僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない

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23名無しさんだよもん
 校門まで残り200メートル。
 そこで立ち尽くす。

「はぁ」

 ため息と共に空を仰ぐ。
 その先に校門はあった。
 誰が好んで、あんな場所に校門を据えたのか。
 長い坂道が、悪夢のように延びていた。

「はぁ…」

 別のため息。俺のよりかは小さく、短かかった。
 隣を見てみる。

 そこに同じように立ち尽くす女の子がいた。
 同じ三年生。けど、見慣れない顔だった。
 短い髪が、肩のすぐ上で風にそよいでいる。

「この学校は、好きですか」
「え…?」
 いや、俺に訊いているのではなかった。
24名無しさんだよもん:01/11/21 18:52 ID:UvW79NUE
「この学校は、好きですか」
「え…?」
 いや、俺に訊いているのではなかった。

「わたしはとってもとっても好きです。
 でも、なにもかも…変わらずにはいられないです。
 楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ。
 …ぜんぶ、変わらずにはいられないです」

 たどたどしく、ひとり言を続ける。

「それでも、この場所が好きでいられますか」
「わたしは…」
25名無しさんだよもん:01/11/21 18:53 ID:UvW79NUE
「見つければいいだけだろ」

「えっ…?」
 驚いて、俺の顔を見る。

「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ。
 あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」

 そう。
 何も知らなかった無垢な頃。
 誰にでもある。

「ほら、いこうぜ」

 俺たちは登り始める。
 長い、長い坂道を。
26名無しさんだよもん:01/11/21 19:01 ID:UvW79NUE
そして。
俺たちは並んで校門をくぐった。
あれから一度も、言葉を交わすことはなかった。
考えてみれば当たり前だ。今日、初めて会ったばかりなのだから。
階段を上りきり、三階についたとき、女の子がやっと口を開いた。

「あ、あの…わたしの教室、こっちですから」

「え?あ、ああ…」

俺が覚えていないだけで、実は二人はクラスメイトだった――なんてこともなかった。
どうやら俺は、クラスメイトの顔もわからないほど薄情な奴ではないらしい。

俺は、心のどこかで期待していた自分に気付いて、驚いた。
結局そのまま、俺たちは別れた。
27名無しさんだよもん:01/11/21 19:16 ID:UvW79NUE
浮かない気分のまま、教室の引き戸を開ける。
それまで会話に忙しかったクラスメイトたちが、
俺の姿を認めるなり声のボリュームを落とす。

…相変わらず、嫌われてるな。
俺は黙って、机に鞄を下ろす。

「よう、朋也」

このクラスで俺に話しかけてくる奴は一人しかいない。
顔を向けると、そこにはやはり俺の悪友、春原陽平がいた。

「珍しいな、お前が定時に登校するとは」
「ほっとけ」
軽口を叩き合う。

「ところで…あの子は誰なんだ?」
にやにやと笑いながら、唐突に陽平が訊いてきた。
28名無しさんだよもん:01/11/21 19:28 ID:UvW79NUE
「…あの子?」
「とぼけんなよ、さっきお前と並んで登校してた女の子だよ。
 あの子は誰なんだ?つーか、お前のなんなんだ?」

…見られてたのか。

「…別に。知らない奴だよ」
「隠さなくてもいいだろ。見ず知らずの二人が仲良く並んで歩くか?」
「たまたま足並みがそろったんだろ」
「ふん?」
まったく信じていない様子で、陽平が鼻を鳴らす。

「…ま、いいさ。お前にも言いたくないことがあるだろうしな」
「だから、そんなんじゃないって」
「はいはい。そういうことにしときましょ」
「だから…」

そこでチャイムが鳴ってしまったため、とうとう陽平の誤解をとくことはできなかった。
29名無しさんだよもん:01/11/21 19:48 ID:UvW79NUE
「…おい、朋也、朋也」
「…う」
誰かに肩をゆすられて、俺は夢の世界を辞した。

「もう昼休みだぜ」
「…そうか」
やはりと言うか、俺を起こしたのは陽平だった。
どうやら俺は午前中の授業の間ずっと寝ていたらしい。

「しかし、ホントよく寝てたな。やっぱ今日は遅刻しなかった分よけいに眠いのか?」
「…ああ、そうかもな」
寝起きの気だるさで、言い返すのも面倒だった。
30名無しさんだよもん:01/11/21 19:50 ID:UvW79NUE
「あ…購買」
肝心なことを思い出し、俺は立ち上がった。
弁当なんて結構なものは持ってきていない。この高校には食堂はない。
よって、昼飯は戦場…もとい購買で勝ち取らなくてはならない。

「…多分、もう無理だと思うぜ」
陽平が哀れむように俺を見る。
その言葉に俺は時計を見る。

…昼休みが始まってから、10分あまりが経過していた。

「…なんで、昼休みが始まってすぐ起こしてくれなかったんだよ」
「はあ?そんなことしてたら出遅れるだろ」
そう言う陽平の手には、人気商品のカツサンド×2がしっかりと握られていた。

「お前は俺よりもカツサンドの方が大切なのか」
「解りきったことをいちいち訊くな」
「理由は」
「カツサンドはおいしく食えるが、お前は煮ても焼いても食えん」

…なるほど。
31名無しさんだよもん:01/11/21 20:11 ID:UvW79NUE
「…はぁ」
陽平の言う通り、今から購買に行っても草の一本も生えていないだろう。
若者の食欲はすさまじいのだ。

「…なんなら、一つ売ってやろうか?」
さすがに気の毒になったのか、陽平がそんなことを言う。
だが、俺はすでに諦めていた。力無く手を振り、遠慮の意を示す。
一食抜いたくらいで死にはしない。別に構わない。
そう、どうでもいいのだ。

俺という人間は、一事が万事この調子だった。
どっちでもいい。どうだっていい。なるように、なるさ。
あらゆる物事に、そんな投げ遣りな姿勢で向かうようになったのは、いつからだったろうか。

