「じゃあ往人、お母さんこれからお仕事するからしばらく待っててね」
母親に言われ、少年はその場を離れる。
そうしてしばらく歩き、落ち着くのにいい場所を見つけてしゃがみこむ。
来た方に目を向けると、母親が人形やらボールを使って大道芸を行っていた。
その表情は何か楽しいことが待っている、といった風で嬉しそうだ。
そしてその芸も見慣れているはずなのに、いつも違う表情を見せてくれる。
それは凄いことだと思う。
いつの間にか、母親の周りには人だかりができていた。
自分にもやらなければならないことがあったはずだ。
そう思い出し、ポケットから人形を取り出す。
母親から貰った大切な、そして少年の唯一の持ち物だ。
これを上手く動かすことができれば、さっき見た母のように嬉しい気持ちになれ
るのだろうか。
そんなことを考えながら、人形に意識を集中する。
法術――母親がそう呼んでいた力、人形を動かすことができるという力。
その力を込めて、人形を動かそうとする。
しかし……。
トコトコ……ぽて。
どうにもうまく動かすことができない。
母親は、だれかを笑ってほしいと思わなければ人形はうまく動かない、と言って
いた。みんなに笑ってほしい、みんなが楽しい気持ちになってほしいという思い
は少年も持っている。
けれど、そのみんなの顔がイメージできない。
うまく動かせないのはそのせいなんじゃないか、最近特にそう思うようになった。
よけいなことを考えてるせいで、なおさらうまく動かない。
そうやってちっともうまくならない練習を続けていると、ふと視線を感じた。
顔を上げて視線の主を捜してみる。……いた。
少女、というより幼児といったほうがいいような女の子が少年の足下の人形を
じーっと見ていた。
うっとうしいのでにらんでやる。
少女は動かない人形を見ていたが、動かないと分かると少年の方に視線を向けた。
一瞬視線が合う。
きつい視線に、少女は物陰へと隠れる。
いなくなったのを確認してから、再び集中し、人形に念を込める。
トコトコトコ……ぽて。
そうやって練習を再開する。
またすぐに少女が出てきて、人形を見る。
少年がにらんで、物陰に隠れる。
そんな出たり隠れたりを繰り返しながら、少女は徐々に近づいてきた。
とうとう少年の目の前に来て、足下の人形を興味深げにながめる。
ふと、こいつの保護者はいないのか、そう思い、辺りを見回してみる。
見つからなかった。
「おまえ、ひとりか? 親はどうしたんだよ?」
少女に尋ねてみる。
「もっと」
「え?」
「さっきのもっとみたい」
少女は足下の人形をながめる。
「人の話、聞けよな」
「これ、もううごかないの?」
そんな言葉も無視して、少女が尋ねる。
「こんな下手くそなやつより、あっちの方が面白いぞ」
そう言って、人だかりのできている母親の方を指さす。
しかし、少女は頑固だった。
「これがうごいてるのがみたい」
少年の方をじっと見つめる。
「しょうがないな……。それじゃあ、おまえが最初のお客だ」
再び人形を動かそうとする。
トコトコトコ……ぽて。
やっぱり全然上手く動かせない。
「なあ、絶対あっちの方が面白いって」
けれど、少年の人形の動きに少女はきゃっきゃっと喜んでいる。
最初は渋々やっていたが、そんな顔を見ていると、こちらも嬉しい気持ちになる。
母親もこんな気持ちなのだろうか。
穏やかで、暖かくて、幸せな……。
そんな気持ちでいると、人形の動きにも変化が現れる。
相変わらずぎこちない動きだが、それでも人形を上手に動かせるようになってきた。
笑ってほしいという思いが実感できるようになったかもしれない。
そんなことを考える。
「面白いか?」
「うん、おもしろい」
人形をじっと見たまま答える。
いつの間にか、こいつが喜ぶ顔がもっと見たい、そう感じ始めていた。
そんな思いに応えるように、人形の動きも軽やかになる。
少年は思いを込める。
人形は踊る。
そして……。
少女は笑う。
やがて日が落ちて、人通りが少なくなる。
辺りの人だかりがなくなった頃を見計らって、少女の手を引き母親の元に行く。
「あ、往人、おまたせ」
「うん、それでね……」
少年が言うより早く、母親が後ろの少女に気がつく。
「その子どうしたの? 迷子?」
「うん、そうみたい」
「きっと親御さん心配してるよね……。近くの交番まで送って行くけど、往人一人
で待ってられる?」
「うん、大丈夫」
「送って行くから、一緒にいこ」
「……」
母親が手を差し出すが、少女は少年の後ろに隠れて動こうとしない。
「うちに帰らなきゃダメだろ?」
「うん」
「ほら、お母さんが連れていってくれるから……な?」
そう言って、少女を前に押し出す。
少女は渋っていたが、ようやく母親の手を取る。
手を取ったものの少女はまだ動こうとしない。踏ん切りがつきやすいように別れの
言葉を告げてやる。
「じゃあな」
「うん」
頷いたものの帰ろうという気配がまるでない。
しょうがないので、また今度見せてやるという約束をする。
「しかも、今度見せるときは絶対バック宙できるようになるから、楽しみに待っとけ」
「うんっ」
その言葉に少女は目を輝かせ、頷く。
「じゃあ、いこっか」
母親が少女の手を取り、二人で歩き出す。
少女はなごり惜しげに、少年の方を見る。そして歩きながら、勢いよく手を振る。
いつまでも手を降り続けているので、少年もしょうがなく手を振る。
それに合わせるように、少女はさらに強く手を振る。
結局、手を下ろすタイミングが分からず、二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。