『え〜っ、スカートぉ?』
『ああ。いくら玲子ちゃんでもスカートくらい持ってるだろ?オレは見たことないけどさ。』
『そりゃあ持ってるけどぉ…でもでも、この季節にスカートは寒いよ〜!』
『そっか、そうだよなあ…久しぶりのデートだからさ、こうしてリクエストしたらスカート姿を
拝めるかと思ったんだけどなぁ…』
『うん…久しぶりのデートなんだけどねえ…』
夕べ、二人はそんな会話を携帯ごしに交わした。だから和樹もあきらめていた。大切なのは
恋人のフェミニンな出で立ちではなく、恋人とデートに出かけることこそだと心中に説得して。
だからその朝…和樹はマンションのドアを開けた玲子の姿に絶句してしまったのだ。
「…せんどーくん?お〜い、おっはよ〜…って、どぉしたのよ、ぼ〜っとなっちゃって!」
「え…?あ、ああ…いや…スカート…」
「にゅっふっふ☆リクエストにお応えしてみました〜!今日はせんどーくんのために特別!」
寒々とした薄曇りの街並みを背に、玲子は冬晴れそのものの笑顔を和樹に見せた。両手の指先で
スカートの裾をつまみ、おじぎするようにおどけてみせる。
玲子は和樹の願い通り、スカートを身に付けてきていた。それもミニと呼べるほどのプリーツ
スカートだ。寒さはストッキングとロングブーツでフォローしているようだが、その取り合わせは
実によく似合っている。彼女の趣味であるコスプレにもいえることだが、その脚線美の賜であろう。
しかもそれだけではなく、玲子は柔らかなファーを襟元にあしらったブルゾンと、ゆったりと
したセーターを着用してきていた。玲子は同年代の女の子に比べて幾分長身ではあるが、それでも
均整のとれたスタイルを有しているため、こうしたフェミニンな組み合わせでもなんの違和感がない。
タイトなパンツにコートといった、普段見慣れている姿も大人びた雰囲気が漂っていて好感が
持てるが…それでもこのかわいらしさはどうだろう。和樹は玲子を部屋に招き入れるのも忘れ、
ただただ恋人の新鮮な姿に見惚れていた。こんなかわいい娘とこれからデート…と、自らの果報に
狂おしく胸が躍る。
「どおかなぁ?普段こんな格好しないから…ね、変じゃない?似合ってる?」
「ああ…すげえな…マジで決まってる…」
心配そうに自身の身体を見回す玲子に、和樹は生返事しかできない。去年の春こみからつきあい始め、
すっかり親密な関係になっているというのに…今はこうして視線を合わせることすら困難だった。
「にゃはっ☆ありがと!だったらもう出よ?せんどーくんは準備オッケェ?」
「あ、ああ…オレはいつもの格好だからな。じゃあ行こう。」
「…っと、その前にせんどーくん、免許持ってきて。今日はせんどーくんに運転してほしいんだ。」
「オレが?別にいいけど…なんでまた?」
「だって…あたし、こんな格好でしょ?ハタから見たら、きっと変だよぉ。」
「…そういうもんかなぁ。まぁいいけど。」
玲子の急な申し出ではあったが、和樹は別段異議を唱えるでもなくそれに従う。自室へ戻り、薄く
埃のかぶっていた運転免許証を用意してきた。これでひとまず準備は万端である。
玲子の愛車はマンションの入り口前にハザードランプを点滅させて停まっていた。
マツダRX−7、FC−3S。このガンメタリックのスポーツカーに、玲子は今の自分の格好が
似合わないと言うのであった。確かに助手席に男性が座っていて、運転席からミニスカートの
女の子が降り立つというのはどことなく不自然であるかもしれない。運転席側のドアを開け、
フロアに左足を差し入れてから和樹はそう実感した。
「よっ…と。相変わらず狭いクルマだよな。座る位置も低いから見通しも悪いし。」
「慣れだよ、慣れ!年中通して乗ってれば愛着も湧くしね。よいしょっ、と…ん?どったの?」