今朝、見知らぬ女の子に告げた、自分の言葉を思い出す。
『見つければいいだけだろ』
…よく、あんな台詞が吐けたもんだ。
俺こそが何も見つけられないでいるというのに――

ぐきゅるるる。

とりとめのない思考は、俺自身の腹の音で断ち切られた。
32名無しさんだよもん:01/11/21 20:29 ID:UvW79NUE
やはり胃袋が空っぽのままではまずい。
かといって、今さら購買へ向かう気にもなれない。
しばらく悩んで、俺は冷水器のある中庭に向かった。
水で少しでも腹をふくらませようというアイデアだ。
…日本史の授業中に聞き流したはずの「水飲み百姓」という単語が頭をよぎった。
…あまり深く考えまい。

「ごくごくごくごく」
わざとらしく喉を鳴らして水を飲む。
…冷たい。
いや、『冷水器』なのだから、看板に偽りはないんだが。
このまま飲み続ければ、間違いなく腹を壊す。

「…うー」

逡巡していると、近くから唸り声が聞こえた。
野犬でもいるのか?
それともまさか、絶滅したはずのニホンオオカミ?
俺は大いに期待しながら、声の出どころを探した。

…そこに。
あの女の子が、ちょこんと座っていた。
33名無しさんだよもん:01/11/21 21:17 ID:UvW79NUE
…驚いた。
今朝、奇妙な出会いかたをした女の子。
その子がまた俺の前にいる。
しかも、ちょっと涙目で。

「うー…こんなに食べられないよぉ…」
女の子はうつむいたまま、何かつぶやいている。
下を向いているせいか、俺には気付いていないようだった。
…普通、これだけ近付いたら、気配とかでわかると思うんだが。
朝のことといい、どうもかなりカンの鈍い子らしかった。

俺は女の子の目線をたどってみる。
その膝の上に、大量のパンが積まれていた。
…10袋近くある。

「…意外によく食うんだな」
「ひゃっ!?」

身をすくませて、ぶんっ、と音がしそうな勢いで顔を上げる。
その余波を受けて、パンの山が地面に散乱する。

「あ、あ、あ…」
パニック状態におちいる女の子。
…もしかして、俺のせいか?
34名無しさんだよもん:01/11/21 21:45 ID:UvW79NUE
とりあえず、俺はいそいそとパンを拾った。
幸い、どれも開封されていなかったので、問題なく食えるだろう。
抱えたパンを元の場所――女の子の膝の上に戻す。
パン山脈が復活する頃、女の子もようやく平静を取り戻したようだった。

「あ、あの…」
「悪かった。おどかすつもりはなかったんだ」
「…あ。今朝の…」
「ああ、今朝の、だ」
「えっと…どうして?」
なんとも舌ったらずな会話だった。

「あんたこそ、どうしてこんな所にいるんだ?」
女の子が腰掛けているのは、日当たりのいいベンチなんかじゃなく、ただの段差。
冷水器のそばのこの場所は、建物の陰になって、光が射さない。
夏の暑いさかりには人も寄ってくるが、他の季節にはお世辞にもいい場所とは言えない。
少なくとも女の子が昼食をとるような場所ではない。

「えっと…」
女の子は言葉に詰まる。
…何、詮索してんだよ、俺は。

「いや、やっぱり言わなくていい。俺は消えるから、心おきなくパンを食ってくれ」
そう告げて、何か言いたげにしている女の子を残し、俺は踵を返した。
そのとき。
35名無しさんだよもん:01/11/21 21:46 ID:UvW79NUE
…ぐきゅるるる。
…げぷ。

まったく正反対の、しかし同じくらい間抜けな音が、同時に響いた。
それは俺の空腹の証と…女の子の、満腹の証…

「……」
「……」

恥ずかしいやら、気まずいやら。
えらく複雑な表情をしたまま、見つめ合う二人。
…次に口を開くのも、同時だった。

「もしかして、おなか空いてるんですか?」
「もしかして、もう腹いっぱいなのか?」
36名無しさんだよもん:01/11/21 22:10 ID:UvW79NUE
俺の手で左右に引っ張られ、パンの袋が破ける。
女の子がそれを見て、わぁ、と歓声をあげた。

「…どうかしたか?」
「すごいですね」
「何が?」
「わたし、その袋の開け方、できないんですよ」
「…マジか?」
こんなの、誰だってできるぞ。
そんなに非力なのか、それとも不器用なのか。

「いつも、中身が飛び出しちゃうんです」
どうやら後者のようだった。

「はあ…。あのな、こんなの誰でもできることだぞ」
「あ…でも、わたしのお母さんもできませんよ」
「…マジか?」
そんな調子で、ちゃんと家事をこなせるのだろうか。
37名無しさんだよもん:01/11/21 22:34 ID:UvW79NUE
「…しかし、食いきれないならこんなに沢山持ってくるなよ」
もぐもぐと口を動かしながら言う。

「お父さんが、育ちざかりなんだからしっかり食え、って…」
そ、育ちざかり?
…この子は18歳のはずだが。
俺は女の子を上から下まで見つめてみる。

「…な、なんですか?」
「…まあ確かに、成長の余地は十二分にあるな」
年齢の割に、少し…いや、かなり幼く見える。
顔だけ見れば、俺と同い年とは思えない。
俺の妹と言っても通用しそうだ。

「…うー」
どうやら気にしているらしく、女の子は眉をしかめる。
非難めいた視線で俺をにらむ。唸る。
敬語で固められた、落ち着いた口調からはかけ離れた、子供じみた感情表現。
…やっぱり、十二分にあるぞ。
俺は少し笑いそうになった。
38名無しさんだよもん:01/11/21 23:11 ID:UvW79NUE
「…しかし」
「はい?」
「なかなか美味いな、これ」
俺は別に、味にうるさい方ではない。むしろだいぶ悪食だと思う。
だから、食い物の味についてあれこれ言うことはあまりない。
しかし、この女の子から恵んでもらったパンは、どれもこれもいい味だった。
素直にそう思えた。

「そうですか!?」
急に目をキラキラと輝かせて、女の子が叫ぶ。
俺はその勢いにちょっと気圧されてしまう。

「あ、ああ。まあ俺はそんなにパンに詳しいわけじゃないけど、
 このパンは美味いと思うぞ」
「そうですかっ!?そうですよねっ!!」
ますますテンションの上がる女の子。
…なんで、そんなに喜ぶんだ?

