まさにクリスマス一色だった。
詩子「あー、見て見て。カーネルおじさんがサンタになってる!」
澪(うんうん)
オレは柚木に引きずられるように商店街へと連れてこられていた。
詩子「わー、この雪だるまの人形かわいい!!」
澪(うんうん)
澪も一緒だった。
そして……もの凄いはしゃぎようだった。道行く人たちの視線が痛い。
詩子「あっ、あれなんだろ!?」
澪(うんうん)
通りを左右に行ったり来たりして、完全に他の通行人の邪魔になっていた。
詩子「ねぇねぇ、折原くん。これ何だと思う?」
ぐぁ……こっちに振るな!
さりげなく他人のふりをしていたのに……。
浩平「おい、お前ら…」
二人に近づいて、少し強い口調で呼んでみる。
詩子「ん? どうしたの?」
しかし、柚木は涼しい顔で返してくる。
場の雰囲気というか…そういったものを一切感じていないようだった。
浩平「……はぁ。もういい」
詩子「そう?」
何を言っても無駄な気がする。
浩平「それより、これからどうするんだ?」
このままだと無駄に時間が過ぎるだけだ。
詩子「うーん、そうだねぇ……どうしよっか?」
浩平「澪はどこか行きたいところあるか?」
澪『あのね。ケーキ食べたいの』
ケーキか……たしかにクリスマスの必需品だな。
詩子「あ、いいね。あたしも食べたい!」
……柚木も賛成か。
浩平「よし、それじゃぁとっておきの店に連れてってやる」
オレは二人に向かって、得意げに宣言する。
実のところ、オレは甘党だ。
だから商店街のその手の店はほとんど把握している。
なかでも、これから行く店はこの商店街の中で一番ケーキが美味い店だ。
大喜びの二人を連れて、オレたちはさっそくその店へ向かった。
お昼時ということで、買い物客でにぎわう商店街の通りを脇目もふらずに突き進んでいく。
柚木は相変わらずキョロキョロしているが、流石に澪はオレのペースについてくるのが精一杯のようで黙々とオレの後を歩いている。
澪には悪いが、ここでまた柚木のペースになってしまってはいつまでたっても目的地に着かない気がする。
詩子「あの店?」
突然、目の前に見えたケーキ屋を指さして柚木が聞いてきた。
オレは答えずに真っ直ぐそちらの方へ向かう。
その店の目の前まで来ると、今度は澪が何かに反応した。とてとて、と駆け寄っていく。
その先には、クリスマス用のケーキが展示されていた。
澪『おっきいの』
詩子「ほんとだねぇ」
それは確かに大きかった。10人で食べてちょうど良いくらいのような気がする。
澪『これ食べたいの』
澪がスケッチブックで主張する。
詩子「うん、あたしも一度これくらい大きいの食べてみたかったんだ」
……おいおい、本気かよ。
こんなのを3人で食べたら、気持ち悪くなって吐くぞ。
詩子「これくらいのケーキを切り分けないで、いきなりフォークで食べたら……気持ちいいだろうね〜」
って、一人で食うつもりかよ!
浩平「こんなの一人で食えるわけないだろ!」
詩子「そうかなぁ?」
そうかなぁ……じゃないだろ。
浩平「人間には限界って言うものがあるんだ」
詩子「え〜? いるよ、このくらい食べれる人」
浩平「いや、絶対にいな…」
…………ぐぁ。いた。
詩子「どうしたの?」
浩平「なんでもない。とにかく普通の胃袋を持った人間には絶対に無理だ」
……ホントは食えそうな人に心当たりがある。
みさき先輩の胃袋なら可能な気もするのだが、そんなことを言えば柚木を調子づかせるだけなので黙っておくことにした。
澪『でも、食べたいの』
詩子「そうそう。一人でなくても、3人でなら食べれるよ」
……正気の沙汰とは思えない。
しかし、二人の顔を見るとまんざら冗談ではなさそうだ。
浩平「二人とも、馬鹿言ってないで行くぞ」
このままでは、本当にこのケーキを食べることになりかねない。
オレは、あわてて話題を切り上げて店先を離れようとする。
詩子「え? …ここじゃないの?」
すでに一歩を踏み出したオレの背中に柚木の意外そうな声がかかる。
浩平「誰がここだなんて言った」
そう、オレは「ここだ」などと一言も言っていない。
詩子「だって、ここケーキ屋さんだよ?」
ふっ……甘いな柚木。ケーキが美味いのは、ケーキ屋と決まっているわけではない。
浩平「いいから、黙ってついてこい」
そう言って、オレは2軒先の店へ向かった。
