476 :
在処。:
深山雪見が発った次の夜、――いつものように彰とさいかが仕事を終えた後の事である。
「――なにしてるの?」
ふと目が覚めたしのさいかは目を擦りながら、物音の正体を確かめる為に身体を起こし、そう尋ねた。
いつも自分の傍らで眠っている筈の彰がいないので、すぐにさいかは状況をつかむ、彰が何やらこそこそ仕事をしてるのだと。
何の仕事をしてるのかと云えば、やたらめったらな荷物を整理である。
「ん。さいかはもー寝なさい」
まるで相手にせず彰は作業を進める。なんだか腹が立ったので、さいかは背伸びして、鞄の中に何が詰め込まれているかを強引に見る。
そこにちらりと見えたのは、数日分の食料と衣服とその他旅に必要そうな品物、つまり必需品であった。
さいかが必需品という単語を覚えたのは最近の事である。ちなみに久し振りにやってきた晴香に習ったのである。
晴香は色々便利な言葉をさいかに教え込んでいるのだが、そんな事を彰が知る筈もない。
誘惑とか、えっちな事だとか、そんな言葉も全部晴香である。いやはや。
「なんでそんなにひつじゅひんがいるの?」
「いつも思うんだけど、お前何処でそんな言葉覚えるんだ?」
使い方微妙に間違ってるし、そう彰はぶつぶつ云いながら、旅の必需品の準備――つまり、旅の荷造りをしていた。
「ん、まあ、いっか。明日から一週間程、お前栞ちゃんとこでお世話になるんだぞ」
「……………ええ?」
「ちょっと僕はしばらく留守にする。大人しくしてるんだぞ」
*
477 :
在処。:02/01/03 02:38 ID:kMMksv+E
その晩の間、その町中に少女のわめき声が響き続けたのだという。
それは呪われた秘宝の少女の助けを求める声なのか、はたまた地獄の責め苦に嘆く可哀想な赤子の声なのか。
はたまた。
*
出立の日である。
彰は美坂栞の家に行き、栞の母に挨拶をしに向かった。頬を精一杯に膨らませたさいかと共に。
「それじゃあ一週間程、よろしくお願いしますね」
「ええ、彰君。聖先生連れ戻しに行くんだって? 聞いたわよー」
野次馬的に栞の母はそう尋ねる。なんて情報の周りが早いのだ
「ええ」
「聖先生が帰ってきたらこの小さな街に名医が3人になるのねえ。聖先生と、北の病院の先生と、彰先生で」
「僕なんてまだまだ未熟ですよ。栞ちゃんの病気だって完全に治せた訳じゃないし」
――思い出すのは、栞が突然発作を起こした数年前の事。
全く手が出せなかった自分の事を思いながら、巳間晴香の顔を思い出す。そして、自分の未熟さと共に邂逅される、彼女の力の強さ。
薬学とは、白魔術を遙かに超越した力なのではないか。そんな事さえ、思う。
医者としてやっていく為には、薬学の勉強もすべきかも知れない。
「もー、謙遜しちゃって。先生には栞を貰って欲しいとも思ってるくらい感謝してるのよ?」
「先生なんて」
「うふふ、栞のベッドで身体を休める事が出来るのは、栞と先生だけよ!」
ちっちっち、と人差し指を振りながら、おばさんはそんな事を云った。
「まあ、男と女が二人いて、ベッドの上で休む事なんてないけどね!」
はあ………。彰は、大きく、大きく溜息を吐いた。なんてこったい。
*
478 :
在処。:02/01/03 02:39 ID:kMMksv+E
「それじゃ、大人しくしてるんだぞ、さいか」
顔と目を真っ赤に腫らしたさいかと、同じく目元を真っ赤にして、眠ってませんよーと書かれた旗を高々と振っているかのように、
とろんとした目をした眠そうな彰を見るにつれ、美坂栞は果たして何事があったのかを推測する事が出来たのだろうか。
というか、何で彰が自分の家にやってきているのだろう、って、私まだパジャマじゃない! 恥ずかしい!
