Leaf&Key仮想戦記〜ひとりぼっちの戦場編〜

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311カウントダウン@
 カーテン越しに射し込む陽光の暖かさが顔をくすぐり、樋上いたるは目を覚ました。スイッチの切
られた目覚し時計の針は、丁度正午の位置を指している。一直線に上を向いた針が自分の怠惰さを詰
っているようで、いたるは少しだけ恥ずかしく思った。いくら休日だからといって、日が高くなるま
で惰眠を貪るような行為に胸を張ることはできない。追い立てられるように布団から出て、カーテン
を勢い良く開ける。陽光がさっと射し込み、部屋の床に立ち姿の影を描く。冬の太陽は既に中天に差
し掛り、柔らかな光を放っていた。
 
 自堕落の効果は確実にあったのだろう。目覚めの時に常に彼女を苛む鉛のような体の重さと、鉄錆
のような頭の気だるさは今日はどこにも無く、背中に羽根が生えたのではないかと錯覚するほどだっ
た。軽やかにステップするように部屋を横断し、洗面所で顔を洗う。手早く歯を磨き、髪を梳いて体
裁を整える。洗面所を離れ、タンスの中から適当に服を見繕い、パジャマから着替えた。

 再び窓際に近づき、窓を開けて、外の景色に目を遣る。相変わらず寒さは厳しく、むき出しの枝を
晒した木々は立っているのも辛そうに見えたが、空の真ん中から降り注ぐ陽光が僅かな温もりを与え
ていた。光の通い路を埃が舞い、ちらちらと消えては現れる。木の枝に止まっていた鳥が羽根を広げ、
蒼の天井目指して飛び立っていった。

 休日とはいえ、家でごろごろとしているには勿体無いほどのいい天気だ。朝昼兼用の食事を済ませ
たら、散歩に出かけようと思った。少し遠出をして、大きな本屋にも行きたい。仕事の参考になりそ
うな写真集をいたるは探しており、近場の書店を巡っていたが見つからなかった。週刊誌から洋書ま
で取り扱う書店なら見つかるかもしれない。折角の休日だし、たまには街中に遊びに行くのもいいだ
ろう。
 大きく背伸びをして、陽光を全身で受け止める。窓を閉め、食事の支度をするため台所に向かった。
312カウントダウン@:02/02/04 02:20 ID:qxrWIXf7
 街中の雑居ビルの一角。バブルの崩壊とともに人の姿も無くなり、命の灯火の消えたように寂れて
いた一室が、今日はまるで違う空間だった。ビルの一階から階段を上ってPCを部屋に運び込む力仕事
を終え、麻枝准は冬だというのに額に浮かんだ汗を拭う。こうした肉体労働を好む性質ではないが、
ようやく停滞から抜け出し、前に進み始めることのできた喜びが労働の不満を吹き飛ばした。
「お、もう運び終わったのか。お疲れさん」
 ドアが開き、吉沢達が部屋に入ってきた。皆それぞれに書類や事務用品の入ったダンボール箱を両
手に抱えている。
「これでやっと開発が進められますね」
 ダンボール箱を机の上に置きながら、久弥は言う。
「あぁ、ここからが正念場だな。麻枝もいつまでも馬鹿ばっかりやってるんじゃないぞ。お前がし
っかりしないと、久弥がいくら頑張っても意味無いんだからな」
「分かってますよ。任せてください」
 吉沢の言葉に、麻枝は胸を張って応える。その表情には曇りは無く、自らの夢を無心に追い続ける
少年のようである。吉沢はそんな麻枝を眩しく思った。
(やはり物を創っていてこそ輝く男なんだな、こいつは)
 そう思った。
「早速仕事始めましょうか。皆揃っている事だし、企画会議をやりましょうよ」
 皆揃っていると言ってもそこには吉沢と麻枝を除けば、久弥としのり〜しかいない。だがそれでも
今の麻枝には充分すぎるほど心強い仲間だった。 
313カウントダウン@:02/02/04 02:21 ID:qxrWIXf7
「お、おい。ちょっと待て。いきなり会議と言われても困るぞ。機材は運び込んだだけで、まだ整理
も何もしていないんだ。機材をきちんと整理するのが先だろう」
 吉沢は勇み足の過ぎる麻枝を苦笑混じりに抑える。壁に備え付けた時計を見ながら、言葉を続けた。
「それに、もう昼だ。今日は朝から力仕事でお前も疲れているだろう。昼飯を食ってから、仕事の話
はしないか?」
「吉沢さんがそう言うんだったら、それで構いませんけど……」
「あ、それなら私がお弁当を買ってきましょうか?」
 二人に割り込むようにしのり〜が提案する。
「いや、しのり〜は荷物運びで疲れているだろ。それに昨日も弁当を買い出しに行ってきてくれたん
だ。しのり〜にばかりパシリをやらせるのは不公平だ」
「じゃあ、誰が行くの? 重い荷物を運んだのは麻枝君と久弥君よ。あなた達のどちらかが買い出し
に行くのなんて、それこそ不公平よ」
「ジャンケンで決めればいいんじゃないかな。それだと不公平にはならないと思うよ」
 久弥も二人のやり取りに口を挟んだ。麻枝は久弥の言葉に頷く。
「それもそうだな。よし、ジャンケンで決めるか。吉沢さんもやりますよね?」
「あ、あぁ。別に構わないが……」
「じゃあ、やるぞ。皆準備はいいか」
 麻枝は両手を背中の後ろに回し、手を見られないように隠す。吉沢達も麻枝につられて後ろ手を組んだ。
「せーの……じゃんけん……」
 麻枝の掛け声に、一同息を凝らす。皆の間の空気に緊張が圧し掛かった。
「ほいっ!」
 その瞬間、一斉に四人は手を開いた。
314カウントダウン@:02/02/04 02:21 ID:qxrWIXf7
 春の訪れを予感させる穏やかな陽光が空の中心から降り注ぐ。アスファルトの歩道に色の薄い影を
落としながら、いたるはゆっくりと歩みを進めていた。一歩足を進めるごとに身体が温まり、日を直
接に浴びている頬が赤く上気し始めているのが感じられる。久し振りの遠出はいたるに年甲斐も無い
冒険心を呼び起こしていた。ほんの数駅、電車に乗るだけで自分の知らなかった世界が目の前に広がる。
探していた本は結局どこにも見つからず、通販で購入せざるを得ないことが分かった。それでもこの
気持ちのいい空の下、見知らぬ土地を自分の足で踏みしめて歩くことが楽しかった。
 
