913 :
緒方兄妹SS(1/6):
「じゃ、いってくるわ。兄さんは、新曲、ちゃんと仕上げておいてね」
そう言い残して、理奈は出かけていった。
(振り返りもしなかったな…)
妹の追及をかわす為だけに、PCの前で打ち込みのふりをしていた英二は、ぼ
んやりと、誰もいない玄関の方を眺めていた。
ふと、煙草の臭いが鼻をくすぐる。
いつの間にか、独りで考え事をしている時の、親指の第一関節を囓る癖が出
てしまったようだ。
指に染みついてしまった、愛飲している煙草の臭いが、英二を放心から現実
に引き戻したのだ。
(思惑通りじゃなかったのかよ、緒方英二)
思いがけず動揺している自分に気がついて、英二は自嘲気味に舌打ちを鳴ら
した。
* * *
昔から、気が強い割には人見知りが激しく、それでいて人恋しい性質だった
理奈。
今でこそ、芸能界に身を投じて、それなりに他人とも付き合っていけるよう
になったが、本当に親しいごく僅かな身内以外には、心を全然許していない
のは相変わらずだった。
914 :
緒方兄妹SS(2/6):02/01/13 02:32 ID:9QToJz7Z
(そういや、子供の頃は俺の後ばっかついてきていたっけ)
音楽プロデューサーとして独立した際、英二はテレビのタイアップ企画とし
て、新人アイドル発掘オーディションを行った。
理奈はそのオーディションに、英二にも内緒で勝手に応募する。
そして、その圧倒的な実力でもって、英二を除く審査員満場一致での優勝を
飾り、即デビュー。
後で聞いてみると、英二が音楽の道を目指したのと時を同じくして、音楽の
勉強やら楽器の練習やらを独自に始め、中学に入った際には、声楽の個人レ
ッスンを、自分の貯金を崩してまで受け出したのだという。
なお、その声楽家の先生からは、米国の某有名音大に飛び級進学する為の推
薦状までもらっており、理奈が芸能界に身を投じると聞いた時には、酷く惜
しまれたそうだ。
(あの頃は、四六時中一緒にいたからなぁ)
理奈を売り出したばかりの頃は、生まれたてのプロダクションの運命を左右
する事もあり、それこそ英二の全てをつぎ込んで、"緒方理奈"というスター
を創り出すのに奔走した。
最も理奈の魅力を引き出し、かつ、多くの人間に支持されるようなトータル
・イメージとコンセプトを設定。
それに沿った、楽曲、ファッション、ビデオクリップ、等々によって、"緒
方理奈"という偶像を創り上げていく。
連日、深夜に渡るまで、打ち合わせ、レッスン、プロモーション等に明け暮
れる濃密な時間を、ほとんど二人一緒に過ごした。
その甲斐あって、あれよあれよという間に、トップアイドルとして芸能界に
君臨するまでに至る。
915 :
緒方兄妹SS(3/6):02/01/13 02:33 ID:9QToJz7Z
人気の階梯を駆け上っていく途上の、目が回るような忙しさの中では、周囲
がやっかみ半分に放つ、ブラ・コン、シス・コンといった風評を、一顧だに
する事もなかった。
しかし、理奈の芸能界における地位が確立した事や、新たに由綺という新人
アイドルを育てだした事によって、二人一緒にいる時間が以前より少なくな
った時、柄にも無く『兄離れ』等という事を考えてしまった。
(あれで、全くその手の浮いた話がなかったってのは、プロダクション側と
しては、喜ぶべき事なんだろうけどな)
たまにしかなくなった、部屋に二人きりでいる時などに、
「こんなオフの日に、一緒に出かける相手すらいないとは、寂しい奴だなぁ。
え? 理奈」
等と、話題を振ってみても、
「ま、身近にこういうだらしない見本がいると、恋愛に幻想を抱けなくなっ
ちゃうのよね」
とか、
「ふーん。妹の心配をする暇があるなら、兄さんの"奔放な"性生活の方を改
めたら? 写真週刊誌のすっぱ抜きで、兄さんの今の相手を知るのは、いい
加減うんざりだわ」
という具合に、はぐらかされてしまう。
916 :
緒方兄妹SS(4/6):02/01/13 02:33 ID:9QToJz7Z
そんな時だった。
芸能界にも馴染み、二人への親近感も増してきた由綺から、彼女の恋人の話
を聞いたのは。
平凡な大学生だという、優しい、優しすぎるような恋人。
恥ずかしがりつつも、由綺は嬉しそうに頬を赤らめながら、その恋人の話を
した。
理奈は、妹のように可愛がっている後輩の惚気話に、時折ちゃちゃを入れつ
つも、微笑ましげにそれを聞いていた。
由綺というフィルターを通しているせいか、人見知りの激しい理奈も、その
男に対して、それほど拒否反応を起こしていないようだった。
いけるかもしれない。
あんな男なら、理奈も大丈夫だろう。
深く考えもせず、英二は動き出した。
レッスンやプロモーション等で由綺の拘束時間を増す一方、由綺を通じて彼
女の恋人である冬弥を、テレビ局のバイトに紹介する。
当然ながら、一緒にいる時間が激減した理奈から、由綺への傾倒ぶりを詰問
された。
「由綺ちゃんは今が大切な時期だからな。それに、俺も彼女の事、気に入っ
てるし」
「な、何考えてるのよっ、兄さん!!」
「プロデュースなんて、相手の事を好きじゃなきゃ、やっていけないぜ、理
奈。好きな相手だからこそ、その相手の魅力を見つけ出す事ができるし、そ
れを最高の形に磨き上げる事が出来る」
理奈の追及を適当にかわし、その後、理奈のマネージャーを些細な理由で交
代、冬弥を代わりにつけた。