その日俺は、いつものように渚を迎えに来ていた。
「おはようっす」
ぞんざいな挨拶をしながら店内に入った。香ばしい焼きたてのパンの匂いに、つい鼻がヒクヒクと蠢く。
「あら、おはよう、朋也くん。…今日はどうしたの?」
レジの中から、いつも通りのほんわかとした笑顔で答えてくれたのは早苗さん。
渚の母親…のはずだが、どう見ても20代にしか見えない。いや、下手すると10代かも…。
「…ねえねえ、朋也くん?」
まさか血が繋がってない母娘とか…いや、そんなことはない。顔立ちといい性格といいそっくりだし…。
「…もしもーし、聞いてるのかなーっ?」
いや、実は二人は姉妹だとか…ううっ、これはありうるかも…。
「えいっ!!」
物思いに耽っていた俺の身体に、不意に暖かい感触が密着した。
この柔らかい感触は、もしや…。
「もーっ、朋也くんってば。返事くらいしなきゃダメでしょ」
「…って早苗さん、いつの間に…」
いつの間にかレジから出てきた早苗さんが、背伸びをするようにして俺の耳元を覗き込んでいた。
俺の身体にしがみつくような体勢のため、俺の肩から二の腕にかけてが、そのふくよかな胸に密着するような格好だ。
しかし、渚は見事なまでにぺったんこなのに、これは意外と豊かな…って、何を考えてるんだっ、俺。
「…とりあえず離れてくれませんか、早苗さん」
イーストのものと早苗さん本来のものが混じり合ったような甘い香りにクラクラしつつ、何とか平静な声を作って言う。
「うーん、ちょっと冷えちゃってたところなの。朋也くんの身体って暖かいから、もすこしこうしてちゃダメ?」
体重を預けかけながら、邪気のない表情で問い掛けてくる早苗さん。
「もちろんですとも、早苗さんっ。それに、もっと暖かい場所もありますよ…」
と言いつつ俺は、ズボンを下ろし…などといったことができるわけもなく、心残りに思いつつも冷たく告げる俺。
「ダメです。ほら、さっさと離れて離れて」
「もうっ、朋也くんのけちんぼ」
ぷうと膨れた表情を作りながらも、俺の身体を離れる早苗さん。ううっ、勿体無い事をしたかな…。
「それで、今日はいったいどうしたのかな?」
小首を傾げて聞いてくる早苗さん。相変わらずのんきな人だ。
「どうしたって…いつも通りに渚を迎えに来たんですが?」
「あらあら、それは大変」
ちっとも大変そうに見えない表情で、のんびりと言う早苗さん。
「大変って、何がですか?」
「もう渚は行っちゃったのよ。朋也くんが来ないって心配しながら」
早苗さんの言葉に、慌てて腕時計を見る。午前8時30分。早くはないが、いつも通りギリギリ間に合う時間だ。
と、早苗さんが肩をちょいちょいと突っついているのに気付き、そちらに視線をやる。
そして、斜め上に見上げている早苗さんの視線につられ、更にそちらに視線をやる。
「…なるほど」
店内に掛かっている妙にファンシーな時計の針は、10時30分を指していた。明らかに大遅刻だ。
「しかし早苗さん、なんでもっと早くに言ってくれなかったんですか?」
「うーん、あんまり朋也くんが普段通りだったんで、ひょっとしたらわたしのほうが勘違いしてるのかなって」
しかし相変わらず大らかというか何も考えてないと言うか…まあ、これはこれでいいか。
「ところで朋也くん、急がなくていいの?」
「ええ、どうせ遅刻ですからね。のんびり行きますよ」
「きっと渚は拗ねてるから、後でフォローよろしくね」
「ううっ…」
渚の拗ね顔を思い浮かべ、ちょっとげんなりとする俺。あの顔って苦手なんだよな…。
「ふふっ、よろしくお願いしましたからね」
にこやかな笑みを浮かべる早苗さん。俺は何となくその姿を眺めた。
薄手の白のブラウスの上に、お馴染みのピンクのエプロン姿。
先ほどの感触のせいか、どうしても胸に目が行ってしまうのは仕方ないな。
しかし、こうして見るとさほど大きくも見えないが、フカフカで柔らかかったよな…。
などと邪な感慨など抱きつつ眺める。と、俺はとある異変に気付いた。
「…あれっ?」
ピンク色の布で隠された柔らかそうな隆起の突端が、何故か白く湿っているのだ。
そう言えば、さっきまで早苗さんの胸が触れていた俺の二の腕にも、ちょっと濡れたような感触が…。
「あの、早苗さん…」
俺の視線に気付き、きょとんとする早苗さん。
「もう、朋也くんったら。あんまりまじまじと見ちゃダメよ…」
目に「?」の色を浮かべたまま自分の胸に視線をやり、数秒後、表情を凍りつかせる早苗さん。
「あ、あ、あ、あ、あの、これは…」
絵に描いたような動転っぷりの早苗さん。と、俺は以前に早苗さんから聞いていた話を思い出した。
そう言えば、最近なぜか胸が張って、おっぱいが出そうだって言ってたよな。
あのときは単なる冗談かと思っていたが、まさか本当だったとは…。
「こ、これはその、だたらつまりっ、ねっ、朋也くん」
顔を赤く染めて支離滅裂な言葉を口走る早苗さん。いかん、悪戯心が疼く…。
「あれっ、胸が濡れてますよ。どうしたんですか、早苗さん?」
故意に驚いたような声で聞いてみる。みるみる真っ赤になっていく早苗さん。
「あ、あのね…」
恥ずかしげな風情で、モジモジと口ごもる早苗さん。ううっ、可愛い、可愛すぎる…。
「えっ、聞こえませんよ?」
つい、ワザとらしく耳に手を当てて聞き返してみる。
「その…おっぱいが…」
更に真っ赤になる早苗さん。いかん、どうしてもいじめたくなってしまう…。
「困るなあ、早苗さん。もっと大きな声で言ってくれないと」
「ううっ…わかってるくせにぃ…朋也くんのイジワル…」
とうとう、涙で目を潤ませる早苗さん。やばいっ、調子に乗って苛め過ぎたか。
「わーっ、冗談ですっ。すいませんっ、早苗さん」
「…ぐすっ、朋也くんのばかぁ…」
泣きべそをかく早苗さんを、慌てて慰める俺。
「ごめんなさい、早苗さん。俺、ちょっと調子に乗っちゃって…」
「あ、あの…朋也くん…手…」
「えっ…わーっ!!」
早苗さんを泣き止ませようと慌てる余り、いつの間にかその華奢な肩に手を回していたことに気付き、慌てる俺。
手のやり場に困ってあたふたする俺を見て、クスッと微笑む早苗さん。
「でも、朋也さんも男の子ね。ちょっと安心しちゃった」