ぱりん。
奇妙に高く、澄んだ音でアンプルの瓶が割れた。場違いのような綺麗な、
繊細な音だった。
吊された裸電球はもう寿命も近いらしい。何故といって、高い天窓から
わずかに光が漏れている様子が見て取れるから。まだ陽は空にあるらしい。
しかし、かのりんぐにしてみれば、実際それどころではなかった。
「い、嫌……嫌ぁ」
制服姿で尻餅を突いた格好のまま、それでも何とか後じさろうともがく。
毎日の日課としている散歩のためか、制服から覗く白い足はほっそりと、
良い形をしていた。こんな、どことも知れぬ廃倉庫の薄暗がりであっても。
「やめてよぉ」
今にも涙と共に崩れきってしまいそうな表情で、かのりんぐは懇願する。
しかし、それが周囲の男達をさらに刺激することとなるのだから、皮肉な
ことである。
彼女の他には3人の男達が、この倉庫にはいた。ひとりはゴリラがそのまま
人間の服を着たような大男だ。普段のかのりんぐなら、『マウンテン1号さん
だぁ♪』などと名付けて悦に入るだろう。けれどその表情は、本当のところ
センシティブなゴリラの比ではないくらい粗野で、下卑たものだった。
「げひゃひゃ、ざぁーんねんだなぁ。俺たちゃやめるわけにゃいかねーんだよ。
なぁ?」
知性のかけらも無い調子で、隣の男に話しかける。こくりと頷くその男は、
相棒と対照的なくらい細身だった。まるで糸杉のようだ。表情ものっぺりと
していて、ぴくりとも動かない。しかも無言だ。先程から、この男だけ
一言も喋っていない。かのりんぐは、ゴリラよりもこの糸杉の方が怖かった。
怖く思えた。何故かは判らない。ひょっとしたら、その手にある注射器の
ためかもしれなかった。
テレビドラマでこういう場面を見たことがある。
それは……。
「どうして……どぉしてぇ」
「わかってるはずでしょう?」
絞り出すような声に、最後の男が応えた。
ぽっと鈍い明かりが灯る。男の手の中で。やがて消えた光は、煙草の先で
輝いていた。よどんだ空気の中に煙を送り込みながら、男が言う。
「君の、お姉さんがいけないんですよ? 確か、霧島(改)さんでしたか?」
知性的な声だった。けれど、冷たかった。
「あの人が頑固だから、こういう手段をとらざるをえないわけです。頑固に、
あんな古びた診療所にこだわり続けて……」
その瞬間、何かに火がついた。
「うちを悪く言うなぁっ!!」
叫んだ。ゴリラが一瞬たじろぐほどの声だった。
「お姉ちゃんを、お姉ちゃんを悪く言うなぁっ!!」
かのりんぐは怒っていた。心底、怒っていた。誰よりも愛おしい姉と、何物
にも替えがたい診療所を侮辱されて、腹の底から怒っていた。
その涙は怒りのため。その紅潮は激した感情のため。血が出るほどに唇を
かみしめて、きっ、と男達を睨んでいる。
「なるほど。なるほど」
煙をくゆらせながら、男が感心したように繰り返す。
「やはり蛙の妹は何とやら、ということですかね。なるほど。確かにあの姉あっての
この妹だ」
それから、かのりんぐの頭の先から足の先までを舐めるように眺め廻した。
「惜しい。あと3年というところですかな……。しかしまあ、これはまたこれで」
ひとつ頷くと、
「おい」
傍らのふたりに目配せした。ゴリラと糸杉は無言で頷くと、かのりんぐににじり寄る。
「や、やぁぁぁあああ!」
必死の抵抗。しかし、その両手は手錠のようなもので縛められている。
ゴリラが、左足の膝と足首をつかんで、コンクリートがむき出しの床に押しつけた。
「痛い! 痛いよぉ!」
必死の抗議は無視された。足は万力に固定されたかのように、びくともしない。
そこへ、糸杉が針を打ち込んだ。馴れた手つきだった。
「あ、う……あ」