「ありがとうございますっ」
腰をまっすぐ折って、深々とおじぎをする。

「え、あ、いや」
むしろこの状況、お礼を言うべきなのは俺の方で。
と言うか、なんでこんなに感謝されてるんだ?
今度は俺がパニックにおちいる番だった。
39名無しさんだよもん:01/11/21 23:43 ID:UvW79NUE
にこにこ。
…はぐはぐ。
にこにこ。
……はぐはぐ。
にこにこ。
………はぐはぐ。

(く、食いづらい…)
あれから、ずっとこの調子だった。
俺が頼むと、女の子はすぐに頭を上げてくれた。それはいいのだが。
それからというもの、ずっと俺に満面の笑顔を向けてくるのだ。
パンはまだ半分くらい残っている。
美味いのは確かだし、量が多いのも多少無理をすればなんとかなる。
だが、完食するまでのあいだ、ずっと笑顔でこっちを見るのは…勘弁してほしい。
ふと目が合う。

(おいしいですか?)
…それだけで、女の子の言いたいことが解ってしまう。
たった一日でアイコンタクトが修得できるということを、俺は初めて知った。

さっきまで、この子はどこか怯えているような、気後れしているような…そんな印象があった。
でも、今は。屈託のない笑みを、俺に向けている。
俺が食っているパンは、この子にとって、そんなに大切なものなんだろうか?

…俺は、こんなに躊躇のない笑顔を見ているのは、苦手だ。
40名無しさんだよもん:01/11/22 00:03 ID:OnGy58J/
結局、大量のパンを食い尽くすのに昼休みいっぱいを費やした。
二桁近い数のパンを食うと、さすがに胸焼けがした。
それでもあのパンは美味かった。…と、思う。

「ありがとうございましたっ」
朝と同じ廊下での別れ際、女の子がまた丁重なおじぎをした。
その姿勢のまま、なかなか頭を上げようとしない。

「礼はいらない。俺も助かったしな。
 …ほら、早く教室戻らないと、授業はじまるぞ」
「はいっ」
元気よく上体を起こして、くるっと身をひるがえす。
勢いに任せて、ぱたぱたと駆けてゆく。

「…あれ?」
…俺の見間違いだろうか?

彼女が、泣いているように見えたのは。



「見〜た〜ぜ〜」
教室に戻ると、陽平が悪人笑顔で待っていた。
…そういえば、中庭は教室の窓から丸見えなんだよな。
…陽平の誤解をとくのが、さらに困難になってしまった。
41名無しさんだよもん:01/11/22 19:06 ID:OnGy58J/
本日のノルマ終了を知らせる鐘が鳴る。
俺は腕を上げ、大きく伸びをする。
身体をほぐすためではなく、意識を目覚めさせるために。
…そう、俺はとうとう全ての授業を睡眠時間にあてたのだった。

「…ある意味すごいな、お前」
隣の席の陽平が呆れた顔をしていた。

授業が終わった以上、すぐに鞄をひっつかんで帰りたいところだが、
最上級生はそうもいかないらしい。
担任の教師がホームルームを始める。
そして、お得意の長広舌を振るいはじめる。

「…皆さんは、受験戦争という厳しい局面にあたり…」

頬杖をついたまま、右から左へ聞き流す。
毎日毎日同じことを言って飽きないのだろうか。
横を見れば、窓の外をぼけっと眺めている陽平がいた。

受験戦争、か。
俺にはたぶん関係ない。
成績は底の底だし、遅刻の常習犯である俺には推薦もありえない。
別に、就職したいわけでもないんだけどな。
…そう、俺お得意のあれだ。

どうだっていい。なるように、なるさ。
42名無しさんだよもん:01/11/22 19:24 ID:OnGy58J/
さんざん語って気が済んだのか、ようやく担任が話を締めくくる。
クラス委員の藤林が号令をかけ、冗長な儀式が終わる。
ルーティンワークにうんざりしているのは俺や陽平だけではないらしい。
担任の姿が見えなくなったとたん、あちこちからため息が聞こえた。

「朋也」
陽平が声をかけてくる。

「ああ、帰るか」
「おう」
いつものように、陽平と並んで教室を出る。

「今日もどっか寄るか?」
「あのゲーセンでいいんじゃないか」
「そうだな」
とても三年生の会話とは思えない。

俺と同じく、陽平も進学する気はないらしい。
陽平はもともとスポーツ推薦で入学してきたのだが、
喧嘩で停学処分を受け、そのままなしくずしに退部してしまったそうだ。
陽平があまり話したがらないので、詳しい事情は聞いていない。
とにかく、クラブに所属しなくなり、陽平の立場は宙ぶらりんになった。
そこからどこをどう間違ったのか、いつの間にか俺とつるむようになっていた。
スポーツ推薦の陽平は、有り体に言えば運動神経だけをかわれて合格したわけで、
勉強の方は、まあ…推して知るべしだった。
そんなわけで、俺たちは受験戦争から遠い場所にいる。
43名無しさんだよもん:01/11/22 19:56 ID:OnGy58J/
校門を抜けると、あの長い坂が視界を埋める。
朝は生徒の行く手をはばむ地獄坂だが、夕方はただの下り坂だった。
とは言え、けっこう急勾配なので、自然と足取りは慎重になる。
走って下校しようとするチャレンジャーも、たまにいないではないが…

知らず足を止めて、俺は坂の向こうを見る。
真西に向いた下り坂の先に、遮るもののない夕日がある。
一面の橙。
その中心に輝く、赤。
長い長いこの坂だからこそ、この夕映えを見ることができる。
――悪くない道だよな。
今だけは、そう思う。