と、階段の上で二人を見下ろしながら思っていると、彰が気付いたのだろう、立ち尽くす栞を見上げながら、
「あ、栞ちゃんお早う」
と声をかけてきた。
ああ、気付かれちゃったしまったしまった、っていうか、ねぼすけさんと思われた? もう日が結構高くなってるし、嘘……。
しっかり者の栞を、彰先生の前でだけは演じてきたつもりだったのに……喉から手が出る程恥ずかしい。もとい、顔から火が出る程。
「わ、わたし、こんな格好で、す、すいませんっ」
云うと彰は顔を真っ赤にする。こちらの顔が赤くなるくらい、真っ赤である。
……あれ? 何だ、彰先生もわたしの事、何だかんだで女の子として見てくれてるんじゃないですか!
恥ずかしくはあったが、これは収穫だ! 強引に行けば、いけるかも知れないです!
そんな栞の心の声などいさ知らず、彰はただ顔を赤くするばかり。
その様子を見て不満なのは勿論、彰の右手に繋がれた少女である。ただでさえ不機嫌なのに、より一層不機嫌になりそうである。
*
479 :
在処。:02/01/03 02:39 ID:kMMksv+E
「それじゃあ、栞ちゃん、あとはよろしくね」
「………?」
――栞はきょとんとした顔で、彰を見る。何云ってるのかな、先生?
「え?」
見れば、彰の左手には旅行鞄のようなものが、あり。
「しばらく留守にするよ。一週間ほどしたら帰ってくるから」
彰はそんな言葉を言い残して、すぐに旅立ってしまった。
さいかは憮然として食卓に座る。栞もぼうとして、その対面に座る。
目の前には醒めた目玉焼きとフルーツサラダ。……まったく、食欲が湧かない。さいかと向き合いながら、栞は呆然とした。
「一週間も、先生と逢えないんですか? わたし」
「いっしゅうかんもあきらとあえないの、さいか」
貌を真っ赤にして、目を真っ赤にして、目に涙をためて、さいかは絞り出すように、そう云った。
「いやだよ……いっしゅうかんもあきらにあえないのいやだよ……」
云って、さいかはぼろぼろと泣き出してしまった。
「いっしゅうかんもひとりでねれないよ……」
……一人、って、え? じゃあ、さいかちゃんはいつもは彰先生と同じベッドで寝てるの?
嘘! 彰先生の腕枕をして貰うのはわたしだけの特権だったはずなのに! とか、そんな事を嘆いている暇はない。
わんわん泣いているさいかちゃんを宥めなければ、そう思うのだけど、自分も泣きたい気分なのだ。
彰先生と一週間逢えないというのはなかなかつらい。毎日遊びに行ってる訳だから、その日課が無くなるのが寂しすぎる。
好きなヒトと一週間逢えない! 耐えられる訳がない、この情緒不安定なわたしが!
近隣には同じ歳の子供もいない。さいかちゃんと遊ぶくらいしかする事がない。
そもそも、彰先生が無事に帰ってくるかどうかも怪しいのに、怪我とかしたらどうしようどうしようどうしよう、
そんな事を考えていては終わらない。自分も鼻声になってしまいそうだ。
「わたしだって寂しいんですー、我慢しましょうっ」
「さいかのほうがもっとさみしいよっ」
いや、わたしの方が、ってそんな事を7歳の子供とやってる場合ではない。
*
480 :
在処。:02/01/03 02:39 ID:kMMksv+E
……ふと、思い付いたのはこんな事である。
「――こっそり付いてっちゃおうか?」
栞の提案は、果てしなく無謀なものであった。
【七瀬彰 東の魔法都市へ、聖先生を連れ戻しに一人旅立つ】
【しのさいか 美坂栞 彰の後を追って魔法都市へ向かうか、向かわないか】