二岡氏ねで1000目指すスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
111ナナシマさん
■あの人は今
元・北海道日本ハムファイターズ内野手・二岡智宏さん(55歳)
21世紀のプロ野球の盟主としてリーグ8連覇、その間日本一5回と躍進が続く
北海道日本ハムファイターズ。今や北の大地の象徴として道民に愛される、
なくてはならない存在だ。しかし、平成10年代末期に移転してきたばかりの頃
はかつての盟主だった巨人の人気に押され気味で大変な苦労を強いられた事
もあったのだ。その巨人から追放同然でやってきた一人の男がいた事を覚えて
いるだろうか?"北の狼"とも呼ばれたスラッガー、二岡智宏さんは今…

「北海道に来た頃よりも来る前の事の方が鮮明に記憶に残ってますね。いい
 思い出ではありませんが…」という二岡さん。
「未だに当時の夢を見る事があるんですよ。『モナ岡』って野次られて苦しんで
 る夢を。今考えると若気の至りでしたね。悔やんでも悔やみきれませんよ」
巨人の正遊撃手としてその人気は不動の物だったが、度重なる故障とある事件
が彼の人生を狂わせた。
「実は最初は広島へ行くはずだったんですよね、球団とも相思相愛で。それが
 強引に巨人に引き抜かれたんです。巨人ではルーキーの年からちやほやされ
 ましたが、あの事件以降チームメイトもプライベートの友人も、そしてファンも
 急速に離れていった。しまいには島流し同然でトレードされた。まさに四面楚歌
 の状態でしたよ。あの後挽回のチャンスをいただいたのにまたケガしてそのチ
 ャンスすら失った自分も悪いですけどね。あるOBからは『二度と巨人OBを
 名乗るな』と釘を刺されましたよ」
その時には度重なる心労で鬱病に加え自律神経失調症を発症し、体重は60kg
前後にまで落ち、精神的にも不安定な状態が続いて「心身共に死んでしまった」
状態だったという。
112ナナシマさん:2009/03/15(日) 16:14:10 ID:???0
「その時はもう何もかも嫌になりましたよ、心の中には絶望感しかなくていつも
 泣いてばっかりで。手術した左膝と捻挫した右足首もまだ痛みがあって満足に
 動かない状態だったし。秋頃にはすっかり自暴自棄になってG球場でファンに
 当たり散らしたし、女房にも随分苦労かけました。今思えばそのファンの方には
 悪い事をしました。そしてそれでも僕を見捨てる事なく北海道にもついてきて
 面倒を見てくれた女房には本当に感謝しています」
移籍後も巨人からは徹底的に迫害された。自主トレでのジャイアンツ球場出入り
禁止処分、OB会からの締め出しなどである。
「その時は『入団から10年間尽くしたチームなのに、なんで自分だけがこんな邪険
 にされなきゃならないんだ』と腑が煮えくり返る思いでしたよ。『同じ巨人から
 他球団への移籍でも清水は留学、二岡は勘当』とも言われましたし。僕としては
 あの事件の後シーズンを諦めて治療に専念しCSあたりで復帰したいと思ってた
 のに、夏場にチームの状態が悪くて内野手が足りなくなったので見切り発車の
 ような状態で復帰したんです。だから当然まともなプレーはできず、挙げ句また
 ケガして二軍落ち、そのままシーズンを終える羽目になりました。チーム事情に
 振り回されたのにも関わらず、不祥事と成績低下を理由に放出されたから巨人の
 事は非常に恨みましたよ。すっかり人間不信になりましたねその時は。交流戦の
 時には巨人戦で打ちまくって巨人ファンの皆さんに『何で出したんだ』と言わせたい、
 それだけ考えてましたね。もう二度と東京にも広島にも帰れない身でしたし」
113ナナシマさん:2009/03/15(日) 16:26:02 ID:???0
しかし石もて追われるようにやってきた日本ハムで二岡さんは奮起する。
「最初はチーム内でもなかなか馴染めず孤立気味でした。キャンプでも故障のせい
 で別メニューを余儀なくされてチームメイトと接する機会も少なく、ずっと一人ぼっち
 でしたね。話し相手もおらず寂しい思いをしてましたよ。しかし地元でのオープン戦
 が一つのきっかけになりました。移籍後初めてとなる打席で見送りの三振だったん
 ですが、その時スタンドから大きな声援が送られました。『ああ、自分は今まで
 あんなに多くの敵を作ってしまったというのに北海道のファンは自分を温かく受け入れ
 味方になってくれた』と。もうありがたくて涙が出ましたよ。その時に『この球団で
 がんばろう、北海道に骨を埋めよう』と強く心に誓いました」
その後の活躍はここで記すまでもないだろう。ファイターズの不動の4番にして稲葉の
後を継ぐキャプテンとして長年に渡ってチームを牽引し、その勝負強い打撃で何度も
日本ハムの勝利に貢献してきた。そして球団挙げての万全の古傷のケアが功を奏し、
周囲の予想に反して45歳まで現役選手としてグラウンドに立ち続け、気がつけば
ファイターズにいる期間の方が長くなっていた。
10年前に惜しまれつつ引退した後はコーチとして引く手あまただったのを全て断って
球界からすっぱり足を洗い、現在は富良野の広大な大地で酪農を営んでいる。
「どうですこの乳牛。毎朝いい乳が採れるですよ」と慣れた手つきで牛乳を搾る。
かつての古巣だった巨人について尋ねると…
「そうですね…。今巨人は6年連続Bクラスだし阿部監督も相当苦労してるようですね。
 先日コーチとしてお呼びがかかったんですけどお断りしました。なにしろ『巨人OBを
 名乗るな』との事ですからね(笑)」
かつて札幌ドームを沸かせた強打者は、今第二の人生でホームランをかっ飛ばしている。