二人も頭の上に疑問符を乗せながらもオレについてくる。
店に入ると、そこは外の喧噪が嘘のような静かな場所だった。
木目調で統一された店内はとても落ち着いた感じがする。
詩子「喫茶店?」
そう、そこは喫茶店だった。それも、かなりこじんまりとした感じの。
カウンターの奥には豪快に髭をはやした初老のマスターが、ティーカップを拭きながら座っている。
マスターはオレたちが入ってくるのに気付くと、軽く頷いただけで再びカップを拭き始めた。無愛想なマスターだが、不思議と嫌な感じはしない。
店の雰囲気といい、オレはここが結構気に入っていた。
ただ一つだけ、
ウエイター「あ、いらっしゃいませ」
店の奥から一人の若い男が出てきて言う。
そう、この店はウエイター…つまり男ばかりでほとんどウエイトレスがいないのだった。
たまにいるらしいがオレはまだ見たことがない。
ウエイター「どうぞ、お好きな所にお掛け下さい」
詩子「どーも」
時間が早いこともあって、店内には他に客はいなかった。
……もっとも、そんなに流行っている店でもないが。
詩子「……いい感じのお店だね」
澪(うんうん)
どうやら二人とも、ここが気に入ったようだ。
オレたちは奥の方のテーブル席を選んで座った。
詩子「こんなお店があるなんて知らなかったなぁ」
柚木は感心したように店内を見渡してから、メニューを手にとる。
それは一枚の厚紙に手書きで書かれたものだったが、この店の雰囲気に不思議と合っていた。
詩子「澪ちゃん、何にする?」
澪(うーん…と)
詩子「遠慮しないでいいよ。今日は折原くんのおごりだからね」
澪(わーいっ!)
浩平「おいっ! 勝手に決めるな!!」
冗談じゃないぞ……。
しかし、澪はお構いなしにメニューの一つを指さしていた。
メニューの一番下に書かれている、飾り欄の中……。
クリスマススペシャルセット?
詩子「わぁ、おいしそう! あたしもこれにしよっと!!」
クリスマス限定か……。
せっかくだから、オレもこれにするか。
浩平「700円はちょっと高いけどな…」
詩子「ごちそうさま」
澪「……」
にこにこ。
二人とも、オレを真正面に見据えている。
誰に言ってるんだ?なんて韜晦をする余地もなかった……。
浩平「だから、誰もおごるなんて言ってないだろ!」
詩子「……けちー」
なんだよその不満そうな顔は。
浩平「割り勘だ割り勘!」
詩子「ぶー……」
だから、なんなんだよその顔は。
……見れば澪まで不満そうな顔だった。
浩平「……」
詩子「……」
澪「……」
詩子「あ、そうだ!」
にらみ合いになるかと思ったその時、柚木が声を上げた。
詩子「じゃんけんにしよう。…それなら文句無いでしょ?」
……じゃんけんか。
それなら確かに公平だし、イベントの日らしくギャンブル性もある。
負けた奴が全員分おごる……なかなかのスリルだ。
浩平「よし、そういうことなら受けて立つぞ」
詩子「決まりだね」
詩子「じゃ、あたしと澪ちゃんが勝ったら折原くんのおごり。折原くんが勝ったら割り勘ね」なっ……
浩平「なんだその条件は! オレだけめちゃくちゃ不利じゃないか!!」
詩子「え? だってそういう話だったでしょ?」
浩平「いつだ!」
詩子「だって、あたし達は折原くんのおごりが良いって言って、折原くんは割り勘が良いって言ってたんだから…」
詩子「何もおかしいところはないでしょ?」
澪(うんうん)
浩平「冗談じゃない。そんな条件で出来るか!」
詩子「折原くんて、わがままだね」
お前が言うかっ!
浩平「とにかくオレは嫌だからな」
そうハッキリと言ってやる。
詩子「……」
澪「……」
浩平「……」
こうして再び睨み合いに戻ってしまった。
…………。
………。
……。
ウエイター「はい、2205円ちょうど頂きます。ありがとうございました」
…………。
……結局、オレがおごる羽目になってしまった。
柚木は最後まで譲らなかった。
その上、澪まで一緒になって無言で脅迫してくる。
最後はこのオレが根負けしてしまった……。
詩子「ごちそうさま!」
澪『おいしかったの』
空になった財布を悲壮な面もちで眺めるオレに、満面の笑みを浮かべて店を出る柚木と澪。
他人の金で、あれだけの物が食えればそりゃ嬉しいだろう。
……でも、まぁいいか。
クリスマスだしな。
よくわからないが、二人を見ているとそんな気分になるのだった。