試合を翌日に控えて、俺と千鶴さんは柏木家の近くの水門を見に来ていた。
様々な思い出のあるこの場所に、千鶴さんはどうしても俺と来たかったらしい。
真冬の空気は冷たかったけど、俺たちにはお互いの温もりがある。
月光の下で、俺たちは時間を忘れて寄り添っていた…。
「あー、やっぱりこんなとこでイチャついてる!」
こんな場所でも、突然背後で響き渡った怒声の主は元気が良かった。
まあ仕方ないか。
気を利かせるなんて芸当ができるとしたら、それはすでに梓じゃない。
俺と千鶴さんが振り返ると、案の定仁王立ちの梓が腕を組んでいた。
「試合は明日だろ? もう残ってるのは千鶴姉だけなんだから、もうちょっと自覚が欲しいよな」
「少しぐらい良いじゃない。もうすぐ戻るつもりだったし…」
「楓も初音も心配してるんだからな」
「それは…ごめんなさい」
妹の名前を出されて、千鶴さんも小さくなってしまった。俺もさすがに罪悪感がある。
「まあでも、ナイチチと地獄料理ぐらいしか持ちネタがない千鶴姉じゃ、結局は…」
梓がそこまで言ったとき――。
ピシッ。
…と、空気に亀裂が入ったような錯覚があった。
耳鳴りがして、周囲の気温がほんの少しだけ下がったように感じる。
「あ・ず・さ・ちゃん?」
潮が引くように静寂が消え失せて、張りつめた無音が周囲を満たしていた。
すぐ近く(というか俺の隣)で、狩猟者の女性が氷のような気配を放っている。
「ひっ…」
「いま、なんて言ったのかしら?」
笑顔の千鶴さんが半歩踏み出すと、梓の方は二歩さがった。
蛇ににらまれたカエル…というか、肉食獣に出くわしたカモシカのような足運びでじりじりとさがる。
<続く 1/3>