「い、いや…クルマなんて久しぶりだから、いきなりエンストするかもってな。」
「にゃははっ☆気にしない気にしない!二、三回信号待ちしたらすぐ半クラ思い出すって!」
言葉を濁す和樹に、玲子はそう笑いかけながらシートベルトを締める。座り慣れない助手席の
感覚と…なにより和樹との久しぶりのデートにはしゃいでいるらしい。こみパへ行く以外、こうして
二人で出掛けるというのはずいぶんとご無沙汰であるから無理もないだろう。休みが合っても、
大抵は互いの部屋で同人活動の打ち合わせなり…あるいはたっぷりとスキンシップを楽しむなり
しているのだから。
やがて和樹はエンジンを始動させ…慎重にクラッチをミートさせた。熱々のデートの予感にか、
車も微振動を繰り返しつつ次第に加速してゆく。
和樹の胸もまた、相変わらず興奮による動揺を繰り返していた。それは先ほど見かけた玲子の
しぐさによって拍車をかけられていたりする。
いつもどおりに足から乗り込まず、位置の低いシートに腰を下ろしてから両足を引き込む…。
スカートをはいた女性なら当然の作法にも、和樹は初々しい感動を覚えてしまうのであった。
二人は極めて何気なく、そして楽しくデートというひとときを過ごしていた。
魔法使いの学校に入学した少年がどうのという映画を観て、昼食の天麩羅に舌鼓を打ち、足の
向くままウインドウショッピング、そして海の見える公園までドライブして…ここでまた小休止。
クルマを停め、寄り添って舗道をそぞろ歩く。海からの冷たい風と、互いに分かち合っている
ぬくもりの調和が心地よい。
とはいえ…和樹にしてみれば少々ぬくもりが過剰なくらいであった。シャツの下は汗ばみ、
羽織っているジャケットが暑苦しいくらいである。
つきあい始めてかなり経つというのに、こうして腕を組んで歩くというのは本当に照れくさかった。
さんざん触り慣れているはずの玲子の胸も、こうして二の腕が当たっているというだけで緊張を
覚えるくらいだ。表情も堅苦しくなっているであろうことが容易に想像できる。
「あ、あのさ、玲子ちゃん…今日はどうしたんだよ…?」
「にゃはは…ちょっと変かな?せんどーくんはこうゆうの、嫌い?」
「嫌いじゃないけど…慣れてないから照れくさくて…」
「にゅふっ☆エッチしてるときは、もっとずうっと大胆なくせに!」
「だ、だからそーゆーことは大声で言わないのっ!」
仲睦まじくおしゃべりを交わせば、それでまた和樹の頬は火照り、鼻の頭に汗が浮かぶ。
玲子もそれなりに照れているようだが、和樹とこうしていられる嬉しさの方が大きいようで、
声にも表情にも余裕が見て取れた。むしろ普段以上の積極性が現れているようである。冬という
季節に合わせて色彩を潜めた風景を眺めながら、玲子は色々とおしゃべりを投げかけてきた。
声も、口調も、笑顔も…いつもと変わってないのに…
玲子からの話題に相づちを打ちながら、ここでもまた和樹は彼女に見とれていた。ファッション
イメージが変わっただけで、女性はここまで変われるのだということにあらためて感心する。
…いや、もうひとつ…決定的に違うことがあるじゃないか…
「ね、ちょっと座ろ?」
「え?あ、お、おう…ほれ。」
「わ…ふふっ、ありがとっ!」
ふと脳裏に閃くものを感じた矢先、玲子が海に対面したベンチを指さした。ひとまず思考を中断し、
和樹はベンチに腰を下ろす。
暑く感じていたジャケットを脱いだついでに、ミニスカートの内側を気にしていた玲子の膝にかけて
やった。玲子は一瞬驚いたような声をあげたが、すぐにいつもの笑みを浮かべ、心からの謝辞を述べる。
「…あれ?そんなもん、いつの間に買ってたんだ?」
「さっきコンビニ寄ったじゃん。冬季限定って書いてあったからね、早速試してみようと思って!
