葉鍵板最萌トーナメント!!1回戦 Round47!!
チャイムの音で私は玄関へ向かう。
「お休みの所、すみません……」
そこには男の子が立っていた。
「あ、久しぶりね、住井君」
「ええ、ご無沙汰してます」
そう言えば、確かに暫くこの子の顔も見ていなかった、ふとその台詞に気づかされる。今年の正月に少し顔を見て以来ではないだろうか。
「今日は?」
「ええ、あの」
「とりあえず、玄関先じゃなんだから、上がって」
「……はい」
「コーヒーでいい?」
リビングのソファに腰掛けて、少年は何事か真剣に思案している様子だった。
その瞳に困惑の色とそして真摯な姿勢が見て取れた。
「いや、そんな、いいっす」
「ん、コーヒーね」
「すみません……」
住井くんは随分恐縮していた。いつもはこんなに大人しい子じゃないだけに少し気に掛かる。
「はい、どうぞ。お茶請け何もなくて……」
「いえ……」
コーヒーカップを握りしめ、視線を水面に落としながら、それきり彼は黙ってしまう。
普段と違う彼の様子に私も声を掛けることが出来ず、気まずい静寂が場を支配した。
その中でぼんやりと私は彼との関係について考えていた。どうして只の高校生である住井くんを私は知っているのだろう。
……それは、恐らく、瑞佳ちゃんの友達だからだ。じゃあ、瑞佳ちゃんとはどうして……?
何か大事なことを忘れているような気がする。
「……あの」
「……あの」
口を開いたのはほぼ同時だった。けれど二言目には住井君の方が早かった。
「折……いや、浩平、どこ行ったかしりませんか?」
「浩、平……?」
「浩平です」
私の顔をじっと見つめ、自分の言葉を確かめるように彼はもう一度その名前を口にした。
「……誰?」
「……誰って……」
その口調にかすかに怒気が含まれているのを感じ取る。
「……」
「浩平ですよ」
三度目。今度は確実に声の中に怒りが含まれていた。
なぜ怒っているのか、それがわからないながら私自身その『浩平』なる男の名前に引っかかるものがあった。
とても近しいひとの名前だ。ふとそんな気がした。
「おれの、親友で……」
下を向き、少し声のトーンも落としながら彼は続けた。その肩が声と同じだけ、少しふるえている。
「すごく馬鹿なヤツで……」
そう言って、彼は口をつぐむ。ガラステーブルの下の握り拳に力が入っているのが見えた。
その手に私は見覚えがあった。小さな子供の手。その子がこの家に来た日の事。
「そして……」
数秒間の沈黙の後、住井君は決意したように顔を上げながら口を開く。
「私の、甥」
驚いたように住井君は私の顔を見上げる。
「コーヒー、おかわり良いよね」
私は殆ど減っていないコーヒーカップをひったくるようにしてキッチンへ向かう。
どうしてこんなに大事なことを忘れていたんだろう。どうしてこんなに大事なことを忘れていられたんだろう。一番だいじなことだったのに。
キッチンへ向かうそのたった数メートルの距離を今日ほど遠く感じたことはなかった。
「じゃあ、僕、帰ります……本当に大丈夫ですか?」
それから1時間程して、住井くんは帰っていった。
キッチンに入ったまで配意が泣き崩れてしまった私を、住井くんはまるで子供をあやすようにずっと抱いていてくれた。
私は彼の優しさに感謝した。
そして、そんないい友達を持ちながらおいていった浩平を羨ましくも、恨めしくも思った。
同時に、浩平と接触を避けるようにしていた自分を嫌悪し、悔やんでもいた。
そんなことだから忘れていたんだ。そんなことだから浩平もいなくなってしまったんだ。
「浩平……」
一人になったリビングでそう呟く。天井に吸い込まれるようにそのつぶやきは消えていく。私はふとこの家の広さが怖くなっていた。
「広いね……」
誰に話しかけるともなく、独り言。寂しい、今まで思いもしなかった気持ちが一気におそってくるのを感じていた。
もう帰ってこないだろう。こんな薄情な女の元へは。自嘲の歪んだ微笑が口元に浮かぶ。
天井を見上げながらソファに寝ころぶ。情けない笑いと涙が心の奥底からこみ上げてきた。
……泣き疲れて眠っていたようだ。肌寒さに目が覚める。
「……ん……」
腰元に毛布が掛かっていた。びっくりして跳ね起きる。
「浩平!?」
すぐに私は家中を駆け回った。けれど、家の中には誰の気配もなかった。
毛布のことは気になったがきっと私が自分で掛けたのだろう。ソファの角に畳んで置いておいたのをそう言えば覚えている。
ぬか喜びからか、疲れが急に身体を蝕む。軽くため息をつき、もう一度コーヒーを淹れにキッチンへと向かう。
キッチンにあふれるコーヒーの香りでやっと少し心が落ち着くのを感じた。
「……ただいまー」
玄関の鍵の開く音と殆ど同時にそんな声が聞こえた。私は急いで玄関へ向かう。
「あ……」
浩平がそこに立っていた。
「おい、長森ぃ、お前のせいだぞ」
振り向きながら浩平が言う。
「わ、私は悪くないもんっ」
「お前がトロトロしてるから計画が台無しだ」
「いきなり来てケーキ作れって言う方が非常識だよっ」
「言い訳はいい」
「言い訳じゃないもんっ」
「せっかく由起子さん寝てたから用意して驚かせようと思ってたのに……」
「そんな人の悪いこと考えてるからだよっ」
「もうすぐ住井とかも来るから。長森、コーヒー」
「浩平がしなさいよっ」
「あー、うん、そうだな」
「わ、素直……」
「まあ、たまにはオレも動かないとな」
「とりあえず私もケーキ……」
瑞佳ちゃんが先に立ち、それを追うように浩平が立ちあがる。いつものマイペースさに少し拍子抜けしながら、私は嬉しかった。
「……ごめんなさい」
私の横を通る時、消え入るような声で浩平がいった。
……本当は、謝るべきは私の方なのに。こっちが反応する間もなく、浩平はキッチンへと向かう。
チャイムの音が聞こえる。どたどたとせわしない足音がする。
「おう、住井」
「ほら、土産」
そんな声が聞こえる。
「まあ、客間で待て」
浩平の声が聞こえる。
「はぴばすでー、由起子さん」
「お誕生日おめでとう御座います」