ばさり、闇色の外套を翻して。
村を囲む森の入り口、一騎の騎兵が華麗な装飾の刻みこまれたサーベルを、高々と夜空に向けて振りかざす。
天の最も高いところに上り詰めた月は見事な満月。
すでに村人は寝入っているのだろう、魔物避けの柵と空濠に囲まれた村落に人の動きはまったくない。それはすでに斥候を放って確かめている。
「…………」
鬱蒼と覆い茂る樹木が生み出す闇の中、馬を寝そべらせて指示を待ちわびる兵の一人が、サーベルを一向に振り下ろそうとしない指揮官に問うような視線を送った。
指揮官、吉井はその視線を受け、迷いもあらわに村落と兵とを交互に見交わす。
松本を捜しに行った岡田隊が、一昼夜を過ぎてまだ戻らない。
彼女としては、松本を拾い、橋を落とした岡田隊と合流して兵を結集させ、万全を期して秘宝の奪取に動きたいのだ。
吉井はあまり積極的なタイプではない。常に攻撃的でアクティブな思考の岡田、いつもあーぱーですかたんな松本に対し、慎重で理知的な吉井はストッパーの役に立っている。それで上手くこの三人組は機能しているのだが、それだけにばらばらとなると途端拙くなる。
「……と言っても……」
待つにも限度がある。うーん、と吉井は小さく唸って首を傾げた。
いつ岡田たちが戻るかわからない。朝が来て村人が起き出せば、ことは運びにくくなるだろう。
いや、帰らない彼女らを待ちわびて、王国の特務部隊が任務を遂げて何時の間にか離脱していた、などということになったらお話にならない。
橋を落として回る計画は、そんな事態が起きた時足止めを食らわせる目的もあったのだが、この分ではそれも期待できそうにない。
……しばらくの沈思の後に。
「……やるしかないのかなぁ」
やや気弱げに呟いて、再三吉井は背後を振り返った。
自分の隊と、預かった松本の隊併せて四十騎ばかりの兵。
……特務部隊のたかだか二人と冒険者の数人を片付けるには、十分過ぎる兵の数だ。
同時に、朝が来て村の近くに身を潜めつつ、その存在を秘匿するには難しい兵の数でもある。
サーベルを振り上げてたっぷり一分。
「……やるしかないのかな、やっぱり」
逡巡に逡巡を重ねて吉井はようやく決断を下した。
ことは計画通りに運んでないし、ついでにこの手の後ろ暗い任務は好きではないのだけど、任務だから仕方がない。
最後にもう一度自分自身に言い聞かせて、彼女は指揮状替わりのサーベルを、勢い良く振り下ろす。
その切っ先が指し示すのは、平和な眠りに包まれる秘宝塔を臨む村。
「……全騎突撃、村落を占拠せよ! 盗み殺しは厳禁、背いた者は斬刑に処す!」
叫んで馬の腹を蹴り、駆け出す愛馬の背から続けざまに今回の作戦の肝となる指示を下した。
「村の有力者の妻子は人質に使う。捉え次第私の下に連れて来い!」
やがて、秘宝塔から帰ってくる王国兵や冒険者たちは、ベースキャンプであるこの村に帰ってくるだろう。
その安息の地が、わずかな間に敵地と変じているとは流石に歴戦の(と、吉井たちは信じていた)特務部隊員でも気付くまい。
今より、村落は帝国軍が定めた獲物を捉えるため、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の巣の一部へと組みこまれるのだ。
四十騎の騎兵が駆け去った、その後の森の中。
がさり、音がして茂みの一つからひょっこりと青年の首が生えた。
「……無茶するなぁ。敵国の領域内だっていうのに」
"だいたんなの"
「大胆って言うより、無謀なのでは……」
続いてスケッチブックを掲げた腕、白フードに包まれた女性の頭がにょきにょきと茂みから突き出して来る。
「どうしましょう……? ここまでやる以上、見つかれば部外者だからってただで帰してもらえるとは思えません」
ことが漏れたら外交問題どころか即座にドンパチに突入しかねない。冒険者、魔術アカデミーの構成員、今の彼らにそんな区別はないだろう。
茜の危惧に頷いて、明義は茂みから上半身を乗り出して村落の様子を窺った。
何事も無かったかのように静まり返る村落――おそらく、寝込みを襲われパニックに陥る暇すら無いままに制圧されたか。
「なんにしても、動向を探るってのは正解だったな。これで幾らか打つ手は増える」
"どうするの?"
どこかしら自信ありげに呟く明義に澪がスケッチブックに問いを書きつけ、茜とともに期待を込めた視線を送る。
南はどっしりと構え、さっきよりも自信たっぷりに。
「それを今から考えるんだ。ま、考えるのは二人に任せるけどな」
……もちろん、直後に二人からの手厳しいツッコミが入ったのは言うまでもない。
【吉井】秘宝塔の村を占領。
【茜・澪・明義】村の側で作戦会議。さてどうするか。