アンチ巨人によるカッスレの復興を

このエントリーをはてなブックマークに追加
106ナナシマさん
私の関心は二点ある。わかるう〜?

人間は、社会と関わらないでは生きられない。
社会と関わらず、たとえば、1人の男がどこかの島へ逃げてしまったとしよう。
私たちは、その男と社会の関わりを、
   行方不明者として
という表現で済ませてしまう。

この「として」が、おそらく私たちの「責任」「権利」「義務」の所在を 示すのだと思う。
たとえば、「監督として」と言えば、 監督は責任を持っているという意味合いをもつことになる。
恐らく、王監督は、二岡選手を「栄光の巨人軍の選手として」
9800円程度の大衆料金のラブホテルを利用するのは値打ちがないぞ
と、言いたいのだろう。
しかし、二岡選手と「つかのまラブ」を楽しもうとしている山本モナは、
「巨人の選手として」や「ニュースバラエティのキャスターとして」
ラブホテルへ、責任・権利・義務つきの行動をとったわけではない。
   そうだろう?
だって、二人はシンプルに「男として」「女として」、
ラブホテルを利用した客に過ぎない。
行為の中には、とてもじゃないが、「巨人軍の栄光」を背負う気持はなく、
また「キャスターの自負」はなかった・・・というか、
そんなのを持ち出すと、気が散って宇宙へ飛んでいけない。
王監督のKYぶりが際立ったコメントだったと私は思う。

世界一小さい世界一小さい新聞よしだまさゆき世界一小さい