Leaf&Key仮想戦記〜ひとりぼっちの戦場編〜

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393Resistance
「何やて。もう一遍言ってみぃ」
 馬場社長の口から吐き出される低音が社長室の空気を震わせる。
「はい。私は麻枝君達が同人でやろうとしている企画に、原画家として参加します。keyの名前は
一切出さない、一個人としての参加です」
 鋭利な刃物を思わせる馬場の鋭い視線を真正面で受け止めて、樋上いたるは質問に答えた。
椅子に腰を下ろしたまま、馬場は目の前に立ついたるを睨みつける。
「君が同人やろうが、何やろうが、それは君の勝手や。せやけど、keyはどうするつもりや。『CLANNAD』はもう開発の真っ最中や。麻枝だけでなく、君までkeyを飛び出したら、間違いなく『CLANNAD』は潰れるで。それはkeyが潰れるっちゅうことと同じ意味や」
 普段の軽妙な口調からは想像もつかない、どすの利いた声を吐き出す。聞く者を窒息させるような
重苦しい言葉にも動じず、いたるは独り、直立を保った。
「『CLANNAD』の作業は当然続けます。私が麻枝君達の企画に参加することで、keyに迷惑を掛ける
ようなことは絶対にありません。今までと同じように『CLANNAD』の開発を進行させれば、何の問題
もない。そうでしょう?」
「一度に二つの開発ラインの原画ができるようなタマか、君が。両方潰すんがオチや」
 いたるは何も答えない。視線は動かさず、真っ直ぐに馬場を見据えたまま、固く口を結ぶ。
 沈黙が重石となって肩に圧し掛かってくるようで、馬場は内心舌打ちした。keyにおいて馬場との
折衝は、主に麻枝の役目だった。麻枝は鼻っ柱が強く狷介で、容易に馬場の意向に従わない男だが、
直情的で一本気でもある。独立心旺盛なクリエイターを巧みに操縦し、熾烈なシェア争いを勝ち抜いて
きた馬場には、麻枝のような手合いは腹中が容易に読め、却って扱いやすかった。
 麻枝がkeyを離れている今、馬場とkeyの現場を繋ぐホットラインは折戸と涼元が握っている。
 二人とも麻枝に比べれば表裏を使い分けることはできるが、それだけに直線的な押しの強さがない。
 馬場にとって、keyをコントロールすることは実に容易なことのはずだった。
394Resistance:02/02/18 18:08 ID:rjYfjitV
「答えられへんのか。そらそうやろ。身の程を知っとったら『できます』とは言えんわな」
 苛立ちを気取られないように、意識して嘲笑う。
 馬場は確かに動揺していた。麻枝達の背中に守られ、自分は矢面に立つことのなかったいたるが
過酷な状況に自らを置こうとしていることに。最も御しやすいスタッフだったはずの彼女が今、
馬場に反抗をしようとしていることに。
「君に二つの開発ラインをこなす器量があるとはとても思えん。どっちつかずになって、両方の企画
を台無しにするのが目に見えとるわ。麻枝がそれを受け入れると思うとんのか?」
 動揺を振り払い、さっきと同じ言葉を繰り返す。馬場の言葉に反論せず、沈黙を保ち続けていた
いたるだったが、馬場が言い終わるとようやく口を開いた。
「私では力不足だとおっしゃるんですね。私独りではどちらも守れないと」
「そうや。君では無理や。君は『CLANNAD』に専念せなあかん。麻枝達の原画は他の人がやるべきや」
「だから、あの子を使ったんですか? keyから追い出してまで」
 視線が険を増した。馬場は平然とその視線を受け流す。
395Resistance:02/02/18 18:09 ID:rjYfjitV
「そうや。麻枝は俺の部下や。同人とはいえ、部下の仕事の管理は上司として当然の責任や」
「あの子にスパイ役をやらせてまで、そんなに企画を手に入れたいんですか?」
「当たり前やろ。俺は麻枝を高く買ってるんや。ええ企画を立てている間は、俺は麻枝を手離しは
せぇへんで」
「あなたが何を考えていようが、何をやろうがあなたの勝手です。私にはどうすることもできません。
私だって、あなたに雇われている身ですから」
 そこで言葉を区切り、目をつむる。一呼吸を入れると再び目を見開いた。
「でも、これ以上しのり〜にスパイ役をやらせはしません。あの子を、これ以上の辛い目に遭わせ
はしません。あの子を再び傷つけようとすれば、私はあなたを許さない。そして、麻枝君と久弥君
もあなたの思いのままにはさせない」
 気圧された馬場は呆然といたるを眺める。銃弾を装填されたリボルバーは安全装置を解除され、
引き金の引かれる、その瞬間を待っていた。緊張が臨界を突破し、まさに暴発しようとするその
瞬間、いたるが再び口を開いた。
「私はkeyのリーダーです。keyのスタッフを守るのは、リーダーとして当然のことです」
 それだけ言うと、身を翻して歩き出す。
 そのままドアを開き、社長室を出た。
396Resistance:02/02/18 18:10 ID:rjYfjitV
「男侍らせてにこにこ笑ってるだけのお姫様かと思っとったが、見くびりすぎやったかも知れんな」
 いたるの去った社長室で、馬場は独り呟く。椅子に背中を預け、天井を眺めた。 
「keyのリーダー、か……お手並み拝見と行かせてもらおか」
 天井に備え付けられた蛍光灯が白く光を放ち、柱時計が規則正しく音を刻んでいた。

「ふう……」
 社長室の扉を閉め、廊下に出たいたるは力が抜けたようにため息を吐いた。膝がまだ震えていて、
自分の身体の一部でないみたいだった。左胸にあてた手の平に早鐘のような心臓の鼓動を感じる。
 社長に面と向かってあんな事を言ったのは初めてだった。社長室にいる間中、氷の刃を喉元に
突きつけられているようだった。馬場から目を反らさず、真正面を向いたままでいられたことさえ
奇跡に思える。
「麻枝君はいつもあんな風にして、社長と議論を交わしていたんだ……」
 たった一回のやり取りで、いたるは神経を消耗し尽くした。角を突き合せ、互いの身を削るような
遠慮の無い意見のぶつけ合い。あんな神経戦が日常だなんて、考えるだけで恐ろしい。
「……でも、これからは私がやらなきゃいけないんだよね」
 そう、自分に言い聞かせる。心に剃刀をあて、緊張を常に維持する。そうしなければ馬場と対峙する
ことなど出来る訳がない。そして、それが出来なければ、結局自分はただのお飾りのままだ。
 いたるは表情を引き締め、震えの止まない脚を拳で叩いた。まだ笑っている膝に力を込め、廊下
の床を踏み締める。顔を上げ、開発室へ戻るべく背筋を伸ばして歩き出した。

 真っ直ぐに歩き始めたその背中に醒めた視線を送る、涼元の姿には気付かずに。