「どうした?」
立ち止まったままの俺に、陽平が問う。

「…いや、なんでもない」
「ん?…ああ、なるほど」
陽平は坂の全体を見渡すと、ニヤリと笑った。

「…なんだよ」
「いやあ、岡崎クンもスミにおけないねえ」
完全にからかい口調になっている。

「…だから、何が」
陽平が顎で示す、その先に。
小さな背中が、揺れていた。
44名無しさんだよもん:01/11/22 20:26 ID:OnGy58J/
「…嘘だろ?」
…偶然にもほどがある。見間違いであって欲しかった。
だが、俺の視線の先、坂をゆっくりと下ってゆくのは、間違いなく…あの子だった。

(…今日はどうかしてる)
俺は思わず顔を覆いたくなった。

「ほれ、行かなくていいのか?」
人の気も知らず、陽平が肩を叩いてくる。

「行かない」
俺はきっぱりと否定した。
昼休みは一緒にいたが、あれは二人の利害が一致したからだ。
いわば、ビジネスだったのだ。
…そうに違いない。
だから今、何の用もないのに話しかける必要はない。
それに、あの子のところに行けば、陽平の誤解が決定的になる。

「…そうか」
「そうだ」
陽平は案外あっさり引き下がった。
…と、俺は思っていた。
45名無しさんだよもん:01/11/22 20:46 ID:OnGy58J/
「…朋也」
「今度はなんだ?」
数メートル進んだところで、背後から陽平の声がした。

「照れるな」
どんっ!!

「なっ!!?」
陽平がいきなり俺を突き飛ばしてきた。
元スポーツマンの腕力は、甘くない。
俺は大きくつんのめった。
倒れまいとして、足を前に出す。
それでも慣性は殺せない。
もう一度足を前に出す。…止まらない。さらに足を前に出す。…止まらない。
気が付くと、俺は走り出していた。
というか、下り坂で突き飛ばされたら誰だってこうなるだろう。

「だああああっ!!」
止まれない。走るのをやめたら、即座に転ぶ。
今の俺は、ちょうど一輪車に乗っているようなものだった。
それだけならまだいい。坂を過ぎれば止まれる。
だが、その前に。
だんだん迫るあの女の子を、どう回避すればいいのだろう?
このままだと、間違いなく衝突するぞ…
…陽平のバカヤロウ。
46名無しさんだよもん:01/11/22 21:07 ID:OnGy58J/
女の子は相変わらずのんびりと歩を進めている。
…気付けよ!!
背後から不審人物が全力疾走で迫ってきてるんだぞ!!
どこまでカンが鈍いんだ?
俺に気付いて、ちょっと身をかわしてくれるだけでいいのに!!

…仕方ない。
この子に怪我をさせるわけにはいかない。
そう言えばこの後ろ姿を見るのは今日三回目なんだよな、とか思いながら。
俺は覚悟を決めた。

ぐらっ…

ずざざざーっ!!

わざとバランスを崩し、高校球児よろしくヘッドスライディング。

「ぐ…」
…ふっ、甲子園は目の前だぜ。
などとふざけたことを考えて自分をごまかそうとしたが、無駄だった。
舗装道路とコンタクトした衝撃で、全身が鈍く痛む。
はたから見たら、まるっきりの馬鹿だろうな。

「あ、あのっ…」
さすがに気付いたのだろう。
もう聞き慣れた声が、俺に降りてきた。
47名無しさんだよもん:01/11/22 21:24 ID:OnGy58J/
「…よお」
うつぶせに転んだままで、ひらひらと手を振る。…かなり間抜けだ。
現状を打破すべく、瞬発力を生かして鮮やかに跳ね起き、ポーズの一つも決めてみるか?
…よけいに頭が悪く見えそうなので、とりあえず現状維持。

「…あ。今朝と、お昼休みの」
「ああ。今朝と昼休みの、だ」
修飾語が一つ増えていた。

本当に心配そうに、俺を見下ろしている女の子。
…そんなに不安な表情をされると、逆にこっちが申し訳ない気分になる。
俺はさりげなく視線を外す。

坂の上に目をやれば、さっきの位置から動いていない陽平の姿。
俺を突き飛ばしたくせに、少しも悪びれた風ではなく、むしろもの凄くいい笑顔。
真っ白な歯がキュピーンと輝いている気さえする。
ぐっ、と親指を立て、「礼にはおよばないぜ、しっかりやれよ!」と無言の激励。
…どうやら、俺とこの子のために、恋の橋渡しをした『つもり』らしい。
…覚えてやがれ。
48名無しさんだよもん:01/11/22 21:52 ID:OnGy58J/
「えーと…ケガとか、してないよな?」
「え?」
接触する前に自爆したのだから、この子が被害を受けているわけはないのだが、
いちおう確認のために訊いておく。

「あっ…。ケガ、してます」
「なにっ!?」
予想外の返事にあせる俺。
俺の貴い犠牲は無駄だったのか!?
しかし、女の子の次の行動は、さらに俺を戸惑わせるものだった。

すっ。

…え?

女の子が、俺の手を持ち上げたのだ。

「血…いっぱい出てます」
「…え?え?」
だが見たところ、俺の手を包むきゃしゃな手には傷一つない。
俺は顔に疑問符を貼り付けたまま、馬鹿みたいに女の子を見ているしかなく。

「あの…痛い、ですよね?」
その言葉でやっと、自分の勘違いに気付いた。
49名無しさんだよもん:01/11/22 22:15 ID:OnGy58J/
「…あのな、俺のことはいいんだ。
 あんたはケガしてないか、って訊いたんだ」
自分が負傷してることぐらい解ってる。
今でも身体のあちこちが熱を持って痛んでいるのだから。

「わたしがケガ?…どうして、ですか?」
「……」

もしや。
この子は、俺の行動をさっぱり理解していないのだろうか?
俺が後ろから急速接近していたのはもちろん、
この子に怪我をさせまいとして、捨て身の行動に出たということさえも。
…と言うことは、俺のことを、素でコケた大馬鹿野郎だと認識しているのか?

