにお店では食べませんけど。時々、テイクアウトでこっそりと」
フフフ、と口元を押さえて笑う。
この清楚で上品な女性が椎名だとは俄かには信じられないけれども。
でも、なんとなく懐かしい匂いはする…。
そして、あの頃の思い出話も、符合しあって…。
やはり、この女性は椎名だった。
ハンバーガーショップを出て、少し歩いた。
街頭が灯り始めたころ、小さな公園に辿り着いた。
「…浩平さん」
椎名が俺を見つめる。
「どうした、椎名?」
「いえ…。浩平さん、あの頃と全然変わってないな、って」
「それはガキのまんまだ、ってことか?」
「いえ、そういうことじゃなくて…」
遠くを見つめる目。
「成長、というものを教えてくれたのは、浩平さんでした…」
「そう言われると照れ臭いものがあるが…。椎名は、立派になった。こんな、綺麗でしっかりしてて――」
「でも、今また教えてくれたことがあります」
「? なんだ?」
「私は変わり過ぎてしまいました…。それこそ、浩平さんたちに一目で気付いてもらえなかったくらいに」
「う…悪い…」
「いえ、浩平さんは悪くありません。…変わろうと、幼虫を経てさなぎへ、さなぎから蝶へなろうとしたのは私の意志なのですから」
「………」
繭・20歳(5/7)
「今日、浩平さんを見ていて気が付いたのは…変わらぬもの、変わらぬことも大切なのだ、と…」
「私、浩平さんのことが好きでした…。でも、あまりに子供っぽい自分に、瑞佳さんや七瀬さんと比較して気後れしてしまって…」
「それから、必死に変わろうと努力しました」
「ですが、その成果を見てもらう前に…家の事情であの街を離れることになってしまって…」
「私のことを誰も知らない場所で、私はどんどん変わっていくことができました」
「でも…その結果、浩平さんたちの知っている私は…私が愛してもらいたかった『椎名繭』はどこに…?」
「それが、ちょっぴり悲しく思えたんです…」
「そんなこと全然ないぞ」
「…え?」
「どんなに変わったって、椎名は椎名だ。それは、話をしていてよく分かった」
「今の椎名と、あの頃の椎名は、俺の中で結び付いている」
「浩平さん…」
「実は…私の中でも、あの頃の繭が目覚めてしまったんです、浩平さんと話をしてたら…」
椎名は目を伏せて、頬を赤らめる。
「…もう一度、甘えてもいいですか…?」
「…ああ、構わないぞ」
椎名は俺の胸に顔を埋める。
「…みゅー」
そんな椎名の頭を、ぽん、と叩いてやる。
「みゅー、みゅー」
ぽん、ぽん…。
「みゅー! みゅー…!」
…椎名は泣いていた。
そんな椎名の背を、俺は撫で続けた…。
繭・20歳(6/7)
「それじゃ、この辺で失礼します」
彼女はすっかり元の笑顔に戻っていた。
「あ、ああ…送らなくて大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。…早く瑞佳さんのもとに、帰ってあげてください」
くすくす、と笑みを浮かべる。
「そ、そうか…。それじゃあここで別れるか」
「はい」
「………」
「………」
二人、見つめ合ったまま。
「これじゃ、なかなか帰れませんね」
「あ、ああ…そうだな…」
「『いっせーのーせ!』でお互い、後ろを向きましょうか?」
「おお! それいいな。そうしよう」
「じゃあいいですか? いっせーのー…」
「せっ!!」&「せっ」
俺はくるっと椎名に背を向ける。
これで、お別れだ。
俺は前に歩き出した。
「………」
…けれど、椎名の姿が気になる。
最後にもう一度くらい、見送っても…。
俺はちらっと後ろを見た。
繭・20歳(7/7)
「!?」
椎名はさっきの場所から一歩も動かず俺を見ていた。
「なんだよ〜、ずるいじゃないかっ!」
俺は思わず叫んでしまった。
「浩平さんっ!」
椎名も声を張り上げる。
「さようならっ、私の好きだった人っ!!」
「さようなら、昔の私…!」
「瑞佳さんと、お幸せにっ!!」
「えっ…」
あっけに取られたままの俺に、くるっと背を向けて、自分の道を歩き出す椎名。
「椎名もっ!」
俺はもう一度叫ぶ。
「幸せになるんだぞっ!!」
…彼女は俺の声に振り返ることはなかった。
変わらぬテンポで、俺から少しずつ遠ざかっていく。
でも、きっと彼女は俺の願いを叶えてくれる。
…お前は十分、頑張ったんだから。
(完)