とろ〜りとろける夢心地のような甘さ、だってさ!」
玲子が小さな箱を取り出してニンマリしていたので、和樹はついつい興味を引かれてしまう。
それは冬季限定という触れ込みで売り出しているチョコレートであった。玲子は早速ひとつ取り出し、
口中に放る。だらしないほど相好を緩めたところを見るに、どうやらアタリであったらしい。
「どうよ?」
「(゚д゚)ウマー ホント、とろけるぅ〜!メチャクチャ美味しいよ〜☆帰ったらみんなにも教えなきゃ♪」
「どれ、オレにもひとつおすそわけ。」
「いいよぉ…はいっ…」
「えっ…」
それはまさに、ありきたりな幸福感に油断しきっていた矢先の不意打ちであった。
ちゅうっ…ちゅっ、ちゅっ…
ぬみっ…ぬみゅ、くみゅ…
ちゅむっ…ちゅみっ、ちゅちゅっ…ちゅっ…
「んっ…んんっ…ぷぁっ…はぁ、はぁ、はぁ…」
一分にもわたるディープキスでチョコを溶かしきってから、二人は過敏な薄膜を離した。
鼻にかかった声を漏らし、興奮で息を弾ませているのは和樹である。小振りな唇の弾力、舌どうしが
交尾する柔軟さですっかり骨抜きになってしまったのか…和樹は玲子を見つめたまま、怒ることも、
微笑むこともできない。ただ惚けた目で玲子を見つめ続けるのみだ。
「…せんどーくん、なんか初めてエッチしたときみたいな顔になってるよっ?」
「なっ…」
「にゃはっ!冗談冗談!ゴメンね…突然キスしたりして…」
「あ、いや…」
男の沽券をもてあそばれるかのような言葉に、和樹は落雷を受けたような衝撃で現実に立ち戻る。
文句のひとつも言ってやろうかと思ったのだが…ふいに玲子がしおらしく寄り添い、頭をもたげて
きたので言葉を飲み込んでしまった。自然と右手が伸び、彼女のショートヘアを優しく撫でる。
「今日はね…思いっきりせんどーくんの恋人を楽しもうって決めてきたんだ…。」
「玲子ちゃん…」
「夕べ電話切ってから、急いで服を選んだんだよ?久しぶりのデートって言葉が効いたんだよね…
いつもよりかわいく見せたくって…。だからせんどーくんの彼女として、目一杯甘えちゃおうって…
他のカップルから羨まれるくらいに…」
和樹からの髪への愛撫に目を細めつつ、玲子は訥々と言葉を紡いだ。秘密を告白したような安堵感を
覚えているのか、ゆったりと溜息を吐いたりする。
とはいえそれは後ろめたさに基づくものではないらしく、玲子は心持ち火照った顔で和樹の胸に
頬摺りしてきた。玲子の頬摺りは大きな幸福感の証であることを…和樹は様々な場面から承知済みだ
そんな玲子の心情を理解し、ようやく和樹にひとつ余裕が生まれ…そして確信が生じた。今日の
玲子の大きな違和に気付いたのだ。自分が必要以上に照れくさかった理由も、すべてはそこにあった。
「…そーゆーの、世間ではバカップルっていうんだけど?」
「にゃはは…でも今日くらいは…それ、褒め言葉って受け取りたいな…ダメ?」
「ベッドの中でならなにしてもいいけど…やっぱ公衆の面前だと抵抗あるぞ…。それになんつーか…
こんなにかわいい娘を他の男に見せたくないってゆうか…独り占めしていたいってゆうか…」
そこまで言ってしまってから、自分の発言が単なる惚気であることに気付き、とうとう和樹は羞恥
極まって視線をそらしてしまう。気恥ずかしくて、玲子の顔が直視できない。本当に思春期真っ盛りの
童貞に戻ってしまったかのような心地であった。
それほど舞い上がってしまうのも…玲子が普段以上に活気に満ちた輝きを放っていたからだ。
フェミニンを意識した格好も、気を払うしぐさも、そして思いのままにぶつける人なつっこさも…
すべては和樹に対しての惜しみない愛情によるものである。そのなにもかもが玲子を一際かわいらしく
見せていたのだ。つきあいの長い和樹であっても、平静を保ってなどいられない。せつないほどの
胸騒ぎの果てに、惚れ直してしまっているくらいである。
「う〜ん…じゃあせめて、腕組むくらいならいいでしょ?腕がダメなら手をつなぐだけでもいいよ…
すごく女の子してる自分に、せめて今日だけは浸らせて?ねえ…?」
「ま、まぁたまにならいいけどさっ…いつもこうだと、オレ…デートのたびに告白しちまうかも…」
「えっ…?ね、なになになに?今なんて言ったのっ!?」
「なっ、なんでもねえっ!そろそろ帰ろうぜ、寒くなってきたっ…」
「わっ…ちょ、置いてくことないでしょ〜!ぶーぶーっ!!」
思わず涙腺が緩みそうになるほどの照れくささに、和樹は忙しげに立ち上がって歩き出す。
玲子は和樹のジャケットを小脇に抱えながら、小走りでその後を追った。すぐに追いつき、
はにかみ顔をのぞき込むようにしながら腕にすがりつくと…和樹も観念したのか歩調を緩める。
一瞬視線が合ってしまうと、和樹としても愛しい玲子の腕を引き寄せずにはいられない。
果報に浮かされているはにかみ顔と、果報に満ち足りている笑顔。
冷たい冬の風が勢いを増しつつある中、寄り添って舗道を歩く二人には常春の暖かみが
どこまでも満ち満ちているのであった。