…無性にムカついた。

くいくい、と指で促すと、女の子は素直に顔を近付けてくる。
…正直者は、損するぜ。
そう心中でひとりごちて、俺はその無防備な顔に――

ぺしっ!

「きゃっ!?」

デコピンを炸裂させた。
50名無しさんだよもん:01/11/22 22:42 ID:OnGy58J/
「いっ、痛…何するんですかぁ!」
「…うるさい」
不機嫌になった俺は聞く耳持たない。
別に見返りを期待していたわけじゃないし、もとはと言えば陽平が悪いのだが。
やはり、面白くはない。

「…うー」
大きな瞳に涙をためて、無言の抗議をする女の子。
昼も涙目になっていたし、涙腺がゆるいのかもしれない。

「…はぁ」
なんだか急にアホらしくなり、俺はさっさと立ち上がる。
大雑把に土を払い、再び坂を下り始める。

…つもりだったのだが。

ぐいっ。

「…どこ行くんですか」
女の子が、俺の制服の袖をつかんで足止めしてきた。
51名無しさんだよもん:01/11/22 23:34 ID:OnGy58J/
「…見ればわかるだろ。家に帰るんだ。
 …だから、放してくれ」
「駄目です」

ぐいぐいっ。

「よせ、服が延びる」
「延びる生地じゃないから大丈夫です」
「じゃあ、裂ける。肩のとことか」
「縫製がしっかりしてるから大丈夫です」
「だったら…」
「とにかく、帰っちゃ駄目です」
…なんなんだよ。
さっきのデコピンをまだ根に持ってるのか?

「ちゃんと、手当てしないと…駄目です」
小さく、だけど確かに、女の子が呟いた。

「…手当て?」
言われてみれば、右手から血が流れている。
すりむいただけにしては傷が深いらしく、まだゆるやかに出血している。
だが、動脈まで達しているわけでもないだろう。
唾でも付けておけば、そのうち治る。

「…別に、要らない」
そっけなく、それだけを告げた。
いつものように、投げ遣りに。
52名無しさんだよもん:01/11/23 00:04 ID:e19AsQYy
「駄目ですっ!!」
意固地になった女の子が、大声を張り上げる。
日の落ちかけた穏やかな行路には、あまりにも不似合いなその音量。
さっきまでの一連のやりとりも手伝って、俺たちに他の生徒の注目が集まる。

「あっ…」
一声上げて冷静になったのか、注がれる視線に恥じ入る女の子。
会ったときから思っていたが、基本的には人見知りする性格なのだろう。
こういう状況はいかにも苦手そうだった。
思えば、この子が怯んでいるうちに、とっとと帰ってしまえば良かったのかも知れない。
…しかし、同じくこういう状況が苦手な俺は(顔にこそ出さなかったが)だいぶ舞い上がっていた。
そのせいか、逃げるという方向に頭を回すことはできなかった。

「…わかったよ」
「えっ?」
気がそれていたためか、理解できない様子の女の子。
恥ずかしさで固まっている間も、俺の袖を放さないのには閉口したが…
このときの俺は、とにかくこの場を去りたい一心だった。

「…手当て、頼む」
それはギブアップ宣言にも似て。
女の子のぽかんとした瞳に、しだいに光が宿る。

「…はいっ!!」
満面の笑顔。

こうして俺と彼女は、また長い坂を上り始めた。
53名無しさんだよもん:01/11/23 19:07 ID:e19AsQYy
「えっと…」
女の子はきょろきょろ辺りを見回す。
学校に戻ってきたまでは良かったが、そこから事態が進展していなかった。

「…保健室に行くんだろ?」
俺は念のため目的地を訊いてみる。
…まあ、この場合、まず保健室で間違いないだろうが。
職員室にケガ人を連れて行ってもしょうがないしな。
予想通り、女の子はこくんと頷いた。

「だったら、早く行こうぜ」
「は、はい」
と返事はしたものの、一向に歩き出そうとしない女の子。
なぜか困っているように見える。

「…もしかして、保健室がどこにあるか忘れたとか?」
「…っ」
女の子が顔色を失う。
どうやら図星らしかった。
…なんだかなあ。
確かに、この学校の保健室はかなり覚えにくい場所にある。
でも、だからって…忘れるか?普通。

結局、俺の先導で保健室にたどりついた。
54名無しさんだよもん:01/11/23 19:42 ID:e19AsQYy
保健室のドアには「外出中」と書かれたプレートがぶら下がっていた。
養護教諭は留守にしているらしい。
俺にとってはその方がありがたかった。

「あ…どうしよう」
女の子が戸惑った声で言う。
だが、俺はかまわずドアを開ける。
いつものように鍵はかかっていなかった。

「え、あの…」
「ほら、入れよ」
「は、はい」

この部屋のどこに何があるか、だいたいは把握している。
戸棚や机の引き出しから、処置に必要なものを取り出す。
俺の傍若無人な行動に、女の子は目を丸くするばかりだった。

「…あ、あの、いいんですか?」
「何が?」
「いえ、あの…そういうの、勝手に出してきたりして…」
「いいだろ。保健室でケガの治療をするんだ、何も間違ってないぞ」
「…そ、そうなんでしょうか?」
「そうなんだ」
…とは言ったものの、本当にいいのかどうかは俺も知らなかった。
しかし、女の子は俺の強引な説明に納得したようだった。
55名無しさんだよもん:01/11/23 20:21 ID:e19AsQYy
「えっと…じゃあ、始めますね」
「ああ」
俺は丸イスに座り、負傷した右手をずいっと差し出す。
女の子ももう一つの椅子に腰掛け、俺の手を取る。
そしてもの凄く真剣な顔で傷口を見つめる。
…出血はもう止まりかけているし、痛みもずいぶん治まったのだが、
女の子はとても不安そうにしていた。
…なんで俺の方が落ち着いてるんだろう。

「…い、いきます」
消毒液を染みこませた綿を、傷口にあてがおうとする。
だが、あと1センチというところで、女の子の手が止まった。
そこに触れていいのかどうか、本気で悩んでいるようだった。
その細い手は、小刻みに震えているようにさえ見える。
…だから、そんなに大層な傷じゃないんだけどな。