何かが体の中に侵入してくる。多分まっとうなものではない。かのりんぐとて医者の
娘だ。静脈注射がどれほどの効果を及ぼすかくらいは知っている。もっとも、それは
使用される薬物の見当がついていての話だったが……。
「後遺症は、心配しなくていいですよ」
男が字面だけ優しげに諭す。
「なに、ちょっと身体の自由が利かなくなるだけです」
「……!」
その言葉のためか、それとも早くも効果が現れ始めたのか、強ばっていた表情が、
必死の抵抗を試みる足が、急に力を失う。
「あ、あれぇ……?」
「特別製なんですよ」
男が含み笑う。
「さて、では美味しくいただくまえに下ごしらえしておきましょうか……」
「……」
糸杉が頷くと、右足を掴んだ。抗おうにも、足が思うように動かない。
「や……」
呂律も回らなくなり始めていた。困ったことに思考力も落ち始めているらしい。
右足が掴み上げられてゆくのを、ぼんやりと眺めている。そして、学校指定の
ローファーと、白の靴下がはぎ取られてゆく様も。
「……」
可愛らしい足の指が現れた。少し汗ばんでいるためか、わずかに刺激臭がした。
形の良い爪が少し伸びている。
「ひゃぁっ!?」
喉が震えた。脊髄が縮み上がった。糸杉が、いきなりその足にむしゃぶりついたのだ。
親指からまるでかぶりつくように、しかし歯は立てないで。両の顎でくわえ込みながら、
親指を中心に舌先で執拗にねぶる。
「あ、あああ、い、いやぁ……嫌だ、よぉ」
背後に気配が回り込む。もっとも、その感知さえ今はおぼつかないのだが。
ちゅぽんと、糸杉が爪先を解放した。すっかり唾液にぬめるその足先を無言で
眺めやると、またおもむろにしゃぶりはじめる。今度は舌先で念入りに指の腹を
付け根を舐め廻してゆく。少女の味を確かめるかのように。唾液を香辛料よろしく
なじませるかのように。
「あ……ふぅっ、ぅあ、あ……」
突然、両胸が鷲掴みにされた。背後に回り込んだゴリラの手で。
「ぅあっ!」
腕ごと抱き留めるかのような形で、後ろから太い腕が伸びていた。かのりんぐの
頭をそのまま鷲掴みに出来そうな、大きな手だ。無遠慮なほどに、痛みさえ覚えるほど
荒々しく、制服の上から彼女の胸を蹂躙する。
「へっ、まだまだ小せぇなぁ」
耳元で響いたのはゴリラの声だ。その一声ごとに、こればかりは本物にも負けない
のではないだろうかと思えるほどの口臭が漂う。
「邪魔くせえ」
胸から一旦離れた手が制服の胸元を掴む。そして、軽い衝撃。糸のはぜる音と共に、
制服の胸元がブラウスごと引き破られた。白さのまぶしいインナーが露わになる。
「い、嫌ぁぁぁあああ!!」
思わず、身体を折って胸元を隠そうとする。戒められた両腕や、蹂躙されるままの
右足が悲鳴をあげるが、今はそれどころではない。
「おっと、そうはいくかよ」
ごつごつした掌がおとがいを包むようにひっ掴み、彼女の頭を引っ張り上げる。
さらに、後頭部も掴まれると、無理矢理首を90度回された。ちょうど、首だけ
真横を向く形だ。
「!?」
最初は何があったか判らなかった。思考力も判断力も低下している。しかし、
それでも唇に異物が押し当てられたのは判った。ごわごわした感触。そして異臭。
目の前にゴリラの顔があった。
「……」
唇を奪われていると気付くのに、しばらくかかった。あげそうになった悲鳴は、
喉元でくぐもった呻きになって消えた。何故ってゴリラが舌を差し込もうと、
唇を荒々しくむさぼり、押し割ろうとしてくるから。
それだけは許すわけにはいかない。
それでも、既に唇の純潔は奪われてしまった。
どうして、こうなってしまったのだろう。
どうして、こんな目に遭わなければならないのだろう。
涙 が こぼ れた。