 どこを目指すでもなく歩き回るいたるの目の前に、長い坂道が現れた。坂道はだらだらとした勾配
で真っ直ぐに延び、どこまで続くのか、いたるの目で窺い知ることはできない。等間隔に立ち並ぶ電
信柱が視界の先までずっと連なり、奇妙な威圧感を与えている。
 いたるは一瞬戸惑ったが、すぐに再び足を進め、長い坂道を登り始めた。

 坂の中途に自動販売機が設置されているのがいたるの目に入った。いくら緩やかな勾配だとはいえ、
結構な距離を登ってきた。心臓の動悸も速くなり、喉も渇いている。ジュースを買って、少し休憩し
よう。そう思い、自動販売機に近づいたいたるだったが、先客がいることに気付いた。
「結局負けるのは俺なんだよなぁ……俺って本当、ジャンケン弱いよな。学級委員もジャンケンに
負けてやらされたし、給食の残りのプリン争奪戦に勝った記憶無いし」
315カウントダウン@:02/02/04 02:23 ID:qxrWIXf7
 男は自販機の前で己の非力を呪っている。足元には弁当を重箱式に積み重ねて包んだ弁当屋の
袋が置かれていた。昼食の買い出しにでも行かされたのだろう。愚痴の内容から察するにジャン
ケンで買い出しに行く人を決め、彼が負けたらしい。いたるは男の不運に思わず苦笑してしまった。
 いたるは少し離れた場所に立ち、男が買い物を済ませるのを待った。男はいたるに気付く様子も
なく、自販機と睨めっこをしている。
「しのり〜はウーロン茶で、久弥はコーラか……何で飯食いながらコーラ飲めるかな、あいつ」
(え? 今何て言ったの?)
 いたるは男の呟きに鋭く反応する。動揺するいたるとは裏腹に、男は淡々と硬貨を自販機に投入
し、ボタンを押す。ごとん、と音がして自販機の取り出し口に缶が落とされた。取り出した缶を
両手に抱え、また呟く。
「吉沢さんはマックスコーヒー……って大阪でそんなジュース売ってるわけないだろうがーっ!」
 聞き慣れた独りボケ独りツッコミ。でも、どうして彼がこんな所に。
 家に電話してもずっと留守番電話で、実家に問い合わせても、ご両親も何も知らされていなかっ
たのに。
 疑念に揺れるいたるの瞳は、ただ男の背中だけを映し出している。
「仕方がない……ここはしるこジュース(あたたか〜い)で我慢してもらうか。甘さだけなら同レベル
だしな……」
 再び硬貨を投入し、ボタンを押す。取り出し口からジュースを取り出そうと身を屈めた拍子に、両手
に抱えた二本の缶がこぼれ落ちた。地面に落ちた缶は坂道を加速しながら転がっていく。
「うおっ。待て待て待てーっ」
 男は慌てて転がり落ちる缶を拾い上げようとする。素早い動作でコーラの缶は拾ったが、もう一本
の缶は逃げるように坂道を転がっていく。缶は坂道を加速し、呆然と光景を眺めるいたるの足元に
転がっていった。靴にぶつかり、停止した缶をいたるはほとんど機械的な動作で拾い上げる。
「あ、どうもありがとうございます」
 男--麻枝准--は缶を拾い上げてくれた女性--樋上いたる--に礼を言い、ぺこりと頭を下げる。
 再び頭を上げ、目の前の女性の顔を確認した途端、麻枝の表情は驚きに歪んだ。