「…あ、あの…しみると思いますけど…痛いと思いますけど…」
いまだにためらっている様子の女の子。
このままだと、治療が終わるより先にかさぶたが形成されそうだった。
痛がりのこの子より、俺の血小板の方が仕事が早いだろう。

「…あっ」
俺は女の子から脱脂綿を奪い、自分で消毒を始めた。
…最初からこうすればよかった。左手は使えるんだし。

「…ごめんなさい。わたしが…ぐずだから」
肩を落として言った言葉は、俺には届かなかった。
56名無しさんだよもん:01/11/23 20:55 ID:e19AsQYy
「…治療は俺が自分でやるから、その間にノートつけといてくれないか?」
「ノート?」
保健室の利用者は、備え付けてあるノートに
氏名・クラス・保健室に来た理由などを書く決まりになっている。
いつもならいちいち書いたりしないのだが、
今回は備品を勝手に使ったということもあって、記帳せずに済ませるのは気が引けた。

「保健室のことに、詳しいんですね」
「…まあな」
使用記録を残すことくらいは常識だと思うが。
まあ多分、さっきの手際の良さを指して言ったのだろう。

「もしかして、保健委員なんですか?」
「違う。…不良だから、さ」
俺は、自分がそう呼ばれていることを、よく知っている。

…俺が保健室のことに詳しいのは、たまにここで授業をサボっていたから。
最近はもうやっていないが、一年くらい前はここに入り浸っていた。
養護教諭には顔を覚えられて、目をつけられていた。
だからこそ、その不在がありがたかったのだ。

「不良…?」
女の子の表情が強張った、ように見えた。
…あれ、知らなかったのか?
同級生なんだし、知ってるもんだと思ってたが。
…やっぱり、言わなきゃよかったか。
俺は静かに自嘲した。
57名無しさんだよもん:01/11/23 21:44 ID:e19AsQYy
「不良さん…なんですか?」
「ふ、不良さん?」
…なんか、その呼び方は違うと思うぞ。

「…じゃあ、河原で決闘とかして、引き分けて、
 『いいパンチしてるぜ』『お前こそ』って言うんですか?」
「……」
いつの時代の話だよ、それは。

「で、お互いの健闘をたたえて、ユニフォームを交換するんですよねっ?」
「……」
女の子はあくまで真面目に言っているらしい。
…頭が痛くなってきた。
というか、もう不良の話ですらない。それはサッカー選手だ。

「…いや、今のは忘れてくれ」
「えっ?」
「やっぱり俺は不良じゃなかった」
「そうですか…」
…なんでちょっと残念そうなんだ?

「…はぁ」
なんだか、身構えてた俺の方が馬鹿みたいじゃないか。
ため息をついて、俺は丸イスを回転させ、女の子に背を向けた。
58名無しさんだよもん:01/11/23 22:12 ID:e19AsQYy
「あの…」
「何だ?」
背中を見せたとたんに声をかけられ、俺は首だけで振り返った。

「名前、教えてください」
「名前?…言ってなかったっけ?」
「教えてもらってないし、わたしも教えてません」
そういや、俺もこの子の名前知らないんだよな。
こんなによく会うと解ってたら、初めに会ったとき自己紹介でもしてたのに。
…いや、俺のことだから、解ってても自分からは名乗らなかっただろうな。
面倒だから。

「利用記録に、氏名とクラスも書かないといけないんです」
「あんたの名前でも書いといてくれ」
「そ、そんなの駄目ですよっ」
融通の利かない奴。

「だから、名前、教えてください」
「む。人に名前を訊くときは、まず自分から名乗るのが礼儀だぞ」
「あっ…そうですね」
…半分冗談のつもりで言ったのだが、女の子は真面目に受け取ったらしい。
俺にまっすぐ向き直り、姿勢を正す。

「わたしは、古河渚っていいます」
「じゃ、そう書いといてくれ」
「だ、だから駄目ですよっ」
目の前の女の子、古河渚はそう言って口をとがらせた。
59名無しさんだよもん:01/11/23 23:13 ID:e19AsQYy
「俺は、岡崎朋也だ」
「岡崎さんですね?」
古河が、ボールペンを走らせようとする。…が、その手が途中で止まる。

「えっと…漢字は?」
「岡崎は普通、下の名前は…月が二つに、カタカナのヤに似てる字だ」
「あっ、『岡崎朋也』さんですね、わかりました」

その後、俺のクラスも伝えた。
古河がさらさらと必要事項を書き込んでいく。

「…できました」
ぱたん、とノートを閉じながら俺に言う。
いちいち報告してくれなくてもいいんだが…

「手当てのほうは、終わりましたか?」
「…ああ、もう少しだ」
が、俺はそのもう少しに苦戦していた。
最後に包帯を巻くのだが、右手に巻くわけだから、片手、それも利き腕でない左手での作業になる。
四苦八苦している俺に気付き、包帯を渡すように促す古河。
いいかげん根気が尽きそうになっていた俺は、素直にそれに従う。
ちょうど、さっきとは逆の立場になった。

器用に包帯を巻いていく、細い手を眺める。
俺は初めて、古河の女の子らしいところを見た気がした。

「…?」
視線に気付き、俺を見返す古河。
俺は反射的に目をそらす。
…なんで、こんなときだけカンがいいんだよ。
60名無しさんだよもん:01/11/24 00:05 ID:90C3FOpZ
たかが擦り傷の治療に、ずいぶん時間をかけてしまった。
――俺も古河も、つくづく要領が悪いな。
そう思って、少し笑った。

校舎を後にする。
赤い陽はもう完全に沈みかけ、空の上からは薄闇のカーテンが降りている。
それでも消えない春の匂いの中を、古河と歩く。
考えてみれば、今日の朝にも二人して校門を抜けたんだよな。
まさか、またこんな風に肩を並べて歩くことになるなんてな。

「送っていく」
保健室から出て、廊下をしばらく進んだとき。
自然に、そんな言葉が出た。

「えっ…?」
「もうすぐ日も暮れるし、女の子の一人歩きは物騒だろ?
 俺のせいで遅くなっちまったんだし、な」
厳密に言うと、陽平のせいなんだが。

「……」
古河の返事は、ない。
無理強いする気はなかった。
今日会ったばっかりだし、断られても仕方な…

「…じゃあ、途中までお願いできますか?」
「…え?」

…そうして、俺と彼女は今に至る。
何を話すわけでもなく、黙ったままの二人。
でも、不思議と、朝のような気まずさはなかった。
61名無しさんだよもん:01/11/24 19:04 ID:90C3FOpZ
「あ…。ここまででいいです」
大通りに出たとき、古河が足を止め、俺に告げた。

「ここからは、一本道ですから」
…この辺に住宅地なんてあったか?
疑問に思う俺をよそに、古河はこちらに向き直る。

「今日は、送ってくれて…」
その先に続くであろう言葉を、手の平を見せて遮る。
不自然に台詞を切られ、古河が首を傾げる。

「…前にも言ったけど、礼はいらない」
視線を落としたまま、古河の顔を見ずに、続ける。

「俺はあんたに手当てをしてもらった。その見返りとして、あんたをここまで送った。
 これで、貸し借りはなしだ。…それでいいだろ?お互い様なんだ。
 いちいち礼なんか言わなくたって…」
俺はなぜ、こんなにムキになっているのだろう?
礼を言わせたい奴には言わせてやればいいじゃないか。
そう思うのだが、昼間のようなまっすぐな感謝の言葉はもう、聞きたくなかった。

「…だから、黙ってサヨナラしよう」
俺は、ひどいことを言っているのかもしれない。
でも…眩しいんだ、古河の言葉は。
ひねくれて、ねじまがった俺には、古河の愚直さが…どうしようもなく眩しいんだ。
…どうして、そんなに素直に、自分の気持ちをさらけ出せるんだ?
古河のふとした一言に、何気ない仕草に、俺は苛立ち、自己嫌悪を抱いてしまう。
だから。
聞きたくないんだ。お前の、その言葉を。
62名無しさんだよもん:01/11/24 19:42 ID:90C3FOpZ
「…感謝の気持ちって、相殺されるんですか?」
「え?」
予想外の反応に俺は顔を上げる。
古河の寂しそうな表情がそこにあった。

「…貸しとか借りとか、理屈だけで考えるんだったら、それでいいのかもしれません」
俺を射るように見つめながら、言葉をつなぐ。
季節のあたたかな風が、古河の髪を乱す。

「…でもわたしは、親切にしてもらったら、ありがとうって言いたいです。
 親切にした人からは、ありがとうって言ってほしいです」
その声には今までの控え目な印象は感じられない。
かわりに、強い意志がこもっていた。

「…もちろん、わたしの勝手な気持ちですけど」
そう言って、口元だけで笑う。
しかしそれは、決して自嘲ではなく。

「…でもわたしは、ありがとうって言いたいです」
迷いのない口調で、もう一度繰り返す。
俺は…何も言えない。

「…だから」
そして古河は姿勢を正し、

「ありがとうございましたっ」
きっぱりと、おじぎをした。
63名無しさんだよもん:01/11/24 20:18 ID:90C3FOpZ
長い礼が終わり、古河が頭を上げる。
立ち尽くす俺のことを、まっすぐ見つめる古河。
そのまま俺が何も言わないでいると、やがて寂しそうに微笑んだ。

「…それじゃ、さようなら」
言って俺に背を向ける。
広い道を、歩き出していく。

古河の小さな背中を見ながら、ふと思った。
…そういえば。
俺はあいつに、一度も「ありがとう」と言っていない。

…貸し借りは、なくさなくちゃ、な。
…そして。
…少しだけ、素直になれたら。

「…古河っ」
初めて、その名を呼ぶ。
首を巡らせて、古河がこちらを向いた。

「その…昼休みのパンと、あと、包帯巻いてくれて――」
ありがとう。
そう続けるつもりだったのに、どうしようもなく照れくさくて。

「…サンキュ、な」
そんな言葉で濁してしまう。
それでも古河は、とても嬉しそうに笑って、

「…どういたしましてっ」
と、言った。
64名無しさんだよもん:01/11/24 20:39 ID:IrIHicuz
 
65名無しさんだよもん:01/11/24 20:48 ID:90C3FOpZ
古河と別れ、俺は俺の家路につく。
一人で歩く道は、広い。

…寂しい?
もう、慣れてるはずだ。
陽平とつるんでいても、俺が最後に帰る場所は、あの家しかないのだから。
今日は初めて会ったばかりの奴と一緒にいたから。
だから、薄暗い世界が、こんなに空虚に思えるんだ。

何も変わっちゃいない。

鍵を差し込み、シリンダー錠を開ける。
いつものように、明かりはついていない。
誰もいないと知っていても、律儀に「ただいま」を言っていた時期もあったのだが。
それもいつの間にか止めてしまった。

生活感のない、キッチン。
ろくに料理をしていないのだから、当然と言えば当然だ。
今日もまた、棚からインスタント食品を取り出す。

母親が生きていた頃には、この家にもあたたかな食卓があった。確かな団欒があった。
だが今となっては、仕事に忙殺されてろくに帰ってこない父と、ろくでなしの息子がいるだけだ。

俺はやかんの蓋を取り、蛇口をひねる。
ずきん、と右手が痛んだ。
…ああ、そういや、ケガしてたんだよな。
俺はしばらく、包帯の巻かれた右手を見ていた。

「…ありがと、な」
…遅ぇよ。俺。
66名無しさんだよもん:01/11/24 22:01 ID:90C3FOpZ
ブラインドの隙間から、薄く射し込む光で目が覚めた。
壁の時計を見る。6時を少しまわった頃だった。
…ずいぶん早く起きちまったな。
俺は、目覚まし時計を使わない。
だから遅刻するんだ、と人は言う。
だが目覚ましをかけて寝ても、起きる前に止めてしまうから意味がないのだ。
どうせ遅刻するなら、さわやかに朝を迎えたい。
…というわけで、俺は目覚まし時計を使わなくなった。

…我ながら、ダメ人間だと思う。
しかし今日は、なぜか余裕を持って起床できた。
そういえば昨日もこうだったな。
もしかしたら、体質が改善されつつあるのかもしれない。
これからは遅刻せずに登校できる!
…と、いいな。

…もし昨日、遅刻していたら。
古河と知り合うこともなかったのだろうか。

「…早起きは、三文の得…か」
意味もなく呟いて、俺は支度を始める。
春の温暖な気候で、ベッドから出るのも辛くない。
近年まれに見る爽快な朝だった。
67名無しさんだよもん:01/11/24 22:35 ID:90C3FOpZ
「…さて」
俺は立ち止まり、思案する。
目を閉じて、開いて、を繰り返してみる。
が、眼前の景色はいっこうに変わる気配がなかった。

「…はぁ」
俺は今日も、この坂の前で嘆息するのだった。
目覚めたときのさわやかな気分はどこへやら、思いっきりブルーになってしまう。
だが、ここで立ち往生していてもしょうがない。
今、千里の道の一歩を…

「岡崎さん」
背後から唐突に名前を呼ばれる。
俺はさっさと登頂を中断する。
この声は…

「古河か?」
「そうみたいです」
自信を持て。

振り返り、古河と向き合う。
走ってきたのだろうか、少し呼吸が乱れていた。

「おはようございます」
「ああ、おはようさん」
自然に挨拶が出る。

「…じゃ、行くか」
「はいっ」
俺たちは昨日の再生のように、並んで歩き始めた。
68名無しさんだよもん:01/11/24 22:54 ID:90C3FOpZ
「…しかし、よく会うよな」
俺は小さく苦笑しながら言う。
そうですね、と古河も微笑む。
まあ、そのうちの半分は人為的なものなんだが。

「なんで、今まで会わなかったんだろうな」
朝に関して言えば、俺の遅刻癖が原因なのだろうけど。
…そんな風に冗談を続けるつもりだった。

でも。
俺の言葉を聞いた古河は、びくりと身をすくませた。
そして、さっきまでの笑顔を失ってしまう。
まるで古傷に触れられたように、つらそうな顔になる。

「…古河?」
俺は、この表情を見たことがある。
これは確か、昨日、保健室の場所がわからないと言ったときの――

「どうした?」
俺の問いかけに笑顔で、なんでもありません、と返す。
でもそれは、どう見ても無理をしている…作り笑いだった。

「…ごめんなさい。わたし、やっぱり先に行きます」
古河はそう言うと、止める間もなく駆け出した。
俺はその背中を追うこともできず、中途半端に手を伸ばしたまま固まっていた。
69名無しさんだよもん:01/11/24 23:13 ID:90C3FOpZ
がらがらと戸を開け、教室に入る。
例のごとく一段階静かになるクラスメイトたち。
だがそんなことよりも、古河の態度が気がかりだった。

席に着き、あれこれと思い悩む。
…俺は、何かまずいことを言ってしまったんだろうか?

「…ぐはっ」
横から聞こえる奇声で我に返る。
怪音の発生源は、陽平だった。
わざとらしく頭を抱えている。

「しまった。傘を持ってくるべきだったか…」
「は?…なんでだ?」
窓の外の空は、気持ちいいほど晴れ渡っている。雲一つない、とまではいかないが…
天気予報では雨だったのだろうか?

「まさか、朋也が二日連続で遅刻しないとは…」
「……」
「はたして誰が予想しえたであろうか!?」
「…おい」
「くそっ、猫が顔を洗うよりも確実に雨だ!」
…しまいに、殴るぞ。
70名無しさんだよもん:01/11/24 23:34 ID:90C3FOpZ
「ま、それはともかく、だ」
芝居がかった態度をあっさり止め、陽平が訊いてくる。

「昨日、あれから進展したか?」
「……」
陽平が言っているのは、古河とのことだろう。
…そうだった。こいつに突き飛ばされたせいで、俺はいらないケガをしたんだ。

「もったいぶらずに言えよ。手厚く看護してもらったんだろ?」
本格的に冷やかしモードに入ったらしく、半笑いの陽平。
…人の気も知らないで、よく言うぜ。
俺は黙って右手をかざす。
もちろん、そこには包帯が巻かれたままだ。

「な…」
予想していたよりもはるかに痛々しい有様だったらしく、陽平が口ごもる。
せいぜい絆創膏の二つ三つだと思っていたのだろう。
…俺自身、包帯まで巻いたのはオーバーだったと思うが、今はこれが役に立つ。

「…痛かったぞ」
「…す、すまん」
素直に謝る陽平。根は悪い奴ではないから、これは予測できた反応だった。
相手が弱気になった、この時がチャンスだ。

「…カツサンド、二つな」
「…解った」
こうして俺は、慰謝料の確保に成功したのだった。
71名無しさんだよもん:01/11/25 00:00 ID:Rrj7LPza
朗読が教室の中に流れていた。
不良と呼ばれる俺でも、教師の良し悪しはわかる。
いい教師とは、耳障りでない、優しい声の持ち主のことだ。
国語系の担当であれば、なおいい。
母国語を読み上げるやわらかな声は、心地よい子守歌となるからだ。
そういう意味で、いま教壇の上に立っている人物は、教師の鑑と言えた。

チャイムが鳴り、短い眠りが断たれる。
昨日は気にせず爆睡していたのだが、今日はそれほど眠りが深くならず、断続的な睡眠が続いていた。
…あと一つ授業を終えれば、昼休みだな。
陽平から支払われる、因縁のカツサンド。
それに…

もしかしたらまた中庭にいる、古河。

…俺は、何を考えてるんだ?
他人の領域に不用意に踏み込むもんじゃない。
あんなにつらそうな表情を誘う、彼女の中の『何か』。
それに対して、俺が何をしてやれる?

…知るか。
ただ、このままにはしておきたくない。
それだけで十分だろ?

あと一時間。
寝て、待とう。
書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